第3話:チェックイン

〈逃すか!〉


 魔王たる竜の姿は、暗雲に包まれながらもまるで人のようなサイズと形を成していた。

 だが、その姿から感じる迫力は、竜の姿の時よりも恐ろしい。

 先ほどまでの弄ばれていたときとは違う、怒りに満ちた悪意の視線。

 スノピナは、その向けられた殺意に身震いする。


〈死ぬがいい……〉


 重々しい女性のような声と共に、暗雲でできた腕が、スノピナたちに向けられようとした。

 だが、


「――強制チェックアウト! 再入場禁止!」


 謎の青年が発した言葉で、暗雲の体は突然、その場から姿を消した。

 否。消えたわけではなかった。

 その気配は、はるか前方に移動していたのだ。


「魔王を退けた……だと!?」


 スタンレイが戦慄するが、スノピナとて信じられない。


「いっ、いったいなにをしたら……」


「いいから、早く入ってください!」


「あ、はい!」


 青年に急かされたスノピナは、意を決してスタンレイと共に謎の門をくぐる。

 少し分厚い空気に体が包まれた気がした。

 しかし、それも一瞬のこと。


「――なっ!?」


 景色が一転した。

 正面にはきれいに整った、鮮やかな緑が映える芝生の草原。

 その先に立派な木々が立ち並び、その背後には頂が白く染まった雄々しい山がそびえ立つ。

 右には、丸太を重ねて作った大きめの家が1軒。

 左には、少し離れたところに湖が存在した。


 スノピナには、そのどれもが目に見えぬ力を帯びて、燦然と輝いているように感じられる。


(なんて神聖な気に満ちた……)


 さっきまでの危険な状況など、どこかに忘れてしまった。

 背後をふりかえっても、あの禍々しい竜の影などどこにもない。

 木製のアーチが立っているだけだ。

 その向こうにも、ふかふかの芝生が広がっている。

 まさに世界が変わっていた。


「改めまして。ようこそ、【天使の原キャンプ場】へ」


 自分たちを救ってくれた黒髪の青年が、背後から声をかけてくる。

 今度は風景に見合った、爽やかな笑顔だ。

 魔王に対した時はまったく違う、物腰も柔らかく刺々しさもまったくない。

 しかし、やはりその声は年齢にそぐわない落ちつきを保っている。


「て、天使の原……きゃんぷ場?」


「はい。【天使の原キャンプ場】です。私はこのキャンプ場の管理者兼経営者。まあ、オーナーでいいかな。名前は、【営野えいの 一泊かずはく】……ではなく【ワンナイト】……コードネームでもまだ少し長いか。では、【ナイト】と呼んでください」


「えっ、えーっと……オーナーのナイト様でよろしいので? ご挨拶が遅れました。わたしは【救世の巫女姫】の役目を務めさせていただいております、スノピナという若輩者です。こちらの者は、【救世者】のスタンレイと申します。先ほどは助けていただきありがとうございました」


「気にしないでください。たまたま、あそこに門が開いただけの成りゆきですから」


「たまたま……それではわたしたちは幸運だったのですね。ところでここはいったい……ナイト様の土地なのでしょうか?」


「ええ。私がこの土地の管理者です。とは言っても、土地の所有者であるエルミカから借りているだけですが」


「そ、それです。その、先ほども、そのお名前を聞きましたが、もしや天使エルミカ様のことでしょうか?」


「その天使です。一応、このキャンプ場の共同経営者ということで」


「で、では、やはりここは天使エルミカ様の【天使界】なのですね!?」


「はい。そのとおりです」


 【天使エルミカ】とは、スノピナたちが住まう世界【エルミカーナ】の守護天使のことだった。

 守護天使たちは、神が生みだした世界を見守る管理者だという。

 ただし管理者といっても直接、人間の世界に影響を及ぼすようなことはしない。

 住まいである天使界と呼ばれる空間で、世界のバランスをとっていると言われていた。


「巫女姫様、オレたちは夢でも見ているんでしょうか……。ここがあの天使界だとは!」


 スタンレイが改めて辺りを見まわしながら、歓喜に震える表情を見せている。

 ほとんどの者が書物でしか知らなかった天使界にいるのだから、当然のことだろう。


(噂には聞いていましたが……)


 自然現象なのか、天使の気まぐれなのかわからないが、エルミカーナのどこかで稀に天使界とつながる門が生まれることがあるという。

 その門に迷いこんだ者たちの話だけは、噂話として伝わっていた。

 清浄な気が満ちていて、美しく、穏やかだと言われているが、まさにその通りの風景である。


(しかし、その天使界に人が住みついているという話は聞いたことが……)


 スノピナはそう考えてから、目の前のナイトという青年を見る。

 見た目はどうみても普通の人間である。

 しかし、彼は天使の名前を呼び捨てにし、「共同経営者」とも言っていた。

 さらに、いとも簡単に魔王を退ける力まである。


(もしかしたら……)


