第9話 向けられた猜疑心

「……え?」

 莉珠はその問いに面食らい、青ざめた。

(まさか私がお姉様ではないことがバレてしまっているの?)

 瑛華は、惺嵐が自分の顔を知らないと言っていた。それなのにどうして惺嵐は莉珠が偽物だと見抜いたのだろう。


(今はこの場をどうにかして切り抜けないと)

 莉珠は深く息を吸い込んでから口を開いた。

「何を仰いますか。私が姚黄国の瑛華で間違いありません。その証拠にあなたから贈られた玉の腕輪をずっと肌身離さずつけていました」

 莉珠は腕につけていた玉の腕輪を取ると顔と同じ高さまで持ち上げる。

「お疑いなら、本物かどうかこの玉で確かめてください」

 そう言って惺嵐の前へと突き出した。


 惺嵐は無言のまま腕輪を手に取るともう片方の手で金細工の部分を撫でる。

「確かに。これは俺が姚黄国の公主に贈ったもので間違いない」

「ではっ……」

「しかしこれだけでは姚黄国の公主だという証明にはならない。……まさかこんな貧相な女を公主と言って嫁するとは」

 一段と低い声で発せられたので、莉珠は息を呑んだ。

 彼は莉珠の見た目があまりにも公主らしくないせいで偽物が来たのでは? と疑っているのだ。


(私は公主ではあるけどお姉様じゃない。もしそのことを正直に話したら……)

 邪針が発動して壮絶な苦しみをもって死んでしまう。

 莉珠は引き攣りそうになる表情を抑え込み、代わりに笑みを浮かべると精一杯の虚勢を張った。



「確かに私は貧相な見た目をしていますが、紛れもなく姚黄国の公主です」

 皇帝は同盟の証として瑛華を降嫁させるといっていた。結婚するはずだった瑛華ではないが、公主である莉珠には結婚する資格が充分にあるはずだ。


「先程も言ったが言葉だけでは何の証明にもならない。姚黄国は狡猾なところがあるからな」

「なっ……」

 きっとここに瑛華本人がいたとしても彼は端から疑ってかかるのだろう。

 惺嵐は首を傾げながら皮肉な笑みを浮かべる。

「ここには何が目的できた? 間諜をするためか? それとも俺を籠絡するためか?」

 確かに項貴妃からは王を懐柔させろと言われた。しかし、莉珠はそんなことしたくはないし、その術も持ちあわせていない。


 恐らく莉珠がここで否定しても惺嵐は何かにつけて反論し、詰問してくるだろう。それでは埒が明かないし、ずっと続けば心が疲弊して真実を漏らしてしまうかもしれない。

 莉珠は一歩前に出ると啖呵を切った。

「公主であることを証明しろと言われても、そんなものはありません。ですが……」

 莉珠は胸の上で手を重ね、意思の籠もった眼差しを惺嵐へ向けた。


「婚礼の儀で誓いを立てた時から私は蒼鹿国の王妃。私はあなたと運命を共にし、国のために尽くします。この気持ちに嘘偽りはありません!」

 なかば叫ぶように主張すると、惺嵐がわずかに目を見開いた。

 やがて、目を細めると見定めるようにじっとこちらを眺めてくる。未だにその眼差しは鋭く、莉珠はごくりと生唾を呑み込んだ。

(これでも追及されたら、どう切り返せばいいか分からないわ)

 腹底から恐怖が這い上がってくるのを感じてお腹を押さえていると不意に惺嵐の手が伸びてくる。


 莉珠は目をぎゅっと瞑って身構えた。

 嘘だとバレてしまったのだろうか。それとも真実を吐くまで打たれるのだろうか。

 項貴妃や瑛華からの折檻を思い出し、莉珠の身体は震えた。

 しかしいくら待っても身体には衝撃がこない。

 不思議に思って恐る恐る目を開けると、惺嵐が壁に刺さった短刀を引き抜いている最中だった。

 短刀を腰の鞘に収めた惺嵐はそれから無遠慮に莉珠の腕を掴むと手首に玉の腕輪をはめる。そうして小さな莉珠を見下ろしながらこう告げた。


「契りを結んだからにはおまえを王妃として迎えてやる。だが、迎えるだけで認めはしない。そしておまえと初夜を過ごすつもりはない。俺がおまえと寝所を共にすることは今後もないと肝に銘じておけ」

 冷たく言い放つ惺嵐は莉珠の返事を待たずして居室から出ていってしまった。






 ***


 居室から出た惺嵐は、風に当たるためにその足で宮殿の屋根に登っていた。昔から一人になりたい時はよくここに来て景色を眺めている。

 高い城壁の向こうには軒を連ねた建物が整然と並び、その先には草原と丘陵、そして死の砂漠が続く。


 死の砂漠は文字通り一度入ったら二度と生きては出られない恐ろしい砂漠である。

 春秋は砂嵐が吹き荒れ視界を遮り、夏は灼熱の暑さで身体の水分を蒸発させ、冬は酷寒が体温を奪う。四季を通してあの砂漠に足を踏み入れることは危険行為と言われていて、蒼鹿国の民なら誰もが足を踏み入れてはいけないことを知っていた。


 惺嵐は次に向きを変え東の方角を見つめる。先程と同じように城壁の向こうには整然と建物が並んでる。しかしそれより先にあるのは美しい山容の棲雲せいうん山脈だ。

 夜になるとその様子をはっきり眺めることはできないが、山頂の積雪している白色の部分がほんのりと月に照らされて垣間見える。


 棲雲山脈から流れる河の周辺では高品質な玉が採れ、高値で取引されている。特に姚黄国での人気は高く、主要な取引相手となっている。蒼鹿国の経済が潤っているのは姚黄国のお陰だと言っても過言ではない。

 惺嵐は棲雲山脈の頂をじっと見つめた。

(棲雲山脈を超えた先には東の大国、姚黄国がある。何本もの河に囲まれそれらに育まれた肥沃の大地では豊かな作物が実る。……こことは大違いだ)

 向こう側とこちら側は山脈を境に気候ががらりと変わる。


 姚黄国側は一年を通して比較的温暖で過ごしやすく、雨にも恵まれた土地だ。多種多様の作物が実り、食料には困らない。

 それに対して蒼鹿国は一年を通して昼夜の寒暖差が激しく、雨は滅多に降らない乾いた土地だった。農耕技術の向上で少しは作物が採れるようになったとはいえ、他国と比べれば収穫量は少ない。

 春は風が強く、夏は乾燥、冬は酷寒。もっとも過ごしやすいのは秋だが、秋も終わりを迎えようとしている今夜は厚手の羽織がないと寒い。

 しかし、今の惺嵐にとってこの寒さはざらついた心を落ち着かせるには丁度良い冷たさだった。



「……姚黄国から来た瑛華公主」

 惺嵐は先ほど莉珠を掴んでいた手を見つめた。

 彼女に触れてみて分かったが、想像していた以上に腕は細かった。

 細かった、というより痩せ細っていたという感想の方がしっくりくる。


 豊かな国の姫君であれば食べるものにも困らず蝶よ花よと大切に育てられてきたはずだ。なのに嫁ぎにきた彼女の見た目は想像とは随分かけ離れていた。

 身体は枯れ枝のように痩せ細り髪は艶もなく手指が荒れ、乾燥でひび割れている。

「随分と分かりやすく謀ってくれたものだ」

 惺嵐は舌打ちをすると悪態をつく。


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