第32話 もうひとりのミニチュア・ドラゴン

「さて……じゃあ、やることも終わったから行こうか」


 戻ってきた――正確には、避難していたリンネたちのところへやって来たメイは、こともなげにそう言った。


「え……た、倒したんですの?」


「見たとおりだよ。もう雨雲さまはいない」


 メイは親指で背後を示した。


 破壊のあとが生々しく残っている。神社のあった場所はもちろん、村そのものが戦いの余波でなくなっていた。黒雲の巨人に踏みつけられたように家も土地もつぶれている。


 もちろん、周囲の被害も甚大だ。近場の森はメイが消し飛ばしているし、最初の黒雲の巨人が放った拳は水弾を無数に発射していた。


 あちこちの山や大地に風穴が開いてしまっている――のちのち知ったことだが、水になって空を覆い尽くした雨雲さまの体は、大陸全土に渡っていたらしい。


 いきなりの天変地異に人々は大騒ぎになり、各地で大混乱が巻き起こっていた。


「まぁそれなりの被害が出ちゃったけど、厄介な魔物を無事に処理できたんだし、ここは大目に見てほしいかな」


「いえまぁ、倒せんなら文句言われる筋合いもないでしょうけど……」


 歯切れ悪くリンネは答える。彼女は内心で、ちょっとばかり気まずさを感じていたのだ。


 一応、援護くらいはする――できるつもりでいたのだ。ところが、予想に反して彼女は何もできなかった。


 戦いはすべてメイ任せ。わかってはいたが、あまりの実力差にくらくらしてしまう。


「えっと――ひとまず、お兄様のところへ行きましょう! 戦後処理に関しては、わたくしたちでなんとかしてみせますわ!」


 せめてそのくらいは役に立とうと、リンネは張り切っていた。


「おっ? 全部丸投げしちゃっていい感じ? いやーそれは素直にありがたい。また各国で事情説明やら面倒事が始まるんじゃないかとちょっとヒヤヒヤしてたから」


「さすがにまた各国めぐりなんてことはありませんわ!」


 っていうか絶対にさせませんけど……! と彼女は固く決意した。


 戦いで役に立てなかった以上、それ以外の雑事はすべて自分がきれいに処理してみせようとリンネは思った。


「ところで、雨雲さまを倒したあとはどうするんですの?」


 ふと疑問に思って彼女は訊いた。メイの目的は強くなるための武者修行だ。目的の雨雲さまを撃破したあとはどうするつもりか、聞いたことがなかった。


「一応――面倒だけど竜群島に顔を出そうかなって」


 うんざりした顔でメイは答える。


「気乗りしないけど覇竜ってことになってるし、さすがにずっと放置してるとのちのちまずいことになりそうだから」


「あら、いいですわねー。わたくし、実はこの大陸から出たことなかったんですのよ!」


 伝説に謳われる竜群島……メイの故郷がどんなものか、リンネは思いを馳せた。


「正直そんな期待するようなものないと思うけどね……ああ、いや」


 と、メイは小首をかしげる。


「よく考えたら俺、冥府のダンジョン以外は全然知らないから、あんまりこういう場所だよって断言できないのか」


「地元民なのに地元知らないってどういうことですの!?」


「いやだって……俺ずっとダンジョン暮らしだったし、そんな外にも出なかったから」


 中央覇竜に呼ばれたり、婚約者っぽいポジションの人に別れの挨拶に行ったりしたときくらい? とメイは首をひねる。


「あ、でも一応、冥府のダンジョン周辺の町なら多少は知ってるよ」


「そこすら多少レベルなんですの?」


「なんだよ、リンネだってこの大陸の名産品とか、そもそも自国のおいしいグルメ店とかおすすめショップとか全部網羅してるわけじゃないんでしょ?」


「それはそうですけれど……!」


「だったら俺が知らなくったっていいじゃん」


 ちょっと拗ねたようにメイは言った。


「なんですの……! メイさん! さっきまで勇ましく戦ってましたのに、今はそんなかわいらしい仕草を……! わたくしを誘ってんですの!? ここ屋外ですけど!? なんならギャラリーもいますけど!?」


