第7話:武芸(マーシャル・アーツ)

「やはり、いくらなんでも剣術戦をやる意味は……」


 スタンレイが苦笑いしながら、スノピナに告げた。

 それはスノピナも同意だった。

 神術なしの戦いなど、結果が見えている。


 しかし、エミ――天使エルミカ――の勧めなのだ。

 無碍にすることはできない。


 もともとの提案は、ナイトにスタンレイを鍛えてもらうというものだった。

 もちろん多くの強力な神術をもっているナイトと模擬戦をして、スタンレイが勝つことはできないだろう。

 何しろ相手は、魔王を退けた力の持主なのだ。

 しかし、スタンレイにとっていい経験になることはまちがいない。

 だから、喜んでその申し出を受けることにしたのだ。


 しかし、エミは直前になって「まずは神術なしでの模擬戦」を提案してきた。

 スタンレイの体は、ナイトに比べて一回り以上大きい。

 もちろん鍛えているため、服の上から見える筋肉の付き方もナイトとはかなり違う。

 この体格差でやりあって、ナイトが勝てるわけがないのだ。


「まあ、せいぜい大きな怪我をさせぬよう気をつけますよ」


 テントの設営場所から離れた平らな芝生の上で、スタンレイは大剣を片手で構えた。

 彼の筋力は、常人が両手で構える剣を片手で構えることができる。

 たぶん、彼はそのまま片手で戦うことで手加減をしようというのだろう。


「そうですね。あまり本気を出さぬように」


 スノピナもそう念押しをする。


「準備はいいですか?」


 10歩以上離れた場所から、ナイトが声をかけてきた。

 彼の手には、ずいぶんと細身で少しだけ反った木の棒が握られている。


「ナイト様。それは木製の……」

「ええ。これは前世の私の国にあった木刀という練習用の武器です。刀という武器をもしたものですね。エミがこれぐらいがいいだろうと……」


「そ、それはいくらなんでも……」


 とまどうスノピナの言葉に割ってはいったのは、ナイトではなくエミだった。


「ああ。大丈夫ですよ。ナイトならこれで問題ありません。それにここには、先ほどナイトが特定空間を築いています。この空間内なら、死ぬことはありませんし、怪我もすぐに治ります。だから、スタンレイさんも怪我の心配は必要ありませんよ」


「…………」


 スノピナは、横にいたスタンレイからわずかな怒気がもれていることを感じる。

 見くびられている、そう感じたのだろう。

 実のところ、スノピナも少し気分がよくない。

 まだ数年だが、自分と一緒に旅を続けてきたスタンレイの強さはよくわかっている。

 神術を使わずとも、彼は一般の戦士よりもよほど強い。

 自慢の仲間なのだ。


「それでは始めてください」


 エミの宣言を受けて、スタンレイが間髪なく大剣を横に構えて走りだす。


「即、終わらせていただく!」


 対して、ナイトは両手で木刀を正面に構えた。

 その姿は、剣術を知らぬスノピナが見ても美しかった。

 凜として静。

 前後に開いた足の位置、かるく落とされた腰、そしてまったくぶれぬ剣先。

 不思議と目が引きよせられる。


「――!!」


 一瞬、剣先だけが揺れた。

 それに呼応するかのように、スタンレイは横降りからフェイントのように縦切りに移行する。

 そのまま、ナイトの頭をかち割る……と思われた。


「――!?」


 ところがナイトの剣先に、いともたやすくスタンレイの刃は横に流された。

 そして気がつけば、ナイトの刃の根元がスタンレイの首元に当てられていた。


「……なるほど。わかったよ、エミ」


 その一撃だけで、ナイトはすべてを悟ったかのような顔を見せる。

 もちろん、スタンレイもスノピナもその意味はわからない。


「まだまだ!」


 スタンレイは大剣を振り、猛攻を繰りかえす。

 しかし、そのどの攻撃も木の模造刀ごときにいなされてしまう。


「これは素手でもいけそうだ」


 そう言うと、ナイトは木刀さえ地面に置いた。

 その行為に怒りをあらわにしたスタンレイが斬りかかるが、ナイトは見事な体捌きで避けるどころか寸止めながら反撃をいれている。


「なっ、なにか神術を……先読みの神術とか使っているのではないのか!?」


「使っていませんよ。これは神術ではなく技術ですね」


「――くっ!」


 嵐のように振られる大剣の刃が、どうしてナイトに当たらないのか不思議なぐらい空を斬る。

 完全にスタンレイの動きは、読まれているとしかスノピナには思えなかった。


「こ、これはいったい……」


この世界エルミカーナの者は、神術に頼り過ぎているのです」


 スノピナの問いに、いつの間にかそばにいたエミが答えた。


「エルミカーナにも、剣術はあります。しかし、少しでも戦闘系の神術が使えれば、ちょっとやそっとの剣術の優位性など、簡単にくつがえってしまいます」


「それはもちろん……」


「でも、剣術を極めれば、また話は違うのです。ところが、極めようとする途中で、自分よりも剣術で劣っていた者が、強い神術を使ってきたらどうでしょう。バカらしく感じてしまう人も多いのではないでしょうか」


