第26話 絶望※ミズガミ

 ハッとして見上げれば、大晦おおつごもりの頭上に若い男が立っていた。年の頃は十代後半といったところか。ミズガミでさえ怖気をふるうような、とてつもない魔力をまとっている。


 間違いない――こいつだ。


 あのとき――転移する直前の、稲光を見たときに感じた化け物の正体だ。追ってきたのだ。どうやってかは知らないが、こちらの位置を把握して飛んできた!


〔いや、そもそもなぜこの場所が……!?〕


 偽装していたのに位置がバレた……!? 異常な魔力で強引に追跡してきたのか!? いやそもそも一〇〇〇キロもの距離をどうやって? こいつも瞬間移動が使えるのか!?


 様々な疑問が渦巻くが――結局のところ、この化け物の力をもってすれば不可能ではあるまい。そう結論づけざるを得なかった。


「いい度胸してるな、お前ら」


 串刺しにされた月のケモノが、強引に槍を破壊して自由になった。即座に頭上の男へ攻撃を仕掛ける。


 だが、男は雷をまとった刀を出現させ、電光のごとく駆け抜けた。


 ミズガミの目には、ほとんど何も映らなかった。かろうじて男の移動が見えただけだ。いや、実際には見えてなどいない。


 男が駆け抜けたあとには、雷が足跡のように残っていた。まるで雷そのものが通ったかのように。


 そして、大晦のケモノも、晦のケモノも、どちらもバラバラに斬り裂かれ、先ほど以上のとてつもない雷撃に見舞われていた。今度はチリ一つ残らず消し飛ばされている。


 いや、大晦だけは無事だ。


 黒焦げにはなったものの――そして全身斬り裂かれて傷だらけになってはいたものの――それでもまだ、生きていた。生きてさえいれば、満月の光を浴びていくらでも復活できる。


 だが、ミズガミは絶望していた。


 どう考えても、目の前の化け物に勝てる気がしない。大晦の力を……四十年前に精霊界をめちゃくちゃにし、三帝でさえ、どうにもならなかった絶大な力をもってしても……眼前の怪物をどうにかできる気がしない。


 大晦をはるかに上回る力を見せつけていた。


「だから言ったでしょう」


 びくりとミズガミは体を震わせた。綿貫の声だ。


「退魔師協会と敵対するということは、あの子と敵対するということです。なんとかできると本当に思っていたんですか?」


 半ば小馬鹿にするような、半ば同情するような口調だった。


「貴様……! 最初から知って――!」


「だから警告したでしょう?」


 今度は呆れ混じりだ。綿貫は大晦と戦う化け物を見つめた。大晦は自慢の再生力でなんとかあの怪物に食らいついていくが……完全に押されていた。


 不死身に近い回復力がなければ、とっくに決着はついていただろう。


 雷刀で縦横無尽に斬り裂かれ、これでもかと雷撃を浴びせられ、大晦は何度も何度も致命傷を喰らっている。


 いくら月光で復活しつづけたところで……攻撃を当てることすら覚束ないほどの実力差があってはどうしようもない。


〔勝ち筋があるとすれば……〕


 あの化け物の魔力切れだ。だが、それも望みは薄い。どう見ても――スタミナ切れを起こしてくれるような甘い相手とは思えない。


 このまま夜明けまで、すなわち満月が沈むまで斬り裂かれ続け、やがて朽ちる……。いや大晦は、はたしてそこまで持つか? いくら強力無比な回復能力を持つとはいえ、無尽蔵に再生し続けることはできない。


 あのまま攻撃を喰らい続ければ、朝を待つまでもなく……。


「あれが月狩りの太刀ですかしら?」


 ツキガミが気丈に訊いた。だが、声が震えているのがはっきりとわかる。彼女は救いを求めるようにミズガミの手をぎゅっと握った。


「今は鏑木流兵法ッて名乗ってるんだよ」


 ふたり揃って、ミズガミたちはびくりとした。


 砂が舞い上がって、ひとりの老婆が現れた。いや、老婆と呼んでいいのかわからない。白髪まじりの頭だったが、腰は曲がっておらず、体つきも足取りもがっしりしている。


 反射的に、ミズガミは分霊バアル・ゼブルに攻撃を命じていた。山々を撃ち貫き、大地に巨大な亀裂を作るほどの激流が老婆に襲いかかる。


 だが、水は突如として消えた。まるで砂に水が吸収されるように、すっかり激流はなくなってしまったのだ。


 そして、一瞬で間合いを詰めた老婆が、分霊バアル・ゼブルの首を落としてのけた。いつの間にか、刀を握っている。砂塵をまとった刀を。


「あたしの二つ名を知らないのかい? そんな物知らずがよく喧嘩を売ろうなんて思ったもんだねェ……。いや、むしろ知らないがゆえの蛮勇ってェやつかねェ、こいつァ……」


 老婆は小さく息をついた。


「四十年前、大晦のケモノをどうやって倒したと思ってんだい?」


「あなたたちが……月狩り、いえ鏑木流兵法とやらの使い手が倒したの? あの男が?」


 ツキガミの言葉に、老婆は呵々大笑した。


「あの子はあたしの孫だよ。四十年前はまだ生まれてすらいないさ」


 老婆は鼻を鳴らす。


「正確には、精霊たちの救援要請を受けた退魔師協会がぶっ倒してやったのさ。まァ主戦力になったのはあたしの夫――」


 鋭い目で、老婆はツキガミをにらみつけた。


「大晦と相打ちになっちまった亭主だよ。残念ながら、四十年前の英雄は生きちゃァいないのさ」


「じゃあ、彼は……? どうして、あれほどの力を……」


 老婆はふたたび笑った。明らかな哄笑だった。こちらを嘲るような笑い声が響く。


「当然じゃァないか。あたしが亭主の戦死を知ったとき、まっさきに思ったのはなんだと思う? あの大晦のクソ野郎に絶対負けない、最強の兵法者を作ってやろうッてねェ!」


 老婆は不敵な笑みを浮かべる。獰猛な、ケモノのような笑みだ。


「で、結果は見てのとおりさ。分け御霊ッてェのが気に入らないけどねェ……まァいいさ。これで修一は、大晦を余裕でなぶり殺せるのがわかったからねェ」


 感謝するよ、と老婆は言った――背が低いから相手が見上げる形になっているはずなのに、ミズガミは自分が、とてつもなく巨大な存在から見下ろされているような錯覚を覚えた。


