第6話 閲覧履歴は消す派です

「あっ」


 と、ましろが声を上げた。すったもんだの挙げ句、ようやく自宅まで帰ってきたところだった。すでに日は落ちて、あたりは薄暗くなっている。


 そろそろ涼しい風が――と言いたいところだが、未だに暑い。今年は残暑が厳しく、すでに九月下旬に入っているというのに真夏みたいな気温だった。


〔まぁ俺らは関係ないが〕


 霊力やら妖力やら持っている連中は、総じて暑さ寒さに強い。しかも術で耐熱耐寒性を上げることもできるから、どんな気候だろうと問題にならないのだった。


「どうかした?」


 俺が玄関のドアを開けながらたずねると、ましろはなにやら難しい顔をして、


「漫画雑誌を買い忘れてしまったのじゃ」


 と憮然と言い放つのだった。よほどショックだったのか、しっぽもケモミミもすっかり力をなくして垂れ下がっている。


「そういや俺の好きな漫画とか読んでたんだっけ。普段は専属行商人とやらに持ってきてもらってたのか?」


「専属という話は初めて聞いたがのう。毎週欠かさずに読んでおったのじゃが……」


 今週号はまだ読んでおらんのじゃ、とましろは力なく歩く。


「出かける前も言ったけどさ……」


 と俺はリビングに置きっぱなしになっているノートパソコンの前にましろを連れて行った。


「ほら、電子書籍で読めるし、それじゃダメか?」


〔世の中には紙の本がいいっていうタイプもいるからなー〕


 俺個人も紙の本は嫌いではない。むしろ好きだ。でもわざわざ単行本を買い集めるような作品でもなければ、電子書籍でいいと思っている。


 だが、ましろは別のことに食いついた。


「んん……!? そういえばあのときは全然気づかんかったが――旦那さま、これ旦那さまのパソコンじゃろ? わしが使ってしまってよいのかのう?」


 なぜか確認するように、念押しするように訊いてくる。


「いや、別に使ったってかまわんけど――」


「つ、つまり……」


 ましろはごくりと生唾を飲み込んだ。


「これで予習しておけということじゃな? わしに旦那さまの好みを……!」


「ちょっと待ってくれる? 漫画の話じゃないよな? 予習って何を?」


「そりゃあもちろん……」


 ましろはツンツンと自分の人差し指をくっつけ、ちょっと恥ずかしそうに顔を赤らめ、上目遣いに俺を見た。少しばかり瞳が潤んでいる。


 なんか色気すごいんだが?


「どんなえっちなことをわしにさせたいかという――」


「なんでそうなる!?」


 俺の返答はよほど想定外だったらしい。ましろは目を丸くして、


「んえ? し、しかしじゃな……! パソコンといえば個人情報の塊じゃろう? わしは知っておるのじゃ……! 閲覧履歴を見れば、旦那さまがどんなえっちなサイトを見ているか、一目瞭然――」


「俺は閲覧履歴消す派だから何も残ってねーよ!」


 そう、たとえ一人暮らしであろうと俺は微塵も油断などしていないのだ!


「ついでに言うと各種サイトも全部ログアウト済みなんでぇ! 別にえっちなサイトじゃなくてもログイン状態は保持してないからぁ! その都度ログインする派です俺は! よって俺の情報はいっさい見られねーよ!」


 いや、と俺は頭を振った。


「漫画サイトだけはログインしないと共有できないか……。でもその場合でも健全なサイトだから! R18なものと普通なものはアカウント分ける派なんでぇ俺は!」


「なんじゃそれはー! わしに見せたくないというのかのう!?」


「誰にも見せたくないんだよ普通に! むしろ他人の性的嗜好とか見たいやついる!?」


「わしは旦那さまの好みをきちんと把握しておきたいのじゃー!」


 ましろは地団駄を踏んだ――が、さすがに家の中なので自重したらしい。床が抜けたり家が崩れたりすることはなかった。


「安心してよいのじゃ! わしはこう見えても、母さまとたぬきのお姉さんから勧められて、色々と男性向けの過激なやつも知っておるのじゃ! 旦那さまがどんなアレな好みを持っていようとわしは受け入れる所存じゃぞ!?」


