三流の探偵

てこ/ひかり

一流館の殺人

「いいかい? 一流の探偵になるんだよ」


 お爺ちゃんはそうほほ笑んで、いつも私の頭を優しく撫でてくれた。


「一流の探偵になるには、たくさん勉強して、もっともっと人間のことや、世の中のことを知らなきゃいけないよ。それから事件現場は危ないから、体も鍛えなくちゃいけない。たくさん本を読んで、たくさん運動して、もちろんたくさん遊んで、リオも立派な人間になるんだよ」

「うんっ、わかった! おじいちゃん!」

「良い子だ」

「えへへ……」


 おじいちゃんに撫でられながら、私はニコニコと笑った。

 よぉし、私がんばるぞ。


 私もいつか絶対、おじいちゃんみたいな一流の探偵になる! 

 一流の本を読んで、一流の映画を観て、一流の絵画に触れて、一流の人たちと友達になって、一流の大学を出て、一流企業に就職し、そして一流の……。



「他人を見下してばかりで、つまらない生き方だなぁ」

「あ?」


 車内はひどく蒸し暑かった。先日からエアコンが壊れ、それでいて持ち主は直そうともしない。アスファルトから立ち昇った茹だるような熱気が、窓を全開にしていても押し入ってきた。


「いやねリオ君、僕ァ、今回の事件のあらましを思い返していたんだけどね」

 

 リオと呼ばれた、制服姿の金髪少女が顔をしかめた。アクセルを踏むたび、ガタガタと激しく車体が揺れるので聴き取り辛いことこの上ない。その隣でポンコツ車の持ち主……拓木直流ひらきなおるが片手でハンドルを握ったまま汗を拭った。


「一流の避暑地に建てられた、一流の御麗人たちが集う通称・『一流館』……そこで起きた一流の殺人事件」

「一流の殺人事件ってなんだよ」

「だけど御麗人たちには、そんな下卑た事実は認められない」


 直流が肩をすくめた。こちらは痩せぎすの、何処か飄々とした男だった。


「集まっているのは一流大学の御令嬢に一流企業の御子息、さらには一流政治家や王族、一流の物乞いまで。殺人事件の捜査だなんて、痛くもない腹を探られて華麗なる経歴に傷を付けたくない。そこで秘密裏に僕が呼ばれた訳だ」

「いざとなったら口封じで殺せる使な」

「フフン。殺人事件の推理に赴いて殺されるなんて本末転倒だが……しかし彼らなら本当にやりかねないよ。いつだって上から目線で、なんとも鼻持ちならない連中なんだ。一流、一流って、まるで自分たちが特別な人間みたいに。僕から言われせば、あんなものはただのさ」

「…………」

「だが……ふむ。エアコン代くらいは稼がないとな」


 直流の頬を、大粒の汗がダラダラと零れ落ちて行く。車は素っ頓狂な爆音を上げ、やがて人気のない山奥へと登って行った。晴れ渡った空には薄く雲がかかり、ギラつく太陽の周りをのんびりと優雅に泳いでいる。2人が『一流館』にたどり着いたのは、それからしばらくして、正午を過ぎようとしていた頃だった。


 

 果たして山の上にあったのは、お城と見間違うほどの豪奢な建物だった。

 鬱蒼と生い茂る一面緑の中に、突如異界が現れたかのように、煉瓦造りの巨大な城壁が視界に飛び込んでくる。遥か上空に聳える三角屋根の上には、金色の獅子が描かれた朱色の旗が、風に揺られパタパタとはためいていた。2人は圧倒されるようにぽかんと城壁を見上げた。


「此処が……『一流館』」

「すげえなオイ」

「だけど……どうやって入るんだろう?」


 直流が首を傾げた。2トントラックでも悠々に入れそうな巨大な観音開きの門は、門番の影もなく、しっかりと閉ざされたままだ。呼び鈴のようなものも見当たらず、直流たちは路上で立ち往生する羽目になった。


