第22話:魔王の取引

 黙って立っているだけなら、まさに絶世の美女。

 エミも美女だが、タイプが違う。

 エミが清廉な見た目なのに対し、ティーアは妖艶な美しさがあった。

 大抵の男なら、ティーアに色目を向けられればそのまま魅了されてしまうだろう。


「なんで出てこられたんだ、ティーア」


 しかし、ティーアに対するナイトの目も声も冷たい。

 眉を顰めてティーアを睨んでいる。


「ぐわっははは! 忘れたのか、ナイトよ。我の行動可能範囲を!」


「いや、覚えているけど……」


「そう! 我の行動範囲は貴様の作った特定空間。つまりここもそれに当たるのだ!」


 大きな胸を張ってティーアがまた豪快に笑う。

 対してナイトは大きなため息をつく。


「そうじゃない。なんで天使界からこっちに来られたのか聞いている。界門は閉じておいただろうが」


「ああ。なんだ、そんなことか。『我もたまには外にでたい』と言ったら、エミの奴が開けてくれたぞ」


「あ……あいつ、何考えて……」


 ナイトは頭が痛くなったかのように、額に手を当てる。

 確かに魔王だと思われるティーアを人間界に放つというのは、どう考えても危険である。

 しかし、ロコはそれよりも気になる事がある。


(界門を開けた……って、エミさんってもしかして……)


 まさかとは思う。

 だが、界門を意図的に開ける力があるのは、天使エルミカだけのはずである。

 さらにロコは、手渡されたメンバーズカードを見る。

 このカードで【天使の原キャンプ場】に行けるとコルマンは言っていた。

 つまり、言い換えれば天使界への界門を開けるということだ。

 そんな力が宿ったカードを作れるのは、やはり天使だけなのではないだろうか。


「ところでナイト。彼奴あやつのことなんだがな」


 ティーアがそう言いながら、もう一体の魔王である【フーエル・リール】を指さした。

 そのティーアの口角が、グイッとあがっている。

 どう見ても何か企んでいそうな顔だ。


「キャンプ場で飼うぞ!」


「――はいっ!?」


 ナイトではなく、思わずロコが驚きの声をあげてしまう。


「ティーア様、お待ちください! 飼うと言ってもあれは――」


「ああ。みなまで言うな。わかっておる」


 ロコに掌を向けて、ティーアが言葉を遮る。


「彼奴を天使界に連れて行くというのが、どういうことなのか」


 ティーアが自信ありげに言う。

 ロコが言わずとも、ティーアならばあの魔物が魔王【フーエル・リール】である事など百も承知なのだろう。

 それをわかった上でティーアは、【フーエル・リール】を天使界へ連れて行こうとしている。

 つまり彼女には、なにか深い思慮があるということなのだろう。


「というわけでナイト、いいだろう?」


「何を言いだすかと思えば、バカなことを。だいたい、あんなでかい図体じゃ邪魔だろうが」


 ナイトの言葉に、まるでそう言われるとわかっていたかのようにティーアは胸を張る。


「それなら心配無用だ! あの巨体は、我と違い魔氣によって作られた疑似肉体。本体は、そこらの狼型魔物とサイズは変わらず、あの中心辺りに入っているからな」


「そうなのか。なら、まあ問題ないか……」


「いえ、ありますよね!?」


 思わずロコが突っこむ。

 いつもならサモスが突っこむところだと思うが、サモスは先の戦闘と突っこみで力尽きたのか、座りこんでしまっていた。

 というより、もしかしたら突っこむことをあきらめたのかもしれない。


 しかし、ロコとしてはあきらめるわけにはいかない。

 今、ティーアはとんでもないことを言ったのだ。


「ティーア様、本体は中にあると仰いましたよね!? ということは、本体は無傷ということになりませんか!?」


「うむ。その通りだ。操るために触覚や痛覚などは繋がっておるから、一時的に気を失っておるがな。そもそも死体になっておれば、キャンプフィールド展開で消えて……と言っているそばから、目が覚めたようだな」


