第23話 ましろの決意※ましろ

 母は最初、困惑したような顔つきだったが、すぐに娘の姿を認めて近寄ってこようとした――だが、その前に、ものすごい速度で男の子が接近するものだから、母は木から木へと飛び移ろうとして、たたらを踏んだ。


 危うくすべり落ちそうになっている。


「この子のお母さん、で間違いないよな?」


 ましろと母、ふたりに確認するように男の子は問うた。


「う、うん……わたしの、お母さん」


 うれしいような残念なような気持ちで、ましろは答えた。


 母親は娘の反応を興味深そうにながめてから、肩を揺らして大きくため息をつき、


「もう! どこ行ってたの!」


 と、ましろを叱るのだった。ましろはびくりとする。


「ご、ごめんなさい……!」


 思わず謝って――謝った途端、今までの恐怖や絶望感が思い出されて、ましろはまた泣き出した。


「心配させて……。さらわれたんじゃないかって気が気じゃなかった……!」


 母はましろの頭を優しく撫で、そうして男の子から娘を受け取って、固く固く抱きしめる。


 ひとしきり泣くと、ましろも人心地ついて、ゆっくりと深呼吸をした。


「ごめんなさい、お母さん……」


 もう一度、ましろは謝った。ましろの母はうなずくと、もう一度娘を抱きすくめるのだった。


「無事でよかったよ。でも……もう二度と、勝手にいなくならないこと。わかった?」


「うん……」


 そう答えてから、ましろは男の子に目を向けた。


「あの、ありがとう……。まだお礼、言ってなかったよね?」


「ああ――別にいいよ。どっちかっていうと俺が……いや、俺だけじゃないか」


 男の子は首をかしげてから、苦笑いを浮かべる。


「完全に退魔師協会の失態だからさ。次からもっときちんと索敵しておくよ」


「でもわたし……あなたがいなきゃ、きっと帰ってこられなかった」


「ああ、そっちか――」


 男の子は意外そうな顔をした。


「まぁ何かあったら退魔師協会に来るといいよ。俺も退魔師だし」


「退魔師って妖怪退治もするっていう?」


「昔はな。今はもっぱら悪霊退治。いや、今でも悪さする妖怪とやり合ったりすることはあるっていうけど……俺はそっちの担当じゃないからさ」


 男の子は空中で方向転換をし、


「じゃ、もう大丈夫みたいだし、俺は帰るよ」


「あ、ま、まって……!」


 手を振りかけた男の子を、ましろは大急ぎで呼び止める。


「ん? どうした?」


 男の子はふたたびましろのほうを向いた。


 だが――ましろは言葉が浮かんでこなかった。何を言えばいいのかわからず、そもそもどうして呼び止めたのかさえ自分でもわかっていなかった。


 ただ、男の子とここで別れることが、たまらなく苦痛だった。


 もっと一緒にいたい――だが、さすがにそうは言い出しかねて、ましろは恥ずかしそうな顔のまま、じっと男の子を見つめた。相手は怪訝な顔つきで、でも急かすことなくましろの言葉を待ってくれる。


「あ、えっと……」


 言葉がつかえてしまう。また会える? の一言が頭をよぎったが、どうしてか口に出すことができなかった。代わりに、


「あの、名前……」


 と、か細い声で訊いた。ああ、と男の子は得心した様子で笑う。


「そういや名乗ってなかったな。俺は鏑木修一。さっき言ったとおり退魔師やってる」


「修一……くん」


 しゅういち、しゅういち……と、ましろは恍惚とした表情で男の子の名前を繰り返した。


「じゃ、俺は今度こそ行くよ。退魔師協会に来てくれりゃいつでも相談に乗るからさ。困ったことがあったら来るんだぞー」


 そう言って、修一は飛び去って行った。


「あ、さ、さようなら! また――いつか、また!」


 最後の言葉ははたして修一に届いたかどうか――だが、ましろは絶対に聞こえていたはずだと、不思議と確信していた。


 そして、母親にむかって、


「お母さん! 男の子って何が好きなの!?」


 とつかみかからんばかりに詰め寄った。


 母は驚いた様子もなく、ただただおかしそうに笑った。ましろはいぶかしげな顔で小首をかしげる。


「なに?」


「いや……ちょっと、我が娘も成長したものだなぁ、と思っただけ」


 母はうれしそうに言って、ましろを抱きかかえたまま家に帰った。その道すがら、母は言った。


「男の子は、やっぱりきれいな女の子が好きなんじゃないかな。かわいくて、胸が大きくて、あとは料理かな」


「かわいさと胸と料理」


 ましろは真剣な顔で聞いている。


「かわいさと胸については問題ないね。なにしろ私の娘なんだから。成長したら美人になるし、胸も大きくなる。だから問題は料理だけ。いい? 相手の胃袋をつかむのは大事なんだからね!」


「あと、修行も! 稽古もつけて!」


 ん? と母は意外そうな顔をした。


「修一くん、すごく強かった……。わたしが弱いと、きっと『なんであんなのをお嫁さんにしたんだろ?』って言われちゃう。ううん、そもそも修一くん……わたしを選んでくれないかも。それに退魔師って戦うのがお仕事でしょ?」


