第25話 モルガナイト帝国への宣戦布告

「り、リンネ! こ、こいつはなんだ……!?」


 大量の脂汗を流しながら、第一皇子が叫んだ。呼吸は荒々しく、過呼吸になる寸前のように思えた。メイを見る目は――いや、目を合わせるのさえ怖いらしい。


 明らかにメイに顔を向けないようにしている。


「あなたが言うところの『簒奪者』ですわ」


 リンネは冷たく言い放った。


「わたくしが誰と一緒にいるのかさえ知らずに来たんですの? 相手は東方覇竜でしてよ?」


「はぁ!? 女じゃないか!」


 思わず、といった様子で第一皇子はメイを見た。が、目が合いそうになるとサッと顔をそらしてうつむいた。ガチガチと歯を打ち鳴らしながら震えている。


「俺は男だよ。まぁ初見で見破ったやつなんてセバスくらいのものだし、気にしなくていいよ」


 ああ、そうだ、とメイは第一皇子を見た。


「一応名乗っておこうかな。俺はメイ。東方覇竜ってことになってる。これから――って言ってもアクアマリン共和国のあとなんだけど、モルガナイト帝国にも行くから。よろしくね」


 メイは世間話でもするように手を振った。不機嫌さのかけらもない。先程の、自分が行なった蛮行も、それによって与えた影響も、何も気にした様子がなかった。


〔これが竜の価値観なんですのね……〕


 どれだけ見た目が愛らしく、美しい少女に見えても、中身はまぎれもないドラゴンなのだ。それも覇竜戦争時代を思わせる、荒々しい本物の竜。


「き、貴様……」


 側近の一人が、怯えながらも口を開いた。


「こ、こちらのお方は……モルガナイト帝国の第一皇子だぞ。こ、このような真似をして、ただで済むと……」


 いつもだったら第一皇子の威光を笠に着て、もっと高圧的に接しているだろうに、今は言葉さえも尻すぼみだった。おまけに無意識に主君を置いて後ずさっている。


「そこに苦情言われてもなー。そもそも嫌がってる人に無理強いするのはよくないんじゃない?」


 メイは困り顔で答える。


「ちなみに『ただでは済まさない』って具体的にどうなるの?」


「そ、それは……!」


 側近は口をつぐんだ。第一皇子があとを引き継ぐ。


「わ、我が父が貴様を許さん! モルガナイト帝国は東方覇竜を叩きつぶしてくれる! どうだ! 謝るなら今のうちだ! この俺に許しを請い――」


「渡りに船だね」


 わくわくした様子でメイは言った――明らかに上機嫌になっている。


「国を一つ落とすってのも経験しておきたかったんだよね。白騎士とのバトルで、一対一ならエンシェント級とも余裕でやり合えると確信できたけど、軍隊が相手だとどうなるかわからないから」


 恐怖すらも忘れたらしく、第一皇子はぽかんと口を開けている。


「な、何を言っている貴様……? 帝国軍が貴様一人を殺すと……」


「うん、いい話だね。悪いんだけど帰って伝えといてくれる? アクアマリン共和国に寄ったら次はモルガナイト帝国だから。今のうちにきちんと戦力を集めて軍備をととのえておくように、って。全力で来てもらわないと力が測れないからね」


「いいんですの?」


 リンネが口をはさむ。


〔むちゃくちゃ言ってますわね、この小さなドラゴン……〕


「雨雲さまは大陸中の軍勢が寄ってたかってようやく封じた魔物でしょ? つまり強国だろうと一国の戦力よりもはるかに強い。封印は覇竜戦争より前なんだから、当然エンシェント級はもっといたはずだし、エルダー級も相当揃ってたはず」


 メイは真剣な顔つきだ。冗談を言っている雰囲気はまるでない――だからこそ、その淡々とした物言いが空恐ろしい響きを持って列車内に満ちる。


 伝染する病のように、恐れの感情が。


「大国一つ打ち破れない程度の力なら、どう考えても雨雲さまの撃破はできないよ。そういう意味じゃ、すごくありがたい話だ。受けよう、この提案」


 メイは不敵に笑った。


「俺は謝罪しないから――まぁ、もとから謝罪する気もないんだけど、とにかくやろう。全力で俺を殺しに来てくれ」


 さすがの第一皇子さまも、返す言葉がないらしい。理解不能な怪物を見る目をメイに向けている。


 そして、第一皇子はふらっと倒れるように床に尻餅をついた。ついに足に力が入らなくなったらしい――いや、腰が抜けてしまったのだろう。


「で、殿下……! もう、もう行きましょう! 腕も治療しませんと……!」


 側近の一人が小声で耳打ちした。恐ろしさに耐えきれなくなった様子である。第一皇子も、自分の腕が切断されたままであるということにようやく思い至った様子で、慌てて立ち上がった。


