第27話『最期の変身』


「【蒸気爆発魔法スチーム・ロアー】」


 一辺が10メートルはあろうかという巨大な立方体の結界が出現。

 その内部は、余すところなく水で満たされている。

 直後、轟爆。

 爆ぜ狂う衝撃波が、音の速さをも超えて森の木々をなぎ倒し、岩を砕き、凹凸を整地した。


「っ――!」

 

 結界で遮られていてなお、耳をつんざく大轟音がカフカを襲う。

 爆音が静まり返った頃、ルフレオの周囲数百メートルは、一切の遮蔽物のない更地と化していた。

 

(あいつ……ヒルデブラントのときは手加減してたのか!? あれで!?)


 魔王軍七十二神将ゾディアック・オーダーである人狼たちを警戒してのことか。

 それとも、これがエルフとしての本領を発揮した結果なのか。

 フォルターたちの姿は、影も形も見当たらない。

 

 爆風で、跡形もなく消し飛んでしまったのだろうか。

 だが、カフカはそうでないことを知っていた。

 なぜなら。

 数秒の静寂ののち、ルフレオがカフカのほうを振り返る。

 

「カフカさ――」


 そのときだった。

 ルフレオの背後の地面を突き破り、人狼の一体――シュルトが、大きな顎を開いて飛びかかってきた。

 完全なる無音の急襲。

 土の中を、あたかも水のように自由に動き回る戦技せんぎ土中遊泳どちゅうゆうえい』が可能とした魔技である。


(【蒸気爆発魔法そのまほう】は、もう僕がヤツらに教えちまってるんだ……! 対策してるに決まってる!)

 

 カフカが警告を発する間もなく、ルフレオの首元へ食らいつかんとするシュルト。

 だが、彼はすでに


 水剣流・下段の型『薄氷うすらい

 流れるような所作。脚を前後に大きく開き、地面と水平になるまで上体を傾ける。

 それは、死角からの襲撃に備えるための型。

 シュルトによる攻撃を、ルフレオは読んでいたのだ。

 

 無論、シュルトとて並みの使い手ではない。

 奇襲のため、体外に漏れる魔力を限界まで抑えてはいた。

 だが、『血脈励起ブラッド・レイジ』により、もはや未来予知と呼べる領域にまで強化されたルフレオの魔力感知能力の前には、闇夜の篝火のごとく露わなものでしかなかったのだ。

 瞬時に己の敗北を悟ったシュルトが、最期に悪態をつこうとする。

 

「く、――!」


 斬撃一閃。

 水剣流・居合いあいの型『氷面破ひもわれ

薄氷うすらい』から派生する、神速の抜刀術。

 右脇腹から入った刀身は、心臓と頭部を綺麗に断ち割って脳天から抜けていった。


 人狼の死骸が撒き散らす血しぶきと臓物で、ルフレオの視界が遮られる。

 それを隠れ蓑とするように、さらに後ろから二体目の人狼ラスターによる追撃がきた。

 シュルトとタイミングを合わせた、完璧な連携。

 剣を振り切った瞬間を狙った、針の穴を射抜くような不意打ち。


 しかし、それもまたルフレオには届かない。


 ヒュパッ!


「う、そだろ……」


 獣剣流・連撃の型『燕返し』

 本来ならば生じるはずの、技の出し終わりの隙を潰すために編み出された秘剣。

 低空を翔ける小鳥のごとく、鮮やかに翻った一刀は、ラスターの心臓を胴体ごと輪切りにし、返す刀で首を断つ。


 都合、一秒にも満たない攻防で、二体の神将が屠られた。

 魔法を一切用いない、純粋な剣術のみでもって。

 それはまさに、神業と呼ぶべき所業だった。


(……すげえ)


 かつて、いずれ超えてやるなどと、傲慢にも彼にのたまったことを思い出す。

 今にして思えば、なんと愚かなことか。

 たかだか数十年程度の積み重ねでは、ルフレオの影を踏むことすら敵わないだろう。

 

 大自然を前にして、その雄大さに嫉妬する者はいないのと同じこと。

 ここまで圧倒的なまでの力の差を見せつけられては、惚れ惚れするよりほかなかった。


(――ああ。思い出した。僕は、ああなりたくて、冒険者を――)


「か、噛んだヤツは治せねえって言ったが……ありゃ嘘だ! 本当は治せる! 取り引きしよう! カフカとアマンダを人間に戻してやるから、俺を見逃してくれ!」


 気がつけば、結界の前にフォルターがひざまずき、必死に命乞いをしていた。

 カフカは、自らの足元にすり寄ってくる、かつてアマンダだった魔物を見下ろす。

 

