第16話:老救世主
なにか柔らかい物の上にいると、サモスは感じた。
そして自分は寝ているということを認識、その寝心地の良さにそのままでいたくなる。
しかし、起きなければいけないという焦燥感のようなものも同時にわきあがる。
カーン、カーンという乾いた木を叩くような音が聞こえる。
それがまるで目を覚ませと語りかけているかのようで、少しずつ意識が覚醒する。
「…………」
瞼を開けると、映ってきたのは大量の緑の木の葉。
その並んだ木の葉の間から、キラキラとした光がもれている。
(木漏れ日……外……?)
手をついて身体を起こすが、手をついたところがフカッと柔らかい。
外なのにベッドなのかと思うが、それはベッドとは少し違う感覚だ。
まるで反発するような不思議な感触である。
「おっ。目が覚めたか、サモス様。そのエアーマットとかいうのをあのオーナーが貸してくれたが、寝心地はよかったようだな」
仲間の中でもっとも巨躯の戦士であるカカムスが声をかけてきた。
他の2人もその場にいた。
彼らは3人そろって、なにか絨毯のような、しかしそれよりもはるかにうすい布のような物の上に座りこんでいる。
「ここは……オレはどうしたんだ……」
まだ靄のかかったような思考のせいで、どうして自分がこんな所で寝ていたのかわからない。
「サモス様は、スタンレイとの特訓で気を失ったんですよ」
「……ああ! そうか! スタンレイの奴め、くそっ!」
格下相手に、無様にも敗北してしまったという事実をサモスは認めたくない。
油断したからだ、運が悪く手痛い一撃を食らってしまっただけだ、調子が悪かっただけだと、言い訳はいくらでも出る。
そうだ。聖人級が英雄級に負けるなど、あってはいけない事だ。
聖人級の方が強く、魔物を多く斃せるからこそ、その言葉にも力がある。
そうでなければ、ならない。
そうでなければ、過去の自分を肯定できない。
だが、それを口にだせば惨めであることも承知している。
その矛盾した感情に、彼は両肩を落とす。
(こんなオレを……こいつらはどう思っているのだろう)
さんざん自分の方が上だと、仲間達に威厳を押しつけてきた。
だから、彼らの顔を改めて見るのが怖い。
それでも見なければならない。
自分は聖人級の救世者である。
もし、英雄級の仲間達がここぞとばかりに自分を同等、ましてや下に見るようなことがあれば改めさせなければならない。
だから、サモスは顔をあげた。
「…………」
だが、3人が3人とも、サモスと同等かそれ以上に暗い顔をしていた。
疲れ果てて意気消沈し、やたらため息をついたり、呆けて地面をじっとみていたりと、どう見ても様子がおかしい。
「……なんだ? おまえたちまで、どうしてそんなに落ちこんでいる? まさかおまえたちまでスタンレイにやられたとか言うんじゃないだろうな?」
異様な雰囲気に思わずサモスが声をかける。
すると、カカムスが一段と大きなため息とともに答える。
「はぁ……。それだったら、どれだけマシだったか……」
「どういうことだ?」
サモスの問いに、カカムスの口は重かった。
その代わりとばかりに、ポーラが答える。
「あたいらまとめて、あのティーアという真っ黒女にやられたんですよ」
「ティーア? 真っ黒女って……あの黒いドレスを着ていた女のことか?」
「ああ……ああ、そいつですよ! あんたが倒れた後、スノピナ様の強引な指示であたしら3人も訓練しろと言われて、なぜかあの女とやりあうことに……。どうせ余裕だろうからと思っていたら、あの女……異常すぎる!」
少し興奮気味に身体を前屈みにして、ポーラが語る。
「あいつ、あのドレスの姿のまま、あたしら3人の相手をした……いやいや、違うね。あたいらを弄びやがったんだ!」
「ちょっ、ちょっと待て……。英雄級の救世者であるおまえたち3人をか?」
「あたいらも信じられなかった! こっちの攻撃は
「ど、どういうことだよ、それは!?」
「知るか! こっちが聞きたい!」
怒りが爆発するポーラに、サモスが驚く。
英雄級3人を弄ぶ、そんなことは聖人級でも難しいはずだ。
「ティーア……」
ロコが静かに、しかし重い声でその名を言う。
「彼女はまるで竜のブレスのような術も使っていました。もし、あれが神術ではなく本当にブレスだったら……つまり、彼女が人間ではないとしたら……」
「ちょっ、ちょっと待て、おい……それじゃあ……」