「もう一回電話してみろよ」

「それが、さっきから山奥で圏外になっててね」

 やがて車から降りた直流は、フラフラと城壁に近づいていった。


「しょうがない。きっと何処かに隠し扉があるはずだ」

「オイ! 不法侵入する気かよ!?」

「三流だからね。いちいち許可は取らないよ」

「お前……」


 助手席から降りてきたリオは、呆れたようにため息をついた。この男はいつもそうなのだ。自分が三流なのを良いことに……他の者は皆、向上心を持って高みを目指しているというのに。


「あった!」

「オイ、やめとけって……」

「行くよ、リオ君」


 直流は茂みの奥に隠されていた小窓から、当然のように中に入っていった。リオは再びため息をつき、渋々後に続いた。全く、この男に出会ってから、私の人生は滅茶苦茶だ!


「ごめんくださーい!」

「誰もいないな」

「みんな殺されちゃったのかなあ」

「じゃあ犯人は何処行ったんだよ」


 城壁の中は広大な空間だった。空に聳える何本もの塔。錦鯉が優雅に泳ぐ、噴水付きの池。向こうにはテニスコートに、露天風呂も見えた。何処ぞのレジャー施設と見間違うほどの光景に……実際にそういった施設を改装したものらしい……しかしその何処にも、人の影が見当たらなかった。


「変だな。鍵が開いているよ」

「待てって! オイ!」


 重厚な塔の一つに近づき、中に入ろうとする直流に、リオは慌てて追い縋った。


「罠だったらどうするんだよ!?」

「罠?」

「怪しいだろ、いくらなんでも。もし中に死体があったらだな、迂闊に入ってみろ、お前が犯人だって疑われる羽目に……」

「三流だから、そんなもんでしょう!」

「えぇ……」


 果たして塔の天辺では、黒い和服姿の、妙齢の女性が死んでいた。蝶の柄の着物の上に、艶やかな鮮血が飛沫を上げている。


「なんてスピード展開だ。これじゃまるでコメディ作品だよぉ」

「本格推理小説だとでも思ってたのか」

「これ、何だろう?」

「オイ、バカ……!」


 直流が床に落ちていた小刀をヒョイと拾い上げた。次の瞬間。案の定というか、物陰に隠れていた男たちが飛び出してきて、2人を荒々しく床に組み伏せた。


「犯人確保!」

「きゃあぁっ!? 助けてぇ!」

「離せ! ※※が!」

「現行犯逮捕……私人逮捕だ! お前らをこれから法の枠外で私刑にする!」


 かくして2人は両手両足を縛り上げられ、地下牢に閉じ込められてしまった。鉄格子の向こうで、頭にすっぽりと三角頭巾を被った監視役が嗤う。


「引っかかったな。あの死体は囮よ。お前らを犯人に仕立て上げるために、わざとあの女を殺しておいたのだ。うわはははは」

「バカじゃねえの」

「助けてください。何でもしますから」

「お前はもうちょっとプライド持てよ」

「配信の準備が出来次第、お前らは磔で火炙りよ。100万再生は固いぞぉ。うひひひひ!」


 やがて監視役が出て行った。地下牢には灯りもなく、暗がりの中、直流が啜り泣きを始めた。


「どうしてこんなことに……」

「全てお前のせいだよ。私は止めたからな!」

「僕はただ……中途半端に生半可に、付け焼き刃で殺人事件にちょっかいを出し、その上前を跳ねようとしていただけなのに……」

「原因はそれだ」


 やがて2人は中庭に運び込まれ、マーライオンの隣に建てられた十字架に縛り上げられた。周囲に覆面三角頭巾たちが集まってくる。頭巾共は2人を囲むと、跪き、呪文のようなものを唱え出した。何やら怪しげな儀式でも始まりそうな雰囲気である。その中でも一番偉そうな、白い三角頭巾が松明を掲げ、2人に向かって厳かに宣言した。


「何か言い残すことは無いか」

「犯人はあなただ!」

「今更遅えよ」

「此処は一流の人間が集う『一流館』。三流風情が足を踏み入れて良い場所ではない!」

「じゃあ呼ぶな!」

「黙れ! 貴様らのような向上心の欠片もない、僻み根性の染み込んだ負け犬を見ていると虫唾が走るのだ。世の中には本物の、一流の人間だけが居れば良い。偽物曲者二流者は、全員根絶やしにしてくれようぞ!」