 スノピナは「恐れながら」と尋ねてみる。


「ナイト様。あなた様も、もしかして天使様なのでしょうか?」


 するとナイトは、静かな笑みと共に開口した。


「いいえ。私は単なる人間です。作務衣を着た天使なんていないですよ」


「さむえ? その変わった服のことですか? よくわかりませんが、一部とはいえ天使界の土地を管理するなんて……」


「うーん。そこはいろいろありまして。えーっと、いわゆる天使との守秘義務ってやつで、詳しくは言えないのですが」


「そ、それは失礼いたしました!」


 笑って見せるナイトに、スノピナは慌てて頭をさげる。

 天使の秘密を暴こうとするなど、罰当たりもいいところである。


「ところで、これからの話です。先ほど通ってきた、人間界と天使界をつなぐ【界門】ですが、今は閉じています。が、もう一度開いても、3日間は同じところに繋がってしまいます。だからすぐ戻ろうとすると、あの魔王と鉢合わせする可能性があります」


「そうですか。次……4日後に開く場所は、決まっているのでしょうか?」


「それは天使の気まぐれというか、エルミカ曰く『適当に繋がります』とのことでしたので。下手すると、先ほどの大陸とはまったく違う、別大陸に繋がることもありえます。他にもいくつか界門は開いていますが、それもどこに繋がっているのかよくわかりません」


「そ、それは困ります……」


 スノピナは少し視線を落として、口許に指を当てながら思考する。

 別の大陸に行くのは困るが、すぐに出ていくのは危険がある。

 となれば、3日目ぎりぎりに出ていくのが、一番いい選択肢であろう。

 あの狂黒竜も、3日間もあの場で大人しく待っているということはないはずだ。


「ナイト様。我々2人をここに3日間、居させていただくことはできるのでしょうか?」


「それなのですが、ここはキャンプ場なので、できたらお客様として滞在していただきたいのです」


「も、もちろん、わたしたちは助けられた上に匿っていただく身。できるかぎりのことはいたしますが……その、先ほどから仰っている『きゃんぷ場』とはいったいなんなのでしょうか?」


「ああ、失礼。簡単に言うと宿屋みたいなものなのですが、宿泊用の建物はなくて、野宿場所を提供する施設なのです」


「……へっ? の、野宿……ですか?」


 ついスノピナは素っ頓狂な声を出してしまう。

 野宿なんて、そこらで勝手にすればいいだけの話だ。

 わざわざそんな場所を用意して、どうするというのだろうか。

 確かに、著名な場所へ行く道中に、安全な野宿ができる場所があれば便利かもしれない。

 しかし、ここは天使界であり、そもそも人が訪れることも稀である。

 どちらにしても、わざわざ野宿などする必要がなく、普通の宿屋でいいはずだ。


「ナイト殿。野宿で金を取る……と?」


 スタンレイがひきつった笑顔で横から尋ねる。


「あの大きめの家に泊まることができる……とかではなくてか?」


「はい。あれは管理棟と売店、2階が私と従業員の家となっています」


「では、この原っぱで寝るだけで金を取る……というのか?」


「仰るとおりです。ただし、炊事場、トイレ、お風呂といった施設は使えます。お値段はフリーサイト、区画サイト、林間サイト、湖畔サイトでそれぞれ――」


「ふっ、ふざけるな! 貴様、オレたちを馬鹿にするのか!?」


 顔を真っ赤にしたスタンレイが、背負っていた大剣に手をかける。

 だが、スノピナが慌ててそれを身振りで制した。


「待ってください、スタンレイ。確かに屋根もなく、壁も無い中、原っぱで野宿するのにお金を取るというのは、普通ならば到底納得できません」


 スノピナは何か溜めこんでいたものを追いだすように、大きく息を吐いた。

 そして、まるで子供に言い聞かせるように、穏やかな口調で語りかける。


「しかし、我々はナイト様のお力で怪我や装備を直してもらった上に、安全な天使界で休ませていただけるのです。たとえ野宿でも、なんの不満がありますでしょう」


「そ、それは……まあ……。しかし、ここはエルミカ様の土地なのでしょう。慈愛に満ちた天使様の土地を利用して金儲け……しかも野宿で金をとるなど……」


「エルミカ様とて、それは承知の上のはず。そのご意志を我々ごときが否定するなど、くちはばったい物言いでしょう」


「そ、それはそう……ですが……」


 スタンレイは敵意むきだしの眼光をナイトに向ける。


 本当はスノピナとて、ナイトにあまりいいイメージを抱いていない。

 なにより尊き神の使いである【天使エルミカ】を呼び捨てにしているのが気にいらない。

 だが、一方でこの者がエルミカに認められているということもまちがいないだろう。

 そうでなければ、天使界でこのようなことができるはずもない。


「お話はすみましたか? ご宿泊ということでよろしいですか?」


「はい。お世話になります」


 傷は癒えているが、肉体的な疲労感は残っているし、神術を使いすぎて精神的にも疲労していた。

 だからと言って、今すぐここを出て別の所で休もうとしても、また【ティーア・マッド】と遭遇したら、今度こそ命はないだろう。

 選択肢は他になかった。


「畏まりました。それではチェックインをお願いします。実はあなた方は、このキャンプ場で初めてのお客様なのです。ですので、いろいろとサービスさせていただきますよ」

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