第19話:遭遇

 ここ数日のことは、ロコにとって人生観、そして未来を大きく変えるほどの経験となった。


 まず噂にしか聞いたことのなかった、天使界に入れたこと。

 天使様を誰よりも敬愛する巫女姫たちにとり、天使界は夢のような場所だ。

 そこに辿りつけただけでも、本当に一生の運を使い果たしたのではないかと思ってしまう。

 しかも、そこに尊敬する先輩がいるとは夢にも思わなかった。


 ただ、さらに驚くべきこともあった。

 それは、天使界にキャンプ場なるものがあり、そのオーナーがとんでもない力をもっているということ。

 ただし、これは確定した事実ではない。

 確かにマーシャル・アーツとかいう剣術(?)はすばらしかったが、実際に彼が何か大きな神術を使ったところを見たわけではないのだ。


(となると、一番はやっぱり……)


 サモスが変わったことだろう。

 なによりもそれが、最も今後に大きな影響を与える出来事だったのかもしれない。


 格下であるはずのスタンレイに敗北し、地位も上の伝説的救世主に出会い、魔王とおぼしき者にズタボロにされ、さらにそれを凌ぐ実力者に手ほどきを受けてしまったのだ。

 彼の自尊心も粉々になった事だろう。


 正直、サモスがスタンレイに負けたとき、ロコは心の奥で「いい気味だ」という気持ちがあった。

 それは我ながら醜い感情だとは思うし、彼の心配をしなかったわけでもない。

 しかし、今まで彼に受けてきた仕打ちを思いだせば仕方がないとも思う。

 巫女姫と言えど、人間なのだ。


 ただ、その後にティーアへ何度も何度も1人で挑むサモスの姿を見ていたら、彼に対する見方が変わっていった。

 否。忘れていたことを思いだした。

 彼は聖人級という肩書きを笠に着て威張ってはいるが、昔は努力をしていた人間だったのだ。


 ロコが彼と出会ったとき、彼はまだ英雄級の救世主だった。

 その頃の彼は、何かにとりつかれたように鍛錬し、魔物退治に精を出していた。


 それが巫女姫が行う【福音の儀】で聖人級として【救世の福音】を与えられたとたん、彼は変わってしまったのだ。

 まるで何かをやり遂げたかのように慢心し、その称号に酔いしれた。

 幾度、彼のパーティーを辞めたくなったことか。


 そんな彼だったが、今はまた昔に戻った気がする。


 他の客と対応中だったため、オーナーであるナイトに最後の挨拶はできなかったが、ミカという美しい従業員に見送られて、ロコたちはキャンプ場をあとにした。

 伝説的救世主コルマン公爵と共に、人間界へ戻ってきていたのだ。


「これは酷いな……」


 そして戻ってきた人間界で、コルマンはそうもらした。

 目の前に見たのは、広大な焼けただれた畑の姿だったからだ。

 いろいろありすっかり忘れていたが、ロコたちが天使界に行く前に戦った場所である。

 また最後に、サモスが焼きはらった場所でもあった。


「これはサモスたちが戦った跡か?」


「オレがやりすぎた結果です……」


 あのサモスが自ら非を認めて頭をさげている。

 本当にこの変わり様は驚きだ。

 正直、キャンプ前の彼と同一人物だとは思えない。


「わたしに頭をさげても仕方あるまい。ただ、気になるな。……この状況は3日前と変わっているのか?」


「あ……」


 言われてみれば、おかしい。

 魔物は全て退治したはずなのに、村人たちがこの状態をなんとかしようとした形跡が見られない。

 魔物の数が多かったため、念のために村人たちを一時的に隣の村まで避難させていた。

 しかし、数日も経って魔物がいないとわかれば、村人たちが戻ってきていてもおかしくないはずだ。


「ちょっと、あたいが様子を見てくる」


 ポーラが、早々に村の家々を走って巡った。

 そして戻ってきてからの報告は、ロコたちにとって予想外のことだった。


 誰1人として、村人がいなかったのだ。


 さらに村は、サモスたちが訪れたときよりもさらに荒らされているように見えるという。

 しかし、村人の死体は見当たらなかったし、せいぜい殺されていたのは家畜の一部だけだったらしい。


 その報告を聞いたコルマンの表情が、よりいっそう険しくなる。


「ここを襲った魔物は、どんな魔物だった?」


「角をもつ狼のような姿をした……」


「やはりそうか……」


