第10話 白狐を狙う者たち※綿貫

 人里離れた山奥――地響きと轟音が鳴り渡って、巨大な土埃が舞い上がる。枝に止まっていた鳥たちがいっせいに空へと飛び立っていく。


 土埃が晴れると同時に、山の惨状が目についた。


 多くの木々がなぎ倒され、大きな空き地ができている。倒れた木々はバラバラになって散らばっていた。地面の一部がえぐれて、まるで隕石でも落ちたあとのようだ。


 そこへ、雪のように白く美しい髪をなびかせた女性が山肌に着地した。小柄な体躯でしっぽがあり、狐耳が生えている。見た目は二十歳すぎに見え、普通の巫女服を着ていた。


 ましろの母である。名を白峯しらみね麻衣まいという。三十代半ばだが若々しく、ましろと並んでも姉としか認識されないだろう。


 彼女は不機嫌そうな顔で前方をにらみつけた。ゆうゆうと巨大な獣が三体ばかり歩いてくる。奇妙な姿をしていた。


 全体のシルエットはオオカミを思わせる。だが頭に生えている耳はウサギのように長い。そして真っ白な体毛にトラのような黒い縞模様がある。


 白狼のようで、白虎のようで、そのくせ白兎のような耳を持つ――月のケモノと呼ばれる化け物であった。


 ゾウよりも巨大な体を軽やかに、そしてオオカミのようなフォーメーションで、月のケモノはましろの母……麻衣を狩ろうと散開する。取り囲み、食らいつくタイミング、間合いをはかっている。


 三手に分かれた月のケモノに対し、麻衣は右手に太刀を、左手に御札おふだを二枚ばかり持って構えた。


 そして、自分の背後にいた二体にむけて御札を投げつける。術が発動し、炎が炸裂する。二体の月のケモノが火に包まれるのと同時に、麻衣は最後の一体に接敵した。


 それも、ただ駆けただけではない。まるでステップを踏むように舞う。


 月のケモノは前足で薙ぎ払うが、一瞬早く麻衣は跳び上がってかわした。ケモノの一撃で地面がえぐれる。跳躍した麻衣は、刃を走らせ月のケモノの首を断ち切る。


 そして、さらに空中でステップを踏む。


 炎に巻かれた二体のケモノが、怒りの咆哮を上げて麻衣に突進してきた。彼女は舞い踊るようにケモノの爪を、牙を、閃光を放つブレスをかわす――周囲の木々が、山が削り取られていく。


 麻衣は踊るようにかわし、太刀を振り、ケモノの前足を斬り、首を落とす。刃の跡が銀閃のように輝いた。


 彼女は鋭い目を木々の奥へと向ける。ケモノ三体を仕留めたが、依然として警戒態勢のままだ。切っ先を向けて、彼女は問う。


「いきなり襲撃してきてどういうつもり?」


 パチパチパチ、という拍手の音が返ってきた。そして木立のあいだから男が飛び出してくる。跳躍し、ひとっ飛びで麻衣の前にやってきた。


 大柄な男だった。一九〇センチはあるだろう。粗野な印象で、暑い日だというのに古びたトレンチコートを着ていた。髪は無造作に伸ばしている。切るのが面倒だと言わんばかりの長髪だった。


 彼は、女をひとり抱きかかえていた。


「山道は歩きづらくてイヤねぇ……」


 と、彼女は降り立って男のとなりに立つ。背丈は一七〇センチを超えている。娘と同じで一四五センチ前後しかない麻衣と見比べると、実際以上の長身に見えた。


 女は夏らしい(今は九月だが)サマードレスに麦わら帽子をかぶっていた。二十代前半と思しい妙齢の美女だ。男のほうはそれより少し年上で二十代後半だろうか。精悍な顔つきをしている。