「もし、魔王【ティーア・マッド】が死んだのではなく、ここで人の姿として生き残っていた……いいえ。それなら破壊衝動のある魔王が暴れていないわけがない。つまり、単に生き残っていただけではなく、誰かに力を封じ込められて使役されていたとしたら……」
「あ、ありえないだろうが、そんなこと! 確かに魔王なら、英雄級3人ぐらいなんでもないだろうが……しかし、そんな魔王を支配下に置いた者がいるはずがない! しかも、十二魔王の中でも最強クラスの1匹だぞ! それを誰が……」
「私たちの訓練をしているティーアをとめたのは、あのオーナーと呼ばれているナイトという方でした」
「あいつが……」
「ええ。あのティーアの頭をかるく叩き、『やり過ぎだ』と窘めていました。そしてティーアは逆らうことができなさそうでした」
「なら、まさか……」
「彼は、天使様から天使界の一部を預けられ、あの不思議な結界を築くことができる。英雄級であるスタンレイをあれだけ強く鍛えたのも彼。そのうえスノピナ様までもが、彼に教えを乞うているという話です」
「あいつは……何者なんだ?」
ロコは首を横にふる。
「スノピナ様は、ここのオーナーだとしか教えてくださいませんでした。ただ、ここでキャンプをしていれば、そのうちわかるかもしれないと……」
「……ふざけんなよ。野宿するだけで何がわかるっていうんだよ」
サモスは周囲を見わたした。
少し離れた場所には、テントと呼ばれていた人間界ではみたこともない天幕が、4つほど見えていた。
ここからでは顔はよく見えないが、それぞれのテントの前には、スノピナやスタンレイの他にも、年老いた男の姿もうかがえた。
それぞれが自由気ままに過ごしているように見える。
「で、どうするんだ、これから?」
カカムスの問いに、サモスは両肩をすくませてからため息をつく。
そして空を見上げながら開口した。
「ちっ。このまま去るのも逃げるみたいで癪だし、いろいろと疲れたしな。……よし。宿泊無料ってなら泊まってみようじゃないか」
§
サモスたちは、テントやよくわからない道具を借りた後、エミという従業員らしき女性とスノピナから、いろいろと説明を受けた。
それは今まで見たことがないような素材や仕組みで、確かに野宿の質を上げるということはサモスにもわかった。
しかし、それだけだ。
だからと言って、宿屋に泊まらず野宿を選ぶ理由にはならない。
むしろ、野宿を選ぶなどマイナス要素しかない。
聖人級救世主ならば、立派な宿に泊まって周囲から「さすがだ」と尊敬を集めるべきなのだ。
強い力を示す救世主がいるからこそ、魔物に怯える無辜の民は安心ができるのだ。
「なのにスノピナたちはなぜ……」
なんとなく散歩をしていたサモスは、横長のテントの前で焚き火をする老人の前を歩く。
この老人は、ずっと焚き火をしながら酒を片手に黙々と本を読んでいた。
よほどの暇人なのだろう。
その暇人の横には、いつのまにかナイトもいた。
同じように金属のフレームに布を張った、背もたれ付きの低い椅子でくつろいでいる。
「おや。サモス様。お散歩ですか?」
こちらに気がついたナイトに声をかけられる。
だが、サモスはすぐに反応できない。
不気味な存在。
謎の力を持つ男。
警戒すべき男。
「…………」
サモスは一瞥だけして、そのまま去ろうとする。
「こらこら。挨拶ぐらいはしないかね、そこの若いの」
すると、今まで本に集中していたはずの老人が声をかけてきた。
オイルでまとめられているのか、蓄えた口髭は整えられてピンと立っている。
見たことがないナイトと同じ服を着ているが、ちょっとした立ち振る舞いが市井の人間という感じではない。
たぶん、それなりに裕福な人間なのだろう。
(あれ? どこかで……)
その老人の顔を見たとき、記憶の中で何かが引っかかる。
服装や雰囲気が違うので気がつかなかったが、誰かに似ている。
誰だったか、それが思い出せない。
そこまで出てきているのに。
「敵もおらず、住まうテントもあり、キャンプ飯もある。生きていくのに十分な今、この時。礼節をわきまえる余裕ぐらいあるだろう」
「なにが礼節だ。貴族様のようなこと――!?」
正面から老人の顔を見て、サモスはその額に傷があることに気がつく。
そして思いだす。
服装があまりに違うので気がつかなかったが、この特徴的な髭と傷はまちがいない。
とたん、サモスは態度を改める。
「しっ、失礼ながらお尋ねいたします。あなた様は、コルマン公爵ではありませんか!?」
