第30話 雨を降らす雲の怪物

 雨雲さまの神社は、小高い丘の上にあった。


 村は小さく、丘を囲むようにしてまばらに家屋が散らばって、そのあいだをよく手入れされた田畑が埋め尽くしていた。


 丘のてっぺんにはこんもりとした鎮守の森がある。登り口の石段から見上げれば、木々のあいだの鳥居が顔をのぞかせているのが見える。


 普段は静かな村で、村民も少ないからさぞかし大騒ぎになるだろう――と思っていたら、事前に王国から通達があったようで、村人はひとり残らず避難済みだった。


 村は、完全に包囲されている。コーラル・アクアマリン・モルガナイト連合軍だ。地元だからリンネのヒスイ王国も派兵していたが、大した戦力ではない。


 十万を超える大軍勢が、小さな村落を遠巻きに囲っている。


 見るものが見れば、こんな小さな村相手に何をしているのかと大笑いされるだろう。


 だが村を囲む兵士たちの表情は、まるで弛緩していない。緊迫感に満ちあふれている。鎧兜で武装し、武器を構え、今まさに死地におもむこうとしているかのようだった。


 だが、そこに一人だけ――まったく緊張していないものがいた。


「じゃ行ってくるねー」


 のんきに声をかけて、ひとっ飛びで石段の前まで行き、これまたひとっ飛びで鳥居の前まで行く。メイだ。


〔いつもどおりですわね……〕


 メイにもらったメガネをかけて、リンネは内心でため息をつく。これから決戦だというのに、まるで普段と変わりないのだった。


 メイは今、境内をゆっくりと歩いている。


「どう? ちゃんと見えてる?」


「うわっ、いきなり話しかけないでくださいまし!?」


 改良によって、音声はもちろんメイの周辺の映像も映せるようになっていた。


「きっちり映ってますわよ。それで、本当に大丈夫なんですの? 今さらですけど」


「ほんとに今さらだね」


 メイは苦笑した。


「まぁ大丈夫じゃない? 少なくとも前と同格ならどうとでもなるよ」


「前と同格って――メイさん……あなた、なんだか以前も戦ったことがあるような口ぶりですけれど――」


 メイが突然、目の前の神社を破壊した。


「ちょ――!? なにやってんですの!?」


「いやだって、壊さないと封印が解けないし」


 拝殿ごと本殿を消し飛ばしている。だが――むろん、そなわかりやすい場所に雨雲さま本体が封じられているわけではない。


 メイは右手を上げると、それを勢いよく振り下ろした。巨大な石槍が中空から、音の何百倍もの速さで丘の上に突き立つ。


 大地震のような揺れのあと、空気を切り裂く轟音が辺りに鳴りわたった。


 一瞬の静寂――


 巻き起こる土ぼこりにまじって、真っ黒な煙が丘から吹き出てくる。


「あ、雨雲さま……」


 誰かがつぶやいた。


 そう――それはまさしく雨雲だった。豪雨の、雷雨の、見慣れた大雨を降らす黒い黒い雲だ。


 風が吹いた。


 土ぼこりが吹き散らされる。


 だが雨雲は消えない。増えていく。どんどんどんどん丘のてっぺんから、洪水のようにあふれ出て、噴火するように天に向かって伸びていく。


 巨大な山が出現したようだった。


〔いえ、山というより――〕


 空が雲におおわれる。日の光がさえぎられ、辺りは突然薄暗くなった。


 雨雲の噴出が激しくなっていく。


「あ、あのメイさん!? これほんとにだいじょう――」


 言い終わる前に、丘が破裂した――木っ端微塵に、跡形もなく。


 そうして、フタが爆発して吹っ飛ぶようにひときわ濃い黒雲が飛び出てきた。竜巻のように渦巻いて、黒雲は天に向かって伸びていく。


 雨が、降りはじめた。


 最初はぽつりぽつりとしたものだった。小さな雨粒が少しばかり、断続的に降ってくるだけ――だが、すぐに雨は勢いを増し、猛然と降りはじめた。


 静かに、風が吹き始める。


 最初は弱々しい微風が、徐々に強くなっていく。雨粒と合わせて嵐のように吹き荒れ――前が見えないほどの土砂降りと強風が木々を、大地を打ち据えていく。


 なのに――見える、あの黒雲だけは。はっきりと……。


 リンネは生唾を飲み込んだ。恐怖が、雨のように染み渡ってくる――さすがに、あの爆発でメイがやられた、とは思わない。だが……


〔これは……どうしようもないのでは?〕


 そんな疑問が頭をもたげる。絶望感が這い上がってくるのと同時に――突如として火柱が立って、雨が吹き飛んだ。


 天を衝くような超巨大な炎の柱だ。轟音とともに空を焦がし、雲の一部を消し飛ばした。


「え?」


 困惑とともにリンネは正面を――黒雲をながめた。火柱が雲を突き破って青空をのぞかせている。いや、空全体は未だ雲におおわれているが、火柱が立った箇所だけが突き破られていたのだ。


 そして、雨が逆流した。


 大きな大きな雨粒が、天にむかってのぼっていく。


 そうして炎が晴れた瞬間、そこにメイがいた。空中に浮いている。周囲には無数のドラゴンが舞っていた――例のミニチュアだ。


〔いえ、大きさが……〕


 かつてメイがリンネに見せたドラゴンは手のひらサイズで、とても小さかった。だが、今メイの周りを舞う竜たちは――目測だが、ゾウと同じくらいあるんじゃないか。


 どう見ても、メイより大きいのだ。


〔あれが……メイさんの本気!?〕


 しかもドラゴンは色とりどりだった。赤、青、黄色、緑、白、黒……様々なドラゴンがメイの周囲を舞い、恐ろしい吠え声で黒雲を――雨雲さまを威嚇している。


 その威嚇に反応するように、黒雲が一箇所に集まっていく。圧縮され、すさまじい怖気を振るうような莫大な力が集約しているのがわかる。


 相変わらず空は曇っていて、雨粒が舞っているが……雨は地表に降らない。逆流して天にむかってのぼっているのだ。


 誰かが――あるいはリンネ自身であったかもしれない――息を呑んだ。


 瞬間、対峙する化け物が動いた。

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