第29話『誰かのために』

「ハアッ、ハアッ、ハアッ……!」


 腹を抑えながら、片膝をついてうずくまるセリカ。

 血が足りない。視界が暗い。もはや痛みさえ感じない。

 ジリジリと肌が焼かれていく。『身体強化』が弱まっていく。発火するのも時間の問題だ。


「まあ気の毒なのはルフレオも同じか。人質取られて身動き取れねえまま、フォルターたちになぶり殺しだからな。ふん! 己様おれさまでも腹が立つぜ。あいつらの悪趣味さにはな」


「……う、そよ。あいつが、負けるわけ、ないんだから……」


 そんなセリカの強がりに、ドレイクはニタリと耳まで裂けた口を歪めた。


「いやあ、死んだぜ、あいつは。己様おれさまがこの目で見た……ひでえ死に様だったよ。全身の皮を剥がれて、爪先から寸刻みだ。あのとんでもねえ叫び声、まだ耳にこびりついてやがるぜ」


「……嘘」


「本当だとも! 手前テメエのことも言ってたぜ。『セリカのことならなんでも話すから見逃してくれ』ってなあ! ひゃひゃひゃひゃ! 

 哀れだなあ手前テメエは! 弱えまま己様おれさまに殺され! 師匠には見捨てられ! とことん哀れな女だぜ、手前テメエはよお!」


 炎狼の嘲弄が、何度も脳内でこだまする。

 弱い。見捨てられた。哀れな女。

 すべて本当のことだ。

 

 ドレイクには勝てない。

 ルフレオには見放された。

 自分は惨めで無様だ。

 

 ……本当に?

 

『――自信を持ってください。あなたは強い』


 ヒルデブラントと戦う前、彼はそう言って、震える自分を勇気づけてくれた。


『見捨てませんよ。絶対に』


 魔力測定をしたとき、彼はそう誓ってくれた。


『いいえ、認めます。あなたなら、魔王を倒せる』


 誰も、自分の夢を認めてなどくれなかった。

 故郷の寒村を発った日も、親さえ見送りに来なかった。

 村でもギルドでも、馬鹿だ無謀だと笑われ、嘲られ、軽んじられてきた。


 だけど、ルフレオだけは、自分を信じてくれた。

 あの瞬間。自分は、世界で誰よりも幸せだと思った。


「うおおおおおお!」


「チッ! まだ動けんのか!」


 喉も裂けよとばかりに絶叫しながら、ドレイクに斬りかかったのはヘクトールだった。

 その身体は焼け焦げ、炭化し、骨が覗いている部分さえある。

 もはや死に体。治療の施しようのない、瀕死の重傷だ。

 だというのに、彼はまだ剣を握っていた。

 

「セリカ! 無事か! 無事なら立て! 民を守れ! 仲間を守れ! 一秒でも長く、此奴こやつを食い止めろ! さすれば、必ず助けが来る! ルフレオが来る!」


「バァカが! 死んだんだよルフレオは! とっくの昔に!」


「私が間違っていた……ルフレオは全てを読んでいた! ならば、敵の策もきっと見破っているはずだ! 切り抜けているはずだ! だからあやつを信じろ! 敵の言葉などに耳を貸すな!」


「とっとと死ねよ、死に損ないがああああ!」


 どこにそんな力が残っていたのか。

 ドレイクの凄まじい猛攻と、真っ向から張り合うヘクトール。

 その決死の覚悟を秘めた戦いぶりに、セリカはこう思わずにはいられなかった。


 なぜ、そこまでするのか。


 そんな疑問を呼び水として、過去の記憶が蘇る。

 

 出身地の寂れた寒村を守るために、派遣されてきた冒険者たち。

 大した報酬もないだろうに、彼らは何度もやって来ては魔物や魔族を退治してくれた。

 

 ひねくれていた自分は、彼らをバカだと思っていた。

 赤の他人のために命を張って戦うなんて。

 ある日、尋ねてみたことがある。

 

「なんで冒険者なんてやってるの? もっと、いいお仕事いっぱいあるでしょ?」

 

 彼らは笑って答えた。

 

「ああ。あるかもな。でも、おじさんたちはね。この仕事が一番いいって思ってるんだ」

 

「なんで? お給料、安いんでしょ。しかも、危険だし。あたし、ぜったいやりたくないよ、そんな仕事」

 

「はっはっは! 確かにそうだ! でもね、だから・・・おじさんたちがやるんだ。お嬢ちゃんにも、いつか分かる日が来るさ――」

 

 分からなかった。あれから何年経っても、剣の才能に目覚め、彼らに憧れて冒険者になっても。

 魔王討伐を夢見ているのは、勇者として称賛されるため。

 魔族を倒すのは、魔王軍の戦力を削るため。

 それ以外の目的など、まったく見いだせなかった。

 

 でも、そんなとき。あいつに出会った。

 ただのおっさんにしか見えないのに、とんでもなく強くて、そのくせ妙に腰が低くて。

 

 けれど、そんなあいつにも守れないものはあって。

 

 それでも、あいつはこう言った。

 

