2. 化物侍女は掃除をする

 使用人用の出入口を開ければ、日が昇ってからまだ時間が経っておらず温まりきっていない肌寒い風が吹き込んだ。

 寒さなどの気温の変化には強いヨルだが、少し身震いしてしまう。


「今日もいい天気になりそうですね」


 風と光に目を細め空を見上げながらそう口にすれば、それを裏付けるように昇りたての柔らかい陽の光が、優しくヨルを照らした。


 しかしその光景に感慨にふける暇もなく、足早に外へ出たヨルが向かうは屋敷の裏手にある井戸。ゴミが入らぬよう備え付けられた蓋を開け、釣瓶を投げ入れる。すると少しの時間を空け、ちゃぽんと水音がヨルの耳へ届いた。それを確認し紐を引いて釣瓶を持ち上げれば、僅かな手応えを感じる。それなりに・・・・・鍛えているヨルにとっては苦痛でも何でもないが、常人では1回でも息が上がる作業である。

 バケツを水で満たし、その中に雑巾を浸す。

 用が済んだ井戸に蓋をして、バケツと箒を携え正面玄関へと向かった。


 屋敷の顔である玄関は、掃除する場合も誰かに見られているという意識を持って行わなければならない。これから水が汚れるバケツを見せないよう物陰に隠してから、ヨルは箒を手に持ち掃除を始めた。ゆっくり丁寧に。しかしできる限り手早く塵や落ち葉などを集めていく。

 この屋敷の玄関には屋根が備えてあり、本来であれば上から掃除を行うのだが梯子が無いので致し方ない。上を見上げても汚れは見当たらないので、今日くらいは行わなくても問題は無いだろうとヨルは思う。無論後で侍女長には報告しておくことは忘れないが。

 纏めた物を塵取りに集め、傍らに置いて拭き掃除に移る。ちなみに今バケツに入っている雑巾は、この掃除が終われば処分される。なので基本的に用具入れにある物は新品である。

 水気を絞り、扉から手早く拭いていく。人の手が最も触れるドアノブは重点的に。


「よし。後は…」


 拭いたばかりのドアノブに手を掛け、少しだけ力を込める。すると小さくカチンと金属の音が響いた。


「大丈夫そうですね」


 仕掛け・・・を確認し、拭き掃除を再開する。

 玄関の掃除を終えれば、次に向かうのは屋敷の周り。ゴミを集め、外壁の汚れを拭く。そして設備を確認する。その繰り返し。


「ここは…どこでしたっけ」


 思わず口ずさむが、決して迷った訳ではない。設備の場所が分からなくなったのだ。

 屋敷の周りに数多く施された設備は巧妙に隠されており、その存在を知っていても見失うほどだった。


 カチン


「あっ。ありました」


 気付かないうちに設備を踏み抜いたヨルが呑気な声を上げる。

 顔の横に・・・・刺さった矢を引き抜き、歪んでいない事を確認してその設備に戻す。壁には先程刺さってできたものの他にも幾らか同じ菱形の穴が見受けられ、発射されたのは一度や二度ではないことが分かる。

 この屋敷にはここの他にも様々な設備が存在しているが、それはこの屋敷が少々・・危険な地にあるが故だった。


 その後も掃除と、時折設備そのものを踏み抜きながら点検していくと、ふと外壁の高い位置に泥が付いたような汚れを見付けた。


「どうしましょうか…」


 軽く辺りを見回すが、梯子はおろか踏み台になりそうなものも無い。とはいえ、見付けてしまったものは処理しなければ。

 ヨルは何か手段があっただろうかと思考を巡らせ、ふと思い至った。


「これを使いましょう」


 そう呟くヨルの手には、いつの間にか長細い縄が握られていた。その先端には、金属でできた爪のようなものが取り付けられている。

 その爪がある方をグルグルと回転させ、屋根に向けて放てば、ガリッと引っかかる音が小さく響いた。軽く縄を引くが、落ちてくる様子は無い。

 それを確認しヨルは────……











 ……─────屋根の高さまで跳んだ。


 縄を伝って壁を登るにしても、足を着けた場所は汚れてしまう。ならば、着けなければ良い。そう考えたヨルの、至って普通の行動だった。


 落下しながら垂れ下がる縄を掴み、片腕の力のみでぶら下がりながら汚れを拭き取る。


「よし」


 傍から見れば何がよしなのか分からないが、ひとまず目的である掃除は完了した。

 縄から手を離し難なく地面へと着地すると、下から縄を波打たせ爪を外して回収する。そしてもう必要が無くなった縄をクルクルと小さく纏め、服の中へと仕舞い込んだ。これは元々、ヨルが常日頃から持ち歩く道具の一つ・・だったのだ。


「おや、もうこんな時間ですか」


 仕舞うついでに持ち歩いている時計を取り出せば、思っていたよりも時間が経っていたことが確認できた。そろそろ朝食の時間だ、と掃除道具を纏めて戻ろうとすると、グイッと足が掴まれる感触が返ってきた。


「あ」


 短く言葉を吐き、手にしていた掃除道具を急ぎ手放す。すると次の瞬間、一気に足が茂みの向こうへと引きずり込まれた。しかしヨルはそのいきなりの出来事に動揺することなく、体勢を崩される前にソレを見定め、的確に刃を振るう。その直後、腕に伝わる確かな感触とともに力が弱まるのを確認すれば、その場から勢い良く飛び退く。

 距離を十分に取ったところで足に絡み付いたままの切れたを手で払い除け、小柄なナイフを片手に相対するソレを鋭く睨みつけた。




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