4.オリュンポス十二神
夢をみていた。正確には夢ではない。
目を開けると、そこは一面が水で覆われた世界だった。
水の中でシトはうずくまっていた。小さな波が足首に触れる。けれど、濡れてはいない。
青を抜き取った真っ白の空と透明な海だけがある世界に、シトはいた。
「なんだよ……もうちょっと寝かせろよ」
小さくつぶやいて、抱えた膝の上に顔を伏せる。もうひと眠りしようと目を瞑ったところで、背中にげしっと衝撃が走った。体勢が崩れ、顔面から水の中に突っ込む。どれだけ触れても濡れない水というのも不気味なものだ。
雫ひとつ垂れていない髪を振り乱し、素早く顔をあげて、安眠を求めるシトの背中を蹴った不届き者に振り返る。
「何すんだよ!」
「なにって、まだオネムみたいだったから起こしてやっただけだが」
淡い青色の腰まである長い髪が水のように揺らめく。シトよりも少し幼い少女が海を閉じ込めた紺碧の瞳でこちらを見下ろしていた。
新雪のように滑らかで白い肌に、色素の薄い桜色の唇がよく映えている。
寝巻のシトに対して、少女は白いノースリーブワンピース一枚に裸足だった。
「人が気持ちよく寝てたっていうのに……俺は明日も朝早いんだよ」
「そんなこと言ったって、こちらの
「……神ってみんなこんなに自己中で横暴なのか……?」
少女の全く悪びれることのない様子にシトはため息をついた。少女の構築する
朝目覚めた時の、全身が寝不足に包まれた気分は何度味わっても慣れない。
しかし、呼び出されたら最後だ。何を言っても、何をしても、シトの中に棲む神であるこの少女が納得しない限り、現実世界に戻ることはできない。分かっていても、毎回言い争いをしてしまうのだが。
「で、なんで俺を呼んだんだ?」
さっさと本題に入って会話を終わらせて眠ろう。これ見よがしにあくびをしながらシトは聞いた。少女は険しい表情を崩さない。
「さっき、ルーアスと話してただろう。カルディア隊のこと」
「! もしかして、何か知ってんのか?」
「数十年前、私が憑いた人間がカルディア隊に所属していたことがある」
「ほんとか!」
興味津々なシトを一瞥してから少女は話を続ける。
「ああ。すぐにマ神に殺されて大した成果は挙げられなかったけどな。奴らと深く関わる前に死んだから、私も詳しくは分からない。でも、ルーアスの言う通り、たしかにカルディア隊は存在していた」
少女はまっすぐにシトを見つめた。
「……シトはカルディア隊に入りたいのか?」
「あ、当たり前だろ! 実際にマ神を倒して島を取り戻した実績もあるし、十二神人の集まりなんだ。俺も加わってマ神を倒して、いつか本当の俺をみんなに……」
シトは自分の手のひらを見つめた。見た目は普通の人間なのに、この皮膚の下には世界が忌み嫌う厄災とよばれる神の力が流れている。これを知られてしまえば、もう誰もシトに笑顔を向けてはくれないだろう。
ふと顔をあげると、少女の瞳が切なげに揺れていた。しかし、それはほんの一瞬で、シトと目が合うと、すぐに凪いだ海のように無に変わる。
「まあ確かに一人で戦うよりずっといいだろう。けどお前、神法が全く上達せんだろう。今のままじゃカルディア隊に入れたとしても、お荷物確定だな」
うっと思わず首がすくむ。軍人であったルーアスに小さい頃から体術や剣術は教え込まれていたが、神の力を使った術――
神法は緻密な力の加減や操作がいる。脱いだ服もまともに畳んだことのない荒々しいシトとは相性が悪い。
「もう十四だろう。大抵の十二神人は、そろそろ簡単な攻撃技、武器くらいは顕現できるんだがな。もうここまできたら、センスがないとしか」
刹那、シトの脳みそが叩かれて、甲高い音が鳴った。
「まだわかんないだろ! これから覚醒して、めちゃくちゃ強くなってやる!」
びりびりと爪先から指の先端まで血が沸騰していく感覚。青い紋様がシトの右頬に浮かび上がった。力がみなぎる。少女が形のいい唇を引き上げた。
「なんだ? 早く寝たいんじゃなかったのか?」
「いや寝ない。もう二度とセンスがないお荷物弱虫馬鹿なんて言わせないからな」
「そこまで言ってないが。……ま、やる気になってくれてよかったよ」
現実世界で易々と神法を使う訳にもいかず、神法の稽古はいつも神世界で行われている。
二人だけの静かな空間に、一歩間違えれば、ガラスがぼろぼろ割れていくような緊張感。
「俺は強くなる。マ神を倒して、厄災じゃないと証明するんだ。みんなに本当の俺を好きになってもらいたいから」
「……ああ。私もお前には強くなってもらわないと困る。マ神を倒して、奪われた神の座を取り戻す。そのために、私はお前の魂に宿っているんだから」
ふっと息をもらすように少女が笑った。幼い見た目にそぐわない妖艶で不敵な笑みにどきりする。
命を与えられたように、波がざわめく。シトは手のひらを少女に向けた。
「絶対神法を使いこなして、シト様すごいです見直しましたって言わせてやるからな!」
「ふっ」
鼻で笑われた。
深いところから乱暴に引っ張り上げられ、目の前に太陽の光を突きつけられる。
身体中を蠢く眠気をすべてはぎ取られ、覚醒を促されている嫌な感覚。
それと同時にベッドで横たわっていたとは思えないほど、身体が疲弊していた。
身体を起こすと、あばらの骨が鷲掴みされたような痛みが走り、顔をゆがめる。
枕元の時計をみて、シトは絶望した。
もうとっくに起きる時間だ。
「ぜんっぜん寝れなかった……」
結局、シトの神法は少女の長い髪をかすめすらしなかった。
睡眠もまともにとれず、齢十四にして味わいつくした敗北感がまとわりついている。
それでも変わらずにやってくる太陽の光が、あざ笑うかのようにシトを照らしていた。
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