3.カルディア隊
風が草木を撫でる音の中で、固いものがぶつかり合う音があたりに響く。
何度向きを変えて、姿勢を変えて、握り方を変えて狙っても、目の前のルーアスにはシトの思考がすべてわかっているかのように簡単によけられる。
ぎりっと歯を噛みしめた瞬間、丸い先端がシトの顔面に向かってきた。
寸でのところで左によけて、勢いよくしゃがむ。
目の前にあるルーアスの足めがけて、木刀を横にすべらせた。
空気をきる。当たる。ようやく。
しかし、目には見えない一瞬の間で、ルーアスの足が消えた。
は、と顔をあげると青白い月を背に、ルーアスが飛んでいた。羽なんて生えているわけないのに、羽が生えているように、とてつもなく軽やかに。
理解する間もなく、シトは地面に倒され、降ってきたルーアスに額を思いきり突かれた。
痛い。物干しざおのくせに、ルーアスが扱っているせいで威力が半端じゃない。
シトは右手の木刀を力強く握って痛みをこらえた。
最初は二人とも木刀を持っていたが、シトが弱すぎるのか、ルーアスが強すぎるのか(多分、いや、絶対後者だとシトは確信している)全く戦闘にならず、ハンデとしてルーアスが物干し竿に武器を変えた。
それに対してシトは不満が爆発し、木刀のままでいいと何度も言ったが、ルーアスも決して譲らなかった。
いつしか木刀対物干し竿という世にも滑稽な稽古となったが、木刀のシトは未だに全敗である。
「まだまだ現役もいけるかな」
ルーアスが楽しそうに物干し竿を振り回している。空を切る音がすごい。構えだけでも、一般人とは比べ物にならないほど様になっていた。
シトが生まれる前、ルーアスは軍隊に所属していた。島の長に仕え、島を守る軍人として、逃げ出す者や死んだ者すらいたほど厳しい訓練を十年以上してきたとシトに話してくれたことがある。その中でも、ルーアスは首席で隊長をしていたとか。
鼻歌まじりで洗濯物を干したり、牛に話しかけたり、市場で激安の野菜をみつけて飛びつく姿からは想像もできない。ただの妄想話ではと疑うこともあったが、この強さに何度もやられている身としては、もはや信じない方が無理な話だ。
「っ、いてえ……」
「どうだ? シト。手加減してやろうか」
「んなもん、いるわけねえだろ!」
手加減なんて舐めた真似されたらたまったもんじゃない。勢いよく反論すれば、ルーアスは実に楽しそうに笑っていた。
からかわれた。
シトが手加減されるのが死ぬほど嫌なことを親であるルーアスが知らないはずがない。
ふと笑いがやんで、ルーアスがまっすぐにシトを見下ろす。
「私に負けているようではカルディア隊のようにはなれんぞ」
「カルディア隊?」
「マ神に対抗する十二神人の部隊だ」
十二神人の部隊。心臓がどきりとした。
「そんなのが、本当にあるのか?」
「まあね。昼間のお前の話を聞いて思い出したんだ」
すっかり忘れてたよ、とルーアスが恥ずかしそうに頭をかく。
「シトがカルディア隊のことを知らなくても無理はない。マ神が情報を制限しているからね。知っているのはマ神とその周り、島の長と、現役の軍人、あとは……私のような元軍人くらいかな」
ルーアスが地面に腰をおろした。いつもの柔和な表情が強張っているのがわかる。
シトはごくりとつばをのむ。乾きすぎた喉は大して潤うこともしない。
「私がまだ軍人だったころ、カルディア隊は水面下で動いて各地のマ神と戦っていたと長から聞いたことがある。その強さは本物で、とある島のマ神と兵士たちを皆殺ししたとか」
すぐにこの島を支配するリモゥとそれが率いている兵士を思い返した。兵士はざっと数百人はいた。
公に隠されているマ神リモゥのアジトにはもっといるかもしれない。それを皆殺しに。
「厄災をもたらす十二神にマ神が負けたとあれば、民のマ神への絶対的崇拝が揺らぐ。だからマ神は情報を制限したんだ」
「……その話が本当なら、俺が、俺たちが知らないだけで、マ神が支配していない島が、このガルシャ国にあるってこと?」
すがるようなシトの瞳から、ルーアスが珍しく顔をそらした。
「あるにはある、かもしれない」
「どういうこと」
「この世界のほとんどの人間はマ神を真の神として崇拝している。もしかしたら、マ神を殺したカルディア隊を神への反逆者として、島の人間たちが認めない場合もあるかもな」
「そんな……っ! じゃあ、十二神人はどうすれば認めてもらえるんだよ……っ」
湧き上がる悔しさをどうすることもできなくて、木刀を力強く握りしめた。
「……だから、長い時間をかけて理解してもらうしかないのかもしれないな。シト、お前を含む十二神人のことを。そのためにもカルディア隊に入るのはひとつの手だと思うけどね。一人で闘っていくより、仲間がいた方がいいだろう?」
ルーアスがやわらかく微笑む。ポンポンとシトの頭を叩いて鷹揚に立ち上がった。
マ神を倒して、人々に十二神人のことを認めてもらい、理解してもらう。
決して、自分たちが人々に危害を及ぼす厄災ではないことを。
それはルーアスの言う通り、途方もない時間が必要なことだろう。
それでも。
( やる価値はあるよな )
マ神と同等、もしくはそれ以上の力をもつカルディア隊の中で活躍する自分を想像して、シトの胸が跳ねる。
そしてふと、ある事を思い、家の中に戻ろうとするルーアスの背中に声をかけた。
「なあ叔父さん」
「なんだ?」
ルーアスが立ち止まる。振り返った表情には、目じりに深くしわが彫られていた。
「カルディア隊って、どうやって入るの?」
ひゅううっと冷たい夜風が二人の間を横切る。
しばらくの沈黙の後、ルーアスは笑顔のまま、「さあ」とあどけない少年のように首を傾げた。
「は?」
「私は十二神人じゃないから分からないなあ。確かにどうやって入るんだろうな。しかも私が軍人だったころから十年以上経っているし、今も活動しているのかさえ定かじゃない」
「は、は、は、はああああ!? じゃあ今までの話なんだったんだよ……」
胸の中で決めかけていた覚悟が砂の城のようにもろく崩れていく。思いきり振るった剣を避けられ、何もない空を切った時の気持ちと同じだ。
あと、己の未来への若干の失望。
そんなシトの胸中を知ったこっちゃないと言わんばかりに、ルーアスは大きな口を開けて豪快に笑った。
「大丈夫。もし、カルディア隊が今も人知れず活動を続けているなら、いずれお前を迎えにくるに違いない。お前の宿している十二神の力はそれだけ強いものだからね」
「ほ、ほんとかよ……」
「カルディア隊が今も存在するにしろ、しないにしろ、シトはマ神と戦う使命を持って生まれてきた。強くならなくてはいけない。そのことを忘れてはいけないよ」
「わかってる。だから毎日こうして稽古してるんだろ」
「そうだ。……でも私はただの人間だから、お前の中に眠る本当の力を引き出してやれない」
流れてくる雲に月が隠されるのと同時に、ルーアスの顔が影に落ちる。
「シトの力を存分に発揮できる場所はきっと私の前じゃない」
ルーアスが再び歩き出す。庭の隣に生い茂る森の木がざわざわと揺れた。
どこからともなく、オオカミのなく声が聴こえる。
胸を締め付けられる、絶命する瞬間に絞り出したような切ない声だった。
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