 ただ――見た目と年齢が一致しているかはわからない。不老長生の術を会得しているなら、外見と不釣り合いな年であっても不思議ではない。


「ごきげんよう、白峯麻衣さん。会えてうれしいわ」


 彼女はセミロングの髪を指先でいじりながら、笑みをたたえる。


「私は全然嬉しくない」


 麻衣は吐息混じりに答えた。


「いきなり襲撃されて喜ぶ人はいないでしょ?」


 麻衣は顔を歪めて、女をにらみすえる。


「誰? 名乗りなさい」


 ふふっ、と女は不敵な笑みを浮かべた。


「ツキガミ、と名乗ることになっています。まぁ代々引き継いでいるお名前……いわゆる名跡ですわ。こちらはミズガミ」


 と彼女はかたわらの男を手で示した。


「同じく名跡で、そのように名乗っています」


 ふふっ、と笑いながら、ツキガミと名乗った女は髪をいじる。


「娘さん……ましろさんはいらっしゃらないようね? 少なくとも昨日の朝まではいらっしゃったはずだけど――珍しく外出中なのかしら?」


「あの子なら嫁に行ってしまって、ここには帰ってこないわよ」


 麻衣は素気なく言った。


「あら、それは残念……行き違いになってしまいましたね」


「娘に何をするつもり?」


 強い怒りを感じさせる声音だった。ツキガミは笑顔を浮かべて、降参するように手を挙げる。


「あら、誤解なさってはいけませんわ。別に娘さんになにかするつもりはありませんもの。むしろ逆……」


 倒したはずの月のケモノの体が再生していき、ツキガミの周囲に集まる。


「あなた方を勧誘しに来たんですのよ? いかがでしたかしら? この子たち」


 自慢げに彼女は自身のまわりに集う月のケモノを示す。


「どうやってそのバケモノどもを操ってるの?」


 麻衣は眉をひそめた。


「月のケモノは何者にも従わないはず。少なくとも私は聞いたことがない、月のケモノを操作できる存在なんて……」


「でも実際に操れているでしょう?」


 ふふっ、とツキガミは笑う。


「白狐の母娘おやこ……それも母親のほうは一級退魔師と同格以上の力があることは見て取れました。無礼を謝罪しますわ」


 ツキガミは優雅に頭を下げる。


「試していたわけ、私を?」


 麻衣はため息をついた。


「娘は私より強いし、そもそも一級の力は天井知らずなんでしょう? 少なくとも私はそう聞いてるけど?」


「ええ、精霊でいえば侯爵以上の実力者なら十把ひとからげに一級扱いだそうですね。それで支障がないからって……まったく、いくらなんでも大雑把すぎますわ」


 ツキガミは口元を手で隠して上品に笑う。


「月のケモノなんてずいぶん細かく分けてますのに――。いえ、そもそも月のケモノに限らず、精霊基準で格付けをしていたのに、どうしてわざわざ六級から一級までしか作らなかったのかしら?」


 私だったらすぐに変えさせますわ、と彼女は語る。


「あんた……結局、なにがしたいの?」


「さっき言いましたでしょう? 勧誘ですよ、勧誘。一緒に天下を取りませんか?」


 ツキガミは不敵に笑って、右手を差し出す。


「退魔師協会を打倒し、天使を名乗る西側の神々も駆逐し、私たちで世界を制するんです。ご存じでしょう? 四十年ほど前……月のケモノが精霊界で大暴れした事件。あのとき歴史上はじめて確認された存在、大晦おおつごもりの月のケモノ……あの力があれば――」


「くだらない妄言ね」


 麻衣は吐き捨てるように言った。


「付き合う義理もないし、だいたい私は世界の支配とか興味ないわ」


「あら残念」


 ツキガミは笑みを浮かべたまま小首をかしげる。


「でしたら無理やり来ていただくしかありませんわ」


 麻衣は鼻を鳴らし、太刀を構える。


「再生力でゴリ押すつもり? 確かに厄介だけど、別に不死身ってわけじゃないんでしょう? 殺し続ければそのうち死ぬって話よ?」


「いえ、残念ながらこの子たちであなたを捕らえるのは難しそうですし、そもそも時間がかかり過ぎます。それにあんまり悠長にしていると退魔師協会が感づくでしょうから――」


「もう感づかれてるでしょ」


 言った途端、麻衣が踏み込む。十メートルの間合いを一瞬で詰め、ツキガミに斬りかかる。が、即座に月のケモノ三頭が麻衣に迫る。


 切っ先がツキガミを斬り裂くよりも早く、ケモノの爪が麻衣を襲う――直前、ひそんでいた綿貫わたぬきは飛び出した。


 手裏剣を連射してケモノの腕を地面に縫いつける。さらに刀印で早九字を行なう。


「火遁!」


 月のケモノが火に包まれる――早九字の掛け声まで省略しているので、だいぶ威力は弱まっているが、それでも目くらましには十分!


 一方、麻衣のほうは刃がツキガミにふれる直前、突如発生した厖大な水流に阻まれて攻撃が届かなかった。男のほうだ。水使いだったか――綿貫は即座に判断し、麻衣が反撃を喰らう前に彼女を回収して退避した。


「もうちょっとレディらしく扱ってほしいわね」


 と、麻衣は文句を言った――胴体をかついでいるのがお気に召さなかったらしい。


「緊急時なんだから仕方ないでしょう!」


 綿貫は全力疾走で山を駆け下りる。背後では火遁と……好都合なことに敵の出した水流がぶつかり合って莫大な水蒸気が生じ、濃霧で視界がさえぎられている。


「いったん退いて、戦力を」


 ととのえて――と言おうとした途端、静かな、しかし強い意志を感じさせる声音が綿貫の耳を打った。


「来たれ分霊、バアル・ゼブル」


 山ひとつをまるごとおおう水がいきなり発生した。綿貫たちは大質量の水に呑まれ、そして弾丸のように勢いよくツキガミたちの居場所へ押し戻される。


〔まずい……!〕


 水から脱出し、ふたたび逃走を図ろうとするが――空中に飛び上がった綿貫たちを、大量の水が触手のように動いて捕らえた。抵抗しようとするが、まったく引き剥がせない。完全に両手両足を拘束されている。