 だいぶふらついていたが。


「ふ、ふん! 貴様の命乞いする姿が楽しみだ……!」


 できるだけ威厳を見せたいようだが、第一皇子の声は震えていた。


 そして去り際も実に恰好悪かった。勢いよく立ち上がったものの、自力で歩くだけの力はないらしく、側近に体を支えられながら、ほうほうの体で立ち去った。


「これ、モルガナイト帝国は本当に開戦しますかね?」


 セバスが言った。彼は、青い顔で震える妻を抱きしめ、優しく頭を撫でていた。


 一方、メイのほうは「仲睦まじい夫婦だねー」とほっこりした顔でセバス夫妻を見て、そして首をかしげる。


「第一皇子がやるって言ってるんだから大丈夫じゃないの?」


 いえ、とリンネが首を横に振りながら口をはさむ。


「むしろ第一皇子は『なにを勝手なことをしているんだ!』と皇帝陛下から切り捨てられる可能性のほうが高いと思いますけど」


「え? そうなの?」


 リンネは呆れてため息を吐く。


「当然じゃねーですの。勝手に他国に開戦宣言なんて冗談でもやっていいことじゃねーんですわ」


「その理窟だと、東方覇竜の俺が喧嘩売るのもまずくない? まぁ中央覇竜は面白そうって大爆笑してそうだけど」


「ヤベーですわね、アメシスト帝国」


 さすが『不老竜』あるいは『永遠竜』の二つ名を持つエンシェント・ドラゴンが支配する帝国、とリンネは言った。


「俺としちゃ正直どっちでもいいけどね。さっきはああ言ったけど、絶対にやんなきゃダメってわけでもないし」


「テキトーですわねぇ……まぁあのバカ皇子の顔は傑作でしたし、あれが見られただけでもわたくしとしてはお釣りが来ますけど」


 ぷぷ、とリンネは思わず口元を抑えて笑いをこらえる。


「腕をねじ切られて呆然とした顔と、その後の恐怖の表情ったらねーですわ!」


「あー……そういやさっき浮気で報復うんたらって言ったけど、リンネは俺が浮気したらどうすんの? とりあえず手足叩き折っとく?」


「なんでそう物騒な方向に話が行くんですの!?」


「だってさ、リンネが浮気したら報いを受けさせるのに、俺が浮気してリンネがなんもない、ってやっぱりダメかなーって。ほら、前にハーレム作れるなら作りたいなー的なこと言ったじゃん?」


 メイは肩をすくめる。


「まぁ可能性なんてないし、別に気にすることじゃないけど、やっぱりハーレムなんて言っちゃダメだよね、ってちょっと反省して――」


「えぇ!?」


 リンネの口から悲鳴のような声が出た。圧倒的な恐怖と絶望が込められた悲鳴だった――実際、メイの言葉はそれほどに衝撃的だったのだ。


 あまりにも予想外すぎて、リンネは心の準備さえできていなかった。まさかメイの口からそんな言葉が飛び出てくるなんて……!


「え? なに、どしたの?」


 メイはぎょっとしてリンネを見る。


 彼女は号泣しそうになる自分を必死に抑えて、おのれの思いの丈をぶちまけた――


「そ、そんな……! メイさん! わたくしたちの3P4P、大人数での大乱交プレイの夢はいったいどうなるんですの!? メイさんがハーレムを作るっていうから……! わたくし、ずっと楽しみにして……! こうやってやりたいシチュエーションをいっぱい妄想してんですのよ!?」


 リンネは秘蔵のノートをメイに突きつけた。


 何度も何度も頭を悩ませ、自分にとっての理想を体現した――まさに最高のシチュエーションをシミュレートした、未だに進化を続ける妄想ノートだ。


 メイがハーレムを作るというから、リンネは喜々として準備を進めていた。いずれ自分だけでなく大勢の女の子が現れる――だからそのときのために、やりたいプレイ内容をあれこれとずっと考えてきたのだ。


 しかしメイの視線は冷たかった。


「少なくともそれ、俺の夢ではないよね? 純度百パーセントのリンネの夢だよね?」


「裏切り者ぉ! こんなの、こんなの……最低最悪の浮気ですわ!」


 リンネから嗚咽が漏れる。絶望感から、自然と涙がこぼれてしまうのだ。


「泣くほど悔しいの、それ?」


 メイはリンネの涙を指先で優しく拭いつつ、呆れ顔で謝り始めた。

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