第22話 修一とましろの出会い※ましろ

「もう! しつこい!」


 イラ立ったましろはそう叫ぶが、相手はまるで意に介さない。ダメージを負うことをいっさい躊躇していなかった。


 どれだけ深手であろうと、即座に回復できるのだからそれも当然かもしれない。


〔もしかして不死身なの……?〕


 ましろが恐怖を覚え、なんとか逃げようと考えたところで――さらに悪いことが重なった。


 増援である。


 一体、二体ではない。十体近い数が……それも今ましろが相手取っている月のケモノよりも数倍体の大きな、明らかに強い力を放っている化け物が増えてしまったのだ。


〔え、う、うそ……〕


 ど、どうしよう……と、ましろは絶望感で震えた。無意識に後ずさりして、大きな木の幹にぶつかる。


 その瞬間、気が抜けたように足に力が入らなくなった。抑えようと思っても、しゃくり上げるのをやめられない。


〔ダメだよ、泣いたら……! 泣いても、解決しない……!〕


 頭ではわかっていても、心がついていかなかった。彼女は涙を流し、ただただ怯えて、迫りくる月のケモノを見ることしかできなかった。


 そのときである。


 空が一瞬、光で輝いた。ついで雷鳴が起こって――目の前が閃光で真っ白になる。空気を震わせる衝撃が伝わってきて、ましろは小さく悲鳴を上げた。地響きが鳴り渡る。


 くらんだ目が慣れてくると……眼前にひとりの男の子が立っていた。


 月のケモノは、いなかった。いや、一体だけいる。体の大半を損傷して失っているが、月光を浴びて再生しようとしている個体が。


「さすがに頑丈だな」


 男の子が言った。そして、再生途中のまま襲いかかってきた月のケモノを――この男の子は雷撃を帯びた拳で殴り飛ばした。


 一撃だった。男の子の攻撃で月のケモノは粉々に吹き飛び、さらにダメ押しとばかりに強烈な電撃が放たれる。


 すさまじい閃光と轟音……気づいたときには月のケモノは跡形もなく消し飛んで、再生できなくなっていた。


「ほら、立てるか?」


 男の子が優しい笑顔で手を差し伸べる。ましろはその手にとって、そして堰を切ったようににわんわん泣き出した。


 男の子は面食らったような顔だったが、すぐにましろを抱き寄せると、


「ほら、もう大丈夫だ」


 と、あやすように頭を撫でてくれるのだった。正直、同い年くらいの男の子にそんなことをされるのは恥ずかしかった。


 だが、同時にうれしく、ずっとそうされていたいと、この男の子と離れたくない、という想いがましろのなかでふくらんでいった。


 時間が経つと、ましろもだんだんと落ち着いていき、そういえばお礼を言っていないことに気づく。そして、同時に男の子が何者なのか、ということも疑問に思えてきた。


「さっきの再生する怪物は『月のケモノ』って呼ばれてるものだ」


 と男の子が説明してくれた。


 異次元、あるいは別世界からやって来る化け物で、人間や妖怪はもちろん、精霊や悪霊のたぐいも食べるのだという。


「修行がてら、ばあちゃんに言われて全部始末したはずだったんだけど……どうも報告されてなかった連中がいたみたいだ。無事でよかったよ。うっかり買い物して、そのまま帰っちゃうところだった」


「買い物?」


「ああ、マンガ買って帰ろうと思って――ほら」


 男の子はマンガを出現させてみせた。表紙に、自分と同じようなケモミミを生やした女の子が描かれている。ましろは遠慮がちに訊いた。


「この子……好きなの?」


「え? ああ、ヒロインの女の子。かわいいから……」


 男の子はちょっと照れた顔で言った。


 それから、ごまかすように自分の好きなマンガやゲームについてあれこれと語ってくれた。


 ましろは真剣な顔でうなずきつつ、先ほどの「かわいいから」という男の子の言葉が忘れられなかった――あれは、あくまでも表紙の、マンガのヒロインに対して言ったものだ。


 わかっている、わかっているが――それでも……ましろは男の子が手に持っているマンガの表紙をちらりと見やった。


 ケモミミを生やした女の子が自分に似ているように思えて、彼女はドキドキした。


「もう遅いし、そろそろ帰ろうか。家は? 送るよ」


 男の子が微笑む。ましろはもごもごと口ごもった。


「どうした?」


「あ……あの、実は、どうやったら家に帰れるのか、わからなくて……」


 口に出すのは恥ずかしかった。


「迷子?」


 かぁっと頬が熱くなるのを感じる。笑われるかと思ったが、男の子はまじめな顔で辺りを見回した。そして、


「家にご両親いる? 旅行してるとかない?」


「え、あ……お父さんはずっと前に病気で……。今はお母さんとふたり暮らしです……」


「母親のほうはいる、と。じゃあ探してみるよ」


「え? そんなことできるの?」


「ある程度は親子で似るものだしね、霊力――いや、この場合は妖力か」


 男の子は、ましろをお姫様抱っこして立ち上がった。


「移動して一日経ってないなら、君がやって来た足取りもそれなりにつかめると思うし……たぶん、なんとかなるよ」


 男の子はふわりと浮かび上がって空中に――空高くに飛んでみせた。


 わぁ、とましろは歓声を上げる。


 地上に目を向ければ、町の明かりが煌々と照って、まるで満天の星空のようだ。人工の明かりで本当の夜空の星が見えづらい代わりに、地上に星空があるのだと――そんなふうにましろは思った。


 きれいな光景に見とれていると、抱き上げた男の子が自身の霊力を雷に変えて四方八方へと飛び散らせた。


 一瞬、稲光が辺りを照らし出し、遅れて雷鳴が聞こえる。


 突然のことでびっくりして、ましろは思わず頭の狐耳を伏せてびくっとなった。


「あ、悪い。驚かせちゃったか」


 男の子はバツが悪そうに笑った。


「う、ううん……いいの。でも、どうして?」


 そんなことしたの? と、じっと男の子を見つめる。


〔あ、顔、近い……〕


 急に頬が熱くなって、また自分が赤面しているらしいとましろは察する。彼女は自分の心を気取られまいと顔をそらした。


 そして、あらためて自分の状況に思い至った。


 ついさっき会ったばかりの男の子にお姫様抱っこされていること。男の子の体温が、ぬくもりがはっきり伝わってくること。そうして、その事実に気づいて、自分の心臓が大きな音を立てていること。


 その音を聞かれはしまいかと、ましろはわけもなく焦った。


「大丈夫だよ、もう見つけたから」


 男の子は何を勘違いしたのか、そんなふうに優しく笑いかけるのだった。


「さっきのは君の足取りと、君によく似た妖力の持ち主を探知したんだ。まぁ索敵の応用みたいなものなんだけど……とにかく位置はわかった。だから、行こう!」


 そう言って、男の子は風を切って飛行した。ましろは男の子に抱きかかえられたまま、夜空をものすごいスピードで進んでいく。


 彼女は、時間が停まったようにそのときのことをずっと覚えていた。


 街明かりで見えづらかった星空も、人々が作り出した地上の星空も、月光を受けてきらきらと輝く川面も、普段とは違って見える山々の光景も――そしてもちろん、男の子の横顔も。


 永遠に続くような気が……いや、いっそこの時間がずっと続いたらいいのに、とましろは思った。


 だが男の子との夜間飛行はやがて終わり、見知った景色がだんだん目についてくる。


 自分の生まれ育った場所だ。高い高い木の上に、母親の姿が見えた。

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