第10話 偽物か本物か

 長い歴史を持つ姚黄国からすれば蒼鹿国は歴史の浅い小国に過ぎない。貿易こそすれど、向こうは野蛮な民族の国だと見下している。それは貿易取引時の商人の横柄な態度からひしひしと感じ取っていたし、使節団を送った時の官吏の対応からも伝わってきた。

 向こうがこちらを虫けらかそれ以下だと思っているのは明白だった。しかしそんな姚黄国から突然、大使とともに親書が届いた。


 親書には北部地域で暴れまわるウシハ族を牽制し、互いの利益を守るのために同盟を組まないかという提案が書かれていた。

 正直なところ、そんな話を持ちかけられて驚いたし、どういった風の吹き回しかとも思った。

 ――これには裏があるのではないか、と斜に構えた見方をしてしまう。

 とはいえこちらもまた、長年ウシハにはやきもきさせられていた。姚黄国以外の国と取引をするために送った隊商が何度かウシハに襲われていたのだ。


 北方の守りを強固にするためには東にある姚黄国とは良好な関係を保っておく必要がある。今は安定していても何かの拍子で衝突すればこちらはひとたまりもない。

 よって、惺嵐は姚黄国の提案を受け入れることにした。同盟を結ぶとなれば不安材料が一つ減る。これで大手を振って北方に兵力を投入できる。

 だが喜びも束の間、話をのんだ途端に向こうから縁談――いわゆる政略結婚を持ちかけられた。


 惺嵐は三年前に逝去した先王の息子で今年二十歳になる若き王だ。

 国内外の情勢を安定させるために一、二年は政務に奔走し、昨年やっと一段落ついたところだった。時を同じくしてその頃から縁談話が持ち上がるようになっていたが、王妃を迎えるのはまだ早いと思って毎回断っていた。


 真の狙いはこれだったのかと惺嵐は後になって気づき頭を抱えたが時既に遅し。断れば姚黄国の心象を損ない、現状よりも不安定な関係になる。

 自分の身一つで丸く収まるのならと惺嵐は最終的に話を受けることにした。

 そうして今に至るのだが婚礼の儀ではじめて莉珠の姿を認めた時から惺嵐は静かに怒っていた。



「あの娘が公主だなんて到底信じられない。その辺で拾ってきたと言われた方がしっくりくる」

 向こうから縁談の話をしてきたのだから恐らく彼女は本物の公主だろう。だが、身代わりとして立てたのなら随分とお粗末だ。

(何にせよ、とんだ花嫁を押しつけられた)

 惺嵐はやり場のない憤りから奥歯をぐっと噛みしめた。


 もう婚礼の儀は済ませてしまったし、祝宴でお披露目もしてしまった。今更離縁して送り返すことはできないし、そんなことをすれば公主を辱めたとして姚黄国が抗議してくるに決まっている。

 こちらは公主が本物かどうかの証明ができない。本物であろうとなかろうと向こうが『公主を嫁した』と主張すればそれが真実になる。

 そして万が一にもここで関係がこじれたら同盟を解消される危険性がある。最悪の場合、メンツを潰したという大義名分から侵攻してくるかもしれない。

 考え過ぎて頭痛を覚えた惺嵐は眉間を揉むと深い溜め息を吐く。



『婚礼の儀で誓いを立てた時から私は蒼鹿国の王妃。私はあなたと運命を共にし、国のために尽くします。この気持ちに嘘偽りはありません!』

 先程の莉珠の言葉が頭の中で突然再生される。

 挑むように眉を上げ、力強い眼差しでこちらを見据えていた。痩せた小さな身体なのに、一体どこにあれだけの気迫があるのかと惺嵐は心底驚いた。


 あの時、確かに惺嵐は気圧された。そしてよく分からない衝撃が走った。

 惺嵐は眺めていた掌をグッと握り締める。

(もしもあの人の言っていたことが本当なら、王妃は……)

 すると不意に背後で人の気配を感じた。

「あんまり長居しいてると身体を冷やすよ」

 後ろを振り向くとそこには上背のあるしっかりとした体格の青年が立っている。

「部屋から飛び出してきたかと思ったら。やっぱりここにいたんだねえ」

 褐色の肌に黄金色の瞳。さらさらとした髪は銀色で、伸びたうなじの髪を後ろで一つに結んでいる彼は側近の翠月すいげつだ。


 翠月は死の砂漠の向こう側にあるオアシス都市国家の出身で、商業を得意とするティリヤ族の一人。彼の父と惺嵐の父は古くから親交があり、惺嵐もまた幼い頃から翠月と交流があった。いわば、幼馴染みのような存在だ。

 そのため二人きりの時は主従関係はなく、砕けた言葉を使う。

 翠月はこちらに寄ってくると惺嵐の肩にぽんと手をのせて目を眇めてきた。

「初夜を迎えなかったとなれば宮殿中が大騒ぎになる。瑛華様が肩身の狭い想いをするやもしれないけどいいのかい?」

「……卑劣な国から嫁いできた女の相手なんてごめんだ。俺の知ったことじゃない」


 ムッとした表情をしていると翠月がまあまあと言ってなだめてくる。

「確かに姚黄国が縁談を持ち出したのは同盟を結んだ後だったけど、嫁いできた瑛華様はとても可愛らしい方じゃないか。それに彼女を送り返したとなったら後で外交問題に発展するよ」

「翠月の懸念も分かる。だがあんな公主らしくない娘を嫁されて素直にあれが姚黄国の公主だと納得できるか? 答えはいいえだ」

 渋面を浮かべていると翠月が腕を組んで首を傾げる。

「そこまで言うならなんで紅蓋頭こうがいとうを外した時に儀式を取りやめなかったんだい? その時点でならまだ後戻りはできた」

「それは……」

 惺嵐は言い淀む。

 すると翠月は焦れたように言った。


「だったら今から宮殿の外へ追い出すかい? 祖国から遠く離れた地に放り出され行く当てもなく、寒空の下で過ごさないといけないのは酷だよ。生き抜く術を持っていなければ凍死は確実だね」

 自身の身体を抱き締めてぶるぶるとわざとらしく震える翠月。

 惺嵐はそれを一瞥すると額に手をあてた。

 あんなに痩せた少女を宮殿から追い出せば数日と経たないうちに死ぬ。

「…………追い出せ、とは言っていない。死んで化けて出られたら困るからな。あと向こうには、王妃としては認めると伝えてある。お飾りでもそれなりに役に立つだろうからな」

「うわあ、ひどい。最低。下衆野郎」

 翠月が軽蔑するような目で見つめてくるので、惺嵐は首を横に振る。


「最低なのは俺じゃなくて姚黄国の方だ。……そろそろ自室で休む」

 話は終わったという風に惺嵐は手を振ると翠月の横を通って梯子へと近づく。

 しかし、途中でぴたりと歩みを止めると、振り向きもせずに言葉をつけ加えた。

「王妃には食事をきちんとらせろ。あんなに痩せていてはここの冬を越えられない」

「御意」

 手早く命じた惺嵐は今度こそ梯子を下りて帰っていった。



 翠月は拱手して惺嵐を見送る。彼の気配がなくなったところで上体を起こすと、肩をすくめた。

「まったく、あまのじゃくなんだから。それにしても惺嵐はあのことを気にしてるのかねえ」

 だから婚礼の儀を中断せずに夫婦の契りを交わしたのだとしたら。

 翠月は顎に手をやりながらニヤリと口端を持ち上げる。

「…………それなら随分、可愛いところがある」




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