 あの日、フォルターたちに遭遇し、二人の仲間を喪ったあと。

 瀕死に陥った、たった一人の幼馴染を見捨てることができず、カフカは悪魔の契約を交わしてしまった。

 

 分かっていた。これ・・はもう、アマンダなどではない。

 顔かたちが似ているだけの、まったく別の生き物だ。

 それでも、カフカは人狼の甘言にすがるしかなかった。

 

 恨むなら、そんな馬鹿げた選択をした、自分自身の弱さだ。

 ルフレオが、見下げ果てたように目を細める。


「……何を言い出すかと思えば」


「気持ちはわかる! 信用できねえよな!? だが、俺は約束を守る男だ! 治せねえってのは……場を盛り上げるための冗談だ! 

 カフカは裏切り者のクソ野郎だが、生きてりゃそのうち償う機会だってあるだろう! 

 な? こいつの裏切りを知ってるのはテメエだけだ! アマンダの記憶は消してやる! テメエがここで慈悲ってもんを見せりゃ、こいつは更生できるんだ! 考えてみろ、どっちが賢い選択か――」


「カフカさん」


 聞く価値もないと判断したのか。

 フォルターの長ったらしい懇願を無視し、ルフレオはカフカに水を向ける。


「あなたの考えを聞きたい」


 カフカは迷わず答えを示した。

 言葉ではなく、行動で。


 ザクッ


 カフカの剣が、アマンダだったものの首を断ち切る。


「なっ……テメエ! 自分の女を……!」


「こいつはアマンダじゃない! ただの魔物ばけものだ! アマンダはもう死んだんだよ!」

 

 そう啖呵を切ると、カフカは右手を人狼のそれに変化させ、長い爪で自らの心臓を貫いた。

 急激に薄れゆく意識の中、カフカはルフレオに助言を与える。

 

「……すぐに、戻ったほうがいい。今ごろ、街が襲われてる。一分一秒たりとも、無駄にするな。僕なんかのために……」


 二度目の走馬灯が、カフカの脳裏をよぎる。

 散っていった仲間たちの顔。

 もし天国というものがあるのなら、きっと今ごろそこにいるに違いない。

 人類のため、命を賭して戦い抜いた彼らなら。


(僕はそっちに行けない。行く資格なんてない。まだ、何一つ償っちゃいないんだから)


 それでも、カフカは自死を選んだ。

 これ以上、ルフレオの邪魔をしないために。


「謝って、許されるようなことじゃない……それでも、最期のけじめくらいは、自分で……」


「……あなたは、誇りを守って死んだ。皆にはそう伝えます」


 倒れ伏したカフカをいたむように瞑目めいもくするルフレオ。

 そして、一転。耽美な切れ長の目に怒りの炎を燃やし、フォルターを睨む。


「わ、待っ……!」


 剛剣流・渾身の型『屠竜の巨剣ズィークフリート

 大上段からの振り下ろしで、人狼は粉微塵に砕け散って死んだ。


 ◆


 時間は少し遡る。

 今にも降り出しそうな曇天の下、ドルアダン外壁付近の平原にて。


「怯むな! 我らの背後には、幾千もの民がいるのだぞ! 一匹たりともここを通すな! 死守せよ!」


 胴間声を張り上げながら、ヘクトールが敵を斬って捨てる。

 ドルアダンの街は、カフカの言った通り、魔王軍の襲撃を受けていた。

 雲霞うんかのごとく襲い来る魔狼ガルムやゴブリンの群れを前に、冒険者や衛兵たちは必死に剣を振るっている。


「お、応援とか来ねえのか!? 俺らだけじゃ限界あるぞこれ!」


「ヤバい、向こうが崩れてる! 誰か、助けに行ってやってくれ!」

   

「ちきしょう、よりにもよって、ルフレオもカフカたちもいないってのに……!」


 泣き言を漏らす冒険者たち。

 襲撃が始まってから、すでに一時間が経過しており、彼らは休む間もなく戦い続けている。

 だが、魔王軍側は途絶えることなく押し寄せてきていた。


「も、もうダメだ――!」


「ふん! ルフレオがいなくたって――」


 稲妻が戦場を駆け、魔物たちの血が飛び散る。


「――このあたしが居るでしょうが! へばってんじゃないわよ、凡人ども!」


「おお……! やっぱ強えな、セリカのヤツ!」


「そうだ! あいつだって神将を倒してるんだ!」

 

 セリカの喝破で、冒険者たちの士気がわずかに向上する。

 

(今は、余計なことは考えない! とにかく、このピンチを切り抜けることだけに集中しなさい!)