『冒険者とは、こういう仕事です』

 

(――ああ、そういうことだったのね。おじさん)


「ぐあっ!」


 とうとう身体が保たなくなったのか、ヘクトールの大剣が弾き飛ばされ、後方の地面に突き刺さる。


「クソが、手間取らせやがって……腹が立つぜ……!」


「どこ見てんのよ、犬っころ」


「っ!?」


 ドレイクがとっさに身をかがめると、その直上を稲妻が駆け抜けていった。

 それは、雷電魔法を纏った『空刃くうは』の塊。

 通り過ぎた空気が焦げ、パチパチと爆ぜる音が鳴る。


己様おれさまが避けただと!? い、いや、それより……なんで喋れる!? とっくに生物が生きてられる温度じゃねえはずだぞ!?」


「『逆行海・征星航路ティルナノーグ・パラドクス』あたしはただ、未来の可能性を持ってきただけ。いずれできるようになることを、今だけできるようにした。それだけよ」


 セリカは、手にした細剣レイピアを構える。

 刀身の溶けかけたガラクタではない。

 胸を打つような白銀の刃。ほとばしる青い電光。

 気高き誇りを体現するような、瀟洒しょうしゃな意匠の剣だ。


 ヘクトールが、驚きに目を見張る。


「そ、それは……概念武装。よもや、その若さで使えるとは……フ、つくづく、見る目がないな、私は」


 ドレイクは異変に気づき、歯噛みした。

 

「まさか、己様おれさまの周りの空気を操って、熱を閉じ込めてやがるのか!? だからあの虫けら、ずっと食い下がってきやがったのか……!」

 

 手の中に現れたときから、セリカはその武器の性能を理解していた。

『冒険』の概念武装『雷霆星剣ヴァジュラ

 その概念解放しんかは、可能性の実現。

 そのとき必要な力を、自らの未来から先取りし、具現化する。

  

 彼女の魔法適性は、雷電と疾風。

 今このときに限り、セリカは『数十年間魔法を鍛え続けた未来』と同等の魔法を行使できる。


 突然のセリカの覚醒に焦りを隠せないでいたドレイクだったが、やがて己を安心させるように高笑いした。


「ふ、はっははははは! 大したもんだぜ。この土壇場で概念武装を発現させるとはな。しかも概念解放オーバーレイドまで使えるときた! 並みの天才じゃねえな。1000年に1人ってとこか?

 だが、そのへんにしとけ。手前テメエは『未来の可能性』を持ってこれるだけで、『実現不可能なこと』を可能にできるわけじゃねえんだろ?

 現に、手前テメエの傷は癒えてねえ。立ってるだけでやっとってとこだ。違うか?」


 ドレイクの指摘は正しかった。

 今のセリカは、限定的に獲得した戦技せんぎ『痛覚遮断』と『治癒活性』で、痛みを誤魔化し、出血を抑えているだけだ。

 肉体内部、内臓などの損傷は、適性者がごく限られる輝光きこう属性の治癒魔法でしか癒せない。

 そして、セリカに輝光属性の適性はない。


 何も言わないセリカに、ドレイクは余裕を取り戻した顔で笑いかけた。


手前テメエは人間にしちゃ見込みがある。1000年、いや100年も鍛えりゃ、十二神将にだって手が届くかもしれねえ。……己様おれさまの眷属になれ。そうすりゃ、己様おれさまたちはここで退く。これ以上戦うつもりはねえ。犠牲は出さねえ。

 どうだ? このまま全滅するのに比べりゃ、悪くねえ取り引きだってことくらい――分かるよな?」


「分からないわね。ちっとも」


 ドレイクの甘言を、セリカは一考すらせずにはねのけた。


「取り引きなんていらないわ。アンタをここで倒せば、それでぜんぶ解決するんだから」

 

 揺るぎない意志のこもった眼差しに、ドレイクは苛立ちをあらわに頭を掻きむしる。

 

「なんだってんだ……腹も立たねえ。意味が分からねえ。負けると分かっていて、なぜ戦う!? なぜ抗う!? 無駄に苦しむだけだ! 報われずに死ぬだけだ! なのに、手前テメエは……一体なんなんだ!」

 

 炎狼の問いに、セリカは気迫をこめて答える。


「冒険者よ! どんなに修行しても、勝てない相手がいるかもしれない! どんなに急いでも、助けられない人がいるかもしれない!