「……先ほど、ナイト様が言った問題と同じ話ということですか?」


「ええ。結果、剣術を極める人たちがほとんどいなくなる。極めた人がいても、それを引き継ぐ人がいなくなる。武術の体系というものが持続されず、世に広がるのは基本的な剣術と神術を組み合わせた力技が蔓延する」


「で、でも、やはりそれは、剣術と神術の組み合わせが強いということでは……」


「組み合わせが強いならば、単純に剣術を底上げすれば組み合わせも強くなります。神術は簡単に強化できないのですから、そうすべきなのです。事実、今までの強き救世主たちは、剣術の鍛錬にもかなり力を入れていました。しかし、その時代に師がいなければ、その鍛錬も難しいものになります」


「それはわかります。しかしそれならば、我らには前世の記憶があります。わたしも前世でどのような神術を使っていたのか参考として、自らの神術を選びました」


「はい。しかし、知識と習得は別物です。本当は前世の記憶で、技術そのものを引き継げればよかったのですが、知識としてしか引き継がれません。転生して幼い頃から剣術より神術を重視するように育てられたあと、前世の記憶が呼び戻されたときに、どちらの経験を活かすのか。それはその者の思想と、環境に左右されるでしょう」


「そう……かもしれません」


「対して、ナイトの前世には神術というものはありませんでした。それに変わる強き武器はありましたが、同時に多数の武術があり、それらは一部の者たちによって極められ、体系が作られていきました。彼のいた国で極めた技は『アート』と呼ばれますが、武術の芸を『武芸マーシャル・アーツ』と言います。それはいわば、武術の技術体系そのものを示す言葉と言えるでしょう」


「マーシャル・アーツ……」


「はい。ナイトは、幼い頃から武術を習っていた事もありましたが、そもそも戦いに対する才能ももっていました。その上で努力し、多くのマーシャル・アーツを身につけています」