「私も詳しくは知らないけど、あの子は悪霊退治が仕事、みたいなこと言ってたね」


「お仕事、わたしもついて行きたい! おうちで旦那さまの帰りを待ってるのはイヤ!」


 たどたどしくましろが言えば、母は目を丸くする。だが、ふっと笑って、


「じゃ、もっとまじめに稽古しないとね。才能だけにかまけてたら、あの子の隣に立つなんて夢のまた夢だよ?」


「うん! がんばる!」


 そうして、ましろは真剣に、身を入れて修行に励もうと決意した。さらに男の子と会った翌日、ひとりの人間――否、妖怪が自分たちの住まいをたずねてきた。


 母は当初、思いっきり警戒していたが――相手が退魔師をやってる行商人、と名乗って警戒を解いた。


 正確には、鏑木修一の名前を聞いて、だったが。


「たぬきのお姉さん! 修一くんのこと知ってるの!?」


 ましろがそう言うと、相手は大笑いした。


「たぬきのお姉さんかぁ。一応、綿貫って名前があるんだけど――」


「あ、ご、ごめんなさい! あの、綿貫さんは……」


「ああ、いいよいいよ。たぬきのお姉さんで」


 彼女は気さくに笑って手を横に振る。


「今の私は行商人だからね。一応、退魔師協会から派遣されてきてるけど」


「修一くんが頼んでくれたの?」


 ましろがそう訊けば、


「あ、ごめんね」


 と、たぬきのお姉さんは申しわけなさそうに苦笑する。


「修一くんは関係なくてさ。ただ――お母さんから聞いてるかもだけど、白狐って珍しいからね。報告があったら一応きちんと保護というか、所在の把握とかしなきゃいけないのよ。トラブルの原因になるかもしれないから。監視されてるみたいで気分が悪いかもしれないけど」


 たぬきのお姉さんは両手を合わせて、申しわけなさそうに小さく頭を下げる。母がため息混じりに口をはさんだ。


「それはいいよ。誰かに見つかった時点で、そうなるだろうって思ってたし」


 お茶を出しながら、母がこうつけ加えた。


「ただ、私としてはここを出てもっと安全な場所で暮らせ、みたいな……」


「ああ――そういうのは別にやってないですね」


 ありがとうございます、いただきます、とたぬきのお姉さんはお茶を飲む。


「もちろん、お望みとあらば暮らす場所は用意しますけど。でも引っ越す気がないなら今までどおりの生活で大丈夫ですよ。別に保護っていったって、要は『この人たちに手を出すと退魔師協会が黙ってませんよ』って内外に知らしめておけばいいだけなんで」


「ふぅん? よく知らなかったけど、退魔師協会ってずいぶん大きな組織なんだね?」


「まぁ相応に大きい組織ですよ。日本国内は当然として、海外にも顔が利きます」


 たぬきのお姉さんはちょっと自慢げだった。


 だが、ましろはあまり興味がわかなかった。てっきり修一がらみかと思っていたのに、違ったからがっかりしていたのだ。


「ましろちゃんっていうんだよね?」


 露骨に気落ちした様子を見かねたのか、たぬきのお姉さんは微笑してこう語りかける。


「修一くんの好きなもの、興味ない?」


「ある!」


 ましろは鼻息荒くたぬきのお姉さんに近寄った。しっぽがぶんぶん荒ぶっている――だが、自分では止められなかった。


「一応さ、興味あるかなって思って持ってきたんだ。私がここに来たのは協会の意向だけど、発見したのは修一くんだからね。そのときの様子も聞いたし……」


 たぬきのお姉さんは、マンガやゲームやアニメの円盤を虚空から取り出して並べてみせた。


「あ、これ……」


 ましろは一冊のマンガを手に取った。昨日、修一が見せてくれたものだ。


「お、それ『ヒロインがかわいいから』って理由で読んでるマンガだね。ちなみにアニメにもなってるよ。修一くん的にはクオリティがもうちょっと高ければなぁ、みたいな感じっぽいけどねー」


「そ、それでも見たいです!」


 ましろは興味津々だった――修一の好きなものは、なんでも知りたかった。


「オッケー。それじゃ一緒に見ようか。いや、でもその前に原作を予習すべきかな……? 修一くんも原作からアニメだったわけだし……」


 たぬきのお姉さんはまじめな顔で思案している。


「あ、あと! 稽古もつけてくれませんか!?」

 ましろはそう言って頭を下げた。


「稽古?」


「あの……たぬきのお姉さん、すごく強いですよね? お母さんと同じくらい。わたし、修一くんの隣に立てる女になりたいんです!」


 たぬきのお姉さんは、虚を衝かれたようにぽかんとましろを見る。やがて大きな声で笑って、


「そうか、そうかぁ……。うん、修一くんに並び立つのは大変だよ? あの子、まだまだ発展途上でさらに強くなるだろうからね。それこそ――みんなが崇め奉らざるを得ないくらい」


「じゃあ、わたしも同じくらい強くなります! あと修一くんの好きなものも研究して、修一くん好みの女の子になります!」


「うん! そっか! よし、がんばれ! たぬきのお姉さんも協力してあげるよ!」


 うれしそうな笑顔で、たぬきのお姉さんはましろの頭を撫でた。

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