第6話 選ばれし者たち

 シズクという娘に会ったことはなかった。


 だが、話には聞いていた。なにせ兄の結婚相手としてどうか? とたびたび名前の上がる人物だったからだ。


 もっとも、レイジの印象に残っていた理由は、単に彼女が自分と同い年だったから、というだけの話なのだが。


 自分と違って――そして、自分の兄妹たちと同じように、シズクもまたグレーター級として生を受けた娘だ。


 あまり戦いを好まない穏やかな心根の持ち主と聞くが、それでも一年前……十六にしてアーク級に進化したという。


〔選ばれし者同士の結婚って感じだな〕


 年齢差を理由にちょっとどうか? という意見も一族からは出たが――正直、レイジからすれば馬鹿馬鹿しい理由にしか思えなかった。


〔ふたりともアークじゃねーか〕


 竜の基礎寿命は長い。他種族と違って二〇〇年もある。まして、アーク・ドラゴンともなれば八〇〇年の時を生きるのだ。


〔十歳差くらいでなにを大げさな……〕


 きっとこのふたりは長い時をかけて、エルダー・ドラゴンへと進化するだろう。そうなれば、寿命は一六〇〇年だ。途方もない時間を生きることになる。


 生まれた年が十年ほど違うからなんだというのか?


 八〇〇年ないし一六〇〇年も生きるような存在にとって、十年なんて誤差だろう。


 レイジからすれば、そんな些事を気にしてああだこうだと議論するのは時間の無駄としか思えなかった。


 向こうは結婚に乗り気でない、あまり色よい返事がもらえていない――という話はむろん聞いていた。


 が、正直なところレイジとしてはこの結婚……もう決まったも同然と勝手に思い込んでいたのだ。


 だから、当のシズクがなんの前触れなく、いきなりミニチュア・ドラゴンの許嫁になった、しかも中央覇竜からの申し出で――というのは寝耳に水だった。


 なにをどうしてそんなことに?


 レイジからすれば――いやレイジでなくとも、この一件は驚天動地のどんでん返しだったといってよい。なにせ東方覇竜の息子との縁談は、別に秘密にするようなことでもなかったからだ。


