アラベスクをもう一度

@solitarypeak

アラベスクをもう一度

 今日、電子ピアノを買った。

 24万2千円。自分の金で買う金額としては、過去最高額だった。3回ほど住所を書く。手続きが多く、待ち時間が長かった。すんなりと終わらないところに値段の大きさを実感させられた。店員の男が退屈そうな私を気遣ってかよく喋りかけてくれたおかげで、たいして興味も無いアーティストに詳しくなってしまった。

 電子ピアノを買う決断をしたのは、教室に通い始め、弾ける曲が増えたからである。

部屋にあるキーボードではどうしても音の強弱が出せない。だから、レッスンでグランドピアノに触れる度に、弱い音しか奏でられなくて困っていたのだ。

 これで悩みも解決するな。私は天井を見上げて、ぼんやりとそう思った。指の力が足りずに消え入りそうな弱い音を弾くと、時折、記憶の中の母の声が聞こえてくるのであった。

 

 ピアノ教室を運営していた母のもとには、老若男女様々な人が来ていた。

 奏でられる昔ながらの名曲や最新のアニメソングをBGMに、私は2階で寝転んでゲームばかりしていた。時折音が止んで、母の声が聞こえた。甲高い声でよく笑う人だった。そんな私も習っていたのはこの母のもとでだった。母は私に対しては鬼のように厳しく、いつも泣かされた。だから本当にあの時間が嫌だった。そんな話を成人した日、リビングで酒を交えて話すと、母は泣き笑いの表情で頭を抱えて言う。

 「カオルに対しては、どうしてもね、そうなっちゃったのよ。ほんとね、なんでだろう」

 初めて母を泣かせた夜だった。暖房の音がやけに大きく聞こえたのを覚えている。

 今は、ブルグミュラーの楽譜を一から学びなおしている。ようやく五曲目に入ったところだ。先生は豪快によく喋る人で、楽譜の記号やタイトルをもとに曲のイメージをよく語ってくれる。そんな先生のおかげかもしれないが、大人になってからのピアノは、子どもの頃とは随分違うように感じる。「つよくひく」「よわくひく」「はやくひく」だったものが、「明るさから一転、力強く冷徹に。突き放すように強く」「甘く、優しさを感じるほどに弱く」「子供が群れているように、わちゃわちゃっと早く」というように、イメージできる幅が増えた。今まで、趣味で小説や映画にたくさん触れて培ってきた想像力が、こうした表現の創造と結びついているような気がして好きだ。キーボードではどうにも強弱がつけられなくて、という話をして、遂に先生の勧めのままに高い電子ピアノを買ってしまった、というわけだ。


 珈琲を飲みながら、LINEを開いた。

 母とのメッセージ画面は半年前のまま止まっている。なんら変わりのない、いつもの連絡。

「お米あったら欲しい」

「わかった!暑いから気をつけて」それだけのやり取りだ。

 このやり取りをした四日後母は死んでしまった。交通事故だった。

 場所は話を聞いてすぐにわかった。事故がよく起こる、国道から少し逸れた細い道だった。即死だったから苦しみは無かったはずだ。父は聞いたこともないくらい弱々しい声で呟いた。電話越しだが、父はきっと泣き疲れていたんだと思う。

 大きな絶望が来た時、人はまず感情にセーブをかける、と何かの本で読んだ。心が壊れてしまうからだ。私の心は冷静にその言葉を反芻していた。まるで川の流れをせきとめるダムのように、私の心は襲い来る黒い感情を防ぎ続けた。

