第2話 白峯ましろはご機嫌ナナメ
なんとか俺はましろをなだめて、家の中に招き入れた――が、もちろんそれですべてが解決したわけじゃない。むしろ悪化してる感すらある。
むぅ……とめっちゃ不機嫌な顔して俺にジト目を向けてくる。リビングでイスに腰掛け、ましろは噛みつきそうな顔だ。
「なーんで覚えてるんじゃ……。ここは普通、忘れてるとこじゃろ!? それで出会って二人が打ち解けてから、『実はわたしたち……』みたいな感じで思い出すのが王道じゃろうが! なんで最初っから全部記憶してるんじゃー!」
〔すげぇ恨みごと言われてる……〕
俺は顔をそらしたくなるのをこらえつつ、
「そうは言ってもさ……白狐ってめちゃくちゃ珍しいし、忘れろってほうが無茶だろ?」
「それはそうかもしれんがー……!」
イスに座ったまま、駄々をこねるようにましろは足をブラブラと動かす。
「もっとロマンチックな感じで行きたかったのじゃー!」
あー! とましろは頭を抱えた。が、彼女はすぐさま息をついて俺を見上げる。
「それより! 誰とも結婚する気がない! とはどういうことじゃ!? もしや恋人や婚約者のたぐいがおるやもしれんとは思っておったが!」
「どっちもいないし……つーかいたらどうする気だったんだ?」
「略奪愛じゃ!」
「寝取る気まんまんとかどう見てもヤベェ女……」
「ええい! 話をごまかすでない!」
ましろはイスから立ち上がって俺を指差す。
「なにゆえじゃ!?」
「いや、その……俺にも色々と事情があるというか……。とにかく! 俺は誰かと結婚したり付き合ったりするつもりはないんだよ! そこは納得してくれ!」
俺とましろはしばらくにらみ合いになった。
「わしが気に入らんとかそういう話ではないのか?」
「うん、それは違う。めっちゃかわいいし正直すっげぇうれしい」
〔ってだからなんで正直に答えてんだよ俺ぇ! 別に答える必要ねぇだろぉ!?〕
内心で頭を抱えたが、幸いにもましろはそのへんスルーしてくれた。
「まぁよい」
ましろは鼻を鳴らす。
「旦那さまにも事情があるらしいことは察したのじゃ。しょうもない理由か、大事な理由かは知らんが、妻としては夫の気持ちをないがしろにするわけにも行くまい」
「じゃあ……!」
「というわけで、わしが旦那さまの心を落として進ぜよう! 本人にその気がないのなら、心変わりさせれば万事解決じゃ!」
るんるん、とましろは鼻歌交じりにしっぽを振ってステップを踏む。
〔さっきまで不機嫌だったのに、一瞬で機嫌直してる……〕
思考はかなりぶっ飛んでるけど、やっぱこの子かわいいなぁ。明るくって一緒にいると楽し――いや落ち着け俺ぇ! 血迷うな! 俺の決意はこんなことでは揺らがない!
俺はリズムカルに動くましろの胸の動きを凝視しながら思った。
「そんなわけで旦那さま! さっそく買い物じゃ!」
くるりとまわって、ましろは俺の顔をのぞき込むように下から見上げてくる。
「なんで買い物? つーか帰る気ないのかよ!?」
「当たり前じゃろうが。わしも今日からこの家に住むのじゃ! 旦那さまのお世話をしながら、じっくりねっとりと落としていくのじゃ」
〔ひとつ屋根の下……!?〕
ヤベェ、一瞬で俺の決意がぐらつきそうになってる。わかる。俺の鉄の意志が今まさに打ち砕かれそうになっているのを!
