第8話:不法侵入
「何をなさっているのですか、ナイト様」
スノピナは微笑みながら、ナイトに声をかけた。
ナイトはかるく会釈をして挨拶をする。
「ちょっとこの辺にバンガローを作ろうかと」
「バンガロー?」
「ええ。小さな小屋ですね。スノピナ様たちの反応を見て、テント泊だけではなく、バンガローもあった方がいいのかなと思いまして」
「ああ……。ナイト様、もうしわけございません。わたしたちが我が儘を言ったばかりに」
「いえいえ。参考になりました。それに、その『ナイト様』は辞めましょう。私はお客様を迎える立場なのに、『様』をつけられるのはどうにもむずがゆい」
「しかし……」
「それに私は『様』とつけられるほどすばらしい人間ではありませんよ」
「そ、そんなことありません! でも、ご要望とあれば……『ナイトさん』でよろしいでしょうか。それに、わたしのことも『様』はなしでお願いいたします」
「わかりました、スノピナさん」
「はい。……あ、それから、テント泊は快適です。これはスタンレイも同じ想いです。最初に言った無知故の失礼な言葉、お許しください」
「謝らないでください。先ほども言ったとおり、むしろ意見として助かりました。それでどうですか? キャンプを楽しんでいらっしゃいますか?」
「はい。思いのほか。……本当は楽しんでなんていられないのですが」
最後にスノピナは、笑い顔を少し辛そうに崩してしまう。
自分たちには役目がある。
まさに今、魔物に襲われている者たちがいるかもしれない。
そんな中、緊急非難した場所で、それを楽しんでいいわけがないのだ。
「そんなことありませんよ。人生、何事もできるかぎり楽しむべきです」
「無理です。わたしたち救世者は、この世界の希望です。楽しむなどという不謹慎な態度はとれません。前世、前前世、さらにその前から連綿と続く戦いの中で散った、多くの犠牲があり、その上でわたしたちは立っています。そう考えたら、救世者としての戦いを楽しむ事などできません。一刻も早く救世主とならなくては……」
「不謹慎……か。ちょっと、あちらで座りませんか?」
そう言って親指で指したのは、管理棟の横に設置された、丸太の上に板を置いただけの質素なテーブルと、やはり似たような構造のベンチだった。
誘われるままに席に着くと、彼は管理棟から茶葉と茶器のセットをもってきて、ガスバーナーで湯を沸かし始める。
「ナイト様なら、すぐに湯を出すこともできるのではないですか?」
茶葉をガラスのポットに入れる彼を見ながら、スノピナはふと気がついた。
彼ならば湯ではなく、カップに入った紅茶を直接、目の前に出すことも可能なはずだ。
「私はキャンプするときに、本来は過程も一緒に楽しむ派なんですよ。いろいろ便利な能力はもらいましたが、こういう過程に手間をかけることもわりと好きなのです」
「過程……ですか。少し確認させていただきたいことがあります。普通、前世の記憶は、わりとうっすらとしか残らなくなりますが、ナイト様は前世の記憶をしっかりともっていらっしゃるようですね」
「ええ。それは、救魂力を代償に記憶を残してもらったんで」
「そんなことができるとは……。それならお聞きしますが、たとえばナイト様はお強いですが、その強くなるための過程の訓練……きっと辛かったであろう訓練も前世で楽しんでいらっしゃったのですか?」
「……言われてみれば、楽しんでいた節はありますね。ただし、辛いこと自体を楽しんでいたわけではありませんが」
「そう……ですか。でも、今のわたしは過程など必要としていないのです。なんとしても救世主になり、『平和』という結果が得られればそれでいい。わたしの求める結果の過程には、必ず血の香りと怨嗟の声がともないます。そのようなもの楽しめるわけがありません」
「先ほども言った通り、それ自体は楽しめませんね……それ自体は」
そう言いながら、ナイトは一度、空を見上げた。
しかし、それは空を本当に見ているのか。
どこか遠い場所に思いを馳せている、そうスノピナには見えていた。
「前世の世界の言葉で、『喜怒哀楽』という言葉がありました」
「きどあいらく?」
「喜び、怒り、哀しさ、楽しさです。人間の感情を表しています」
「はあ……」
唐突な話題に、スノピナはとまどう。
「これ、2つずつペアにできるんですが、スノピナさんならどういうペアにします?」
「ペアですか……。ならば『喜びと怒り』『哀しさと楽しさ』とかですかね」
「そうですね。ただ、私は『怒りと哀しさ』『喜びと楽しさ』でよくペアにして話します」
「それは、明暗でわける感じですか?」
「いえ。そうではありません。『哀しさが怒りを呼び、怒りが哀しさを呼ぶ』、そして『楽しさが喜びを呼び、喜びが楽しさを呼ぶ』。相互関係です」
「なるほど……。そう聞くと、怒りと哀しさの相互関係はない方がよいと感じます」
「でも、これら4つの感情は、全て糧というかモチベーションというか。もっと言えば、人間が何をするときのエネルギーなんです。行動を起こすための原因、理由と言ってもいい」
