第6話:ワークショップ
目が覚めると、低い天井が見えた。
深い緑色をした不思議な素材の丸い天井は、立ちあがったら、頭がぶつかりそうなほど低い。
(ここは……?)
スノピナは自分が目覚めた場所がどこだか、すぐに判断できなかった。
思考がすぐにまとまらず、しばらくぼーっと天井を見つめている。
自分の状況を思いだすことができたのは、それからしばししてからだった。
(そうだ。テントに泊まったのでした……)
彼女はジッパーという不思議な金具を動かして、体を寝袋から抜け出させた。
夜は少し冷えたが、朝方は過ごしやすい気温だ。
四肢を少し伸ばし、首を左右に動かしてみる。
(自室のベッドほどではありませんが、地べたに寝るのに比べたら天と地ほどの差ですね)
耳には、どこからか鳥の鳴き声と、男のかけ声、空を切る音がする。
どうやら、スタンレイはもう目を覚ましているのだろう。
ずいぶんと寝坊をしてしまったようだと、スノピナは驚いた。
いつも通り野宿していたならば、こんなにグッスリと眠ることはなかっただろう。
周囲の気配にも、もっと敏感になっていたはずである。
自分がどれだけ気を抜いていたのか知って驚いてしまう。
(でも、おかげですっかり元気に……)
下着のままで寝ていたため、狭いテントの中で貫頭衣の服を身につける。
そして身なりを整えると、テントのジッパーを走らせた。
「おはようございます。スタンレイ」
スタンレイが剣の素振りをやめ、スノピナの方に体を向けた。
「おはようございます。巫女姫様」
「おはようございます。早いですね」
「いつもより、ゆっくりと寝ていたぐらいです。そのおかげなのか、この天使界に満ちる神氣のおかげなのかわかりませんが、体の調子もすこぶるよいのです」
「わたしもです。すっかり目覚めが遅くなってしまいました」
と言っても、もちろんまだ朝方である。
ただ、野宿だと日が昇ったらすぐに目が覚めてしまう。
寝心地の悪さと不安で熟睡などできない。
野宿中は浅い眠りでごまかすことがほとんどだった。
「このキャンプ道具というのは、本当にすばらしい。やはりなんとか、わたしたちの旅にも持ち歩けないものでしょうか」
長旅の中、王都から離れれば離れるほど、町から町に移動する距離は伸びていく。
さらに救世者を探すために辺鄙な村を訪れるともなると、野宿の回数は必然的に伸びてくる。
特にここしばらくは、野宿続きであった。
森で迷い、やっと見つけた目的の村は、すでに焼け野原になっていたからだ。
兎にも角にも、スノピナのような旅人はもとより、未開の地を調査する探索者、魔物が守る宝を求める冒険者たちにとって、野宿は生活の一部である。
だからこそ、「安全で快適な野宿」というのは、精神と肉体の健康を維持するためには非常に重要な要素であった。
「やはりお譲りいただけないか、ナイト様に相談してみましょうか」
「そうですね。値段次第ですが。……あ。ナイト殿と言えば、先ほど差しいれとして茶葉をいただきましたので、茶でも入れましょうか」
「それは素敵ですね。でしたら、わたしがやりましょう。あなたはまだ素振りの途中なのでしょう?」
「それはありがたいですが……。巫女姫様、ガスバーナーの使い方は大丈夫ですか?」
「まあ、失礼ですね。ちゃんと使えます。……たぶん」
「たぶん……ですか」
「大丈夫です!」
そう啖呵を切ったはいいが、スノピナは折りたためるガスバーナーの足を出すのさえしばらく悩んだ。
それでもなんとか、昨日にナイトから教わった使い方を思いだしながら、ケトルに入れた水を湧かすことができた。
「でも、本当に便利ですね。こんな小さな道具でお湯を沸かすほどの炎を作れるなんて」
「この道具も、ナイト殿が生みだした……と。信じられませんが」
「ええ」
スノピナは、昨夜の夕飯時のことを思いだす。
ナイトとエミは、いろいろな事を話してくれた。
特にナイトがもつ神術については、本当に驚くべき内容だった。
たとえば、その場を思い通りのキャンプ場に変化させる神術。
これにより、その場の土壌、生態環境さえも変更させることができる。
