第9話 愛妻弁当を作ろうと思ったが、弁当作りの経験がないことに気づく※ましろ

 時間を少しばかり巻き戻して、修一が学校に向かったあとのこと……ましろは朝食の後片づけをするかたわら、洗濯物を干し、掃除も同時進行でこなしていた。


「うーむ」


 と、ましろはうなる。彼女は妖術を使って、よどみなく家事をこなしていた。念動力を使って、食器を流しで洗う。複数の皿、茶碗を宙に浮かせて、洗剤できれいに汚れを洗い落としてみせる。


 そうして食器を洗いつつ、彼女は念動力で洗濯物を洗濯機から取り出し、次々とハンガーに干していく。さらに空気を操って、家中のホコリを一箇所に集めてのける。


 それなりに清掃が行き届いていたものの、やはり一人暮らしということもあってか、修一の住まいはチリひとつないほどにピッカピカ……とは行かなかった。


 が、ましろの手にかかればあっという間に、まるで建てたばかりの新築の家のように美しくなっていく。しかし、ましろの顔色は晴れない。というより上の空だった。


「旦那さま……結局、夜這いに来てくれんかったのう」


 結構行けると思ったんじゃがなー……と彼女はつぶやく。


 一晩中、ずっと待っていたのである。宣言どおり自分から行くつもりはなかったものの、もしかしたら修一のほうから来てくれるのではないかと……そう期待に胸をふくらませて、ずっと起きていたのだ。


〔わしが眠りこけておったら台無しじゃからのう〕


 しかし、期待に反して修一は来なかった。ましろは朝までベッドのなかで耳をそばだてて、今か今かと修一の足音を心待ちにしていたが空振りに終わった。


 おかげで今日は眠気が――ということもなく、元気いっぱいである。


〔まぁ別に一ヶ月くらいなら寝なくても平気じゃしなー〕


 ましろは母から鍛えられて、厳しい修行を積んでいる。なので、睡眠を取らなくても支障はないのだった。


〔それにしても意外だったのじゃ〕


 彼女は家事をこなしながら、昨日の出来事を思い返していた。


〔てっきりハーレムものの漫画やアニメみたいに、色々な女が旦那さまの妻になろうと集まってきているものと思っておったのじゃが……〕


 彼女は内心で首をかしげる。


〔あんなに恰好いいのに、どうしてお近づきになろうとする女がいないんじゃ?〕


 正直なところ、これが一番意外であった。なんなら拍子抜けしたといってもいい。


 修一と釣り合う女になるべく、ましろは尋常ならざる努力を重ねてきた。


 たとえ恋人のひとりやふたり、なんなら妻の五人十人百人いようが関係ない――修一に宣言したとおり、略奪愛上等である。


 自分こそが修一の寵愛を得るにふさわしい! 必ずやナンバーワンの地位、修一のとなりを勝ち取ってみせる! と内心で息巻いていたのだ。ところが、ましろの予想に反して修一は独り身だった。


 幼なじみの女の子とか、学校で出会ったクラスメイトとか、退魔師の同僚とか、ひょんなことから助けた妖怪の少女とか――


〔いや最後のポジションはわしか?〕


 とにかく、いろんなタイプの女の子がいると思っていたのだ。なんなら修一の家に何人も女の子が住んでいる同棲状態で、正妻の地位を狙ってのバトルが勃発……!


〔するはずだったんじゃがなー〕


 なにも起こらないので、半ば八つ当たり気味になってしまったのだった。てっきり自分は後発で、だいぶ出遅れているだろうと思い、ダンボール箱に入ってアピールしてみたり、「実はわたしたち……昔に会ったことがあって――」と幼なじみアピールしようとしてみたり(修一が覚えていたので失敗)、あれこれ手を考えていたのだ。


 だが、いずれも必要ではなく完全にからまわっていた。


〔うーん、いったいどういうことなんじゃろう?〕


 もちろん、ましろとて不安がないわけではなかった。およそ六年ぶりとなる修一との再会……いったいどんな人物に成長しているのかと思えば、昔と変わらぬ強さと優しさを持った好青年になっていた。