 いや、実際に見下ろされていた。なぜならミズガミも、そしてツキガミも、腰が抜けたようにぺたんとその場に座り込んでしまったからだ。


 もはや、抵抗する気力すら残っていなかった。


「なんだいなんだい? 最近の若いのは諦めるのが早いねェ……。もう少し抵抗してくれないと、こっちとしても張り合いッてェもんが――」


「あんたみたいな年寄りに、伝わるかどうかはわからないが」


 ミズガミは愚痴るように言った。


「普通にダンジョンを攻略していたはずなのに、なぜか隠し条件を満たしてしまって……本来なら遭遇するはずのない裏ボスと突如エンカウントしてしまった……そんな気分なんだよ、今……」


 ミズガミは、大晦と戦う化け物に目を向けた。


 よく見れば、大魔法陣に配置されている一族の人間が、ましろによって巧妙に守られている。


 月のケモノと、あの化け物の戦いで死傷者が出ないよう、一応は気を遣ってくれているらしい。


 はは……とミズガミは笑う。なんという力差だろうか。こちらはまわりを気遣う余裕などまったくなかったというのに。


「ナメんじゃァないよ。あたしはね、こう見えても初代ドラクエからプレイしてるんだ。要はアレだろう? 海底宝物庫でキラーマジンガと遭遇しちまったみたいな――」


「どう見ても……あれはダークドレアム的ななにかだろう?」


 ミズガミはうなだれて、大きく息をついた。そして怒りを込めて、こう吐き出した。


「裏ボスなら、秘境の奥地にでも封印されててくれ……! なんで当たり前のようにエンカウントしてくるんだ……!」


 音を立てて、ミズガミは地面を殴りつけた。


 最悪の気分だった。井の中の蛙だった己の慢心と無知、敵戦力をあまりにも軽く見積もりすぎていたことなど……自己嫌悪でいっぱいだった。


「あの……交渉は、可能ですかしら?」


 ツキガミが、意を決した様子で老婆に話しかける。


「ほう? この期に及んでなにをしようッってんだい?」


「私の力は――月のケモノを召喚して操る術は稀少ですわ。千年に及ぶ研鑽と研究の成果ですもの。お役に立てるはずです! どうか、私たちをお助けください……! 私たちに、一族にお慈悲を……!」


 ツキガミは地に頭をこすりつけて哀願してみせる。老婆は興味深そうな顔だ。


「ほう? この状況で自分の有用性を売り込んでくるたァねェ……。しかも自分だけじゃァなく、仲間も助けたいとは」


 いいねェ気に入ったよ、と老婆は笑う。


「まァあたしは今回の件、別に大して怒っちゃァいない。結果だけ見りゃァ被害もないしねェ。むしろあたしとしちゃァ、あのいけ好かないゴミどもを召喚して使役できるなんて、実に素晴らしい秘術じゃァないか! よく開発してくれたよ!」


 実に楽しげに老婆は笑う。


「では……!」


 と、期待に満ちた顔でツキガミが顔を上げるが、老婆は少しばかり困った顔で首を横に振る。


「残念だが、あんたたちの進退を決めるのはあたしじゃァない。退魔師協会だ。まァあたしも上にゃァそれなりに顔が利くから、口利きしてやるつもりではあるけどねェ……。最終的な決定権は別のやつが持つんだ。そこは承知しときな」


「では、これ以上の害が出ないように――」


 ツキガミが大晦を止めようとすると、


「待ちな!」


 老婆が鋭い一声で止めた。ツキガミはぎょっとした顔で硬直する。


「面白いもんが見られそうだから、ありゃァ放っておいていい。どっちにせよ、あたしとしちゃァ月のケモノが……それも大晦がボコボコにぶちのめされてる様を見るのは気持ちがいいからねェ」


 実に満足げな顔で、老婆は戦いを見物する。


「いい景色だよ。うん、本当にいい景色だ……」


 感無量、といった様子で老婆はうなずく。


「すみません、由美子さん」


 綿貫が冷めた顔で言った。


「被害ないって――私は思いっきりやられて、こうやって無様に捕まってるわけなんですけども……」


「修行不足だろ、精進しな!」


 そんなー! と、綿貫は泣き言を漏らす。


「おっと……修一に一応、警告だけはしてやるかねェ。まァ面白いもんッて言ったッて、あたしのほうも巻き込まれそうで微妙に嫌ではあるんだが……」


 修一! と老婆は声を張り上げた。


「さっさと片づけな! でないとあんたにとって恐ろしいことが起きるよ!」


「はぁ!? 恐ろしいことってなにが――」


 戦っていた化け物が老婆を振り向き、それからなにかに気づいた様子でぴたりと動きを止めた。そして、ある一点を見つめる。


 うわぁぁぁぁ!? という断末魔のような絶望の声が辺りに響き渡った。


 あの化け物の声だ。視線の先を追えば、隠れ里で一番高い建物の屋根に、いつの間にかふたりの少女がやって来ていた。


 まるで魔法少女のような、フリフリの衣装に身を包んだふたりだった。

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