魔王の一角である狂黒竜【ティーア・マッド】の目の前で、炎に焼かれる森をうつくしい林のキャンプ場に変えたときのことを思いだすと、スノピナは空恐ろしい気持ちになる。
あれは仮の世界を生みだす結界術のようなものではなかった。
あの力により空間が書き換えられて、新たな木々や草などが生まれていたのだ。
すなわち、生命さえも生みだしていたことになる。
ほかにも、キャンプ道具を生みだす神術。
スノピナが湯を沸かすのに使ったケトルもガスバーナーだけでなく、テーブル、椅子、テントまで、すべてナイトが生みだしたのだという。
無から有を生みだす。
キャンプ道具に限定されるとはいえ、とんでもない力である。
そしてとどめは、自分で作りだしたキャンプ場に対して、絶対遵守させることができるルールを設定する神術。
狂黒竜を磔にしたロープと杭が抜けないようにしたのも、この能力らしい。
この神術も、スノピナから見れば恐るべきものだった。
(どれもこれも救世級の力がなければ……)
まさに神業。
しかも、他にも神術を持っているはずだ。
これだけの神術を複数持つとなれば、とんでもない救魂力の持主のはずである。
それなのに、キャンプにまつわることにしか使えないなど、なんともったいないことか。
規制さえなければ、たぶん世界を支配することさえできてしまうだろう。
(強すぎる神術のためか、わたしの【救われし調べ】では失敗してしまう。だから、詳しい力はわかりませんが……)
スノピナの神術【救われし調べ】は、ある一定範囲内で高い救魂力をもつ人物を探すことができる能力である。
また、近くにいれば目の前の者が救魂力によりどのような神術をもっているのか調べることもできた。
しかし、ナイトに対しては、なぜか【救われし調べ】が成功しない。
この場所に来てから、何度も何度も試しているのだが、未だにナイトの神術を調べることはできなかった。
(ともかく、またお話しさせていただき、なんとかお力添えをお願いしなければ……)
おいしい茶で体を目覚めさせながら、スノピナは管理棟である小屋に目を向ける。
すると、そちらの方から軽快な薪割りの音が鳴り響いてきていた。
§
「ナイト様」
大型の鉈を振りおろして、軽々と薪割りをこなすナイトを離れた所から暫時眺めた後、スノピナは声をかけた。
「お忙しい中、申し訳ありません」
かるく会釈すると、ナイトは手を休めて少し笑顔を見せる。
「いえいえ。かまいませんよ。ただの暇つぶしみたいなものですから」
「暇つぶし……なのですか?」
「ええ。終わらせようと思えば、一瞬で終わってしまうので」
「確かに。普通ならば、何回かに分けて叩き割る丸太が、ナイト様の手にかかれば一撃で……」
「ああ、そういうことではなくてですね……」
そう言うと、ナイトは指をパチンと鳴らせてみせた。
すると、一瞬で足下にヒモで括られた一束の薪が現れる。
「あ。そうでした。ナイト様は生み出せるのでしたね」
彼はキャンプ関連品ならば、なんでも生み出せる。
どこまでがキャンプ関連品なのかよくわからないらしいが、やはりとてつもない神術だ。
「ええ。でも便利すぎるので使いすぎるとやることがなくなっちゃうので。ここまでの能力はいらなかったんですけどね」
「え? では、どうして……」
たとえ神の威光を代行できる天使とて、その者が望まぬ神術は授けることができない。
こんな便利な能力を望んだからこそ与えられたのではないだろうか。
「もともとは、天使エルミカにキャンプ場はどこに作るつもりなのかと、問われたのですよ。土地も持っていないのにと」
「それは確かに……。空き地といえど、国の領土である事がほとんど。空いている場所と言えば、魔物に占領された場所ぐらい。そのような場所に作ってもお客など来ないでしょう」
「ええ。だから天使エルミカから、『私の土地を貸しましょう』と言われて。『ここならいろいろなところに門が開くから客も来ますよ』と」
そう言えば、その
昨夜はどちらかというと、彼になんとか救世主として魔王を退治して欲しいと口説くのに注力していたのだ。