「わ、わざわざ買い物行かなくたっていいだろ」
俺は腕組みをして台所へ足を運んだ。落ち着く時間が欲しかった。
「ほら、大釜はうちにもあるし」
と、俺は冷蔵庫のとなりを手で示した――金属製の釜が吊るしてある。一家に一台……というと言い過ぎだが、たいていの退魔師の家には置いてあるだろう。もちろん、うちにもあるのだ。
霊力、妖力、魔力――呼び方は様々だが、とにかくそういった力を食物に変換する優れものだ。もちろん、どんなものでも……というわけにはいかないから、買い物が不要なわけではない。
しかし一般的な食材なら難なく変換できるし、普通に飲み食いするだけならこの大釜ひとつで自給自足できるのだ。
「えぇー?」
しかし、ましろさんはご不満のようだ。眉をひそめて唇を尖らせていらっしゃる。
「せっかくお小遣い持ってきたんじゃから、ちゃんとお買い物したいのじゃ!」
瞳をうるうるとさせ、さらにおねだりするように俺を上目遣いに見てくる。
「わし、ずっと隠れ家で過ごしてきたからお店で買い物したことないのじゃ……ねっ? 旦那さま、いいじゃろ? わしと一緒にお買い物しよ?」
しっぽをふりふりしながら俺に近づいて、甘えるように顔を近づけてくる。
「わ、わかった……行くけど、こっからそれなりに離れてらっしゃるよ、スーパー。いや、コンビニもだけど」
顔をそらし、俺はどうにか正気を保とうとする。
〔くっそ、なんでいちいち動作がかわいくてエロいんだよ!? いや、もしかして――俺の意志が弱すぎるだけ……!?〕
そんな! 俺は幼い頃から一流の退魔師となるべく修行を重ねてきた。それこそ常人には耐えられないような厳しい修行をこなしてきたんだ! 超強力な化け物と対峙した経験も一度や二度じゃない。修羅場なんて何度もくぐってる!
〔冷静になれ、俺! 相手はただの妖狐だ。こんな誘惑なんぞに負ける惰弱な精神など持っていない、持っていないんだ! 俺を舐めてもらっちゃ困る!〕
「かまわないのじゃ! 旦那さまと一緒なら――あ」
〔あ、ってなんだよ! あ、って! 語尾にハートマークついてそう!〕
ただの声なのにエロいってどういうことなんですか? もしかして好きだとか結婚しようだとか言われて、俺の頭にフィルターかかってる?
「んふ、そういえば呼び方……旦那さまよりご主人さまのほうがお好みかの?」
ましろは俺の耳元で、ささやように言った――のぅ、ご主人さま……と。
うぉぉぉぉ! と俺は内心で歓喜の声をあげていた。ご主人さま――なんて甘美な響きなんだろう。ましろに言われると、心が喜びであふれてくる。
「それとも――名前呼びのほうがよいかの?」
ねっ、修一さん……とこれまたささやく。ほんの少しばかり、ましろの息遣いが俺の耳をくすぐって――正直、脳みそトロけそうです……。
「それとも――あだ名のほうがよいかの? どうじゃ、シュウくん?」
「あっ、すみません。シュウくん呼びは母親思い出してめっちゃ萎えるんで、やめてもらっていいですか?」
「なんでそんなところに地雷埋まっとるんじゃ!?」
「いや、なんか、母親がさ……たまにふざけて色っぽく言いやがるから、無駄に記憶残ってるっていうか……できれば記憶全消去してから、ましろにシュウくんって言われたいけど、忌まわしい記憶すぎて消せそうにないから……」
「母親との思い出嫌いすぎじゃろ!?」
ましろはちょっと引いているようだ。
「な、なんじゃ……? ひょっとしてご両親と仲が悪いのかの? そういえば、この家も一人暮らしのようじゃが……」
遠慮がちにましろは訊いた。なにかデリケートな事情があると察してくれたらしい。
「いや、別に大したことじゃないんだよ? ただちょっと――両親とは折り合いが悪いってだけでね? 別に死んでほしいとか思ってないし」
「死を願っとるのか!?」
「いやいや願ってないって」
