第21話 迷子の冒険※ましろ
ましろが十歳のときの話だ。
修一と再会するまで、ましろは山奥の一軒家で母とともに暮らしていた。父親の顔は知らない。ましろが生まれてすぐ、病で亡くなったからだ。
以来、ましろは母とふたりきりで暮らしてきた。単調な毎日で、彼女は母に稽古をつけてもらい、武術や妖術の鍛錬を行なっていた。
まわりには誰もいなかった。同年代の友達はもちろん、年上年下を問わず人がいない。本当の意味で母とふたりきりの生活で、他者との交流がいっさいなかった。
「白狐は珍しい。狙うやつがいてもおかしくない」
母は常々ましろにそう言い聞かせていた。家を離れるのは十分な力が……己をつけ狙う輩を返り討ちにできる実力を身につけてからだと。
ましろとしては正直、不満だった。
つまらない毎日で、そもそも自分を狙ってくる者など誰もいない。だから、彼女はある日、こっそり家を出て冒険をしてみようと試みた。
普通に出ていこうとすれば見つかってしまう。だから、ましろは母が外出を見計らって計画を実行したのだ。
母は、月に何度か町へ買い出しに出かけた。基本的な食べ物は大釜で生成することができるが、娯楽や嗜好品はなんやかんやで必要だった。
ましろはついて行きたがったが、母が許さなかった。
で、それなら彼女は自分で町を見物してやろうと思い立ったのである。
母が出かけたのを確認すると、ましろも行動を開始した。まず、母が本当に出かけたかどうかを慎重に見極め、きちんと時刻を確認する。
母が帰宅するまで、普段なら四時間から五時間程度である。この時間内に行って戻ってこなければならない。
ましろは母が本当に出かけたことを確認すると、大急ぎで反対方向へと駆け出した。
本音を言えば、母のよく行く町を見てみたかった。だが、同じ場所に行って鉢合わせしたり、うっかり発見されてしまっては台無しである。
彼女は慎重を期して、反対方向へと一挙に突き進む。
山を越え谷を越え、大きな川、小さな川をいくつも通り過ぎた先に、雑誌の写真で学んだ人間の町並みがあった。
初めてそれを見つけたとき、彼女は思わず歓声を上げてしまった。
本でしか見たことのない世界が、まさしく広がっていたのだ。アスファルトで舗装された道、コンクリート製のビル、あちこちに張り巡らされた電線、立ち並ぶ家々に合わせるように電柱が規則的に立っている。
道路を行き交う車が信号に合わせて動き、止まり、また走り出す。
人間も同じだ。横断歩道をわたる大勢の人々……最初は人も車も少なかったのが、駅に近づくにつれて多くなり、お店も増えていく。
〔おもしろい――おもしろい!〕
文字どおり、見るものすべてが新鮮だった。
ましろにとって、そこは夢に見た本の中の――空想の世界の具現化だった。写真でしか知らないものが今、自分の目の前にある!
はしゃぎながらも、ましろは母に教えられたことをほぼ無意識に行なっていた……すなわち認識阻害である。彼女は屋根を、電柱を足場代わりにしてトントンとリズムよく跳ぶ。そうして移動する。
普通なら目立つが、彼女は自身を識別させない。
町で飛ぶように移動するときは鳥と思わせるべし――母の教えを忠実に守っていた。そう、彼女は優秀だったのである。自分の実力をきちんと把握していた。
少なくとも、そこらの悪者に負けるようなヤワな鍛え方はしていない。
従者級、主人級は当然として、総裁級の精霊との模擬戦でも彼女はあっさり勝ってのけた。十歳にして、実力は騎士級の精霊と同格だったのである。
たとえ窮地に陥ろうと、逃げるくらいなら容易い……それがましろの自己判断だった。
とはいえ、わざわざリスクを犯す必要もない。彼女はするりと大きな店――当時は知らなかったがショッピングモールに入り、一通りあちこち見てまわった。
店内では当然、目立たず騒がず無害な一般客をよそおう。
そうして食料品、雑貨、衣類、さらに本屋ではちょこちょこ立ち読みなどもした。さらにフードコートで食べている人々の姿をこっそり観察したりと楽しい冒険をしたのだった。
そして、そろそろ帰らねば――となったところで、彼女は困った。道がわからないのだ。
まさか迷子になるなんて――と彼女は予想外の事態に困惑する。なにせ山の中にいたときは、どこにいようと自分の位置を把握できていたのだから。
