第7話 邪針という呪い

「兄弟で女を楽しむ知能が低い野蛮な国の王なら、きっとおまえでも懐柔できるだろうよ。だって身のほどをわきまえないおまえの母親は陛下に取り入るのが上手かったんだもの。その娘ならこれくらい簡単でしょう?」

 蛙の子は所詮蛙だと項貴妃は嫌悪感を露わにする。

 これまで年頃の男性と関わりを持ったことがないので莉珠は自分が男性を前にしてどうなるのか分からなかった。

 それよりも蕎嬪の悪口を言われて悲しくなり「お母様はそんな人じゃない」と口にしたかった。しかし物心つく前に死別し、彼女のことを何一つとして知らない莉珠は言い返せない。


 どう答えていいのか莉珠は考えあぐね、結局何も思い浮かばず頭を垂れていると項貴妃が下卑た笑みを浮かべて次の言葉を続けた。

「おまえがあの国に嫁いでしまうのは寂しい。……だからお祝いに素晴らしい贈り物をしてやらないとねえ」

 項貴妃が言い終わるや否や、周りに置かれている何本もの蝋燭の影が風もないのに揺らめいた。


 影たちはぐんぐんと伸びていくと項貴妃のもとに集まって浮かび上がり、一つの塊になる。やがて蛇の形になったそれは莉珠に飛びかかり、足首に絡みつくと身体を這うようにして登りはじめ、縛り上げた。

「ひぃっ!!」

 莉珠が悲鳴をあげる頃には完全に動きは封じられ、そのまま床に倒れ込んでしまう。

 その間に項貴妃は緩慢な動作で懐から小物入れを取り出し、中から一本の赤みを帯びた黒針を取りだした。


 莉珠はその針が危険であることを本能的に察すると、拘束している影から逃れようと必死にもがく。

 その様子にご満悦な項貴妃は、莉珠の知らない言葉を使って黒い影に指示を飛ばした。影は命令に従って莉珠の右腕を床の上に貼りつけるようにして固定した。

 項貴妃は莉珠の側に腰を下ろすと針を見せつけるようにひらひらと動かした後、それを右腕の血管が浮き出ている部分へと打ち込んだ。



 その瞬間、皮膚は火傷を負ったみたいに熱を帯びじくじくとした痛みが走る。しかし、針がすべて体内へと入り込んだ後はそれもすっかりなくなってしまった。

 何の変化も起きないことに莉珠が目を白黒させていると、項貴妃が言葉を唱えて影の拘束を解く。

 影は再び分離して各々の蝋燭のもとへ帰ると火の動きにあわせて揺らめきはじめた。


 起き上がった莉珠は針が打たれた部分をじっくりと観察する。

 どこにも打たれた痕はない。夢でも見ていたのだろうか。

 そんな感覚に陥っているといつの間にか項貴妃が莉珠から離れて椅子に座っていた。

「今のは一体……」

「これは邪針じゃばりと言ってこなたの一族の女に伝わる秘術よ。作り方は針に蠱毒のムカデから採取した毒を含ませ、特殊な術をかける。ムカデの毒が多ければ多いほどその効力は増す。これはムカデ三匹分の毒が含まれているからそれなりに強力よ」

「……そ、それを使って、何をするつもりですか?」


 蠱毒のムカデと聞いた時点で体内に打たれた針が害悪であることは明白だ。

 莉珠が顔色をなくしていると瑛華がクスリと笑ってから何をしたのか教えてくれた。

「これは口封じの術。もしおまえが身代わりの公主だと蒼鹿王に告げようものなら、壮絶な苦しみを与えるようになっているのよ。口にしたが最後、この針はおまえの体内で暴れ回って臓器を傷つけ、最終的に心臓を貫くわ」

 愉しそうに残虐非道な秘術を説明してくれる瑛華に莉珠は堪らず声を呑んだ。

 とんでもない呪いをかけられてしまった!

 しかし知ったところで後の祭りだ。今更どうにもできない。


 針を取り出そうにもどうやって取り出せばいいのか分からないし、打たれたところを指で触れてみるが、固い針が入っている感覚はどこにもなかった。

 打ち震えていると項貴妃が高笑いをする。

「嗚呼、可愛い莉珠。おまえの絶望している顔がこなたは一番好き。苦しむ姿が見られなくなるのは本当に残念ねえ」

「……っ」

 こちらは命が脅かされているというのに、二人は普段と変わらない様子を見せている。やがて、項貴妃は何かを思い出したというようにはたと膝を打った。

「そうそう、邪針のことを王に告げても死んでしまうから気をつけなさい。どのみち、自分の身体が汚れていると告白するようなものだから言わぬが花よ」

 項貴妃が艶然と微笑みながら莉珠に忠告すると最後にこう締めくくった。


「――……簡単に死ねると思ったら大間違いよ。どこへ行こうとおまえの命はこなたが握っている。そのことをゆめゆめ忘れぬことね」

 その言葉は莉珠にとって邪針よりも重たい呪いだった。

 祖国から遠く離れた地へ嫁いだとしてもこの身体と命は項貴妃の手の内にある。本当の意味で自由を得られることはできないのだ。

「さて。婚姻の証である玉をつけないとね。これからおまえは一生を瑛華として過ごすのよ」

 項貴妃が掌を上にしてふうっと息を吹きかけるとたちまちその上には玉の腕輪が現れる。その腕輪は瑛華が皇帝からの贈り物だと自慢してきた金細工があしらわれたものだった。


(あれは蒼鹿国の国王陛下が婚姻の証に贈ったものだったんだわ……)

 莉珠がじっと眺めている間に項貴妃が王荘を呼んだ。

 部屋の外で待機していた王荘は入ってくるなり項貴妃に向かって拱手する。

「王荘、後のことはおまえに任せる。……瑛華、行きますよ」

「はい、お母様。莉珠、私に代わってしっかり務めを果たしてきなさい」

 クスクスと愉しげに笑う項貴妃と瑛華は椅子から立ち上がると部屋から出ていった。


 莉珠が呆然と佇んでいると王荘がこちらに近づいてくる。手には手巾が握られていて、莉珠はそれを口元に押し当てられた。

「んんー!」

 独特の甘い香りが鼻孔を通り抜けると、身体の力が抜けて急激な眠気に襲われる。

 焦点の定まらない視線を王荘へ向けると彼は淡々とした声で言った。

「次に目が覚めた時、あなたは後宮の外にいることでしょう。心配には及びません。すべては整っておりますゆえ。無事に蒼鹿国の王のもとへと届けて差し上げましょう。――

 瞼が完全に閉じてしまう。莉珠の意識はそこで途切れた。


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