 翌日、帰省した。二年ぶりの故郷だった。

焦燥しきって腫れた目をした父を見た時、私はまずい、と思った。あ、まずい。これはまずい。どす黒い何かが心を一気に覆い尽くした。密かに恐れていたダムの決壊だ。頭の中で小さいボールが跳ね返るように、ガンガンと痛くなった。鳥が鳴く声と車が走る音が異様にうるさかった。遠くで鳴る踏切の音がやたら近くで響いた。学校帰りの学生たちの笑い声が、自分を嘲笑っているように聞こえた。とにかく、何もかもがうるさかった。世界から音が無くなってしまえばいいのにと本気で思った。体中が血の流れを止めたようになって、固まって、動けなくなった。父がそんな私を強く抱きしめた。加齢臭がきつかったけどそんなことどうでもよかった。私は、母がもういないことを実感してしまったのだ。それはつまり、母と話すことはもうないし、母の料理、あの、嬉しい時に焼くキッシュとか、ビーフストロガノフなんかを食べることもないし、よくわからないラインスタンプに突っ込みをいれることもないし、季節が代わる度に同じ心配事を言う母に同じ返事をすることもないし、帰省した夜にダイヤモンド・ゲームをすることもないし、結婚まだ?とからかわれることもないし、父の愚痴を言う母に賛同することもないし、私の愚痴を聞いてくれることもないし、東京の事件のニュースが流れるたびに過保護に心配の電話をよこすこともないし、つまり、つまり。母は、もう、いない。

 同時に何故か、恐ろしかった母の声もいくつも思い出した。ちゃんと聞け、と怒鳴る母。遊びに行く暇があるならピアノに触れ。音を聞け。指を鍛えろ。左手で飯を食え。何度同じことを言わせる。指を鍛えろ。指を鍛えろ。早く弾け。表現しろ。それじゃ誰の心にも響かない。弱い音しか出せないね。



 葬儀にはたくさんの人が来た。皆泣いていた。母は愛されてるなと思った。昔、話したことがある生徒さんや、何度か遊んだこともある同学年の子も来て、近くに住んでいた幼馴染も来た。皆が私に声をかけてくれた。父はこれまでもたくさん泣いたはずなのに、この日もわんわん泣いていた。私はいろんな人に頭を下げながら、それ以外の時間は胸元の黒いネクタイをずっと見ていた。

 葬儀場から帰ると、私は母の教室でピアノに触れた。アラベスクという曲だけ指の動きをなんとなく覚えていたので、それを弾いた。しかし、結局最後の方は思い出せず弾けなかった。


 珈琲を飲み干した。

 あぁ、また母のことを考えていたな。ため息をつく。

 最近はかなりましになってきたが、そんな時間が、母の葬儀の後しばらくは本当に多かった。何に集中しているでもなく、意識がふわっと昔の思い出へ飛んでいるのだ。仕事中でも、ふとした瞬間にそのこと以外考えられなくなる。事情を知っている店長はいつも、固まった私に穏やかな声をかけてくれた。そんな優しさに触れる度泣きたくなった。

 気持ちが落ち込んでいる時はよく小説の世界に逃げ込む癖があったが、あの時は違う。

 何にも興味や関心が向かないのだ。雑に時間を減らしている感覚ばかり残る。食欲もない。たまに腹が鳴ると煙草を吸い込む。性欲もない。自慰行為だって、する気にすらならなかった。睡眠は、気づいたらとっている。とるまでの記憶がないから、ほとんど気絶に近かったのではないか。三大欲求がそんな調子だから、このままじゃ死ぬなぁといつも他人事のように思っていた。だが、なにがダメなのだ、と呟く自分がいつも側にいた。彼は囁いた。

 このまま墜ちるところまで行けばいいじゃないか。死のう。楽になれる。楽になろう。

 彼は鏡の前の自分だった。鏡の中から、刺すような視線で私を睨みつけていた。頭を強く振ってもう一度鏡を覗き込むと、痩せこげて、死人のような顔の男が映っていた。

 

 そんな生活が続き、部屋にはゴミが散乱してコバエが飛んでいた。ある秋の一日、不意に、ごちゃごちゃして気持ちが悪い、と思った。何がきっかけだったのかは覚えていないが、もう全部捨ててしまおうと思った。物を無くしたくて仕方がなかった。積みあがった本も、いつかの恋人との思い出も、大切だった寄せ書きや賞状も、全部邪魔だった。

クローゼットを開けて、持っていた服を片っ端からゴミ袋に詰め込む。カーディガンのポケットからキャメルの煙草が出てきたので一服した。いつ買ったかわからない煙草はしけていて、肺まで煙は吸い込めなかったので舌打ちをした。ゴミ袋はどんどん増えて、何かに埋もれて出てきた書類や小物なんかも全てゴミとしてまとめていった。ベッドの下を覗き込み、ゲーム機やらちょっとした小物入れなんかを全て取り出したところで私は手を止めた。奥に、キーボードが横たわっていたのだ。