「司祭様! 同接10万人突破しました!」

「火を点けろ!」


 足元の薪に火が灯された。たちまち黒い煙が立ち込め、薄闇の中パチパチと火花が弾ける。


「何か、岩魚の串焼きみたいだね」

「お前はもう黙ってろ!」

「うわはははは!」

「うわはははは! 岩魚の串焼きって!」

「うわはははは!」

「ウケたのかよ」


 思いの外笑いのツボに入って、三角頭巾たちは腹を抱えて身悶えした。リオたちが一流の笑いのツボに戸惑っていると、突然マーライオンの頭がパカっと開いて、中から人影が飛び出してきた。


「むむッ!?」

「何奴!?」


 頭巾たちが身構えた頃には、もう遅かった。人影は持っていたテーザー銃で次々と三角頭巾を倒し、あっという間にその場を制圧してしまった。広々とした中庭に悲鳴と歓声が交錯する。


「お前……」

「双龍君! 助けに来てくれたんだね!」

「大丈夫ですか、師匠」


 黒いタイツに身を包んだ男が、最後の1人を気絶させながら、ニコリと笑った。現れたのは直流の探偵事務所で飼い殺し……いや雇われている、双龍人影にりゅうひとかげと名乗る若い忍者だった。忍者て。


「まさかマーライオンが伏線だったなんて……」

「ンなワケあるか。こんな行き当たりばったりのご都合展開があるかよ」

「何という早技! まるでコメディ作品だ!」

「師匠が敵を引き付けてくれたおかげで助かりました」

「引き付けたどころか、絶体絶命だったけどな」

「そうやってわざと下手したてに出て、相手を浮き足出たせ油断させる……さすがです、師匠」

「お前の目は節穴か?」


 忍者・人影は器用に縄を解き、2人を解放した。


「やれやれ。とんだ事件だったね」

 直流は司祭の頭巾を取った。その顔を見た途端、リオは大きな声を上げた。


「お、おじいちゃん!?」

「おじいちゃん?」

「うぅ……リオ……」


 頭巾の下から現れたのは、何と一流の探偵であるリオの祖父であった。リオは怒れば良いのやら泣けば良いのやら、何とも言えない表情で言葉を絞り出した。


「おじいちゃん……どうしてこんなことを……」

「うぅ……すまない……」

 白髪混じりの老人は、顔中の皺をくしゃくしゃにして嗚咽を上げた。


「ワシは……ワシはいつも上を見上げるばかりで……いつの間にか足元が覚束なくなっていたようじゃ……」

「…………」

「一流にこだわるあまり……大切なものを見失っていたようじゃの……」

「おじいちゃん……」

「すまない……すまないリオ……!」



 その間に忍者が手際よく警察に連絡し、やがて夥しい数のパトカーが古城に到着した。罪を償う時が来た。三角頭巾のカルト集団がゾロゾロと連行されて行く。2人は去っていく赤いサイレンを見つめながら、しばらくその場に佇んでいた。


「一流……か」


 遠い目をしてボソリと呟いたリオの肩に手を置いて、直流がぎこちなく笑った。


「まぁ……その、何だ。リオ君」

「…………」

「一流の食材を食べれば、すぐに一流の人間になる訳でもないし……」

「…………」

「むしろ出てくるウンコは一流のウンコだろうが三流のウンコだろうが、ウンコには変わりない訳で……」

「…………」

「何ていうか……殺人はやっぱり良くないよね」

「…………」

「良くないよね……殺人は……えっと」

「用意しとけや! 最後の決め台詞くらい!!」


 女子高生を慰めようとして、うっかりウンコの話をしてしまった直流は、引き返してきたパトカーに乗せられ、犯人たちと共に連行されて行った。リオは一流とか三流とかどうでも良いから、真っ当に生きようと思った。その後三流の探偵は逮捕され、裁判で死刑が確定した。めでたしめでたし。


 何? 酷い話? いやいや、三流だから、こんなもんである。

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三流の探偵 てこ/ひかり @light317

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