俺は手を振りながら軽やかに笑った。
「ただ、ふたりとも記憶喪失になって……どっか俺の知らないところでなんかいい感じに楽しく暮らしててくれねーかな、って思うことがあるくらいでさ」
「十分重いんじゃが!?」
ましろは神妙な顔で俺を見つめる。
「ま、まぁご両親の話はおいおい聞くとして……」
「ああ、最終的には訊いてくるんだ?」
「そこは仕方ないじゃろう? 夫婦なのだし、親の問題は避けて通れないのじゃ! 話しにくいことでも、わしは一緒に背負っていく覚悟じゃぞ?」
そこまで言ってから話を変えるように、ましろは「あっ」と言って人差し指を立てた。
「ちなみにわしの母さまは旦那さまとの結婚を歓迎してるのじゃ! というかさっさと嫁に行け、孫の顔を見せろ、と急かされているのじゃ! そして父親のほうは残念ながら亡くなっているので、『お前に娘はやらん!』イベントは発生しないのじゃ!」
「それは生きてても発生しなくていいです……」
俺も娘が生まれたら、娘の彼氏に同じような対応をしてしまうのだろうか? しかし、俺とましろの娘か……きっとましろに似てかわいい――
〔いや何考えてんだよ俺ぇ!?〕
「くっ……! 静まれ、俺の心! 荒ぶるな!」
「と、突然どうしたんじゃ?」
ましろは心配そうに俺に寄り添い、遠慮がちに服を指先でつまむ。細く、しなやかな指先が布地を通して俺にふれている。ましろは俺を案ずるように見ていた。
「な、なんでも大丈夫だ!」
いかん動揺しすぎて単語が……! くそ、これじゃ完全に不審者じゃねぇか! 話を変えないと……!
「そ、そういえば買い物したことないって、ずっとあの家にいたのか?」
確か、ましろとその母親は山奥の辺鄙な場所に一軒家を建てて、目立たぬようにつましく暮らしていたはずだ。
「というか、俺の情報をどうやって……?」
「出入りの行商人さんに訊いたら教えてくれたのじゃ! 旦那さまは一級退魔師だからそれなりに名が知られておるらしいの。妻として誇らしいのじゃ」
「個人情報ダダ漏れじゃねぇか!」
いったい誰だ! いや、別に知られても特に問題はないけど。
「基本、浮世のものがほしいときはその行商人さんに持ってきてもらっておっての」
あ、そうじゃ! とましろはぱちんと手を叩いた。
「漫画! 漫画雑誌も買いたいのじゃ!」
「漫画なら電子書籍でだいたい読めるぞ?」
と俺はリビングに持ってきてあったノートパソコンを指さした。しかし、ましろは「むぅ」と頬をふくらませる。
「違うのじゃー! 紙の本をお店で買って、読むという体験がしたのじゃ!」
「え? ああ、そういう……」
単純にやってみたかったのか。
「ほら旦那さま、のんびりしていると日が暮れてしまうのじゃ。早く早く!」
ましろは急かすようにリビングから出ていき、足踏みをしながら廊下で待っていた。
「わかったよ」
現在の時刻は午後四時……まだ初秋とはいえ、だんだんと日は短くなってくる。確かにのんびりしていると暗くなってしまうだろう。俺はリビングから出ようとして――ふと気づいた。
〔あれ? これってデートなのでは……?〕
いや待て。ましろはあくまでも買い物だと言っているのだ。決してデートなどと思っていない――そう、俺がデートだと思っていても相手がデートだと認識していないなら、成立しないはず……!
〔危なかった、一人で勝手に舞い上がるところだった……〕
いや、そもそも舞い上がってはならないのだ。心を落ち着かせ――
「ほら、旦那さま! 一緒にお買い物デートじゃ!」
と言って、ましろは俺の手を握ってきた。
〔向こうもデート認識! つーかナチュラルに手ぇつないでくる!〕
見た目どおりのちっちゃな手に導かれて、俺は……いや、俺たちは家を出た。
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