1. 化物侍女は起きる

 薄暗い小さな部屋。未だ日が登らぬ時間にベッドが軋む音が静かに響く。

 二、三度寝返りをうち、彼女は重い瞼を上げた。ゆっくりと身体を起こせば、さらりと黒い長い髪が肩から流れ落ちる。

 手櫛で髪を整えながらベッドから降り、明かりも付けぬまま鏡の前へと座れば、その暗い鏡面に映るのは白い肌に小柄な顔立ちの人間。左右で色の違う双眸がこちらを睨む。

 腰ほどまである長い髪を櫛を使いながら軽く整え、クローゼットから着替えを取り出す。くるぶしまである黒いスカートに白いレースがあしらわれたそれは、彼女の仕事着。


「あっ…」


 いつもより気怠げな頭でゆっくりと着替えふと窓に目を向ければ、閉じられたカーテンの隙間から光の筋が薄くこぼれ落ちていた。それを見た瞬間頭が完全に覚醒する。

 予定時刻を少し過ぎてしまっている。

 急いで髪を邪魔にならないよう上で結わえ、軽く自らの顔を一瞥してから部屋の扉を開けた。


 仄暗くなるように明かりが調整された廊下を少し早足で進む。貴族に仕える侍女として、はしたなく駆けるなど許されない。


「──あら、おはよう。ヨル」


 目的地である中央ホールへと辿り着くと、彼女──ヨルよりも幾分か装飾が多い侍女服を身にまとった女性が微笑みを向ける。

 おはようございます、侍女長。とヨルが返す。


「今日はまだ休んでいても良かったのよ? 昨日帰ってきたばかりでしょう」

「もう十分に休みました。問題ありません」


 顔色一つ変えずに目線を向けるヨルに、侍女長──キャロルは若干呆れた表情を見せる。


「貴方がそう言うならもう何も言わないけど…報告書も昨日の段階で貰っているし、本来貴方が居ない予定で今日の朝は動いているから…」


 どこか仕事が空いている場所はあっただろうかと今日の仕事内容と担当者を脳内で確認していく。


「あっ。じゃあいつもより時間は早いけれど、屋敷の外回りの清掃と設備の確認をお願いできる?」

「かしこまりました」


 一礼を返し、その場を後にする。向かう先は屋敷の玄関…ではなく。使用人の居住区域。

 ヨルの勤める屋敷は貴族の中では比較的広く、本邸の中に使用人が暮らす場所がある。そこにあるのは住むための部屋と使用人用の食堂。そして用具入れ。ヨルの目的はそこに仕舞われた掃除道具を取りに行くことだ。

 先程早足で歩いた廊下を逆走し、用具入れの扉を開く。


「……ありませんね」


 部屋へと入り明かりを灯してぐるりと見渡すが、目的のものがない。正確には、欲しい物の内一つだけがない。

 雑巾や箒、バケツなどはあったのだが、高所の掃除に使う折り畳み梯子がなかった。


「仕方がありません。ひとまず下の掃除をしましょう」


 見つけた掃除道具を抱え、使用人用の出入口を目指す。その途中屋敷内を清掃する侍女とすれ違い、挨拶を交わした。


「おはようございます、カミアさん」

「おはよう…って、あれ? ヨル、今日は午前休じゃなかった?」


 思わず挨拶を返したが、彼女──カミアは顔を上げ目をぱちくりとさせる。今日の早朝集会にて、確かに侍女長からそう聞いたはずだ、と。


「午前休を取った覚えはありませんが…?」

「…あぁー…なるほど。分かった」


 キョトンとした顔をするヨルを見て、察する。屋敷で働く使用人達にとって、ヨルの性格は皆が知るものだ。


「まぁ侍女長が何も言ってないなら、私がとやかく言うつもりは無いよ。気を付けてね」

「? はい」


 首を傾げながらも素直に返事をし、予定通り出入口を目指した。カミアはその背中を呆れを含んだ眼差しで見つめる。

 仕事中毒ワーカーホリック、とポツリ呟いた言葉は、ヨルの耳には届かなかった。



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