 ロコは射貫くような意志を背中に感じ、ビクッと震える。

 同時に、バッと振りむく。


「――!?」


 倒れたまま、双眼がこちらを睨んでいた。

 たぶん、その視線はロコを向いていない。

 ナイトの方を向いているはずだ。

 それなのに、まるで自分が射殺されているような気分になり身動きがとれなくなる。


〈やってくれたな……人間……〉


 巨体がゆっくりと立ちあがる。

 その牙は口からはみ出し、低いうなり声が響いている。


〈オレ様にダメージを与えたあの技……貴様、救世主か〉


 交心術で伝わってくる【フーエル・リール】の声からは、強い怒りが伝わってくる。

 怒りだけではない。

 まるでその場にいるもの全てを呪っているかのような禍々しい響きがあった。


〈ぐわっははは! 残念だが、あれは技ではなく薪を投げただけだぞ〉


 だが、それをものともしない心の声で返したのはティーアだった。


〈それにナイトは、救世主ではなくキャンプ場のオーナーだからな〉


 【フーエル・リール】の視線がティーアに向けられる。


〈薪……オーナー? それはわからない。だが、貴様のことはわかる。魔王【ティーア・マッド】だな〉


 ティーアは応えない。

 緋彩の唇をかるく歪めるだけだ。


〈人間の身体作って受肉、それで人に飼われているとは……落ちたな、【ティーア・マッド】〉


〈それよそれ! 我もそれが気にいらなくてな!〉


 ティーアは両手を腰に当て、鼻を鳴らして顎を上げる。


〈我とて飼われる立場など不本意極まりない。そこで提案だ。我と手を組まんか、【フーエル・リール】よ〉


〈なんだ……と?〉


 驚いたのは【フーエル・リール】だけではなかった。

 ロコもサモスもコルマンも全員が顔に力が入り目を大きく見開いてしまう。


 当たり前だ。

 ティーアが目の前で裏切るための算段をし始めているのだ。

 否。もともとナイトの仲間だったわけではないはずだから、裏切るというわけではないのかもしれない。

 ティーアにしてみれば、単にナイトから解放されたいだけなのだろう。


(これは……まずいです!)


 今まで魔王が手を組んだ例は歴史上存在しない。

 もし手を組むようなことがあれば、とっくに人類は滅んでいたはずだ。

 これだけはなんとして求めなければならない。

 しかし、自分にその力がないことは百も承知だ。


「と、とめてください、オーナーさん!」


 だからロコは、ナイトにすがりつく。

 この場をなんとかできるとしたら、ナイトしかいないはずだ。


 もしこのまま手を組めば、2体の魔王を相手にしなければならない。

 そうなれば、いくらナイトでも勝てるかどうか怪しいだろう。

 だから、ナイト自身のためにも止めさせるべきなのだ。


「はぁ。やれやれ……」


 だが、ナイトは大きなため息をつくだけだ。

 とても慌てている様子はない。


「オーナーさん!? このままだと魔王が手を組んでしまいますよ!」


「えっ? 魔王?」


 ナイトが意外なほど驚く。

 それでロコは気がついた。

 ナイトは、目の前の巨大な狼の魔物が魔王【フーエル・リール】だとは知らなかったのだと。


「そうです! 十二魔王の1体である【フーエル・リール】です!」


「なっ……なんてこった。やられた……」


 やっとナイトも現状を把握できたのだろう。

 ナイトはまた額に手を当てる。

 だが、それはもう遅かったのかもしれない。


〈くっくっくっくっ! 【ティーア・マッド】よ、本当に落ちたな!〉


 【フーエル・リール】が大口を開けながら、交心術でティーアを嘲る。


〈その救世主に自分だけでは勝てない。だから、貴様を解放する手伝いをしろと? 笑える! 笑える! 笑わえるから、乗ってやってもよい!〉


〈……相変わらず、知能は獣並よ〉


〈な、なんだと?〉


〈そんなことを言うつもりはないわ、たわけ。我と貴様程度が組んだところで、ナイトに勝てるわけがなかろうが〉


〈……何を言っている、貴様?〉


〈貴様こそ、わからんのか。こやつの力が〉


〈確かに強いとわかる。だが、2魔王を1人で相手のは無理……。そっちの老いた救世主は、すでに力はないぞ〉


〈わかっておる。そういうレベルではない。ナイトを斃すならば、それこそ十二魔王で連係でもせぬ限り斃せぬという話をしている〉


〈バカなことを……信じられない。……だが、それが本当ならば、手を組んで貴様はオレ様に何を望む?〉


〈ペット〉


〈……なに?〉


〈キャンプ場のペット。言い方を変えれば、マスコットキャラクターというのになってくれ〉


〈貴様……何を言ってる……〉


〈今の我は、【天使の原キャンプ場】の従業員兼ペットという立場でな。従業員はまだしも、先ほども言ったとおり飼われているペットという立場は非常に不満なのだ。なにしろ我はちゃんと働いているからな〉