 サモスの言葉に、コルマンはさらに顔色を変える。

 思い当たることがあるのか、その雰囲気は尋常ではない。

 キャンプ場にいたときの呑気そうな姿とは異なり、今は軽鎧をまとった身体から、ユラユラとした神氣が立ちのぼっているように見える。


「ここから近いわたしの領土内に、やはり角の生えた狼型の魔物が群れで発生した。わたしは今回、その魔物を調べに来たのだ」


「そのような調査なら、部下にさせればよかったのでは? なにも救世主のあなた自ら……」


 彼は公爵という地位と権力だけではなく、救世主という地位と強大な力を併せもつ。

 サモスの言うように、そのような者が、単なる調査で領地のはずれまで自ら足を運ぶ必要ないのだ。

 そのことは、ロコにも理解できた。


「普通ならそうなのだが、今回の狼型魔物の動きは非常に気になったのでな。群れで行動するところは普通の狼と同じだが、なぜか群れがいくつにもわかれて行動しておったのだ」


「それは複数の群れが、たまたま近くにあったとかではなかったのですか?」


 ロコは疑問を口にした。

 しかし、コルマンは首をゆっくりと横にふる。


「違うな。まるで斥候と本隊にわかれているような動きだったり、我らを挟み撃ちにするような動きを見せたりすることもあった。明らかに組織的に動いていたのだ。だいたいナワバリを保つ狼の習性があるならば、同じ場所に別の群れは現れまい」


「なるほど」


 ロコはふと狼たちの戦い方を思いだす。

 そう言えば、あの群れにリーダー的な狼の姿はなかった気がする。


「んじゃさ、魔物使いの神術をもつ救世者が悪さしているとか?」


 ポーラの言葉に、カカムスも同意する。


「ありうるな。確か昔、そのような事件があったと聞いたことがある。多くの魔物を操り、国を手にしようとした不徳な輩がいたと……」


 すべての救世者が、最初から最後まで善の存在であるということはない。

 むしろ、力を得ても救世のために使わぬ者の方が多いぐらいだ。


 ちょっとでも人助けをして、【天使宮てんしぐう】という場所で巫女姫から【救世の儀】を受ければ、簡単な神術を使える【強者つわもの級】の救世者になることはできる。

 その時点で、一般人とは違うレベルの強さを手にいれる。


 つまり単に救世者になるのは、さほど難しいことではない。


 しかし多数の魔物を操るには、聖人級の力がいるはずだ。

 故に、ロコは今回のことがとわかる。


「その事件は、有名ですから私も知っています。ですが、それらの事件もあって、英雄級以上に昇級する【救世の儀】を受けた者たちは、名前や神術を担当の巫女姫によって管理されています。このようなことをすれば、名前もすぐに判明すると思いますし、もし担当巫女姫が殺されたとしても、それはすぐに天使宮でわかる仕組みがあります」


「つまり、複数の魔物を扱う神術をもつ聖人級以上の仕業であれば、もう犯人はわかっている可能性が高いということか?」


 カカムスの確認に、ロコはうなずいて同意する。


「となると、やはり考えられるのは……」


 コルマンが周囲を警戒するように、腰に下げていた剣へ手をかける。


「多くの魔物を従える力を持ち、さらにその魔物を部隊にわけて操る知能をもつ、厄介な魔物が裏にいる……ということか」


 ウオォォォンという地響きをともなうような鳴き声があがった。


 いや、雄叫びか鬨の声。

 それが森の向こうの山から響いてきたかと思うと、手前の森の中から多数の気配が近づいてくるのがわかる。


「おまえたちがキャンプ場に行った後、たぶんこの雄叫びが聞こえて、村人たちは村へ戻ってこなかったのだろう。賢明な判断だな」


 コルマンは剣を抜いて深く奥まで見えない森に向かって構えた。

 それにならって、ロコたちも武器を構える。


「この村を襲った狼部隊を全滅させられたことを知った親玉が、ここに一度、来たのではないだろうか。もしかしたらその時、は匂いも感じていたのかもしれない。しかし、おまえたちは偶然にも、【天使の原キャンプ場】に行ってしまった。それで匂いも途切れて見失った」


「や、奴?」


「ああ。予想が当たってはほしくなかったが、あの声はだろう。奴は、もともとわたしの領地に入ろうと攻めてきていた。しかし、わが領土には大量の対魔兵器と、多くの救世者がいる。そうやすやすと攻めることができなかった」


