第16話 尾根葵のホラー体験※葵(委員長)
あれ? と委員長こと葵は急ブレーキをかけた。前を走っていたはずの修一とましろの姿が見えなくなったのだ。
〔先に行っちゃったのかな……?〕
葵は小首をかしげて、あたりを見まわす。
ちょうどバス停のそばまで来たところだった。上品そうな女性がひとり、バス停のそばにたたずんでいる。つば広の帽子を目深にかぶって、白い手袋に日傘が印象的な人だった。
ほかに人影は見えず、車さえ通っていなかった。
葵は顔をしかめて正面に目を向ける。道は二手に分かれていた。左は空き地が続いていて見晴らしがいい。一方、右側は建物と木立で視界がさえぎられていて見えない。
〔見失ったんなら右手の方角だよね……〕
ものすごい速度で走れるようだし、うっかりスピードを出しすぎて自分を置いて行ってしまったのかもしれない――だとしても戻ってきてくれてもいいのではないか。
そう不満に思うが、待っていても仕方がない。
もうすぐ夕暮れとはいえ、まだまだ暑い。今日の最高気温は三十三度だ。九月の下旬だというのに日差しはきつく、太陽はまるで真夏を思わせるほどに体を熱くする。
葵はペダルをこぎ出し、右に曲がった。道路の左右は林になっていて、時おり民家がある。相変わらず通行人はひとりもいない。車さえ通らなかった。おかげで安心してせまい車道を走ることができる。
一本道だった。分かれ道はなく、ゆるやかなカーブを描きながら続いている。だが、どれだけ進んでも修一の姿もましろの姿も見えなかった。まるで忽然と消えてしまったかのように、どこにもいない。
〔あれ……? もしかして道を間違えた?〕
右折したのではなく、左折したのだろうか? 左手側は見晴らしがよかったから、まさかそっちに行っているとは考えもしなかった。
〔こりゃ戻らないとダメかなー〕
面倒だなぁと思いつつ、彼女が自転車を反転させようとしたところで――林の出口が見えてきた。せっかくだからあそこまで行こうか、と意味もなく進んだところで、バス停が視界に入ってきた。
え……? と葵は戸惑った。
林を抜けたら引き返そう――そう思っていたのに、そんなバカな……という思いをかかえて彼女はペダルを漕ぐ。
バス停まで着くと、上品そうな女性がひとり、次の便を待っていた。つば広の帽子を目深にかぶって、白い手袋に日傘を差した女性だ。
〔え……? ぐるっとまわって戻ってきちゃったってこと?〕
葵は困惑したが、ともかく右折したのは失敗だったらしいと気づいた。今度は左にむかって進んでいく。こちらの道は見晴らしがよく、正面に林が見えた。
こちらの道も空いていた。人っ子一人いない。車も。人の声さえも聞こえてこなかった。
葵は林のなかを――先ほどと同じように、時おり民家がある一本道を突っ切っていく。
だが、やはりどれだけ進もうと修一の姿もましろの姿も見えないのだった。
〔え……? こっちの道でもないの?〕
彼女が困り果てていると……やがて林の出口が見えてきた。
葵は、ブレーキをかけた。なんとなく、である。理由はない。ただ、なにかまずい予感がした。進むと、なにか非常によくないことが起こるような――そんな予感。
〔い、いや……気のせいでしょ。気のせい〕
彼女はそう思いながら、ふたたび自転車をこぎ出した。林を抜けると、バス停が見えた。
葵はゆっくりと進む。息をととのえながら、転ばないように、地面を――回転するタイヤをじっと見つめながら。
やがて、彼女は視界を上げた――意を決してバス停を見る。
女性がいた。上品そうな女性だ。つば広の帽子を目深にかぶって、白い手袋、日傘を差した……。
葵はゾッとした。
彼女は立ち漕ぎになって思い切り走り出した。右折する。今度は道の左右をしっかりと観察する――脇道があるのかもしれない。詳しくない人間だと見逃してしまうような小さな道が。
だが、そんなものはなかった。やがて林の出口が見えてくる。彼女は引き返した。大急ぎで道を戻っていく。バス停が見えた。上品そうな例の女性のいるバス停が。
彼女はスピードを出して、来た道を戻っていく。そもそも――おかしい! 確か左右どっちの道も一本道で、合流する道なんかなかった!