〈…………〉


〈そこでだ。貴様が【天使の原キャンプ場】のペットになってくれれば、我はその立場から解放されるというわけだ〉


〈き、貴様はいったい……何を言っている!?〉


〈もちろん手を組んで、互いにいい条件を勝ち取ろうという話だ。我は、ペットから解放される。そして貴様は、……〉


〈ふっ……ふざけるな!〉


 【フーエル・リール】は、全身に力を入れた。

 その瞬間、その体から炎がでたようにロコには見えた。

 しかし、あの恐ろしい灼熱の炎は、数秒待っても魔王の全身を覆わない。


〈わ、我が火焔が……。ど、どういうことだ!?〉


「ここは今、俺のキャンプ場なんだ。しかも、きれいな芝生のな」


 まるで当たり前のことのようにナイトが言うが、ロコたちは理解できない。

 そしてそれは、【フーエル・リール】も理解できなかった。


〈ど、どういう意味……〉


「つまり直火禁止だし、芝生を焼くようなことはできないってことだ」


 つまりと説明してくれたが、それでも意味はわからない。

 とにかく【フーエル・リール】は得意の炎を使えないらしい。


〈ならば、その身を噛みくだいてやる!〉


「――待て!」


 ナイトが叫んだ。

 もちろん、それで魔王たる【フーエル・リール】が待つわけがない。

 しかし、ナイトの言葉は力を持っていた。


 【フーエル・リール】は大きく口を開けて、今まさに襲いかかろうとしていた姿勢のままで動きをとめていた。

 舌や眼球は動いているが、それはまるで大きな彫刻のようにも見える。


〈ど……どうなっている!?〉


〈フフン。どうだ、不思議であろう? 身体が動かないのではない。意識がそうさせてしまうのだ〉


 なぜかティーアが、またもや腰に手を当て胸を張っている。


〈このキャンプ場にいる限り、真に獣である貴様はナイトに逆らうことはできまい〉


〈こ、こんな神術が……〉


 確かに魔獣使いの神術は存在する。

 しかし魔王のような力の強い魔獣を支配できる力など、少なくともロコは見たことも聞いたこともない。

 ティーアの言葉から察するに、自分の特定空間内ならば、命令できるというような神術なのかもしれない。

 条件をつけることで神術が強化されているのかもしれないが、それにしても強すぎる。


「――伏せ!」


 ナイトの命令がまた響く。

 【フーエル・リール】は、まるでよくしつけられた犬のようだった。

 抵抗することもなくスムーズに脚を折って、その場で顎と腹を地面につけてみせる。


〈な……なんという屈辱……〉


〈わかる。わかるぞ。そして貴様もわかったであろう。少なくともこの場で貴様は、ナイトに勝つどころか刃向かうこともできぬということを〉


〈ぐぬぬぬ……〉


 確かにティーアの言うとおりだった。

 完全に魔王がナイトの制御下に在ることがわかる。

 これでは戦いにもならない。

 先ほどまで伝説の救世主と聖人級救世者が死に物狂いで戦って勝てなかった敵が、ただの一言で制されてしまっている。

 一緒に戦っていたロコには、なんとも複雑な想いが生まれる。

 自分の命を捨てるつもりだったコルマンやサモスは、きっとなおさら複雑な想いであろう。


〈ひとつ、教えておいてやろう。ナイトは貴様を殺すつもりはない〉


〈……どういうことだ?〉


〈事情は面倒だから話さぬが、それが事実であると言うことは、我が生きていることが証となるだろう。だが、ここにいる他の救世者たちはそうはいかぬ。動けぬ貴様にとどめを刺すことぐらいはできる。貴様の弱点もしっかりと教えておいたからな〉


〈き、貴様……〉


〈しかしだ。貴様が【天使の原キャンプ場】のペットになるというなら話は別だ。奴らも恩あるナイトのペットを殺したりはすまいよ〉


「ちょっと待て。勝手に話を進めるな」


 少し語気が荒くなったナイトが会話に割りこむ。


「俺はそんな取引を認めたつもりはないが? うちにはペットがもういるから、それでいいだろうが」


「いやいや、待て待て。これはお主のためでもあるのだぞ」


 ティーアがナイトの側に行き、その肩に手を置く。


「よく考えてみよ。客は我の本当の姿を知らぬものの方が多い。つまりお主は、我のような美しい女子おなごを『ペット』と呼ぶ性癖の持主ということにならんか?」


「……それ、ミカの入れ知恵だろう?」


「さてな。誰の入れ知恵だとしても、まちがってはおるまい?」


「なら、おまえの役目からペットをはずせばいいだけだろう? 実質、ペットなんて名ばかりなんだから」


「ほう。では、この無駄にでかい狼はどうするのだ? この救世者たちを使って一方的に虐殺させるか? それとも逃がしてまた虐殺させるのか?」


「生意気に人の心情というものを理解するようになってきたな……。ってか、本当のおまえの目的はなんだよ?」


「ペットがいれば、キャンプ場での我の地位が一番下ではなくなるからな!」


「そんなことかよ……」


 またナイトが大きなため息をつく。

 そしてゆっくりと、伏せたままの【フーエル・リール】の方を振りむいた。


「おまえは、どっちがいい?」


「…………」


 実質、首根っこを押さえられている以上、【フーエル・リール】が己の命を守るならば返事は1つしかない。


「人間、貴様と取引するつもりはない。ただ、同等の魔王として【ティーア・マッド】の取引に応じるだけだ」


「そうか。ならとりあえず、小さくなってくれ。……戻ったら、ドッグランコーナーを作るとするか」

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