「誘ってないし、違うけど?」


「おっと、いけませんわ! うっかり心の声が――!」


「全部ダダ漏れなんだよなぁ」


 メイは遠い目をした。


「いやはや、本当に素晴らしいですね。さすがはメイさまのお選びになった伴侶です。先ほどの雨雲さま討伐で見せた圧倒的実力を目の当たりにしてなお、この態度……! エロスへの飽くなき渇望というやつでしょうか。執念すら感じさせますね。畏敬の念を覚えます」


 パチパチパチ、という拍手の音を響かせながら、見知らぬ少女が割って入ってきた。


 コスプレのようなメイド服を着ている。、というのは、カノンが着ているクラシカルなメイド服とはまったく違うからだ。


 ミニスカだし、胸元も大きく開いている。全体に露出が激しい。少なくとも一般的なメイドが着用する服ではない。


 小柄であった。身の丈はメイとさほど変わらない――いや、よく見ればメイのほうが少し高いくらいだろうか。


 子供のような体つきなのに、とてつもなく豊満な胸をしている。


〔うわっ、すごっ……! マジモンのロリ爆乳! いいですわ!〕


 ほしい――と思う一方、リンネの冷静な頭が少女の異様さを感じ取る。長い髪をたなびかせ、優しげな微笑みを浮かべた少女は……どこかメイに似ていた。


 顔立ちはまるで違う。いや、かわいらしさという点でいえば甲乙つけがたい。


 だが、外見ではなく――その身にまとう雰囲気が、なんとなくメイを思わせるのだ。


「誰?」


 とメイが言った。


〔もしかしてメイさんのお知り合い……?〕とリンネは思ったが、メイの発言で否定される。ミニスカメイドの少女は、くすくすと口元に手をやって小さく笑う。


「はじめまして、でございます。我らが主。ノノと申します」


 彼女は丁寧に頭を下げた。


「そちらの」


 と彼女は緊張した――いや、明らかに青ざめ、恐怖の表情を浮かべている女性を手で示した。


 こちらはノノと名乗った少女よりもずっと背が高い。リンネほどではないが、一六五センチ前後はあるのではないか。


 セミロングの髪に花をあしらった髪飾りをつけて、さらにネックレスやらイヤリングやらをつけている。


 さらに服も――ついさっきまで戦場であった場にまったく似つかわしくないアフタヌーンドレスだ。


 二十代前半くらいだろうか。少なくとも十歳――というには胸が大きすぎて年齢不詳なミニスカメイドの少女よりは年上に見える。


 リンネはちらりと女性の胸元に目をやった。胸の大きさは少女より劣るが、小さいわけではない。十分に巨乳と呼べる大きさだ。


〔顔立ちが似てますわね……姉妹?〕


 女性と少女では種族が違う。少女はニューマンだ。


 だが、女性のほうはドラゴンである。角があり、翼があり、しっぽがある。まごうことなき竜だ。


〔ニューマンとドラゴンの夫婦から生まれた姉妹……?〕


 異種族同士での結婚そのものは珍しくない。


 ただ、ドラゴンというのは一般的に同族を好むとされている。圧倒的な強さゆえに、実力で劣る他種族と結ばれる例はあまりない、とリンネは聞いている。


「わたしと姉さまは同じ両親を持つ姉妹ですよ。全妹全姉です」


 ノノと名乗る少女が言った。


「え? でもあなた――」


 眉をひそめたリンネの頭に、ひとつの可能性が思い浮かんだ。なぜ初手でメイと似ていると思ったのか?


「はい、そのとおりでございます」


 楽しげにノノは笑った。


「ミニチュア・ドラゴンのノノです。メイさまの――『元』と称すべきでしょうか。元婚約者であるシズクの妹にございます」


 どうぞよろしくお願いいたします、と彼女はにっこり微笑むのだった。

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