第25話 強襲※ミズガミ
油断したつもりはなかった。
むしろ最大限に警戒をしていたつもりだった。なにしろ白狐の母娘……母親の白峯麻衣を捕らえるのに、とんでもなく苦戦させられたのだ。
綿貫という一級退魔師の乱入を考慮してもなお、ミズガミの予想をあっさり上回っていた。まさか三帝の一角であるバアル・ゼブルの召喚をさせられるとは思いもよらなかったのだ。
そして麻衣の発言を信じるなら……娘の実力は母親を超える。加えて退魔師協会の力も侮れない。白峯ましろの捕獲は、一筋縄ではいかないだろう。
〔可能なかぎりの準備をととのえて仕掛けなければ……〕
とはいえ、悠長にしている時間もない。すでに白峯麻衣捕縛の報は、間違いなく退魔師協会に伝わっている。一級退魔師である綿貫の敗北も、だ。
〔これで向こうが後手にまわってくれればいいが……〕
そう思惑どおりには行くまい。退魔師協会は苛烈だ。一級が破れたなら、同格の相手を今度は複数送り込んでくる。問題は、敵の出方だ。
速攻を仕掛けてくるか? 戦力がととのうまできっちり準備するか?
〔いや、楽観は危険だ。常に最悪の事態を想定して動かねばならない〕
仮想すべきなのは、自分たちにとって都合のいい状況ではない。不利な未来だ。
この場合、ミズガミたちにとっての最悪は、綿貫と同等以上の使い手が即座に複数襲ってくる――正確には白峯麻衣奪還に動くこと。
だからこそ、敵が動く前にこちらから仕掛けなければならない。
のんきに構えていたら、あっという間にジリ貧だ。
本拠地に帰還すると、ミズガミは即座に一族を呼び集めた。儀式を執り行ない、自身とツキガミの戦力を強化する。
ミズガミは分霊バアル・ゼブルはもちろんのこと、公爵級の精霊ウェパルとフォカロル、さらにバティンも呼び出す。
分霊とはいえ、バアル・ゼブルの力は大王クラスだ。これに加えて公爵級を三体同時召喚……通常ならば不可能な荒業だ。
儀式によって、一族の魔力をすべて融通(正確には共有)しているがゆえの芸当である。これで気兼ねなく四体の精霊の力を操れる。
ツキガミのほうも、白狐をひとり生け捕りにしたことで強化された。
望月(精霊でいえば侯爵)クラス三体に加え、
「へぇ? 実際、言うだけのことはあるわね」
感心した様子で麻衣が言った。
彼女は綿貫と一緒に魔法陣の中央で拘束されている。綿貫のほうは別にいらなかったのだが、個別に捕まえておくのも面倒なので、まとめて無力化している。
山中にある隠れ里でのことだった。
山々に囲まれた辺鄙な盆地の、湖のそばに作られた里である。もちろん結界によって外部からは隔絶されていた。里は木造住宅がいくつも建てられ、中央には大きな大きな広場が作られている。
ミズガミたちはこの広場に超巨大な魔法陣を作り、さらに一族の人間すべてが……それこそ老若男女を問わず全員を集めた。赤子すら母親に抱かれて、それぞれ所定の位置に待機し、儀式を行なっているのだ。
まさしく一族総出の大魔法――麻衣は物珍しそうに魔法陣を見ながら、
「てっきり生贄にでもされるのかと思ってたわ」
「それじゃ使い捨ての手駒じゃありませんか」
ツキガミが不本意そうに返す。
「言ったでしょう? 勧誘しに来た、と……。生贄に使ってどうこうなんてあまりにも野蛮すぎますし、そもそも白狐は稀少なんですから。そんな贅沢な使い方、普通はできませんわ。仲間に誘って、こうして戦力を増強するのがまっとうな人間のすることです」
「真っ当な人間は人さらいなんてしないと思うけどね……」
麻衣はそう言ってから、ツキガミのかたわらにいる月のケモノに目を向けた。
「それ……よく見たら本体じゃないね?」
「おや? わかりますか」
ツキガミは楽しそうな笑みを浮かべる。
「冷静にじっくり観察すればわかるわ。分け
「どうやって月のケモノと契約したのか、ですね」
綿貫があとを継いで言った。
「あの化け物どもは、こちらの言うことなんていっさい耳を貸さないはず。いえ、そもそもケモノという呼び名どおり、人語を解するかどうかさえ定かじゃない……! いったいどうやって召喚契約なんて――」