「いかにもコルマンだが、ここではただのキャンパーよ。お主もキャンパーなら、上下はない。我らは互いに『さん』付けで呼ぶ。わたしのことも『さん』付けで呼びなさい」
そのコルマンの物言いに、サモスは冗談ではないと目を見開いてから、慌てて片膝をその場につく。
相手は子供の頃に憧れた、吟遊詩人にも謳われるような伝説的人物だ。
「ご勘弁ください。あなた様は公爵の上、救世級……まさに救世
「やめんか、やめんか」
コルマンは鬱陶しそうに手を振った。
「ここは、みんなで楽しむキャンプ場だ。それに救世主と言っても、わたしはもう年齢的に引退しとるも同然。ここで神氣を蓄えられるおかげで、なんとか健康を保てているが、身体はとっくに悲鳴をあげとる」
「し、しかし、あなた様は救世主の中でも……」
「昔の話だ。それより、サモスさんと言ったな。お主も一緒に焚き火と酒を楽しまんか?」
そう言いながら、コルマンが横にあった椅子をサモスに勧める。
なぜ椅子が3つもあるのか気になるが、サモスはその指示に従った。
傍若無人と思われるサモスだが、彼は地位に逆らうことはしない。
地位の上下を守る事は、彼にとってポリシーに近い。
さらに言えば、相手は自分にとって憧れの人物でもある。
「コルマン公爵はなぜこちらに?」
「コルマンさん……だ」
「あ、申し訳ございません。コルマンさん……」
「ここにいるのは、もちろんキャンプをするためだ。キャンプ場なのだからな」
「そ、そうではなく……」
「ああ、ここに来たきっかけの話か。まあ、偶然……ではないな。天使エルミカ様の思し召しということだろう」
「な、なるほど。それではここで神氣を蓄え、戦いに備えるために……」
「いやいや、違う違う」
コルマンは楽しそうに笑って見せた。
そして、酒をコップで勧めてくる。
サモスはそれをありがたく頂戴して口にする。
今まで味わったことがない、甘く滑らかな透明の酒だった。
「さっきも言っただろうが。わたしはもう魔王と戦えるほどの体力はない。ここに来ているのは、ゆっくりするためだ」
「ゆっくり? それでしたら、お国の城の方がよほどのんびりとできるのではないですか?」
彼は広い領土を保つ公爵だ。
その立派な城には、目の前のような焚き火ではなく立派な暖炉もあるだろう。
きれいに清掃され、贅を尽くした装飾の部屋にいれば、ここのように土で足を汚すこともないはずだ。
清潔な便所も風呂も専用で、気を使わなくていいだろう。
料理も寝床の用意も自分でやらず、召使いたちに任せればいいはずだ。
どう考えても、ここでキャンプをするよりも城にいた方がいい。
「……なあ、サモスさん」
「どうか、サモスとお呼びください。それだけはご勘弁を」
彼の者を「コルマンさん」と呼ぶことさえ畏れおおいのに、さらに自分へ敬称をつけて呼ばれるなど辛すぎる。
「わかった、わかった。スタンレイの奴にも同じこと言われたしな。本人が望むならそうしよう。……では、サモス。おぬしの先ほどの戦い、見せてもらった」
もちろん、スタンレイとの戦いだろう。
あの敗北を見られていたと知り、サモスは恥辱に思わず頭をさげる。
「聖人級にあるまじき戦いを披露してしまい、誠に申し訳ございません!」
「それよ、それ。その聖人級という名におぬしはずいぶんとこだわっておるな」
「無論です。その名を貶めては威厳がなくなり、力なき人々が不安になることでしょう」
「人々はその威厳に安心を感じているわけではないぞ。その行動に安心を感じているのだ」
「もちろん、魔物討伐もつつがなく……」
「最近のスタンレイの活躍は知っているだろう。あやつの活躍は、おぬしと引けを取らぬ。それでも英雄級と聖人級の差は必要か?」
「しかし、聖人級には聖人級の威厳がなければ……」
「それで得られるのは、戦う力ではなく、権威という力ではないのか?」
「そ、それは……」
焚き火の中で、少し大きめの爆ぜる音が聞こえた。
その音で、全員の視線が焚き火に集まる。
「まあ、聞いてくれ。この老いぼれの話を」
その焚き火を見たまま、コルマンは口を動かす。
「わたしは、コルマンの家を守る事、そして救世主として生きることに生涯をかけてきた。城を守り魔物を斃してきた。そのために冒険に出たこともあるし、その中で必要に駆られて野宿もした。それはおぬしもそうだろう」
サモスは黙ってうなずく。
「ただ、その野宿は必要に駆られておこなったことで、言うなれば戦いの途中みたいなものだった。別に野宿が目的でもなんでもない。しかし、ここへは野宿自体を目的に来ているわけだ。冒険中の野宿と比べれば、魔物を斃すという目的を捨てているも同然。さらに、壁も屋根もある快適な城も捨ててな」