ところが、ショッピングモールから家に帰ろうと思った途端――自分の住んでいる山が、どちらの方角にあるのかさっぱりわからないことに気づいた。
木々や沢のある場所なら、どこであろうと手に取るように居場所を割り出すことができる。なのに、町の中では自分がどこにいるやらさっぱりつかめない。
どの方角からやって来たのかさえ定かでなかった。
ましろにとって、ビルや家並みはどれもこれも似たりよったりに見えて、ここから来たんだとわかるような目印にはならなかったのだ。
見慣れぬ看板や道路の形なども、まるで頼りにならない。完全に五里霧中で、困り果てた彼女はとりあえずそれっぽい方角へ行くしかなかった。
〔えーと……たしか、行きのとき太陽がこっちのほうにあったから……〕
彼女はだいたいの見当をつけて走り出した。たぶん、合っているはず、たぶん……。ましろは内心の不安をごまかすように速度を上げた。
そして、さらに迷った。
木々や川のある場所なら大丈夫!……と思っていたが、実際には住み慣れた土地だからこそ、どこへ行けばいいかわかっていただけだった。
見知らぬ土地ではなんの役にも立たない。
焦ってさらに移動した結果、彼女は別の町にたどり着いていた。が、最初は人里の区別がつかなかったため、同じ町に戻ってきたのだと勘違いした。
駅前まで行ってみて、どうもさっきの町並みと違うぞ――と気づいて、ようやく彼女は自分が違うところへ来てしまったらしいと感づく。
〔ど、どうしよう……?〕
とりあえず人里は落ち着かなかったので、彼女は山へ山へと入り込んでいった。
辺鄙な場所に住んでいたのだから、似たようなところへ行けば家に帰れるのではないかと思ったのだ。
しかし、どれだけ進もうと知っている風景にはたどり着けず、ましろの前にはひたすら見たこともない景色が広がっているだけだった。
そのうち、だんだんと日も暮れてくる。
高いところからなら、自分の住んでいる家が見えるんじゃないか――ましろは一縷の望みをかけて、手近にあった一番高い山の頂へとおもむいた。
しかし見えるのは知らない光景である。
心細さで涙がこぼれてきた。遠出なんてしなきゃよかったと後悔するが、今さら悔いたところでどうしようもない。しかも悪いことに遠雷まで聞こえてきた。
〔雨に降られちゃうかな……〕
普段ならなんてことのない出来事で気が沈む。
出かけたときの晴れやかさは雲散霧消し、ただただ寂しさだけが――母に会いたい、家に帰りたい、という思いだけがあふれ出る。
そうして、とぼとぼと山を下りていると……妙な獣と遭遇した。ウサギの耳に、狼のような体つきに、虎のような縞模様のある不思議な生き物だった。
これも当時は知らなかったが、月のケモノと呼ばれる化け物だ。
見たことのない生物に困惑するましろだったが、相手は躊躇なく襲ってきた。体が自然に反応する。日頃の修行、稽古の賜物だった。
ましろは太刀を取り出すと、突き出してきた月のケモノの前足を真っ二つに両断してのける。続けざまに呪符を取り出し、すれ違うのと同時に月のケモノの体に貼りつけた。
そうして片手で印を結んで起爆させる。爆炎に包まれて、月のケモノが燃えて倒れる。
〔なんだったんだろ?〕
ましろは小首をかしげるが、まぁ自分の知らない怪物くらいそりゃいるだろうと深くは考えず、その場をあとにしようとした。
ところが、うしろを向いた途端に――月のケモノがましろを襲ってきた。
不意打ちだったものの、ましろはかろうじてかわす。だが、表情は驚愕に満ちていた。
敵の肉体が再生していたからだ。これも当時のましろは知らないことだったが、月のケモノは名前のとおり、月光を浴びることで再生力を高める。
ちょうどその日は満月の晩で、たっぷりと月の光が降りそそいでいた。
もともとの再生力がさらに強化され、爆炎で肉体のほとんどを損傷したにもかかわらず……月のケモノはすぐさま体をもとに戻し、ふたたび襲ってきたのだ。
その後はイタチごっこが続いた。
ましろは月のケモノを仕留める、何度も何度も。
だが、倒しても倒してもきりがない。敵はすぐさま回復して立ち上がり、ましろに襲いかかってくる。
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