「まさか……」


 と綿貫は荒く息をつき、ミズガミのかたわらに視線を向ける。


「分霊とはいえ西方の三帝の一角を呼び出しますか……!」


 支配者たる三精霊ともいう。西側では別の名で呼ばれ、悪魔扱いされている存在だ。今ミズガミのとなりにいるのは、見目うるわしく神々しさすら感じさせる偉丈夫である。固く目を閉じ、唇を引き結んで宙に浮いていた。


 しかし、意志らしい意志が見いだせない――分霊だからだ。ただただ術者の意図にしたがって魔法を行使するだけの存在。


 当然、本体(召喚術の場合、厳密には分体だが)よりも出力パワーが落ちている。


「驚きましたわね」


 ツキガミは目を丸くし、開いた口を手で隠している。


「あなた、いつも来る化け狸の行商人でしょう? まさか忍法由来の退魔師だったなんて――いえ、重要なのはそこじゃないわね。恐ろしいほどの隠密能力……ずっと機をうかがっていたんですか?」


「あきらめたほうがよろしいかと」


 綿貫は息をととのえながら、口を開いた。


「実力はわかりました。月のケモノを操る術に、分霊とはいえアダド(バアル・ゼブル)と契約し、力を引き出してのける……自信を持つのもうなずけます」


 ですが、と綿貫は言う。


「無理ですよ。それだけでは勝てません」


「チャンレジする前からあきらめるのはどうかと思いますわ」


 ツキガミは気楽そうに手をひらひらさせる。


「それにしてもいい腕をしていますね……確か、綿貫さんとおっしゃったかしら? あなた、私たちと手を組みません?」


「……本気で言ってるんですか?」


「頼れる味方は多いほうがいいでしょう? 退魔師協会に限らず、西側勢力ともやり合うんですもの。いえ、まずは日本の退魔師協会ですけれど。優秀な部下は何人いたっていいですわ。そもそも、白峯さん母娘だって勧誘しに来たのであって……この状況は私からしても不本意なのですよ?」


「だから、退魔師協会をどうにかするのは――」


「まぁお聞きくださいな」


 ツキガミは人差し指を立てる。


「馬鹿げた妄想と切り捨てる前に、ちょっと想像してみてください。仮に、です。私たちが退魔師協会を制圧し、支配下に置いたとして……あなたはそれでも私たちに反抗しますか? レジスタンスでも結成して?」


 ふふっ、とツキガミは笑い、髪をいじる。


「きっとしませんわ。あなたは退魔師協会が勝つと思っているからしたがっているだけ……なら、私たちが勝てば翻意してくださるはず」


 綿貫は押し黙ったが、やがて吐息をした。


「確かに、あなたの言う実現不可能なことが成し遂げられれば……私は強いて反抗しようとはしないでしょうね。むしろ唯々諾々として従います」


「あら、言質げんちとりましたわよ? よろしいのかしら? 今から宣言してしまって。あとからやっぱりなし、なんておっしゃってはいけませんわ」


「はしゃぎ過ぎだ」


 男――ミズガミがたしなめるように言った。


「来たれ、バティン」


 ミズガミは脂汗を流しながら、蛇の尾を持つ大男を呼び出した。馬に騎乗している。アジトへ、というミズガミの言葉にバティンはうなずく。大規模な魔法陣が現れ、魔力が高まっていくのを感じる。


「こいつらを拘束したままの瞬間移動は正直、骨が折れるな……」


「見栄を張ってバアルなんて呼び出すからでしょう?」


 ツキガミが寄りかかるようにミズガミに体をくっつけ、上目遣いをする。


「ウェパルでよかったではありませんか。わざわざ――」


「冷静になれ。こいつらは」


 とミズガミは綿貫たちに目をやり、それから月のケモノに視線を移した。


「望月クラス……つまり侯爵級を苦もなく一蹴だぞ? それも三体同時に相手取って、だ。『公爵』であるウェパルでどうにかなると思うか?」


 ツキガミがハッとした顔をする。


「ウェパルの攻撃が効かない?」


「効かないということはないだろうが……逃げ切られるおそれは十分にあった、と思っている。だからこそバアル・ゼブルを呼び出さざるを得なかった」


 ミズガミはため息を吐く。


「今さら言っても詮無いことだが、やはりイシュタルやアスタルテとも契約を交わしておけば……」


「それ、いったい何十年後の話です? 三帝全部と契約し終える頃には私、おばあちゃんになってしまいますよ?」


「不老長生の……」


「そうではなくて」


 ツキガミは拗ねたような顔で告げる。


「いつになったら結婚できるんですか、私たち」


 ツキガミは不満そうにジーッとミズガミを見つめる――ミズガミは脂汗を流して、気まずそうな様子で目をそらした。


「いや、その、そもそも計画が失敗したら元も子もないわけで……」


「それはそうですけれど――」


 もう……とツキガミはため息を吐く。


「行けるっておっしゃったのはミズガミさんでしょう? もちろん私もやる気満々でしたけれど、今さら『もうちょっと準備しておけばよかった』なんて言われても困ってしまいますわ」


「すまない、そうだな」


「どちらにせよ賽は投げられました。目標に向けて、ひた走るしかありません」


 ツキガミの言葉と同時に、瞬間移動が発動した。

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