「そこは企業秘密……ですわ」
ツキガミはいたずらっぽく笑うと、人差し指を立てて自分の唇に当てた。
「召喚術を生業とする我らが一族の秘術……いわば秘奥の召喚術なのですから、そう簡単に理解してもらっては困ります」
「ずっと月のケモノを召喚して操る術を研究していた……というわけですか?」
「その問いには『イエス』と答えましょう。月のケモノは強大です。なんとかしてその力を得ようと考えるのは、ごく自然な成り行きでしょう? そして……千年におよぶ研鑽の末、ようやく結実したのですわ」
「千年……ですか」
綿貫は小さく息をついた。
「月狩りの太刀と同時期にそんなことを考える人が――ああ、いや……むしろあなたの言うとおり、自然なことかもしれませんね」
「月狩りの……?」
ツキガミは眉をひそめた。
「それはただの伝説でしょう? 月のケモノを殺すことにのみ特化した武芸なんて」
「あなたがそれを言うんです? 月のケモノを召喚して使役する魔術なんて開発しておいて」
「言われてみれば……。ということは、もしかして退魔師に月狩りの太刀を操る者が?」
「さぁ? どうでしょうね? 確かめてみたらいいでしょう。分け御霊だろうが月のケモノは月のケモノなんですから」
「含みのある言い方ですわね」
ツキガミは肩をすくめる。ミズガミが言った。
「悠長にしている暇はないぞ? さっさと――」
「わかってますわ」
ツキガミはひらひらと手を振った。
「儀式で魔力を共有しているとはいえ、召喚しているだけでどんどん消耗していきますもの。早々にましろさんを捕らえて戻ってきませんと」
ツキガミはうなずき、ミズガミはバティンに命じて術を発動させた。四体の精霊、四体のケモノ、そして男女二人が瞬間移動で――ましろを強襲する。
彼女は、ちょうど友人らと一緒に暗い夜道を歩いている最中だった。
女子高生と小学生男子、その子が連れているサラマンダー、そして――ターゲットのましろ。
ちょうど歩く三人と一体の真後ろに出現し、隔離結界発動と同時に捕縛術を放つ。
〔決まった! これで――!〕
勝利を確信したミズガミだったが……直後に戦慄する。
前方を向いて一緒に歩いていたはずのましろが、くるりとうしろを振り向いたのだ。口元に――恐ろしいほど妖艶な笑みを浮かべて。
ゾッとした。
放たれた分霊バアル・ゼブルの渾身の術を、ましろは出現させた太刀でもって易々と斬り裂いてみせる。ましろの母と綿貫を捕らえた――いや、捕らえたときよりもさらに強力な水流だ。
喰らえば大王どころか、三帝クラスであっても数秒は動きを止めることができる。
だが、ましろは太刀を斬り上げて水流を両断し、すかさず呪符を放って大爆炎を巻き起こした。猛烈な爆風とともに炎の嵐が、水を蒸発させながら迫ってくる。
晦級の前足を斬り裂き、首を斬り裂き、巨体の下をくぐってミズガミたちに接近するかたわら、胴体をも斬り裂いていった――が、今は夜だ。それも満月の夜。たとえ隔離結界のなかであろうと、月光による回復力の強化は有効だ。
晦クラスならば、瞬時に肉体を再生できる。
復活した月のケモノは、接敵するましろを前足でなぎ払った。すんでのところで防御するが、ましろは元いた場所へと吹っ飛ぶ。
着地と同時に、衝撃でアスファルトが砕け散って大きな土埃が舞った。
さらにうしろへと引きずられるように飛んでいくが、ましろは強引に足を踏みしめ立ち止まった。
「え!? ちょ――!? なになになに!?」
女子高生が、ゆっくりと近づいてくるましろを見て叫んだ。
「見ての通りの敵襲――」
言いかけたましろが、すぐさま動いた。即座に太刀を消して仲間すべてを回収し、離脱しようとする。
〔気づいたか! だが遅い!〕
バティンによる瞬間移動――隔離結界内にいる全員を転移させる。おまけもついてくるが、なんの問題もない! とにかくましろを指定のポイントに移動させる!