 もちろん、大っぴらに喧伝していたわけではない。


 だが、だからといって内密に事を進めていたわけではなく、候補者のひとりとして考えているという話は普通に出ていた。


 だからこそ、突如として降って湧いた話で世間を、レイジを驚愕させたのだ。


 このときばかりは、家族と顔を合わせるのを避けていたレイジも両親に詰め寄った。学校や訓練をサボりがちになったため、なんとなく遠慮してしまっていたのだ。


 だが、さすがにこの話は看過できない。


 レイジは大きな音を立てて部屋の扉を押し開き、書斎に集まっていた家族に事の次第を説明するよう要求した。


「どうもこうもない、聞いたとおりだ」


 イスに腰掛けた父親は、厳しい表情のまま素気なく言った。


「中央覇竜からのお達しだ。そして、あの娘は了承した。それだけのことだ」


「それだけって……!」


 レイジの頭に血が上った。


東方覇竜うちの見合い話はずっと断ってたじゃねーか! なんでいきなり中央覇竜が……!」


「わきまえろ。東方覇竜われわれと中央覇竜では格が違う」


 レイジは言葉に詰まった――そう、それは、確かにその通りだった。


 中央覇竜は、現存する唯一のエンシェント・ドラゴンだ。しかも、ただのエンシェント級ではない。


 はるか昔……覇竜戦争の時代から存在する、いわば生ける伝説であり、神話の世界の生き証人なのだ。


 不老竜あるいは永遠竜などとも呼ばれる存在である。事実上の、竜群島の支配者だ。


 表向き、覇竜同士は同格で、上下関係はないとされている。だが、実際は違う。東西南北の覇竜は、中央覇竜に頭が上がらない。


 物事の可否は、中央覇竜が決めるのだ。


 たとえ東西南北の四人の覇竜が可と言っても、中央覇竜が否と言えば通らない。逆に東西南北の覇竜が揃って否と言っても、中央覇竜が可と言えば通る。


 これは絶対のルールだった。たとえ誰であろうと――それこそ東方諸島を支配する東方覇竜であろうと、くつがえすことはできない。


「けど……! 俺は! 納得いかねーよ!」


 そう言って、レイジは逃げ出すように部屋から出て行った。


 なぜこんなことになっているのか? お前は……とレイジは心のなかで思う。


〔ただのミニチュアじゃねーか! 俺と同じ――! いや、俺以上に選ばれなかったやつだろうが! なんで兄貴たちに割って入ってくんだよ!?〕


 わきまえろ、という父親の言葉が思い出された。


〔お前だって、わきまえるべきだろ!? 俺たちは選ばれし者じゃねーんだ!〕


 ミニチュア――ミニチュアだ! レッサーですらない……! 本来なら生まれてすぐ殺処分され、あの世への道を歩いていたはずの人物だ。


 生まれたときからグレーターで、祝福されてこの世に生を受けた者たちとは根本的に違う。


〔なのに――!〕


 荒々しく扉を開け、庭園へと出た瞬間、物音がしてレイジはハッとした。草を踏みしめる音――見れば、こっそり逢引していたらしい使用人の男女が目に映った。


 使用人ふたりは、怯えたような顔で肩を寄せ合った。そして、男のほうが女をかばうように前に出た。表情は、明らかに恐怖を表している。


 レイジは静かに息をつくと、ふたりを一顧だにせず敷地の外へと歩き出した。ほっと息をつく声が背後から聞こえる。


〔落ち着け……もともとあの女はうちの縁談を断っていた〕


 渋っていた理由は知らない。単に兄が好みでなかったのか、ほかに好きな男でもいたのか、あるいはレイジの一族がそうであったように年齢差に難色を示したのか。


 だがひとつだけ確実なのは、中央覇竜からの縁談は了承した、という点だ。


〔身分違いの恋……ってやつなのか?〕


 仮にシズクがミニチュアと恋仲で、あるいはひと目見て気に入って話を引き受けたというなら――レイジが文句を言うのは筋違いだろう。


 もちろん個人的には、なぜ兄ではなくよりによってミニチュアなんぞ選ぶ……と思ってしまうが、結婚相手としてなにを望むかはその人次第だ。


〔エルダーよりミニチュアをとるのは趣味が悪いだろ、って身びいきでなっちまうが……〕


 感情は理窟ではない。シズクがミニチュアのほうがいいと思ったのなら、部外者がどうこう言うのはお門違いだという話になる。


〔確かメイ……とか言ったっけか。どんなやつなんだ? つーか、よく考えたらシズクとかいう女のことも……〕


 実のところ、噂に聞くだけでどういう人物かはよく知らなかった。


「あっ、レイジさん! 帰ってきたっす!」


 取り巻きのひとりが、門から出てきたレイジを見て駆け寄ってきた。昔、からまれているところを助けてやったら妙になつかれた女だった。


「大丈夫だったんすか? ひとりで――」


「うちの家族をなんだと思ってんだよ? 単に俺が……うしろめたくて避けてただけだ」


 ゆっくり息をついてから、レイジは言った。


「シズクの情報を集めるぞ。メイとかいうミニチュアもだ」


「あっ、了解っす! シズクの――」


 かわいらしく敬礼してみせた取り巻きの女が、言葉を途中で断ち切った。そして、レイジにつかみかからんばかりに詰め寄ってくる。


「な、なんでいきなりシズクの情報ほしがるんすか!? 確かにめっちゃ美人って聞くっすけど! ひどいっすよ! うちだけじゃ我慢できないんすか!? ハーレム!? ハーレム作る気っすね!? 親御さん泣くっすよ!?」


「作らねーよ! そもそも俺じゃなくて兄貴の女――になる予定だった女だよ!」


 事情を説明するのに、ひと悶着あった。

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