 対魔兵器とは、複数の救世者の神氣を束ねて増幅して攻撃や防御をおこなえる兵器だ。

 この増幅力は非常に高く、勇者級が10人も集まれば、何十匹もの魔物を簡単に葬れた。

 魔王に対しても、斃せないにしても傷を負わすことができるぐらいの力を放てる。

 また、結界を張ることができる対魔兵器ならば、魔王の攻撃を数度は防げるほどの防御力を得ることができた。


 もちろん、それで魔王への完全な対抗となるわけではない。

 対魔兵器は瞬間的な力でしかなく、やはり魔王に対抗するには救世主が必要だ。

 だから、魔王達は対魔兵器自体をさほど恐れているわけではなかった。


 では、彼らが何を恐れているかと言えば、他の魔王である。


 魔王たる所以である魔王格は、その名の通り「王の格」であり、他の魔王を認めることはない。

 魔王は1人でよいと思っている。

 だから魔王達は、脆弱な人間たちよりも、隙あれば他の魔王達の首を取ろうかと虎視眈々と狙っている。

 特に今は12体も魔王がいる。

 それはつまり、魔王達にとって油断できない敵が多いということになる。


 そのような情勢の中、不用意に人間の兵器や救世主から傷を負ってしまえば、他の魔王につけいる隙を与えてしまうようなものである。

 だから、そんな安易に人間を襲うこともできないのだ。


「そんな状態で奴は、この辺り周辺の勢力圏を少しずつ広げていた。そして今、この近くにいた奴は、匂いを嗅ぎ取った。なにしろ、ここには奴の嫌いな匂いが2つもあるからな」


「2つ……。って、まさかその奴ってのは……」


 サモス、そしてポーラとカカムスも一気に青ざめる。

 ロコにもピンと来た。

 コルマンの言う「奴」の正体が。

 そしてその「奴」の強さのレベルも、【天使の原キャンプ場】で嫌というほど思い知らされている。


「おまえたちも、もう気がついていると思うが、周囲をすでに囲まれている。しかし、まだ包囲網には余裕がある。おまえたちは、背後の敵を掃討しながら誰でもいいから、メンバーズカードで天使界への界門を開くのだ。そしてキャンプ場に逃げ込め!」


 正面の森の中にいるであろう奴に、コルマンは勝てない可能性があると判断したのだろう。

 だから、ロコたちに逃走を勧めてきたのだ。

 しかし、ロコたちにはコルマンの言うことが理解できなかった。


「メンバーズカード? なんですか、それ?」


 サモスが尋ねる。

 もちろん、ロコモそれがなんなのか知らないし、残りのメンバーもしらないようだった。


「ちょっ、ちょっと待て!」


 それを知ったコルマンが慌てる。


「おまえたち、キャンプ場を出るときにエミさんからメンバーズカードという、不思議な素材のカードをもらわなかったのか!?」


「もらってませんが……」


 そう返事をすると、コルマンが「なんてこった!」と片手を額に当てる。


「まさかこんな時に限って、エミさんは渡し忘れちまったのか。メンバーズカードがあれば、界門が開けるというのに!」


「マジかよ!」


 ポーラの言葉遣いは悪かったが、ロコとてそう叫びたい気分だ。

 このピンチを逃げるための切り札になるアイテムをもらい損ねていたのである。

 でも、それならとロコはコルマンの袖を摘まむようにする。


「でしたら、コルマンさんのメンバーズカードを使えば……」


「いや。わたしのは休眠状態だ。メンバーズカードは1度使うと、7日間は使えないのだ」


 コルマンがキャンプ場に入ったのは、3日前のこと。

 たしかにまだ、7日も過ぎていない。


「一か八か、背後の魔物を倒して、おまえたちは逃げろ!」


 そう命令した直後、森の木々が風もないのに大きく揺れ出した。

 かと思えば、巨大な影が森の木々の上に落とされる。


「奴は……魔王はわたしが相手する! その間に逃げろ!」


 森の木々をひとっ飛びで飛ぶ超えてきた影。

 それは激しい震動と突風を起こし、コルマンの前に着地した。

 特徴的なのは、頭についた雄牛のような角に、部分的に炎をまとう全身。

 人の数倍は高さのある狼。


 十二魔王の1体、魔王【フーエル・リール】だったのである。

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