結局、「この世界のことは、この世界の人が主体で解決すべきだ」と言われて断られてしまったのである。
「でも、この土地で仕事をする限り、いろいろなキャンプギア――キャンプで使う道具をそろえることができない。さらにキャンプ場なんて理解されにくいから働いてくれる者もいないだろうと。そうなればキャンプギアを作るどころか人手も足らなくなるとも言われまして」
「なるほど」
「ほかにも『そもそも金属等の素材は、どうやって手にいれるのですか?』『食べ物はどうするんですか?』『資金はあげられませんよ?』とか詰めよられ……。『それならいろいろと生み出せる能力があったら便利じゃないですか?』と提案されたわけです。確かに、そうかなと思い、『それでお願いします』と答えたら、こんな感じに」
「もしかして、他の神術もそんな感じで与えられたのですか? たとえば、ルールを作れる神術とか」
「まさに。この世界って魔法……じゃなく神術を使える人がいたり、武器を普通に携帯したりしているではないですか。そんな人たちがキャンプ場で暴れたら、1人で対応できるのかと。『それならルールを作って守らせる能力とか便利じゃありませんか?』と言われまして。なんかうまいこと誘導された気もしますが」
「ふふふ。そうですね」
スノピナはナイトの苦笑に笑ってみせる。
ただ笑いながらも、話を聞いていて何かが気になった。
しかし、それが何かわからない。
「……やはり、その力で魔王を斃してはいただけませんでしょうか」
無駄とはわかりつつも、スノピナは昨夜の続きを口にする。
「この世界の者がすべて滅んでしまったら、ナイト様の夢であるキャンプ場の客もいなくなるということですよ」
昨夜は「救世主の使命」やら「正義のため」やらを盾に懇願してしまった。
そして途中で「もうやめましょう」と話を打ち切られてしまったのだ。
だから今日は攻め方を変えてみることにした。
「それはそうなのですが、昨日も言いましたが、そもそも私に魔王を斃せる力などないですよ。この能力はキャンプ場のための能力ですから」
「そんなはずはありません」
スノピナはあとになってから思いだした根拠を口にする。
「わたしたちを助けたとき、ナイト様は『魔王を斃してしまうと思惑通りになりそう』などと仰っていました。あの言葉は、斃す算段と自信があるからこそのお言葉ではないのですか?」
「……そんなこと言いましたっけ? 気のせいでは?」
「いいえ。仰っていました」
キッパリといい気立ったスノピナの言葉に、ナイトは低く唸る。
「うーん。たとえ、私が魔王を斃せたとしても、それでいいんですか?」
「この世界の者が斃すべき。別世界の者が関与しない方がいい……という話ですか? しかし、それは神が認めたことであり――」
「えーっと、神がどうとかではなく。この世界で頑張っている救世者の方々、その心の問題というべきかな」
「救世者の心?」
「今、救世主はこの世界のために命がけで戦っているし、お連れのスタンレイさんを始め、救世者の方々は救世主になって世界を救うために日夜努力している」
「はい」
「その方々を差し置いて、私が横からしゃしゃり出てきて、あくまでたとえばですが、十二魔王をちゃちゃっと斃したとしましょう」
「ちゃちゃっと……」
「いや、あくまでたとえです。でも、そうなったとしたら、命がけで戦っていた救世主や努力していた救世者の方々は、『ああ、よかった』と素直に思えるのでしょうかね」
「それは……」
「自分たちは何だったのか、今までの苦労は徒労だったのかと考えませんか?」
「…………」
それはスノピナ自身にも刺さる言葉だ。
今までも「なぜ自分にこのような役目があるのか」という想いはあった。
しかし、今困っている人々のため、未来の平和のためと努力を続けてきた。
連綿と続く前世の記憶に駆られ、人生を賭けてきた。
だが、もし目の前にいる人間が、片手間にそれを成し遂げてしまったらどう感じるだろうか。
彼の言うとおり、自分の人生、自身の価値というものに疑いを持ってしまうのではないだろうか。
