第4話:初キャンプ

 スノピナとスタンレイは、管理棟と呼ばれる建物の受付カウンターらしき場所で、やたらと真っ白な紙に、名前と所属国を書かされた。

 しかもインクをつけずともかける不思議なペンで。

 さらに売店コーナーというところには、見たこともない商品が大量に並んでいる。

 さすが天使界、知らぬものがいろいろとあると驚愕していると、今度はナイトから「テントはどうしますか?」と笑顔で聞かれた。

 布でテントを張ってくれるのかと思ったが、彼はテントを貸し出すと説明してくれた。

 テントを貸し出すの意味が今ひとつわからなかったが、最初のお客様だから無料と言われたので彼に任すことにした。


「今回は大サービスで、無料でキャンプ用品一式お貸しいたします。もちろんご指導もさせていただきます。宣伝もして欲しいですし」


 物静かながら嬉しそうに語ったナイトは、管理棟の中からいろいろな道具が入った小さな荷車を出してきた。

 そこからは、あれよあれよと2人はナイトの勢いに流されてしまった。

 気がつけば、多くの驚きを重ねて、今はまったりとした時間を過ごしている。。


「巫女姫……風呂、気持ちよかったですね……」


 背後から夕日に照らされながら、鎧を脱いだくつろぎ姿で、スタンレイは金属のフレームでできた椅子に座っていた。

 フレームの間には丈夫な布が張ってあり、それが優しく体を支えてくれている。

 その座り心地の良さは、木の椅子とは比べものにならない。

 しかも、簡単にコンパクトにたたむことができるのだから驚きだった。

 きれいに汚れが落とされた貫頭衣を身にまとい、スタンレイはさらに体を背もたれに寄りかからせた。


「本当に。まさか天使界にも温泉があるとは思いませんでしたけど……」


 管理棟と呼ばれる建物の向こうに、もうひとつの建物が存在していた。

 そこには男女に分かれた大風呂があり、さらに露天風呂も存在していた。


「疲れが一気に流された気分でした」


 スノピナもまた、ベールをとって銀髪を後ろに流しながら、椅子に体を預けている。

 そして片手に持ったカップを口に運んだ。


「しかし、やはりここは不思議ですね。たとえば、このカップ。中に入っているハーブティーが、未だに熱いままです……」


 寒くもなく熱くもないほどよい陽気。

 ときおり吹く風が、湯で暖まった体を気持ちよく涼ませてくれる。

 寒すぎない、だからと言って、軽い金属のカップに入った茶がこうも冷めないのは不思議でならない。

 それどころか、金属のカップなのに熱いお湯を入れても外側が熱くなりすぎないのだ。

 普通なら持てなくなりそうだというのに。


「オレがもらった、謎の果物ジュースも、未だに冷たいままですよ。しかも、贅沢にも氷入りなんて。それにトイレはきれいで水が流れ、服も一瞬できれいになるとか。天使界はすごいところです!」


 そう言いながら、スタンレイが周囲を見る。

 スノピナもつられるように、周りを見まわした。


 コンパクトに収納できる金属の机。

 その上には、スノピナの飲んでいる茶の湯を沸かした、小さなガスバーナーという道具が置いている。


 背後には、貸し出された丸い形をした不思議なテントが2つ設営してある。

 細いのに丈夫で良く撓る鉄の棒を弓なりにして、それに見たこともない布らしき物を張ることで、半球型のテントができあがっている。

 その布は、非常に薄いというのに風も雨も通さないという。

 しかも軽くてコンパクトに収納できるというのだから驚きだった。


 さらに驚いたのは、コットという小型のベッドだった。

 上には、不思議なフワフワ感が楽しめる、空気の入ったマットまで敷いてあり、その寝心地たるや、感触こそ違うが貴族のベッドと比べても遜色のない快適さだった。


 その上には、寝袋が広げてある。

 だが、寝袋も自分たちが知っているような布をただ袋状にした物とはまったく違った。

 試しに入ってみたが、中に入るとすぐに温かくなる。

 しかも、ふんわりと軽くコンパクトに収納できる。


「なんか、オレたちが普段している野宿と、まったく違うんですが……」


 スノピナが「そうですね」と同意すると、スタンレイが気まずそうに頭をかいた。


「巫女姫様。正直に言いますとオレ、泊まってよかったなと思っているんです。建物の中ではないけど、鬱陶しい虫もいないし、魔物に襲われることもない。外でも、これだけ快適なら文句ありません。確かに、街の宿屋並で高い気がしますが。それでも、納得はいく。彼には失礼なことを言ってしまいました」