術が発動する直前、またミズガミは背筋が凍りつくような恐怖を覚えた。
一瞬、空が稲妻で輝いたのだ。
すんでのところで転移し、ことなきを得たが――あの場にとどまっていれば、明らかになにか……きわめて危険な存在と対峙する羽目に陥っていた。そう思えてならない。
同じ不安は、ツキガミもかかえていたのだろう。
彼女は瞬間移動するのと同時に召喚術を発動させていた。ましろの移動ポイントは、母親と綿貫を拘束している大魔法陣の中心だ。
一瞬でいい。
とにかく、ましろと母親のふたりが――白狐の母娘が揃ってさえいればいいのだ。事前に準備はととのえてある。条件さえ満たせば発動できる!
「来たれ
ツキガミの言葉に応じて――超巨大な、もはや大怪獣と称すしかないほどに大きな月のケモノが召喚される。大気がゆらめくほどの激しい咆哮を上げると、大晦は神々しさすら感じさせる顔を下に向け、ツキガミを見て目を細めた。
「来たれ
ツキガミは意に介さず、続けざまに晦級の召喚も行なった。白狐の母娘が揃ったことで、晦もさらに追加で五体、呼び出せるようになっている。
〔これで……〕
と、ミズガミは思った。
〔三帝クラスの月のケモノが五体、さらに三帝を上回る力を持つ大晦が一体……!〕
戦力だけで見れば、負けるはずがない。圧倒的な力を手に入れたのだ。そう、そのはずだ……!
〔なのに、なぜ不安が消えない……?〕
転移直前の雷光のせいか? おそらく誰かが来た……! すさまじい力を持つ何者かが。
〔だが、絶対に痕跡を残さないよう偽装してある〕
居場所がバレることはないはずだ。
いや、そもそもバレたところで即座に駆けつけることなどできない。ましろがいた場所からここまで、ざっと一〇〇〇キロは離れている。
〔いくらなんでも即座に駆けつけることなど――〕
そう思った途端、ましろののんびりした声が聞こえた。
「あ、旦那さま」
稲妻が来た。空が閃光で輝く。恐ろしいほどの轟音と地響きが巻き起こる。遅れて雷鳴がとどろいた。
見れば、月のケモノがすべて、雷をまとった槍で串刺しにされ、地面に縫いつけられている。
いや、月のケモノばかりではない。召喚された精霊たちも、だ。
大王クラスの分霊バアル・ゼブルはかろうじて耐えきってみせたが、公爵級のウェパル、フォカロル、バティンはすべて一撃で葬られている。槍で串刺しにされたばかりか、強烈な雷撃で肉体が黒焦げになっている……!
〔これは……! 戦闘中の復帰は無理か!〕
召喚された精霊は、すべて分け御霊だ。
本体は無事――というか精霊本体も不死身の存在だが、大ダメージを負えば休眠状態となる。この点は分け御霊も本体も共通だった。
分け御霊のほうが(術者の魔力によるが)復帰が早いとはいえ、ここまで損傷させられれば復活に時間がかかる。
〔少なくとも一日二日でどうにかなるダメージじゃない……!〕
いきなりこちらの戦力を削られた。
さすがに大晦と晦級は肉体を再生させているものの、望月級は当然のように全滅。精霊も分霊バアル・ゼブル以外はやられた――特にバティンの瞬間移動が封じられたのは痛い。
これで逃げるのはほぼ不可能になった。
「おい、なに人の女さらってんだよ……!」
不機嫌な声が――ひりつくような怒りの込められた声が聞こえた。
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