第9話:詰み
〈ここは……天使界というやつか〉
竜が【交心術】で周囲に声を届ける。
〈そうなのであろう、天使エルミカ〉
そして少し離れたところにいつの間にか立っていた、エミに話しかけた。
エミが見上げながら応じる。
「ええ。ここがわたくしの天使界です。まさか入ってこられるとは思いませんでした」
〈天使界の門はどこに開くかもわからず、閉じているときはその痕跡を見つけにくい。しかし、今回は門がどこに開いたのかしっかり見ていたからな〉
「それでも開くのは困難なはずです。さすが十二魔王の中でも三強にはいるだけはありますね」
〈ふん。確かに苦労した。だが、それよりもあの男の結界のようなものの方が苦労したぞ。なんともわけのわからぬ術だった〉
「他人様の土地だからと、彼が3日後に解けるよう、少しずつ術が弱まる調整をしたそうですから。彼もまさかあなたが、それほど粘るとは思っていなかったのでしょう」
〈なんと生意気な。だが、奴のあの力はなんなのだ? あのような強力な術、新たな救世主が使えるわけもなく、それどころか歴代の転生にしても強すぎる〉
「彼は……そうですね。彼はこのキャンプ場の
〈きゃんぷじょう? そう言えば、奴もそのようなことを言っていたな。……よくわからんが、まあいい。不可侵と言われた天使界に入れた上、天使エルミカよ……貴様、今は受肉して十全の力は振るえまい。まさに好機! 貴様もろとも全てを滅してくれよう!〉
「……【ティーア・マッド】よ。なぜあなたは、そこまでして光放つ者を滅しようとするのです?」
〈なぜ? それは不愉快だからよ! 腹立たしいからよ!〉
「つまり理由はないということですね……」
〈理由など不要!
竜が片腕を振りあげた。
その爪で、エミを切り刻むつもりなのか、掌で潰すつもりなのか。
どちらにしても、その行為は殺意が満ちたものだった。
(まずい! エルミカ様!)
慌ててスノピナは走りだし、【聖なる揺り籠】を使用してエミを守ろうとする。
同時に横から現れたスタンレイが、エミの盾となるべく大剣を構えて正面に立っていた。
だが、わかっていた。
その2つの守りだけでは、本気で放たれた竜の爪を阻むことはできないだろう。
「――待て!」
そこにナイトの大声が響いた。
途端、竜の腕が上がった状態で止まる。
いや、止められたのだろう。
竜はその姿のまま、ぴくりとも動かなくなる。
「まさか、本当に効果があるとは……」
そう自らの力に驚いていたのは、エミの背後にいつの間にか立っていたナイトだった。
〈きっ、貴様! 今度は何をした!?〉
「こっちの世界では、熊の代わりに魔物が出ると聞いたので、熊よけの鈴の代わりになる神術が欲しいと言ったら、魔物を制御する神術をもらったんだが、まさか魔王にも効くとは……」
「だから言ったではないですか。特にこの神氣に満ちた天使界ならば、魔王と言えど魔獣の姿をしていれば効果があると」
エミがニコニコしながらふりむいて、ナイトに語りかけた。
つまり、これもナイトの持つ神術のひとつらしい。
「効くなら、荒事にならなくてありがたいからいいんだが。……えーっと、魔王よ。悪いけど、キャンプ場内でペットの放し飼いは禁止なんだ。首輪とロープをつけてくれ。もしくはドッグランエリアで……あ、作ってなかったな」
〈貴様……まさかこの我をペット扱い……愚弄するか!〉
怒り威圧するも、片手を上げたままのポーズでは今ひとつ迫力がない。
本当にまったく動けないらしい。
(しかし、いくら天使界内とは言え、魔王をこれだけ持続して支配する力……どれだけのものなのでしょう)
救世主ならば、ギリギリ斃せるか、下手すれば負けるレベルが魔王という存在である。
その中でも三強と言われる魔王たちは、救世主が数人いないと斃せないといわれている存在だ。
だが、ナイトは言葉ひとつでその魔王を抑えることができてしまっている。
〈まったく動けぬ。魔獣を操る力か……。ルールで縛る力よりも限定的な分、効果が高く効率がよいと。ならば――〉
竜の全身から、漆黒の煙が上り始める。
それは一度見たことある変化の術。
全身を包む暗雲は、そのうち雷をまとい始める。
無論、それを黙って見ているナイトではなかった。
「――ワークショップ・モデル【バトルフィールド】展開! 強制特訓ルール設定!」
初めて【ティーア・マッド】と戦ったときのように、ナイトは手を天に向けて広げた。
すると神氣の波動が広がり、【ティーア・マッド】を包むように特定空間がそこに作りあげられる。
「これは……あの訓練空間と同じ……」
「ええ。ただ、この空間のルールは私が許可しない限り外にでられませんけどね」
ナイトは事もなげに言う。
〈ふう……。やっと動けるか〉
暗雲がさって竜の代わりに現れたのは、女性の姿であった。
年齢的にはスノピナと変わらないぐらいか。
艶やかでストレートの黒髪は、さらっと風に舞う。
細く整った眉の下には、長い睫に飾られた、ほどよい大きさの双眸。
ほどほどの高さの小鼻の下には、真っ赤に燃えるような赤い唇が艶やかに光る。
少し幼さが残る輪郭の小顔ながら、黒いフリルの付いたドレスをまとう体つきは大人の女性だ。
露わなうなじから肩のラインに見える白い肌には、同じ女性でありながらスノピナに色香を感じさせた。
横目でみたスタンレイなどは、まるで見とれるようにその姿を見ている。
「なぜ動けて……」
スノピナは、口許に手を当てて恐れ慄く。
竜から人に化けた魔王は、すでに片手を上げていなかった。
両手を腰にあて、かるく首を傾げてこちらを見ている。
「なーに。簡単なことよ」
魔王が口で言葉を告げる。
「我は肉体を生みだし、それに受肉した。つまり、肉体的には人の身となった。今の天使エルミカと同じよな。故に魔獣ではなくなったから、束縛からは逃れたわけだ」
「しかし、それでは力も弱まって……」
「確かに。それでも貴様らを殺すのに困るほどではない! 今度こそ、疾く滅してくれよう!」
「でも、おまえはそこから出られないぞ」
ナイトがため息まじりにそう割りこんだ。
「その空間から出るには、俺の許可がいるからな」
「……ふん。なるほど。なかなか強力なようだが、こんな空間、真の姿になれば――」
「そうしたら、また『待て』するだけだ」
「ならば、人に受肉して――」
「だから、人の身だったら、その空間から出られないだろうが」
「……神術が切れるのを待てば……」
「神術のエネルギーである神氣があふれる、この天使界で?」
「き、貴様とてずっと我を見張っているわけにはいかぬだろう! ならば隙をついて――」
「見張るぐらいなら、お前を斃した方が早いだろうが」
「ほほう。我を斃すと? この空間に自ら入ってくるならば、我が貴様に――」
「外から斃すことがないと思っているのか?」
「……あるのか?」
「ある。それに中に入っても、人の身の魔王なら余裕」
「ならば、真の姿に――」
「『待て』する」
「…………」
「…………」
「……おい、人間……」
「なんだよ」
「も、もしかして、我は詰んだのか?」
「詰みだな。ってか、なんで自分が不利な天使界に、苦労してまで侵入してきたんだ?」
「な、なんか、むかついた勢いで……」
「そのまま外で待っていたら、こんな事にならなかっただろうが」
「あっ……」
「こいつ、わりとバカだな……」
スノピナも、つい「そうかも」などと思ってしまった。
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