それどころか、これまで積み重ねてきた前世さえも無価値だったと考えてしまわないだろうか。
「それは、将来のためにもならないと思うのです」
「将来……誰のでしょうか?」
「この世界のです。先ほどの例のように、私が魔王をすべて倒したとしましょう。しかし、この世界の魔王は陰陽の周期があり、定期的にまた発生してしまう。これはこの世界の摂理として仕方がない。その時に『この世界の救世主たちがどんなに頑張っても斃せなかった魔王を異世界から来た救世主が簡単に斃してくれた』という話が残っていたら、その時代の救世者たちは努力すると思いますか?」
「その異世界の救世主に期待する……と?」
「たぶん、しますよね。戦っても異世界救世主が来るまでの時間稼ぎとしてぐらいでしょう。進んで魔王を斃すために努力する者が何人でるのやら」
「そう……かもしれません」
「でも、私のような存在は、エルミカが例外中の例外だとか言っていました。だから、2度目がある可能性は少ない。下手すれば、『なんで今回は異世界救世主を送ってくださらないのか』と、エルミカを恨む者も出てくるかもしれない。だから、この世界を守るのは、努力を積み重ねてきたこの世界の住人自身でなくてはいけない。いわゆる自浄作用をきちんと働かせなければならない。違いますか?」
「…………」
確かに、彼の言うことは正しい。
正しいのだが、どうしても認められない事実がある。
「しかし今、魔物達に苦しめられている人たちがいるのですよ……」
「それは神が定めたことなのでは? 定期的に魔王が生まれ、魔物が生まれる世界を創ったのは神だ」
「それは……そうですが」
「それに抗う力は、その世界の人たちがもつべきだというのが本来の神の考え方なのではないですかね」
「…………」
理屈は正しい。
しかし、どうしても感情が納得いかない。
これだけの力がある者がいるのに、状況は好転しないなどおかしいではないか。
スノピナは、それが納得できない。
思わず、よくわからない怒りと哀しみで瞼を強く瞑ってしまう。
「いわば不条理劇か……」
ナイトがよくわからないことを言いながら、バツが悪そうに頭を掻いてみせた。
「もちろん、さっき言ったとおり、俺も客がいなくなることは困る。困るから、手伝いぐらいはとは思うんだけどさぁ……」
その言葉は客に対する口調ではなく、思わずもれた素のナイトの本心だったのだろう。
辛そうな心痛をみせたスノピナの表情に釣られたのか、ナイトも顔を曇らせている。
「ならば、ワークショップというのはいかがでしょうか」
いつの間にか横に立っていたのは、今まで話題に出ていた受肉した天使であった。
「エルミ……エミ様。いつのまに」
昨日と同じ白いワンピースの裾を朝の風に舞わせながら、エミは物静かに微笑んでいる。
スポーティーなサンダルを履いているが、それで草を踏む足音はまったく聞こえてこなかった。
「それより、ワークショップってどういうことだ?」
「あなたの世界には、アウトドア・ワークショップとかありましたよね」
「ああ。ナイフの使い方とか、焚き火のやり方とか、ランタン作ったりとか……」
「ええ。キャンプ場でもワークショップを開催することはあったと思いますが、この世界だとナイフの使い方とか、冒険者たちにとってはできて当たり前ではないですか」
「そうだな。じゃあ、代わりに俺のキャンプ道具の使い方とかレクチャーするワークショップとか?」
「そこは貸し出す品のことですから、有料ではなく無料で教えるべきではないですか? そもそも、あなたの世界の道具を最初から使える人なんていないのですから」
「まあ……そうか。なら、なんのワークショップをやれと?」
「もちろん、この世界にあったワークショップを開くのです。たとえば、【救世者・冒険者向けワークショップ】とかいかがです?」
「救世者や冒険者向け? それってもしかして……」
「はい。キャンプ場のお客様としてきた救世者、冒険者等の希望者に、あなたが戦い方を教えて鍛えるのです」
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