〔だいたいここに来るまでに信号を曲がって……!〕
だが、信号などどこにもなかった。
バス停からの道を――修一の案内で来たはずの道をたどっても、信号のある交差点には出ない。林のなかの道を突っ切り、やがて戻ってくる。上品そうな女性がいるバス停へ。
〔スマホで……!〕
こんなことなら修一か、ましろ――のほうは持っているかわからないが、ともかく連絡先を交換しておけばよかった。この年で迷子――迷子のはずだ、きっと――とは恥ずかしいが、親に電話しようと彼女はスマホを取り出す。
だが、つながらなかった。
いくらコールしても相手は出ない。両親以外の友人にも連絡しようとした。やはり、つながらない。
彼女は大急ぎで地図アプリを開いた。現在地を確認しようとすると……バス停の場所が表示された。
彼女はもう一度、ゆっくりと地図を確認する。バス停から戻る道の先には、交差点があるはずなのだ。アプリにもはっきり道が示されている。
だが、スマホ片手に進んでも――バス停から動かないのだ、現在地が。
アプリ上の葵は、ずっとバス停のある場所にとどまっていた。少なくとも地図アプリ上の自分はいっさい動いていない。
何百メートルも進んでいるはずなのに、まったく移動していないのだ。同じ場所にずっといる。
気がつくと、呼吸が荒くなっていた。そして――いつの間にかバス停の……それも日傘を差した帽子の女性のすぐそばまで来ていた。
「迷ってしまわれたのですか?」
葵はびくりとした。最初の印象どおりの、品のある口調だった。教養と落ち着きを感じさせるような、優しげな女性の声音。
「あ、すみません……。さっきから、どうも、そうみたいで……」
葵はごまかすように笑った――女性の顔は見えない。微笑む口元だけが映っている。目深にかぶった帽子のせいで、鼻から上がまったくわからないのだった。
「でしたら、こちらのバスに乗られてはいかがですか? もうすぐ来ますから」
「あ、でも私、自転車が……」
言いかけたところで、バスの時刻表が目に入った。
葵はスマホにちらりと目を向ける。時計は、十五時五十二分を示していた……時刻表によれば、ここにバスが来るのは十三時四十一分に一本だけ――
そのとき、葵の背後で不意にバスの停車音が響いた。ぎょっとして振り向くと、一台のバスが停まっている。音を立ててドアが開く。
背筋が凍る。反射的に、彼女はペダルを漕ぎ出そうとした。だが、その前に白い手袋に腕をつかまれる。
「痛っ……!」
ギリギリと締めつけるような、ものすごい力だった。
「は、離し――!」
振り払おうとするも、まったく微動だにしない。骨が折れそうなほどの強さで握りしめられている!
「そうおっしゃらずに……ほら、一緒に乗りましょう?」
女は葵に顔を近づけて言った――帽子で隠れていた顔の、上半分があらわになる。白骨死体だった。見えていた口元さえも骸骨に変わっていく。
甲高い悲鳴が響いた。
必死に振りほどこうと抵抗するも――相手は葵をバスに引きずり込もうとしてくる。自転車が倒れ、彼女は足をすべらせて転びそうになる。
「やめてやめてェ!」
悲痛な叫びを上げたところで、不意に力強い少年の声が聞こえた。
「サラマンダー!」
直後、バスが炎上した。巨大な火柱に包まれている。驚く間もなく、葵をつかんでいた女の腕が切断される。空中から舞い降りた少年が、刀で叩き斬ってのけたのだ。
十歳くらいの男の子だろうか?
小柄で、華奢で、ラフなTシャツ姿だった。どこにでもいそうな、でもちょっとかわいらしい顔をした男の子。そのせいで右手に持ったいかつい刀が妙に場違いに見えてしまう。
そしてその少年のかたわらに、二頭身デフォルメみたいなミニキャラがいた。空中に浮かんでいる。ぬいぐるみのような印象を与える赤髪の幼い女の子だ。宙に浮く彼女のまわりには炎が飛び交っている。
そして、ミニキャラ幼女が両手を前に出して、ふん! という具合に目を閉じて力いっぱい何かを押すような仕草をした。
すると、燃え盛るバスの火がさらに強くなり、やがて遠方へと爆発するように吹っ飛んでいった。バスはボールのように地面に激突してバウンドし、黒焦げになった車体から煙を吐いている。
一方、骸骨女と対峙した少年は緊張した面持ちをしながらも、両手で刀を握って踏み込んだ。相手は残った左手を横に払って、接敵する少年を殴りつけようとする。
だが、当たらない。踏み込んだ瞬間、体を大きく沈めて横殴りをかわす。そしてそのまま、ななめ上に斬り上げて骸骨女を真っ二つにした。
間髪を容れず、少年は追撃を加える。真上から刃を振り下ろし、少年は骸骨女の頭部を唐竹割りに切断してみせた――見事な、惚れ惚れするような腕前だった。
さらに刀身から炎が発する。少年が燃え盛る刃を振るうと、骸骨女の体に火がつき、強烈な熱によって骨が溶かされていく。
少年は油断なく敵を見据えていたが、やがて灰になった遺骨を見るとそっと息をついた。
「大丈夫でしたか?」
刀を振って刃の炎を消し、少年はゆっくりと歩み寄ってくる。
〔え、やだ、かっこいい……〕
かわいらしい顔をしているくせに、どこか凛々しさを感じさせるギャップが、めちゃくちゃグッと来ていた。無意識に乱れた髪を直しつつ、助けてくれてありがとうございます、と葵が言おうとしたところで、
「あぶない!」
幼女の声が聞こえた。宙に浮いていたミニキャラだった。涙目で必死に少年のところへ行こうと大急ぎで飛んでいるが――彼女がたどり着く前に、刀を持っていた少年の腕が斬り飛ばされていた。
がふっ! という空気の抜けるような音とともに、少年は葵のそばまで転がってくる。
あー! とミニキャラ幼女が泣いて、片腕をなくした少年の頬にひっつく。
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