第4話

 同窓会は、職場の飲み会や忘年会で行くような場末の居酒屋ではなく、立派なパーティー会場で行われた。

 自分が酷く浮いている気がして息が詰まる。


居宿いすき! 居宿だよな!?」


 身を竦めていると、声をかけられた。懐かしい声に顔。最近ノスタルジーとの会話にも出た人物。


「……久しぶり、早瀬」

「なんだよ、その間。忘れられたかと思ったじゃんか! ケガまでさせられたのにさー」


 ケガ、というのは体育の時の衝突事故の話だろう。下手なくせに必死に参加しようとした僕が、ボールを持つ彼にぶつかって捻挫させてしまった、バスケの授業の話。

 彼は当時も、何度もその話を掘り返した。

 根に持っているわけでも怒っているわけでもないのは分かっていたけれど、過去の非を取り上げられて、謝る以外になんと返せばいいか分からなかった。

 当時の僕は。


「忘れないよ。どれだけノート写させてあげたと思っているのさ」

「うっ」

「窓ガラス割った時も代わりに怒られてあげたっけね」

「悪かったって! すみませんでした!」


 頭を下げる彼と、軽く口撃しあって、それから二人で笑う。

 最初からこうやって、笑って水に流し合えばよかったんだ。大人になって、過去に浸ってやり直したりしなければ、きっと出来るようにはならなかっただろう。

 しばらく早瀬の側にいて、やってくる人たちと他愛のない会話を楽しんだあと、頃合いを見て会場の端に避難する。

 立食形式で良かった。元々仲のいい相手など殆どいなかった身で、あまり覚えていない人達と同席し続けるのは精神的にきつい。

 それに。昔から僕は、こうして楽しそうな皆を、少し外れた位置で見ているのが好きだった。


「居宿くん?」


 ぼんやりと会場を眺める僕の耳に入った声は、夜の校舎で会う彼女とはもう違っていたけれど。それでも、体の芯に響いてかつての思いを呼び起こす。


「久しぶり、賀古さん」

「うん。久しぶり」


 大人になった彼女は、もう女子高生の若々しさもなく、あんな気取った話し方もせず、こちらの内心を見透かしたような表情もしないけれど。

 こっちの方が、ノスタルジーよりずっと、あの頃の彼女の面影があった。

 そうだ。彼女は、こんな雰囲気の人だった。




「そっか。あの学校で先生してるんだ。凄いねぇ」

「いや、大したことは何も。生徒たちにも舐められてばかりだよ」

「親しまれているんだよ。居宿くん優しいから。数学も得意だったもんねぇ」


 ノスタルジーとの夜があったお陰か、それとも大人になったからか。

 自然と会話ができている。それでもやっぱり彼女の一言一言に喜んでしまうあたり、容易いのは僕の性分であるらしい。


「あの頃ね、数学すっごい苦手だったんだけど、居宿くんのお陰で私も頑張れたから。生徒さん達の気持ち、少し分かるなぁ」


 彼女は僕に、そう言ってくれた。今更だ、なんてあんなに尻込みしていたくせに、今でも変わらずそう言ってくれるのが嬉しくて。

 また君に、先に言わせてしまったのが情けない。


「僕もね。希美さんのお陰で頑張れてたよ」

「えぇ〜? なにそれ、どうしたの急に」

「ごめん、呼びたかったから」

「それもだけど、そうじゃなくてさぁ……酔ってる?」

「少しね」


 お酒のせいにして逃げてしまう。だけど、嘘は一つもつかない。伝え損ねることも、もうしない。


「僕も、仲良くなりたかったんだ。ずっと、伝えられなくてごめん」

「そんな、全然! 全然だよ」


 大げさにパタパタと手を振って、私も酔っちゃったかな、なんて顔に風を送る君は。

 こんな顔をしていたんだ。あの時頑張っていれば、もっと早く見れていたかな。

 それともこの道を辿ったから、見れたのかな。


「あの頃、希美さんに上手く説明するには、なんて、木曜日の前にはいつもシミュレーションしてたりしてさ」

「そうなの!? あ、でも私もね、そ、想くんにガッカリされたくなくて、全然解けなかった問題も無理やり変な式書いて空白だけは避けたりしてさぁ」


 今になって、あの頃の話を彼女とした。話せなかったことは、お互いにたくさんあって。

 僕の、自分に都合のいい妄想だと思っていたノスタルジーの言葉は、存外的を射ていて驚いた。




「そんな訳で、行ってきたよ。背中を押してくれてありがとう」

「……そうかい」


 次の木曜日の夜、夜の校舎で報告をした。ノスタルジーの表情はなんだか晴れない。


「何か不足でもあった?」

「……良かったのかい?」

「何が」

「見ただろう? 彼女の指輪」


 ああ、もちろん、見えていた。


「ちゃんと、結婚おめでとうって言ってきたよ」

「良かったのかい?」

「だから何が」

「好きだったんだろう?」


 なんだ。そんなことか。


「うん。好きよ。でもそれは、彼女じゃない」


 でなければ、わざわざ毎週毎週こんな時間まで、無理に仕事を引き伸ばしてまで居残ったりしない。

 わざわざ君を、あの頃のままの君を、この場所に生み出したりも。


「僕が好きだったのは、君だったんだよ」

「……君は、バカだね」


 寂しそうな、でもどこか満ち足りた笑顔を浮かべる君に見とれてしまって。

 はっ、と気づいたときには、もうそこに君はいなかった。

 まるでこれまでの全てが夢で、今まさに目が覚めたみたいに、綺麗さっぱり、消えてしまった。

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