 いや、強さに関していえば明らかに昔よりもずっとずっと強くなっている。見た目も――成長したから当たり前だが、大人の男らしさが出ていて、はっきり言ってむちゃくちゃ恰好よかった。


 顔立ちも幼さが抜けて、凛々しくなっている。いや、子供のころの顔もかわいらしくて好きだったが、やはり今のほうがいい。体つきも立派になって――


〔はぁー! そういえば昨日、どさくさにまぎれて旦那さまの裸見ちゃったのじゃー!〕


 ましろの狐耳としっぽが興奮でぶんぶん動く。


〔たくましい体してたのじゃ! 背中に抱きついて――! ああー! 旦那さまのほうから抱きしめてキスして頭なでなでして……それでそれで、思いっきりかわいがってほしいのじゃー!〕


 ましろはぴょんぴょんとその場で飛び跳ねて顔を真っ赤にさせる。


〔いかんいかん、落ち着かねば……!〕


 はしたないのじゃ、と彼女は意味もなく咳払いをした。


〔まぁしかし誰もいないならいないで結構なことじゃが〕


 そう、それはそれで好都合なのだ。心置きなく自分ひとりで修一を独占することができる。問題は……結婚したくない、という修一の意向だ。


〔お祖母さまいわく、「大した理由じゃないからねェ、気にしなくていいんだよ」とのことじゃが〕


 しかし修一にとっては結構深刻な悩みなのかもしれない。他人が聞けばなんだそんなこと、と笑い飛ばされるようなことでも、本人は意外と気にしていたりするものなのだ。


〔旦那さまの悩みがどういうものであれ、妻として軽視するわけにはいかないのじゃ〕


 今のところ理由は教えてくれないが、まぁさすがに再会して初日にあれこれ打ち明け話はしてくれないだろう。


〔まずは旦那さまとの距離を縮めるところからじゃな〕


 とはいえ、ずっと山暮らしで他人との接触が極端に少ないましろだ。まともに交友のある人物など、母親をのぞけば行商で来るたぬきのお姉さんくらいしかいない。


〔適切な距離感とやらがわからぬのじゃ……〕


 今朝も「行ってきますのチュー」を要求しようとして、さすがにやり過ぎかのう? と自重していた。


〔もしかしたら旦那さまのほうが口づけを望んでおるかも……などと考えておったが、ちょっとうぬぼれが過ぎるかのう?〕


 修一の慌てふためく姿や反応を見るかぎり、自分に全然興味がわかない……というわけでもないらしく、思った以上に魅力を感じてくれているように見受けられる。


 だからこそ旦那さまのほうから夜這いも……! と思ったわけだが、さすがにこれは勇み足だった。


〔仲良くなるには一緒に過ごす時間を増やすのが吉じゃが……やはり、わしも旦那さまの高校に行くべきかのう?〕


 漫画やアニメなどではよくある展開だ。ヒロインが転校してきて主人公とからむ流れ。


 ましろは洗い終えた食器を妖術による熱風で乾かし、洗濯ハンガーを念動力で外に干しながらあれこれと妄想する。


〔一緒に勉強したり、放課後に遊んだり……いや旦那さまは勉学のために通っておるのではないのだったか〕


 確か管理者としての仕事が主で、別に勉強がしたいわけではない、と修一の祖母から聞いている。とはいえ、高校には文化祭や体育祭、修学旅行のようなイベントもあろうし、一緒にお弁当を食べるなどの――


「あー!?」


 と、ましろは叫んだ。動揺しながらも、彼女は皿や茶碗を食器棚に念動力で指一本ふれずにしまっていく。


「そうじゃ! お弁当! すっかり忘れておった!」


〔なんという不覚じゃ……! 行ってきますのチューに気を取られ……わしとしたことがー! 手作りのお弁当を食べてもらうなど基本中の基本ではないか!〕


 ましろは頭をかきむしった。


 そして、即座に頭を切り替えて時計を見る。現在の時刻は九時をまわったあたりだ。幸いにも、お昼まではまだまだ時間がある。


〔よし! ここは愛妻弁当を届けねば……!〕


 考えようによってはありかもしれない。一緒の学校に通っていたら、「ほれ旦那さま、お弁当を忘れておるぞ? 愛する妻が持ってきてあげたのじゃ!」と届けに行くイベントはこなせない!


