第3話 災いを招く赤眼2
先ほどとは打って変わって明るい声を上げた瑛華はニヤリと口端を吊り上げる。
「昨夜開かれた宴は
瑛華は手をあわせながら宴の様子を詳らかに語った。兄である公子や皇太子、そして父の皇帝が一同に集まって楽師の演奏や踊り子の舞を愉しんだという。
莉珠には兄妹が三人いる。二人の兄は皇后の、そして瑛華は項貴妃の子供だ。
「昨夜はお兄様たちがわたくしのために剣舞を披露してくださったの。二人の雄々しい姿は虎も獅子も尻尾を巻いて逃げてしまうと臣下たちが話していたわ!」
うっとりとした様子で語る瑛華。話を聞いているだけで、宴がどれほど素晴らしかったかを窺い知ることができる。
(私も参加したい……お兄様やお父様に一度でいいから会ってみたい)
莉珠が憧憬を抱いていると瑛華がクスリと笑った。
「わたくしは優しいから教えてあげるけど、お父様もお兄様もおまえのことなんてすっかり忘れていたわ。その証拠にわたくしにだけ玉の腕輪を贈ってくださったの」
瑛華は裾を巻くって金細工があしらわれた乳白色の腕輪を見せつけてくる。
「……とても……綺麗ですね」
短い感想を口にしてから莉珠は眉尻を下げると唇を引き結ぶ。
「おまえは贈り物をされたことがないから可哀想。わたくしが同情してあげる」
「……」
悲しいのは玉の腕輪がもらえなかったからではない。皇帝たちに覚えてもらえていないことを痛感したからだ。
(お父様は物心つく前で、お兄様にいたっては一度もお会いしたことがない。私のことが話題にも上がらないのは仕方がないことだけど。……だけど)
少しでもいいから自分を気にかけてくれたらいいのに、と莉珠は思う。
何故なら、それだけで幸せな気持ちになれるから。
どんな贈り物よりも心が満たされるから。
胸が張り裂けそうなくらい悲しい気持ちになっていると瑛華が追い打ちをかけるように忠告してきた。
「いいこと。間違ってもお父様やお兄様を恨むんじゃないわ。恨むならおまえ自身を恨みなさい。だっておまえの瞳は災いを呼ぶ赤眼なんだもの」
「……はい。誰も恨んだりはしません」
莉珠は赤色の目を伏せると震える声で言った。
瑛華が言うように莉珠は赤色の瞳を有して生まれてきた。
姚黄国では黒色や茶色、榛色の瞳が一般的で赤色の瞳というのは珍しい部類だ。そのため、初めて莉珠の瞳を見た者たちは吃驚し不吉の予兆ではないかと騒ぎ立てた。
とはいえ、赤色の瞳が災いを呼ぶかどうかは歴史を辿っても例がなかったため、皇帝は些末ごととして取りあわなかった。
――莉珠の周りで立て続けに不幸が起きるまでは。
母・
世話をしてくれていた乳母は井戸に落ちて溺死した。莉珠が一歳の時だ。それから年老いた女官が三歳まで育ててくれたが彼女もまた急死した。次も、またその次も。莉珠が十歳を迎えるまでに数人の女官が不可解な死を遂げた。
莉珠と関わった者が立て続けに死んでしまったことで後宮内ではこんなことが囁かれるようになった。
――赤眼には災いを呼ぶ力がある、と。
そのまことしやかな噂は瞬く間に後宮中に広まり、莉珠は周りから恐れられると同時に疎まれるようになった。
また、皇帝は莉珠に二度と会わないとした。万が一、天子の身に障りがあれば政が滞り、民の生活にも影響が波及してしまうからだ。そして莉珠の世話を瑛華の母・項貴妃に命じた。
瑛華は莉珠の二つ上で歳も近い。何より項貴妃は道術に精通していて災いを対処する術を心得ていた。
項貴妃は皇帝の命に従って災いを抑える
これのお陰で莉珠は柳暗宮の外へ出られるようになり、大いに喜んだ。
佩玉さえあれば周りの目も変わっていつか皇帝に会える日が来るかもしれない。成長した自分の姿を見てもらえるかもしれない。
そんな淡い期待を胸に抱く莉珠はその日がくることを心の底から願っていた。
ところが、莉珠の願いは陶器のように粉々に砕け散ってしまった。柳暗宮から出られるようになって、数日と経たないうちに皇后が倒れてしまったのだ。
皇后つきの女官が呼んだ天師によれば、皇后と莉珠との間に因果関係はないらしい。だが、皇后の体調は依然として芳しくなく、回復の兆しは見えない。
彼女の容態を悪化させないためには莉珠に自由を与えてはいけないという意見が後宮内で頻繁に上がった。
かくして莉珠は皇帝に会う日が来るどころか、その行動範囲は後見人である項貴妃のいる福寿宮までと制限されてしまった。
今では体調が優れない皇后に代わって項貴妃が後宮管理や祭祀の仕事を取り仕切っている。莉珠に対する周りの目が変わることはなく、以前と変わらず敬遠されたまま。そして皇后が病気がちになって以降、莉珠に対する皇帝の関心はなくなった。
「お母様が作った
佩玉の他にも福寿宮と柳暗宮一帯は保険として項貴妃の災い封じの術がかけられている。莉珠が安心して外へ出られられるのも、女官が食事を届けにきてくれるのもこのためだ。
「お二人には自由をいただきとても感謝しています」
莉珠は正座をすると額を床にこすりつける。
すると不意に、凜とした美しい女性の声が聞こえてきた。
「――瑛華、こんな場所にいつまで留まっているの」
瑛華の背後から現れたのはたくさんの女官や宦官を引き連れた年齢不詳の美女――項貴妃だった。
彼女は一緒にいれば日頃の疲れを癒やしてくれるような優しい面差しをしている。
陶器のように滑らかな白い肌はきめ細やかで皺一つなく、子供を産んだというのに身体はしなやかで美しい。大人の色気をうまく身にまとう女性だった。
皇帝からの寵愛を一身に受け、皇后の次に高い権力を持つ妃。それが項貴妃だ。
莉珠はハッとすると慌てて項貴妃の前へ移動した。床に膝をつき手を前に出して胸の位置で重ねると、頭を下げて挨拶をする。
「項貴妃様にご挨拶を申し上げます」
莉珠の心臓の鼓動が速く脈打ちはじめる。身体が震えそうになるのを必死で耐えていると衣擦れの音が聞こえてきた。そして次に、頭に鋭い痛みが走った。
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