第31話 天を衝く黒雲の巨人

 圧縮された黒雲が、破裂するようにふくれ上がった。


 一瞬にして巨大な人型形態を取る。もっとも――とうてい人には見えない。胴体らしきものに、手足のような棒状のものが四箇所、そして頭部のような丸っこい何かが出来上がっているだけだった。


 はるか高空――山頂の彼方に届く大きさで、黒雲の巨人と称するほかない。


 巨人が腕を振るった。緩慢な動きに見える。が、もちろんただの錯覚だった。あまりにも巨体であるがゆえに、ゆっくりに見えてしまう。


 巨人の拳は水を帯びていた。いや、大質量の水を放ちながらメイにむけて腕を振るっていたといったほうが正しい。


 人間サイズの水球が、無数の砲弾のように放たれている。メイに攻撃が命中する前に、大量の水球が大地を穿ち、大穴を開けていく。


 一方、メイの周囲を取り巻くドラゴンたちは散開し、黒雲の巨人にむけて四方八方から色とりどりのブレスを放っていた。


 メイ本人はいえば――とてつもない魔力を収束させ、手のひらに収まるほどのサイズに縮小させていた。遠方からでもわかるほどの、怖気をふるうような小さな小さな光球がメイの手のひらにできている。


 メイは握りつぶすように光の球を握りしめた。魔力は槍の形状をとる。


 目前に迫る巨人の拳にむけて、メイは槍を投擲する。同時に、彼は動き出した。突進するように投げ放った槍を追って飛ぶ。


 拳と槍が激突した。


 一瞬、拳がふくれ上がって、そのあと破裂するように黒雲が弾けていく。放たれた槍が腕を一気に上がって、巨人の体を砕いていく。


 槍は、そのまま巨人の腕を爆散させながら空の彼方へと消えていった。


 一方、槍を追跡するように飛行していたメイは、巨人の腕の付け根――肩に当たる部分に二射目の槍を叩き込んだ。


 今度は袈裟斬りのようにななめ下に向けて放たれる。


 ふたたび爆発四散するように雲の体がふくらんでいき、槍は大地に突き刺さって大爆発を巻き起こした。森に命中したが、まるで隕石の衝突だ。


 大気が揺れ、大地が揺れ、爆発炎上しながら森が消し飛んでいく。あとには巨大なクレーターが出来上がった。


 無数のドラゴンたちは、形の崩れた黒雲の巨人へ、すかさず追撃を加えている。


 竜の群れは翼をはためかせ、空の王者のごとく振る舞い、それぞれが色とりどりのブレスを――まるで虹のように放っている。巨人の体はなすすべもなく崩れていった。


〔え……? か、勝った……?〕


 あまりにも呆気ない決着――と、誰もが思ったことだろう。


 少なくともリンネはそう思った。巨人の体が崩れていき、雲間からさんさんと日が照って、空がだんだんと晴れ上がっていく……青い空が顔をのぞかせたのだ。


 しかし、リンネはすぐさま違和感に気づいた。


 確かに雨雲は消えさえって、美しい青空がのぞいている。だが、妙だった。光が屈折しているのだ。まるで海の底にでもいるかのように、太陽が揺らめいて見える。


〔まるで透明な水を通して見るような――〕


 思った途端に合点した。


 空は、分厚い水に覆われている。あまりにも透き通っていて、不純物をいっさい含まないものだから気づかなかったのだ。


 どこまで続いているのか、見当もつかない。


 ただ、見渡すかぎり――空はすべて水で覆われている。まるで空が大海に変わってしまったかのようだ。


 自分たちの今いる場所が、地上ではなく海底になったしまった気さえする。


 やがて空の水は渦巻いて、竜巻のようにメイに襲いかかる。もちろん飛び交うドラゴンたちにも。


 メイとドラゴンたちは旋回しながら水の竜巻を回避し、槍とブレスをお見舞いする。


 だが、攻撃を喰らうと同時に空の水は落下してくる。


 やられたわけではない。というのは水が生き物のように――いや、実際に生きているのだから、これは不自然な表現だ――水はいっせいに高度を下げ、物量でメイとドラゴンたちを飲み込もうとする。


 洪水のような激しさで、真っ白い水しぶきを上げながら轟音とともに襲いかかる。


 ドラゴンたちもメイも、なすすべなく濁流のなかへ――水中のドラゴンたちは、まるで水圧に押しつぶされるように体を縮こませる。


 やがてひしゃげるようにつぶれて、ドラゴンたちは消滅した。


「メイさん!」


 思わずリンネは悲鳴を上げる。


 メイもまた、明らかに押しつぶされようとしていたからだ。しかし、この男は当然のようにただやられるはずがなかった。


 不意に、リンネは熱を感じた。まるで暖炉のそばにいるときのような、ほんのりとした熱さを肌に感じたのだ。


 気づくと――莫大な量の水が、ふつふつと沸騰していた。もうもうと白い湯気が立ち始め、やがて強烈な熱波とともに厖大な空の水すべてが蒸気に変化していく。


 メイだ。火の魔法で水の体そのものを焼いているのだ。


 そればかりではない。やられたはずのドラゴンたちまで復活している。しかも、今度は色とりどりの竜ではない。


 すべて赤色の――おそらく火のドラゴンたちだ。


 赤い竜たちはそれぞれ炎のブレスを吐き、押し寄せる水を逆に押しのけて火あぶりにしてみせた。空全体が炎によって真っ赤に染まり、水は蒸発していく。


 次々と白い湯気を出しながら、水蒸気へと変貌していった。


 だが、それで終わりではない。


 メイとドラゴンたちは水を焼き尽くしていったが、わずかに残った白い湯気が集まって、今度は白雲の巨人が――ただし、黒雲の巨人と比べると、だいぶ小さい姿で現れた。


 小さいといっても、山と同じ程度の大きさはある。ただ、黒雲の巨人に比べればずっと小型化していた。


 そして――メイとドラゴンたちは、容赦なく炎を浴びせて白雲の巨人を処理していく。そう、もはやそれは「処理」と称するほかない作業だった。


 メイの魔力が爆発的に高まるのと同時に、ふたたび超巨大な火柱が上がった。


 白雲の巨人を覆い尽くすほどの圧倒的な炎の柱……そこへ赤い竜たちが炎のブレスを叩き込む。


 赤々と燃え上がる炎のなかで、真っ白なシルエットが苦しんでいるのが見える。


 闇雲にパンチを繰り出しているが――炎の柱から抜け出すことはかなわず、そのまま溶けるように炎の赤へと同化していった。


 そうして炎が消え去るのと同時に、まばゆい紫色の光が集まって、白雲の巨人がいた場所に小さな、こぶし大の宝玉が出現した。魔石だ。


 メイが魔石を回収するのと同時に、周囲にいたドラゴンたちが消えていく。そうして、メイはリンネのほうへと向かってきた。

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