 魔王軍の出現が観測されたのは、セリカがルフレオの置き手紙を読んでから、すぐのことだった。

 正直言って、まだ立ち直りきれてはいない。

 ルフレオに見捨てられたという思いは、常に胸を締め付けている。

 だが、先陣を切って戦闘に身を投じることで、無理やりにその辛さを忘れている状態だ。


 セリカの奮闘の甲斐あって、魔王軍の勢いが押し止められる。

 そこへ、ヘクトールが激励の言葉をかけた。

 

「まだまだいけそうだな、セリカ! Sランクの称号は伊達ではないということか!」


「あったりまえでしょ!? アンタこそ、そろそろ腰のあたりにキてる頃なんじゃないの、おっさん!」


「はっ! このヘクトール、貴様のような小娘に心配されるほど、落ちぶれてはおらん!」


 ヘクトールの豪快な一振りが、何体もの魔物を一度に宙へ舞い上げる。

 剛剣流。それも、Sランクに届きかけている腕前だろう。

 ギルドマスターの名に恥じない戦いぶりに、また冒険者たちは勇気づけられる。


 セリカとヘクトール。この両者が、今の冒険者ギルドにおける最高戦力。

 その彼らがいれば、なんとかなるのではないか。

 そんな楽観が、冒険者たちの腕に活力を取り戻させた。


「っしゃあ! やってやろうぜ――」


 冒険者の一人が、檄を飛ばしたそのときだった。

 

(っ――!)


 背筋を焼かれるような殺気が、セリカを襲う。

 とっさに回避すると、そこを強烈な熱線が駆け抜けていった。

 

 ゴオッ!


 凄まじい熱量が、戦場を薙ぎ払う。

 巻き込まれた者たちは、魔物も人間も一緒くたに、瞬時に消し炭へと変わった。

 陽炎と煙が立ち上る焦土の平野。

 その先に立っていたのは、

 

「チッ! 腹が立つぜ! たかが人間二匹に、クソみてえな手間をかける……己様おれさまの慎重さによ!」


 燃え盛る毛並みをした、身の丈5メートル近い巨躯の人狼。

 胸元に刻まれた、サソリの入れ墨。

 右腕には、熱線の残滓がこぼれる、先端が三叉に別れた奇妙な形状の槍。

 ひと目見た瞬間、セリカは理解した。

 

(あれが……概念武装!)

 

 概念武装。

 長年の精神修練、あるいは特異な才能によって、使用者の精神性を具現化した、召喚武装の極致。


『あそこはアカン。ほんまもんの人外魔境や。『概念武装がいねんぶそう』も使えん儂が、首突っ込める領域やなかった。それが分かったときに、心がぽっきり折れてもうたんや……』

 

 ドウセツのセリフを受け、セリカはルフレオに概念武装の詳細について尋ねたことがあった。

 

『十二神将クラスとの戦いを想定するのなら、使えてようやくスタートラインに立てるといった代物です。なにせ、相手はほぼ確実に持っていますから』

 

『出し方ですか。一般的には精神修練を10年、20年と続けてようやくといったものですが……セリカさんなら、きっかけ一つで出せるかもしれませんね』

 

『まず、絶対に曲げないと決めた信念を持つこと。これが第一歩です』

 

 しかし、その後何度試しても召喚はできず、結局諦めてしまっていた。

 

「まあ、腹の立つことだが、勝つためなら仕方ねえ。万全を期すのは当然のことだぜ」

 

 手にした概念武装。

 その身から溢れ出る魔力の強大さ。

 セリカは内心の恐れを押し隠し、威勢よく問いかける。

 

「あ、アンタが十二神将ね!」

 

「いかにも。腹が立つが、手前テメエの剣に敬意を表して名乗ってやるぜ」


 人狼は手にした槍の石突を地面に下ろし、悠然と名乗りを上げた。

 

己様おれさまは『皆紅炎狼サラマンヴォルフ』ドレイク。皇道十二神将ラスール・ゾディアック第十二位。司るは天蝎宮てんかつきゅう

 己様おれさまの『憤怒』が手前テメエを焼き尽くすぜ」


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