 それでも、誰かのために・・・・・・危『険』を『冒』すのが冒険者って仕事もんなのよ!」


「だったら死にな! どっかの誰かさんのためによ!」


 紫電と灼熱が、激突を開始する。

 刃と刃がぶつかる度に、目もくらむような黒い稲妻が弾け飛ぶ。

 それは、高濃度の魔力が、超高速で衝突することによって発生する光『魔光まこう

 人間と魔族の戦いで、まずこのような現象を目にすることはない。

 

 片や、1000年に1人の天才。

 片や、1000年生きた炎狼。

 

 余人のはかりを超えた領域に立つ者のみが、この輝きを間近で見ることができる。


「ああああああ――!」


 雷光を放ち、風の加護を受けた雷獣が吠える。

 もはや守りなど不要。自身の生存を思考の外に置き、ただひたすらに刺突を繰り出し続ける。

 残された時間は十秒とない。じきに再び腹は破れ、はらわたがこぼれだすだろう。

 そうなる前に片をつける。

 

 電光を帯びた刺突は、まさにいかずちそのもの。

 蒼電が空を裂き、轟音が地を揺らす。

 たとえ十二神将であろうと、食らえば窮地は免れない。

 

「おおおおおお――!」


 赤熱し、業火を宿す炎狼がたける。

 セリカの限界は見えている。凌ぎさえすれば、いずれたおれる。

 それが分かっていてなお、攻勢に転じずにはいられない。

 

 攻撃こそが最大の防御。守りに入ったが最後、捨て身の雷撃はさらに苛烈さを増すだろう。

 そうなれば、途端に勝敗は揺らぎ始める。

 故に、死力を尽くして攻めねばならない。

 

 目で追うことすら難しい攻防は、わずか数秒で終局を見た。


 セリカの『雷霆星剣ヴァジュラ』がドレイクの右目を穿った直後。

天道獨鈷ハイペリオン』の矛先が、セリカの右腕を飛ばしたのだ。


「っ……!」


「ハア、ハア、ハア……はは、ははははは! 惜しかったなあ! あと一手! あと一手に己様おれさまの1000年が詰まってんだよ! ははは! ヒヤヒヤさせやがって! 腹が立つぜ!」


 喪った肩口を抑え、踏みとどまろうとするも、膝が折れるセリカ。

 そんな彼女を、息を荒くしたドレイクが、勝ち誇ったように見下ろす。


「どうだ? これで力の差が分かっただろ! ちょっとプッツンしたくらいで強くなれりゃ、誰も苦労しねえんだよ!

 もう一度だけ聞く! 己様おれさまの眷属になれ!」


 瀕死の喘鳴を上げながらも、セリカの目から光は失われていない。

 蒼白な顔でドレイクをにらみ上げ、血反吐とともに吐き捨てた。


「……ならない!」


 ドレイクは呆れたようにため息をついた。

 

「強情なガキだ……なぜそこまで意地を張る? 己様おれさまの眷属になったからって、自由意志までは奪わねえ。己様おれさまの支配を脱して、人間側に舞い戻ることだってできなくはねえ。

 今はひとまず己様おれさまの軍門に下って、口蜜腹剣こうみつふくけんでこっそり牙を研いでりゃいいじゃねえか。それすらも許容して、手前テメエを勧誘してる、己様おれさまの器の広さが分からねえか?」


「……あたしに分かってることは、一つだけ。アンタは負けるってことよ」


「は? なに言ってやがる」


「ギルマスのおっさんが言ってたでしょ。ルフレオは絶対に来る。あたしが死んでも、ルフレオが必ず仇を討ってくれる。あたしは、あいつの可愛い弟子なんだから。アンタに殺されたって知ったら、もうブチ切れよ。瞬殺ね。勝負にもならないわ。あたしが断言する」


「はっはあ! 残念至極だぜ! 師匠思いの弟子を持って、さぞやルフレオは幸せだったことだろうよ! ……だが、残念。手前テメエの無念を晴らすヤツなど、もうこの世にいねえ。手前テメエの声はもう、誰にも届かねえ――!」


 勝利を確信したドレイクが、哄笑とともに槍を振り下ろす。

 そのときだった。


「――いいえ、届いています」


 ガキン!


 確かにセリカの心臓を貫いたはずの槍が、寸前で停止する。

 厳密には、彼女の服の表面で。

 ただの布切れに過ぎないはずのシャツが、灼熱をほこる『天道獨鈷ハイペリオン』の切っ先を受け止めている。

 あまりに意味不明な事象に、セリカもドレイクも一様に、時が止まったように固まった。


 ガラァン……ゴロォン……

 

 そこに鳴り響くのは、はるかな大鐘おおがねの音色。

 見れば、彼方に入道雲のごとくそびえ立つ、黄金の大鐘楼。

 曇天だったはずの空は、明けの明星をたたえる、群青色のあかつきへと書き換わっていく。

 

概念結界がいねんけっかい……だと!?」


 事態を把握したのか、ドレイクが歯ぎしりしながら、結界の主を探す。

 概念結界がいねんけっかい

 それは、己の概念で世界を塗りつぶす、結界型の概念解放オーバーレイド

 

「『終夜鐘楼・聖戦決界フリーデンス・カテドラル』――間に合ってよかった。……本当に、よかった」


 ついに、セリカは探し求めていた人物を見つけ出す。

 上空20メートルの位置に、ルフレオと思しき人物の姿があった。

 見た目は少々違うが、声は同じ。彼であることに変わりはない。

 生きていた。助けに来てくれた。

 歓喜のあまり、涙がこぼれだす。

 

「ルフレオ……!」


「謝罪は後ほど。……すぐに終わらせます」


 そう告げると、ルフレオは即座に修羅の顔へ変わる。


「【叫喚はぜろ】」


 瞬間、世界が爆発した。


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