 スタンレイは、良くも悪くも直情的である。

 そして自らの非についても素直に認める彼の性格をスノピナは好ましく思っている。

 市井で育ち、の記憶が蘇ってからも、彼のこういう性格は変わらなかったらしい。

 おそらくは前世でも、やはりこういう性格だったのだろう。


「そうですね。まあ、本来はこれらの道具を借りるのも……レンタル? とかで、さらにお金がかかるようですが……。むしろ、この道具の数々を売ってもらえないものでしょうかね。これがあったら、もっと旅が楽になりそうな気もします」


「誠に。椅子やテーブルは荷物が増えますから、せめて寝袋とテントだけでも。ちょうど、狂黒竜のせいで荷物を失ったことですし」


「ええ。所持金も少ないので、このような高価そうな物を買えそうにありませんが。……しかし、そうでしたね。つい少し前までわたしたち、あの【ティーア・マッド】と戦っていたんでした」


「戦っていた……というより、殺されかけていたという方が正しい気もしますが……」


「確かに……」


 自虐的に笑うスタンレイに、スノピナは苦笑で返す。

 そして視線を正面に戻した。


 眼前に広がるパノラマの中心には、圧倒されるような迫力と美しさを見せる山が雄々しくそびえ立っている。

 ナイトが「フジ」と呼んでいた山だ。

 峰の部分は雪を被っているのか白くなっていたが、今は夕日を浴びて少し朱く染まっている。

 静かに佇む落ちついた姿は、幼い頃に見た父の背中を思いださせる。

 頼りがいのある不動の存在。

 見ているだけで、心が安らぐ。

 自分たちが魔王に殺されかけていたことなど、忘れそうになる。


 少し離れたところにある湖を見れば、斜陽を反射してキラキラと水面を輝かせ、雲一つない晴天の夕焼けは、未だかつて見たことない色を見せている。

 土や草の香りを風が運んできて鼻をくすぐるが、どこか遠くから鳥のような鳴き声が届いてきた。


「美しい景色……」


「オレの故郷の風景も、こことは違いますがきれいでしたよ」


「そうですか……。そうですね。人間界にもきれいな景色はたくさんありました……」


 2人はそのまままた、風景を見ながら無言になる。


「…………」


 ふと、スノピナは昔のことを思いだす。


 彼女は幼い頃から【救世の巫女姫】になるべく、厳しく育てられた。

 戦い方、神術の使い方、そして巫女姫としての心得。

 自らの命を賭けて、人々の安寧を守り、世界を救う。

 それを前世、さらに前々世から繰りかえし、記憶と共に、徳というべき救魂力というものを稼いできた。


 救世者とは、転生者である。

 彼女も前世の記憶は、しっかりと持っている。

 前世でも、やはり【救世の巫女姫】として戦い、そしてその中で殺されて生涯を終えていた。

 好きな男性もいた。

 やりたいこともたくさんあった。

 しかし、【救世の巫女姫】の【スノピナ】として生きていくことが宿命だった。


 そして今の【スノピナ】も、その前世の記憶が蘇った時点で与えられた名であった。

 こうして前々前世、前前世、前世と積み上げてきた、【スノピナ】という存在の救魂力は、8000万を超えている。


 10万人の命を救えば、勇者級。

 100万人の命を救えば、英雄級。

 1000万人の命を救えば、聖人級。


 救った命の数はあくまで目安だが、そう言われている。

 そしてそのクラスによって、望み与えられる【救済の福音】と呼ばれる神術の強さも変わっていく。

 しかし、それでも魔王には届かない。


 1億人の命を救えば、救世級。


 そこで初めて【救世主】と呼ばれ、魔王と呼ばれる存在と対等になる。

 しかし、転生をくりかえせば古い記憶は薄れていき、それと連動するように救魂力も失われていく。

 つまり救世主となるには、なるべく直近の世代で救魂力を稼がなければならない。


(私の代で、なんとしても救世主にならなければ……)


