第6話 雨雲さまの伝説

 最初に聞こえてきたのは、川のせせらぎだった。


 木々のざわめきや鳥の声にまじって、水の音が響いてくる。山道を下っていくと、日の光を反射して銀色に輝く川面が目に入った。


 小さな橋の向こうに、目的の温泉宿が建っている。木々に隠れるようにして、かわら屋根の典雅な建物があった。かなり強力な魔物よけの結界が張ってある。


 リンネたちがガラス戸を開けて中に入ると、いらっしゃいませ、という声がかかった。玄関のすぐ横にフロントがあり、若い男性が小さく会釈した。


 探索・討伐支援ギルドの窓口も兼ねているらしく、看板が出ていた。


「魔物の買い取りもやってるの?」


 メイがたずねると、受付の男はうなずいた。


「はい。ここは修行場としてのご利用が多いので、こちらで買い取りもしております。道中、魔物を討伐なさいましたか?」


「じゃあ、買い取りもお願いできる? あと宿泊も。部屋あいてる?」


 メイは最初に魔石を取り出し、続いて肉や皮など魔石以外の買い取りもしているのかどうかを訊いた。


「魔石はこちらに、宿泊は三名様ですか? 今は団体予約がありませんので部屋は空いております。解体のほうは裏に専用の小屋がありまして――」


「ああ、いや、解体はやってるんだ」


 メイは首を横に振った。


「ここで出すのはまずいかな。小屋のほうで出したほうがいい?」


「ご案内しましょう。魔石以外はそちらでお願いします」


 男は同僚に声をかけてから、メイたちをともなって歩き出した。宿の裏手に木造の小屋が建っている。扉を開けて中に入ると、男は台を手で示した。


「では、こちらに」


 メイが解体した魔物の肉や骨、皮などを並べると、男は感嘆の声を上げた。


「きれいに整えられていますね。しかも部位ごとにきっちり切り分けられて……」


 素晴らしい……と男はつぶやきながら、解体された魔物をながめた。いつの間にか手袋をはめて、汚れてもいいように作業着を着ている。


「珍しいの?」


 メイは意外そうに言った。


「地元だとみんな自前でやるのが当たり前だったけど」


「ここらへんだと、解体は専門業者に任せるのが一般的ですね」


 男は切り分けられた肉や骨、皮などをチェックしながら答えた。


「探索者にせよ討伐者にせよ、倒した魔物はそのまま収納して、なんなら魔石を取り出すのもこっちで担当することが多いんですよ」


「へー、そんなもんなんだ」


 男はメイの腕を褒めながら、手早く作業を進めていった。肉や骨、皮などの部位を査定し、結果を紙に書き記していく。両手がふさがっているので、男はペンを魔法で器用に動かして書き付けていた。


「はい、終わりました。今回は解体済みですので、そちらの費用はなしとなります。先程の魔石と合わせて、七十二万一四五三クレカです。詳細はこちらに」


 と男は明細書をメイによこした。メイは怪訝な顔をする。


「なんか高くない? もっと安値で取引されるものかと……」


「上位の魔物を狩れる討伐者はそうそうおりませんので」


「上位なんだ、これ……」


 メイは作業台に並べられた肉類をながめた。


「肉は高級品ですし、骨も肥料として、皮も革製品として人気のあるものばかりです。このあたりですと流通量も少ないですね。失礼ですが、高難度ダンジョンの探索を?」


「主な活動場所は冥府のダンジョンだったよ」


 おお……と男は目を瞠って声を漏らした。


「世界最大のダンジョンじゃないですか。なるほど、道理で……」


「あっさり信じるんだね。見た目で嘘を疑われるかと思ったけど」


 まさか、と男は笑った。


「あなたは確かに可憐なお嬢さんに見えます。ですが、立ち居振る舞いで相当な使い手であることがわかりますよ。くわえて」


 男は台の上を手で示した。


「この損傷のなさです。急所を一撃で仕留めなければ、こうはなりません。実力を疑うなど、とんでもない。それに」


 男は茶目っ気たっぷりに言った。


「魔法を駆使して、美しい少女時代の姿を保つ方は決して珍しくありませんから。探索者にせよ討伐者にせよ、ゴツい人間をイメージされがちです。偏見を打ち破る意味でも、素晴らしい取り組みだと思いますよ」


 あー……とメイは気まずげに頬をかいた。


「俺、別に魔法は使ってないんだよね。あと女じゃなくて男」


 え、と男は呆然とした表情を一瞬したが、すぐ顔を引き締めた。


「失礼しました。まさか性別を見誤るとは……」


「気にしなくていいよ。むしろ初見で見抜くやつは普通いないから」


 メイはセバスを横目で見ながら言った。しかし男は深刻そうな表情で、


「なにかお詫びを」


「いいって――ああ、そうだ」


 メイは何か思いついた顔で訊いた。


「じゃ代わりに一つ教えてほしいんだけど、このへんに古い、封印された魔物がいるって噂は本当? めちゃくちゃ強いやつがいたって」


「封印……? ああ、もしかして、雨雲さまの伝説ですか?」


「あまぐも?」


「ここではなくて、二つ山を越えた先にある村の伝承ですね」


 男は村のあるほうを指さしながら答えた。


「なんでも大雨を降らせて大洪水を巻き起こしたっていう……。見た目も、わたあめというか、雨雲のような真っ黒い霧状の姿だったとか。あまりに強く、連合軍でも太刀打ちできなかったため、やむなく封印したと」


「へぇ……」


 メイは何か考え込むような表情で生返事をした。


「雨雲伝説にご興味が?」


「あー、うん。俺の求めてるものかはわからないけど」


「でしたら、村のほうへ足を運んでみては? 確か雨雲さまを鎮めるための神社が造営されていたはずです。詳しい話もうかがえるかと」


「ありがと。行ってみるよ」


 メイの言葉に、男は一礼した。

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