「そういう問題じゃねーんだわ! 俺が純粋に他人に知られたくねーんだよ! いやそもそもその手のサイトは基本十八歳未満は利用禁止だから! 大っぴらに言うことじゃないんだわ!」


「そりゃ浮世のルールじゃろうが! わしら浮世離れした存在がそんなもんに縛られてどうするんじゃ!」


「一応、俺はその浮世の人間社会で生活してるんだから、ある程度はルールも守っとこうねって話だよ! あと純粋に俺の気持ち!」


 むぅー……! とましろは頬をふくらませて不満をあらわにする。


「そ、そんな顔してもダメなもんはダメ! はい、この話終了! 終了!」


「そんなケチなこと言わずにぃー!」


 ましろはひっついてきてわがままを言うが、俺は断固として拒否した――というか、ひたすら断りの言葉を口に出すだけのマシーンと化した。


〔むっちゃやわらけぇ……!〕


 ましろの体はあたたかく、抱きつかれるだけで理性が飛びそうになる。よって、俺はひたすら念仏のごとく同じ言葉を繰り返すことしかできなかったのだ。


 最終的に、ましろはぶすっとした不満顔を隠そうともせず、恨みがましい目で俺をにらみつけてくるだけになった――が、唇を尖らせるそんな表情すらかわいらしい。正直、怖い感じは全然しないのだった。


 むしろ思わず、ましろの頭を撫でてしまった。誘惑に抗えなかったのだ。


 そう、かまってほしそうにしてるけど、全然かまってくれなくてご機嫌ななめになっている愛犬の頭を撫でたくなるような感覚。


 手のひらに伝わるのは、実に素晴らしい撫で心地だった。ましろの髪はなめらかで、まるで高級な布地をさわっているかのようだ。


〔いや、高級な布とかさわったことないけど〕


 ましろは驚いた様子で、ピンと狐耳としっぽを立てたものの、すぐに目を閉じて、おとなしく撫でられていた。気持ちよさそうに息をつき、実に機嫌よさそうにしっぽをゆらゆらと揺らすのだった。うーん、かわいい。


 だが、やがてましろはハッとした様子で目を見開き、


「わしは怒っておるのじゃぞ!」


 とぴょんぴょんと飛び跳ねて抗議する。そうして俺の手を払い除けると、


「ふん! 別にいいのじゃ! わしの手料理で旦那さまを翻意させてやるのじゃ!」


 と、ましろは大釜から必要な食材を生み出して、手際よく調理を始めた――スーパーで買ったのはメーカーもののお菓子や調味料のたぐいで、手作りをするなら結局は大釜から食材を生み出す必要があるのだった。


 ましろはまずボウルで米を研ぎ、浸水させ、ついで土鍋で米を炊いた。そして、米を炊くかたわら彼女は別の作業をすいすいと進めていく。


 俺は、ましろのあまりにもあざやかな手さばきに見入ってしまった。


〔すげぇ……〕


 という言葉が自然と思い浮かぶ。


 この家……実は退魔師協会の好意で使わせてもらっている一軒家なのだが、別に古い家ではなく、むしろ建てたばかりの新築なのだった。


 正直、俺が住んでいいのか? と思ったが、空き家にするくらいなら誰かに住んで管理してもらったほうがいいだろう、とのことで俺が借りることになった。


 で、キッチンも結構立派で、三口ガスコンロがついている。しかし、もちろん俺はまるで使いこなせていない。俺が使うとすれば、テキトーに肉をフライパンで焼いて食うくらいのものだ。


 ところがましろと来たら、あっという間にたまねぎを刻んで炒め、ひき肉と一緒にこねてハンバーグのタネを作る。さらに同時進行でコーンスープと茶碗蒸しまで作っているのだ。


