四、
覆面の男たちの目には、数百、数千の、色とりどりの蝶たちが、自分たちの周りを舞い狂い、顔面目掛けて襲い掛かって来るように映っていた。
先ほど、左近が自分の名を声高に叫んだ時、特殊な訓練を積んだ左近の一種の「裏声」が、男たちの三半規管を撃ち、幻影を生じさせているのだ。
「おのれ!」
「よ、妖術か!」
刀を振り回す、男たち。
だが、実際には、彼らの周りには何も飛んでいなかった。
男たちの足元には、無数の細かな紙片が散らばっている。
もはや、男たちは、現実を見てはいなかった。
やがて男たちは、次々と同士討ちを始めた。
襲い来る蝶の群れを薙ぎ払うつもりで、仲間を斬り刻み、斃し斃され・・・
やがて、残り数人となった時、左近が足音もなく近付いて、静かにとどめを刺していった。
月明かりの下、覆面の男たちは全員が倒れ伏していた。
無表情に、それを見下ろす左近。
やがて、
「せっかく戦乱の世が治まったというに、何ゆえそれを乱そうとするか!」
呟くようにそう言うと、左近の姿は、スッと闇に溶けるように消えていった。
翌四月、神君家康公の七回忌を終えた徳川秀忠は、その帰途に宇都宮城に宿泊する予定を急遽取りやめ、そのまま江戸城へ帰った。
その後、宇都宮藩主の本田正純が、秀忠の暗殺を謀ったとして改易処分となった。
いわゆる「宇都宮釣天井事件」である。
しかし、極秘裏に進められていたその計画が、なぜ漏れたか、誰が幕府に伝えたか。
それを示す資料は、一切伝わっていない。
(了)
「忍法朧蝶(おぼろちょう)」如月左近忍法帖① コーシロー @koshirou
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