「つまり、それをナイト様から学ぶことで、スタンレイの強さを底上げできるということでしょうか?」


「はい。それともうひとつ意味があるのですが……今のままではダメですね」


 エミは少しだけナイトたちに近寄った。

 そして口許に両手を当てて、少し大きな声をだす。


「ナイト。寸止めではなく、スタンレイをけっちょんけちょんに痛めつけてください。そうしないと、副次的な効果が得られませんから」


「ちょっ、エミ様!?」


 人々を守る天使が、ずいぶんなことを告げる。

 その言葉に全員が目を丸くするが、ナイトはすぐに「わかった」と答えて実践し始めた。


「――んっぎゃあぁぁぁぁ!」


 おかげで己が体力が尽きるまで、スタンレイは何度も怪我と治癒を繰りかえす羽目になったのだった。



§



 その特定空間で、怪我をしても10秒ほどで回復した。

 絶対に死ぬこともなく、怪我どころか服の汚れなども10秒ですべて元に戻る。

 そんな都合のよい空間で、2時間ほどスタンレイは戦わされていた。

 さらに途中からスノピナも加わり、1時間ほど戦っていた。

 おかげで、スノピナもスタンレイの体力も尽きはてていた。


 それにも関わらず、不思議なことに体内の神氣は満ちていた。


 この空間での自動回復には、自らの精神力が消耗される。

 そんな中で怪我の回復をしまくったスタンレイは、少なくとも精神力が尽きて気を失っているはずだった。

 ところが、精神力は始まる前よりも充実していた。


 精神力とは、端的に言えば神氣と呼ばれるエネルギーの体内流動である。


 この神氣は、足らなくなれば空気中に漂う神氣を吸収して自然回復する。

 とはいえ、空気中から吸収できる神氣の密度はさほど高くなく、ゆっくりと少しずつしかできない。

 中には、意図的に神氣を体内に取りこむことができる神術をもつものもいるが、それは稀だ。

 気を失うほど精神力を消耗すれば、普通の者ならば回復するのに2~3日はかかるはずである。


 ところが、ここは天使界である。

 空気中に神氣が満ち満ちており、体内に取りこむ率も非常に高い。

 しかもナイトが作った特定空間内では、少しでも神氣を取りこむ隙間が肉体にできれば、まるで圧縮するように押しこまれるという。


 その結果、何が起こるかと言えば、神氣を体内に取りこむ最大容量の拡張がされるようだった。

 最大容量が増えれば、強力な神術を使いやすくなるし、戦闘持続時間も上げることができるというわけだ。


 もちろん、スノピナも最大容量を上げたかったが、スノピナは肉弾戦闘向きではない。

 そこで彼女は、敵の攻撃や危険を予知できる神術【滅びの移り香】と、光の防御璧を生みだす神術【聖なる揺り籠】で守りに徹した動きで、神氣の消耗と吸収をおこなった。

 ただ、それだけでもさすがに体力は限界になっていた。


 その午前中の過酷な訓練を終えて、風呂で汗を流すとランチをとることにした。

 キャンプでは、基本的に全て自炊だ。

 それは野宿している時と同じで慣れたものだが、そもそもここには材料がない。

 鳥や魚がいるようだが、まさか天使界の生き物を殺すようなことはできない。


 しかたなく、スノピナは管理棟という建物の中にある売店へ足を運んだ。

 そこにある見たこともない多数の品々を今度はゆっくりと眺める。

 疲れて空腹なのにもかかわらず、好奇心に駆られて店内をすみからすみまで調査でもするように見て回った。

 しかし、ほとんどの物がなんなのか判断がつかなかった。


「疲れているなら、簡単に食べられる、これなんていかがですか?」


 すると、ナイトにあるものを勧められた。

 それは、【インスタント・ラーメン】という食べ物だった。

 不思議な素材の器に最初から入っており、それに湯を入れて暫く待てば食べられるという夢のような食べ物である。


 値段は高かったが、とりあえず2つ買って、ナイトの指導のもとにスタンレイと食べた。

 似たような形だと、西の国にあるパラスタという茹でて炒めた食べ物に似ていた。

 しかし、こちらは濃い味のスープに沈んでいる。

 その濃いスープは、疲れた体に染み渡る味をしていた。

 お湯を入れるだけでこれだけのものが食べられるなど、本当にキャンプの食べ物とはすごいものだと感心する。


 スタンレイは1つでは足らなかったらしく、自腹で追加を買いに行ったほどだ。


 ちなみにスタンレイは、「この商品だけを食べ過ぎるのはよくない」とナイトに言われ、ションボリとした顔で代わりにパンを買ってきていた。

 ナイトの実力を認め、素直に彼の言葉に従ったのであろう。


 その後は2人そろって眠気に勝てず、コットをテントからだし、青空を下で昼寝に興じてしまった。

 本当はテントの中で寝るべきだったのだろうが、テントにこもって寝るには、あまりにももったいない、気持ちのよい陽気だったのだ。


 おかげで質のいい深い眠りにつき、目が覚めたのは1時間が経過したあたりだった。


(スタンレイは……まだ寝ていますね)


 昼寝をしていただけだというのに、なんとも充実した時間だと感じてしまう。

 暑すぎない陽射しを浴びながら、心地よい風に撫でられる。

 土と草の匂いが鼻腔をくすぐり、チーチーという鳥の鳴き声が遠くから聞こえてくる。


 旅の途中、自然は味方ではなくむしろ敵だった。

 旅の途中の野宿は、危険との隣り合わせだ。

 魔物だけではなく、普通の獣でさえ脅威になり得る。

 ほかにも虫、急激な寒暖差、そして人間の中にも盗賊等の敵がいる。

 そんな中で、このように無防備に寝るということはできるはずもなかった。


 だが今は、自然が心を癒やしてくれる。

 自然が味方になる。

 そんなこと、考えもしなかった。

 できるなら、ずっとここに住みたいとまで思ってしまう。


(まあ、ここでは狩りもできませんから、すぐにお金が尽きてしまいますけど……)


 それ以前に、自分には役目がある。

 ここでのんびりしていられない。

 明日には、このキャンプ場から出なければならない。


(バカなことを考えてしまいました……)


 少し散歩でもしてみようと歩きだす。

 ふわっとした感触が、足の裏から伝わってくる。

 それは初夏の芝生そのものだ。


(ここの季節はいったいどうなっているのでしょうか……)


 スノピナたちがいた場所は、ちょうど冬を迎えているところで夜になると寒くて凍えるほどである。

 しかしここは夜になっても、かるく冷えこむぐらいの陽気だ。

 昼間は暑くもないし寒くもない。


(そもそも、この芝生はいったいどこまで続いているのでしょう……)


 この世界は、まるで夢幻のようだ。

 遠くに見える山も本当に存在するのかわからない。

 それでいて、現実であるという実感もある。


(あれは……)


 管理棟という建物の反対側あたりに、昨日と同じような服装のナイトが立っているのが見えた。

 何もない芝生の上で、なにやら腕を組んで思い悩んでいる。


(どうしたのでしょう?)


 スノピナはナイトの元に少し早足で歩みよっていった。



§



 ――ちょうどその頃、キャンプ場の門を叩くものがいた。

 だが、その招かざる客に気がつく者は、キャンプ場内に誰もいなかった。

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