 しかもトウモロコシの実と芯を妖術でさくっと分離させている。それだけじゃない、うちにはミキサーがないのだが(まともに料理しないから)、ましろは妖術を使って鍋のなかできれいにコーンとたまねぎを攪拌している。


〔そんな使い方してるやつ初めて見たよ……〕


 まったく料理をしない人間からすれば、ましろの妖術は奇想天外としか言いようがない。そんなやり方あり? と思ってしまうが、ましろは当たり前のような顔で妖術を振るっている。疑問にすら思っていない様子だ。


 当然、三口ガスコンロはフル稼働だ。


 ぶっちゃけ三つあっても、全部使うことなんて絶対ねーだろ? と思っていたのに、え、普通に全部使うんだ……と俺は仰天しちまったよ。なんなら足りないくらいだ。


 土鍋でごはん、フライパンでハンバーグ、鍋でコーンスープ、ほかにも茶碗蒸し用の鶏肉を茹でるのにも使ってるし、言うまでもなく蒸し器だって使わなければならない。


 だが、ましろの時間管理は完璧で、足りなくなるなどということはまったくなかった。


 そして、俺が半ば唖然としているあいだにすべての料理ができあがってしまう。ハンバーグ、コーンスープ、茶碗蒸し、それにいつの間にかサラダまで。


「ふふん! どうじゃ旦那さま!」


 料理しているあいだに機嫌が直ったらしい。ましろは実に得意げな顔である。


「いや、マジでびっくりした……」


 俺はテーブルに並べられた料理を見て、呆然と答えた。うまそうな、食欲を刺激する香りがただよってくる。立ち上る湯気すらうまそうだ。


「まだじゃ! 実際に食べてからびっくりするのじゃ!」


 ましろは土鍋から炊きたてのごはんをよそって、俺によこしてくる。


「じゃ、いただきます」


 俺は神妙に茶碗を受け取ると、箸を片手にましろの料理を食べた。


「うっま」


 ひとくち食べて、思わず声が出てしまった。今まで食ってきたなかで一番うまい。つーか最後の晩餐に何食べるかと聞かれたら、間違いなくましろの料理って答えるぐらいむちゃくちゃうまい。


〔やべぇ……うますぎてうまい以外の言葉が出てこない〕


 ハンバーグは噛むたびに肉汁があふれ出して舌を幸せにするし、コーンスープもまず香りがいい。スプーンですくって近づけると、甘みを感じさせる匂いが食欲をそそる。味だけでなく喉越しも最高だ。


 茶碗蒸しも、やわらかな歯ごたえと鶏肉の食感が絶妙なおいしさを演出していて素晴らしかった。っていうか土鍋ごはん、うめぇなぁ……めっちゃうまく感じるんだが、マジでどうなってんの?


〔土鍋で炊いたから? ましろが作ったから?〕


 俺がテキトーに炊いた飯とは比較にならないぞ。安い炊飯器使ってるからか? 少なくとも大釜から出してる米は一緒――いや一緒か? ぶっちゃけ意識したことない。


 もしかして、おいしいお米を出そうとして生み出すと味が変わるのか? いつもの米を土鍋で炊いただけではこの味にはならない、はず……。


 あまりに味が違うので、ひょっとしてマジでなにかの魔法を使ったんじゃないかと疑っちまうが、調べても特に妖術・妖力の気配は感じられないのだ。


〔少なくとも料理自体は普通なんだよな〕


 なんらかの細工をしたわけじゃない。当たり前に調理して、この絶品料理を作ってみせたのだ。さすが、料理上手と自分でアピールするだけのことはある。


〔というか、最初のスケッチブック使った自己紹介……なんでエロ方面に走った? 普通にコレ自己アピールに使えたじゃん〕


 もっと主張してよかっただろ、絶対。


「どうじゃ? すごいじゃろう?」


「ああ、すごい。間違いなく俺が食ったなかで一番うまい料理だ」


「じゃあ、旦那さまのえっちな――」


「ダメです」


「なんでじゃー!」


 そこは忘れてないのか……(困惑)。

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