 今、現世に存在している救世主は、わずか6人。

 しかも、そのうち2人は年齢的に戦うことが難しくなっている。


 同時に救世主が現れた最大人数は、過去の書物をあさっても8人である。

 つまり救世主があと2人は、見つかる可能性があるのだ。

 しかし、たとえどこかで転生を果たしていたとしても、すぐに戦える状態かどうかはわからないときている。


 だからこそ、救魂力が高い者を探す神術【救われし調べ】を得ている4人の【救世の巫女姫】や、各国の騎士団が総力を挙げて、【救世主】となる可能性がある、新たなる【救世者】を探している。

 そして、その育成を急いでいるのだ。


(おかげで多くの救世者は見つかりましたが、そんなに都合よく救世主になれる人など……)


 そんな中で見つけた1人が、片田舎で冒険者をやっていたスタンレイだった。

 実直で努力家で気のいい彼は、自分が救世者であることを受けいれ、人々を守るためにと協力してくれている。

 しかし、彼が救世主になるまでの道のりは遠い。

 彼の今世では難しく、来世に期待することになるだろう。


(でも、12の魔王がいる今、それでは遅すぎる。せっかく天使界に来られたのだから、なんとかエルミカ様にお目にかかって、なにかお力をいただけたら……)


「お待たせしました、お客様!」


 考えにふけってどのぐらい経ったかわからないが、管理棟の方からナイトが荷車を押しながら現れた。


「夕飯の材料をお持ちしました」


 明るい笑顔でそういう彼の横には、1人の女性の姿があった。

 シルクでできたような真っ白なワンピースに、真っ白な帯、そして金色の光り輝くロングヘアーが目を惹いた。

 その彼女は、両手で大皿を抱えて運んできている。


「こちらが、ご注文いただいていた【焼肉用各種肉盛り合わせセット】です。話が聞きたいということでしたので、先ほども申し上げた通り、私たちもこちらで一緒に食事をさせていただきます」


 確かにスノピナは、ナイトに話を聞きたいとお願いした。

 ナイトのもつ神術のこと、この天使界のこと、そしてエルミカとの関係など確認しておきたい。

 そしてあわよくば、エルミカに謁見できないかと考えていたのだ。

 ところが、ここにきてナイト以外の人間が現れた。


(人間……?)


 夕映えの中だからか、薄桃色に肌は艶めかしいほどに艶やか。

 ゆったりとしたワンピースの上からでも、バランスがよいと感じされる肢体は、同じ女性のスノピナさえも見惚れてしまうほどだ。

 さらに見とれてしまうのは、その面相だった。

 まず目に入るのは、大きな双眸。

 丸すぎず、切れ長すぎない、少女のかわいらしさと大人の色香を併せもつ。

 その両目を飾るしっかりときれいに整った柳眉に、整いながらも大きすぎない鼻、そして桃色の唇。


 あまりの整った姿に、スノピナは彼女が人間だとは思えなかったほどだ。


「あ。ご紹介しますね」


 しかし、スノピナのその勘は当たっていた。


「彼女……でいいかな。彼女が、このキャンプ場の共同経営者兼従業員の【エルミカ】です」


「――えっ!?」


「――なっ!?」


 スノピナとスタンレイは、思わず奇妙な声をあげてしまう。


「はじめまして、エルミカです。ようこそ、【天使の原キャンプ場】へ!」


 その方は、自分たちが崇めるべき神の使い。

 この世界を管理する天使。

 それが目の前に現れたのである。


 【焼肉用各種肉盛り合わせセット】の大皿を抱えながら――。

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