〔ポジティブに考えるんじゃ! これは好機! 今から旦那さま好みのお弁当を――〕


 と、そこまで考えてましろは愕然とした。あれ? と……。


「よく考えたらわし、お弁当作ったことない……?」


 彼女とて、野外での食事経験などいくらでもある。


 しかし、それらはすべて修行! 母とともに山中で武術やら妖術やらを仕込まれ、さらにサバイバル技術も身につけた。ましろにとって屋外での食事とはすなわち現地調達!


 お弁当を持って、仲良くピクニックに――的な経験は一度としてなかった!


「ま、まずいのじゃ……! お、お弁当ってそもそもどうやって作ったら……!?」


 ましろは慌てふためいた。


「そ、そうじゃ! 母さま! こういうときは先人の知恵を借りるのが最善手じゃ!」


 彼女は通信用の御札おふだを取り、母親と通話しようと試みた。が、


「んん……?」


 しかしいっこうに繋がる気配がない。こんなことは初めてだった。


「まさか、母さま……!」


 ましろはハッとした。


「二度寝しておるのか……!? わしにはあれだけ規則正しい生活を心がけるよう言っておいて! まったくもぅ! 娘が独り立ちしたからってだらけ過ぎなのじゃ!」


 彼女はぷんぷんと怒った。


「いや、この時間帯ならちょっと早いお昼寝という可能性もあるのう。もぅ、食べてすぐ寝るのはよくないとか口を酸っぱくして言っておったのに!」


 仕方ない母さまなのじゃ! と彼女は憤慨しつつ――リビングに置きっぱなしのノートパソコンに目をつけた。


「おお! そうじゃ! こういうときこそ文明の利器に頼るとき! なにも先人の知恵は母親だけとは限らんのじゃ!」


 操作方法は昨日、修一から色々と教わっている――結局、修一好みのえっちな動画や画像の情報は得られなかったが。


「えーっと……『お弁当』『男子高校生』『好み』でいいかのう?」


 彼女は人差し指でぎこちなくタイピングをする。


〔ん、いっぱい出てくるのう。情報の洪水じゃ。どうするか――あ〕


「からあげ!」


 と、思わずましろは声を上げた。漫画やアニメなどでもよく出てくる代物だ。


「んー、やはりからあげ弁当は人気がありそうじゃのう。ほかには……ほう? カツ丼弁当に牛丼弁当……やっはりガッツリ食べられるものが人気じゃな。いや、でも鮭弁当や稲荷弁当なんてのもあるのう?」


 思った以上にバリエーションが豊富なようだ。


「メインの食材はお肉……いやいや!」


 ましろははたと気づいた。


「わしの分もあるんじゃから、肉と魚の両方で作ればよい! そして――そして、あわよくばお互いに『あーん』と……!」


 ましろはだらしない笑みを浮かべて狐耳をピコピコ動かし、しっぽを上機嫌に揺らす。


「おっと! 捕らぬ狸の皮算用をしておる場合ではない!」


 彼女は気を引きしめた。


「まずは弁当箱じゃな。せっかくなら浮世で人気のものでも買いたいが――」


 ましろはちらりと時計を見る。


「なにせ初めてのことじゃし、思いのほか手こずるやもしれん。お買い物やら試作品づくりやらに時間をとられ、間に合いませんでした――など言語道断じゃ!」


 ましろは葉っぱを二枚ばかり出現させて、妖術によって弁当箱に変化させる。とりあえず、ノートパソコンの画面に映る弁当箱を参考に自作したのだ。


「なんだか盗みを働いたようで少々気が引けるが……」


 これらは大釜による食糧生産と同じく、実在のものである。事実上、商品の複製を作ったのと同じことだった。


「まぁ退魔師は純金やらガソリンやらを作って浮世に売っぱらい、大きな利益を得ているというし――うん、きっと大丈夫なのじゃ!」


 たぶん……と彼女は自信なさげにつけ加える。


〔いや、やっぱり問題が起きたら大変じゃから、あとで旦那さまに確認をとっておこう〕


 ましろは弁当のメニューを考えつつ、そう心に誓った。

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