「……つまり、平和を求める過程で生まれる、怒りや哀しさという辛さもエネルギーとして必要だというのですか?」
「そうは言いません。というか、言いたくないですね。エネルギーとなることはまちがいないのですが。ただ、私が言いたいのはもうひとつの方です」
「もうひとつ?」
「はい」
コクリとうなずいてから、ナイトは厚手の布でできたグローブを着けた。
そして沸騰し始めたケトルを手に取り、急須にお湯を入れ始める。
ガラスの急須に、うすく色づいた湯が満ち始め、中で茶葉が舞い始める。
それは激流に翻弄されるようにも、楽しく踊り狂っているようにも見えていた。
「スノピナさんは救世者として活動して、よかったなと思うことはありますか?」
「え? ああ、はい。それはもちろんありますよ。みなさんが喜んでいる姿を見たときとか、助けた方々にお礼を言われたとき……とか」
「わかります。それってすごく喜ばしくて嬉しいことですよね」
スノピナは黙ってうなずいた。
「だから戦いの日々ではなく、その『喜び』に触れられることを『楽しみ』にするのです」
「それが、『喜びが楽しさを呼ぶ』ということですか? もちろん、人々の喜びのためにわたしも頑張っているつもりですが」
「いえ。
「自分の?」
「人々のためなどと考えるからプレッシャーになるんです。『喜び』を見たいという『楽しみ』を求めるのです。その『楽しみ』を糧にして、あなたが戦い進む先に、また『喜び』が来るはずです。あとは永久機関ですよ。『怒り』や『哀しみ』のような辛いものを糧にするより、よっぽど精神的に楽です」
「それは……理想論です。それにナイト様は先ほど、これらの感情は戦う理由やエネルギーになるというようなことを仰いました。しかし、『楽しさ』や『喜び』は手放しやすい。辛くなったら、自分があきらめればいいだけだから。対して、『怒り』や『哀しみ』は断ちきりにくい。忘れようとしても、心が許さないことが多々あります。ならば、そちらの方が戦い続けるエネルギーとしては適切なのではないですか?」
「そうですね。その通り」
ナイトが、茶葉が踊り終わったガラスのポットを手に取った。
そして二つ並べられたカップに注がれ始める。
陶器の白さを優しく塗り替えるように、琥珀のように透き通った茶が満たされる。
「ですけどね……」
陽射しを優しく返す紅茶が入ったカップをナイトがスノピナの前に置いた。
「怒り、哀しみだけではなく、たとえば恐怖、責任感からのプレッシャー、そういうマイナスの感情の積み重ねは、やはり心を
「…………」
「たぶん、ヒーロー……人々の希望たる勇者や英雄と呼ばれる人たちは、人々の喜びを自分の楽しさに変え、それをあきらめず求め続ける、そんな強さをもつ人たちのことを言うんじゃないかと思うんです」
「ならば……ナイト様も前世で、そのように生きて、そのヒーローという救世主になられたのですか?」
「あはは。私は、そんなたいそうな
「それは……」
「すいません。つい、偉そうな事を言ってしまいました。……そうだ。お茶菓子があったんでした。持ってきましょう」
少し自虐的に笑ったナイトは、立ちあがって管理棟へ向かう。
スノピナは、その背中を見つめる。
(大きい……)
そこに見たのは、やるべきことを信念をもって成してきた、見た目に似合わぬ大人の背中だった。
たぶん、彼は彼の言うとおり「人々のため」ではなく、人々の喜びを求め、それを見ることを自分の楽しみとして戦ってきたのだろう。
それを糧にできる強さをもっているのだろう。
「わたしが目指すものは……」
彼女はソーサーごとカップを持ちあげると、息を吹きかけながら、紅茶を少し口に含む。
爽やかな苦みと少しの酸味、そして鼻腔に抜ける独特な甘い香りが広がる。
「おいしい……」
スノピナは紅茶の味を楽しむ。
今まで「楽しい」と感じるたびに、彼女は罪悪感を感じていた。
苦しんでいる人を救う使命がある。
自分が楽しんでいる間にも、苦しんでいる人々がいる。
だから、楽しむ事は悪いことだと漠然とそう感じていた。
「キャンプは苦労する過程も楽しむ……ですか。そうですね。楽しむ事で強くなれるな――!?」
唐突に、キーンという甲高い耳障りな音が響いた。
途端、なんとも不快な、しかし覚えのある気配が少し離れだ場所から漂ってくる。
「こ、これは!?」
彼女は気配をたどる。
その根源は、テントを張った場所のさらに向こう、スノピナたちがこの世界に入って初めて立った場所だった。
「ま、まさか……」
黒き影が立っていた。
彼の者は悪夢のごとき、魔王たる竜。
その雄々しき翼を広げ、人など簡単に食いちぎる牙を見せながら雄叫びを上げる。
「魔王【ティーア・マッド】……ここに入ってこられるのかよ……」
管理棟から顔をだしたナイトも、さすがに驚愕を隠せていなかった。
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