「ええ」
「だがな、そうやって救世主という箱、城の主であるという箱から出て、広き空を天井にし、吹き抜ける風を壁として過ごすことで、視野が広がり見えることもあった」
「自分自身を顧みたとかですか?」
「それもあるが、自分自身と言うより、自分が求める真なるもの……目的とでも言えばいいかな。おぬしは、何を目的に救世者として生きている?」
「それはもちろん……前世からの宿命として……」
「それはおぬしの、サモスとしての目的か? 宿命が目的とは限るまい」
「……わかりません」
「そう、わたしもわからなかった。漠然と救世主として生きなければならないと思っていた。だが、ここでキャンプを初めてしたときに、何かそれを見つけた気がした。さらにキャンパーとして何度かキャンプをして、それがはっきりとわかった」
「それは、いったい……」
「単純な話だ。わたしは、ここでこうしているだけで幸せを感じられたのだ。城にいるときよりも、はっきりとな」
「この状態で……ですか?」
「ああ、そうだ。こうして座ったまま手が届くほどの必要最小限のキャンプギア、雨風がしのげるテント、身体を温める焚き火、ちょっと手間をかければ食べられる美味いキャンプ飯、楽しみを与えてくれる本、そして安心できる環境……これだけあれば、人は幸せを感じられる。キャンプは、それをわたしに教えてくれた。いや、思いださせてくれたのだ。豪華な城も、権力も不要。わたしが求めていたのは、こんな最小限の幸せでよく、それを皆に味わってもらいたかったのだと気がついた」
「たった、それだけの……」
「それだけというが、これらはすべて大事なことだ。言い換えれば、最小限の衣食住、ちょっとした娯楽、そして安心だな。特にこの安心を皆に与えたいと思い、わたしは救世主として頑張っていたのだろう。おぬしはどうだ? なんのために聖人級救世者を名のっている?」
「なんのために……」
「おぬしは努力して英雄級から聖人級に上がったのだろう? それは偉ぶるためか?」
図星を突かれた気がして、サモスは息を呑んでしまう。
「……聖人級としての権威が欲しかったのは確かです。でも、救世者として戦っていたのは、宿命だからとしか考えていませんでした」
「ならば考えてみるといい。わからぬのなら、一度その『聖人級救世者』という箱から外にでて、ここでただのキャンパーとして、焚き火でも見つめながら過ごしてみろ。いつもの野宿とは違うはずだ」
「……そうでしょうか」
コルマンのことは尊敬しているし、自分よりも権威ある者だ。
だから大人しく話を聞いていた。
しかし、キャンプだと言われても、野宿は野宿だ。
何が違うというのか、未だにピンとこない。
「キャンパーとか言われても、オレにはわかりません」
「いつもの野宿で焚き火を見つめたところで、その火に映るのは恐怖と不安しかあるまい。周囲の暗闇から魔物が襲ってこないか、この火が消えたら暗闇に覆われてしまわないか、朝日を拝めてもまた戦いによる死が待っていないか……そんなことばかり考えなかったか? 焚き火にくべたのは、不安そのものだったのではないか?」
「そうかも……しれません」
「だが、ここなら安心できる。寝て起きて明日を迎えても、少なくともいきなり魔物に襲われて死ぬこともない。……このオーナーがいる限りは、ここは絶対に安全だ」
コルマンは力強い言葉でキッパリと言い切ると、先ほどからずっと黙っているナイトを一見した。
その視線は相手を絶対的に信用しているものだと、サモスに感じさせた。
そしてナイトも、焚き火の向こう側で肯定でもするように静かに微笑する。
(ここまでコルマン公爵に信頼される力。まさかこのナイトという者も……)
どう考えても、ナイトは普通ではないのだろう。
だが、それを訊ねることは憚られる気がした。
「ともかくここでは、聖人級だと肩肘を張ることはない。食事をしっかりと食べて、ゆっくりと過ごしてみることだ。きっと穏やかなキャンプが、おぬしに何かヒントのひとつでもくれることだろう」
コルマンの言葉と一緒に、サモスは手に持っていた酒を一気に呑み干す。
そしてその空になったコップの底を見た時、今夜は少し酔ってみようかと自然に思っていた。
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