 それは新卒の頃、誕生日に母が送ってくれたものだった。私は当時、今更弾かないよ、と電話越しに笑った。母は私に弾いてほしかったのだろうか。・・・そうでなかったらこんなもの、送らないだろう。あの時母は、どこか申し訳なさそうに言った。「気が向いたら、弾いてほしい。大人になってからの音楽も楽しいよ」。私がピアノを嫌になってしまったことを、きっと、ずっと後悔していたのだろう。母の思い出を封印することがこの苦しみから解放される術だと思っていたが、結局母は忘れさせてくれなかった。そのキーボードだけは捨てられなかった。

 ゴミ袋に囲まれた部屋の真ん中でコンセントを繋いで音を鳴らした。といっても弾ける曲がアラベスクくらいしかなくて、その終盤が弾けないのがもどかしくてたまらなかったので、YouTubeで検索をかけて、綺麗な指のお姉さんが弾いている動画を見た。捜していた音がやっとわかって嬉しくなった。そうだ、最後はそうやって終わるんだ。しかし、どうしてアラベスクだけこうも覚えているのか、と考えた。それはすぐに思い出した。小さい頃に出た、母の教室のクリスマス会で弾いたからだ。母が褒めて、楽譜に花丸をつけてくれた曲だったからなのだ。動画の最後でお姉さんが言う。

 「子供向けの曲ではありますが、私はこの曲、音の流れが綺麗で大好きです」

 朗らかな笑みが眩しくて、私は目を細めた。「音の流れが綺麗だった」。それはかつて母が、おおげさに拍手しながら褒めてくれた言葉だった。キーボードに顔をうずめてぐずぐず泣いた。何度も動画を再生させながら、真っ黒な心に少しだけ明かりがともるような感覚がした。

 近場のピアノ教室に通い始めたのは、その後すぐのことである。

 「どうしてピアノを?」

 体験入学の際、先生は首をかしげて言う。

 私は、ええと、と一言いれてから、

 「親孝行です」と笑った。

 母が亡くなったことは言っていない。



 ひと口、クッキーを食べる。

 美味しい。ここ最近の私は、いろんなものをゆっくり食べるように意識している。時間が解決するとはよくいったもので、私の心は半年という時間をかけて、少しずつ失ったなにかをとり戻し始めた。きっとピアノのおかげだろう。あれから、弾くたびに思い出す母の記憶は私を苦しめた。しかし一方で私を救った。母が遺したキーボードが、死の手前にいた私を生き伸ばしたのだ。雑に日々を送りながらも、あの汚れた部屋の真ん中で音楽を奏でる時間だけが、当時の私の生きがいだった。

 教室に通うようになって、一曲、また一曲と覚えるたびに、私は強く思う。

 この姿を見せてやりたかった、と。

 母は棺に残したあの手紙を読んでくれただろうか。伝わるといいな。何度も願ったその思いを再び胸にして、私は喫茶店を出た。


 母さんへ

 貴女が誰よりも僕を厳しく指導して、ピアノを嫌いにさせてしまったこと。それをずっと後悔していたことはわかっています。夜中に、泣きながら父に相談していたことも知っています。音楽学校に通わせたかったことだって、実は知っていました。

 私が今ピアノを習っていると知ったら、貴女はどう思いますか?きっと嬉しくて、大きなキッシュなんかを焼くのでしょうね。ピアノは、実はずっと弾きたかった。でも、私の中のちょっとした反抗心が、貴女を恨んでいるぞという幼い心が、それを許してくれなかった。ごめんなさい。本当は、貰ったキーボードに手をつけたら負けだなんて、そんなことを思っていたのです。ごめんなさい。

 今度帰省したら弾きます。私の覚えたブルグミュラーを一曲ずつ。

 そして、貴女が褒めてくれたアラベスクをもう一度。

 きっと貴女は驚くでしょう。こんなに上手かったのかと。先生にも、上達が早いとよく言われるんです。だからどうか、後悔するのはもうやめて、一人の観客として、感想を言うために化けて出てきて下さい。

 あのおおげさな拍手を待っています。

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