第16話『剣鬼、襲来』

 時間は少し遡る。


「なあ、あんちゃん。クラリオン王国の王都っちゅんは、ここでええのんか?」


 早朝。

 王都の正門を警備していた衛兵は、奇妙な老人に声をかけられた。

 全身に東方由来のものと思われる甲冑を身にまとい、顔は面頬めんぼうで覆われている。

 その中身は暗く、人相を推し量ることはできない。

 老人と判断したのは、しわがれた声音からだ。

 体格は小柄で、衛兵よりも頭一つ小さい。


「……そうだが。何の用だ? 中に入りたいのなら、身分と来訪の目的を記したものを持って、列に並べ」


 衛兵は開門を待つ長蛇の列のほうへと顎をしゃくった。

 王国の中心地なだけあって、訪れる商人は数多く、また警備も厚い。

 老人だからといって、おいそれと通してもいい道理はない。

 すると、老人はけらけらと笑いながら兜を手甲でかいた。


「ほうなんか? 参ったなあ。儂、そないなもんなーんも持ってへんわ。どないしましょ?」


「知るか!」


 ちょうどそのとき、開門の時刻を知らせる鐘が鳴り、正門横にある馬車が通れるだけの広さがある小さな門が開いた。


「ほら、行った行った。こっちはこれから仕事なんだ。お前みたいなボケ老人の相手してられないんだよ」


「そんなあ。あんちゃん、冷たくせんといてや。儂、こん中におる、なんや強いって噂の冒険者さんに会いたいねん」


「冒険者? ああ、ルフレオとかいうヤツのことか。なんでも、騎士団の副団長を倒して、その場でやめさせたとかって話だな。俺も人づてに聞いただけだから、詳細はわからんが」


 無論、副団長のバルナバスを倒したのはセリカである。

 しかし、齢十六の娘に副団長が倒されたとあっては体裁が悪いため、年のいったルフレオの手柄ということで巷には広まっていた。

 それを聞いて、老人はぽんと手を打った。

 

「ほう! ルフレオはんっちゅうんか! あんがとな、あんちゃん! ええこと聞けたわ! ほんでな、なんか、中に入る方法――」


 すると、列で待っていた商人の一人が、腕まくりをしながら老人のほうへ詰め寄ってきた。


「おい、ジジイ! こっちゃ急いでんだよ! くだらねえことで待たせんじゃねえ!」


「おお、悪い悪い。でもな、こっちも事情っちゅうもんがあってな。どうしても中に」


「うるせえ! とっとと帰って、孫の世話でもしてろ、クソジジイがよ!」


「こら、いさかいはよせ!」


「――孫?」


 ゆらり、と老人が商人のほうへと向き直る。

 その面頬の向こう側には、無明の闇だけが広がっていた。


「うちの可愛い孫は、とうの昔に逝ってまいましたわ。ありゃあひどかった。

 村が侍どもに略奪にうて、男衆は皆殺し、女は慰みもんにされて皆殺し。

 太助は――赤んやったうちの孫は、槍で串刺しにされて、ぽーんと池のほうまで投げ飛ばされてなあ。

 あいつら、ようけげらげらわろうてたわ。なーにがおもろかったんやろなあ。今でもさーっぱりわかりまへんわ……」


「な……なに言ってやがる」


「ほんでな、。でも、なんや知らんけど、こないな風体ふうていで生まれ変わりましてん。

 こりゃあ仏さんの情けじゃろなあ思て、まずは仇討ちや。こない身体やけえ、侍どもの刃なんぞ通らんでな。

 そしたら、これが大発見や! 仇討ちってめちゃくちゃおもろいんよ!

 手前てめえが偉いって勘違いしとる腐れ侍の泣きっ面拝みながら、その脳天かち割るとな。ほんまにげらげら笑いたなったんよ!

 これやと思たわ。儂らみたいな弱いもんをいじめとるヤツら、片っ端から斬って回ったら、死ぬほどおもろいんちゃうかってな。

 そんで、国でやりたい放題やってから、大陸に渡ってみたら、なんや魔王とかいう偉ぶったのがデカイ面しとるらしいけえ、ほなそいつやったろ思たんよ。ほしたら儂、腹の底から笑える思てな。

 な? あんちゃんもやりたなったやろ? 仇討ち」


 衛兵は背筋が凍るような剣気に襲われていた。

 寄らば斬る。寄らずとも、寄って斬る。

『孫』という単語がきっかけとなり、老人の奥底に眠っていた狂気が再燃したのだろうか。

 のべつまくなしに喋り続ける老人を前に、衛兵は必死に理性と感情の間で戦っていた。

 今すぐこの場を逃げ出したい。だが、自分には守るべき責務が――。

 悩んだ末に、衛兵は震え声で叫びながら剣を抜いた。


「きっ、貴様……何者だ!」


 それが、彼の最期の言葉となった。

 

 スパンッ!


 血しぶきが舞い散る。

 衛兵の身体が、正中線をなぞるようにして、左右真っ二つに斬り裂かれたのだ。

 飛び散った血肉を間近で浴び、真っ赤に染まった商人が、恐怖もあらわに絶叫した。


「うわああああ――!」

 

 悲鳴と怒号が交錯し、衛兵たちが鬼気迫る形相で詰め所から飛び出してくる。

 そんな中、老人は衛兵を斬った刀をビュンと振り、血糊を振り払った。


「侍やないけど――問われたからには名乗らんとなあ。

 儂は魔王軍七十二神将ゾディアック・オーダーの五十七位。ドウセツや。ほんまの名前はもう忘れた。

 ルフレオはん以外斬る気なかったけんど――興が乗ってもうたわ。みーんな斬ってまうさかい、往生せえや」

 

 ◆


 そして、時刻は現在に戻る。

 現場の正門前に急行したルフレオたちが見たのは、まさしく地獄絵図だった。

 バラバラにされた人形のように散らばる四肢。臓物。血肉。脳漿。

 豪雨に降られたあとのような血溜まりがそこここに点在している。

 商人も、衛兵も、馬も、馬車も、何一つの区別なく斬り裂かれた跡だけが残されていた。

 

「うぐっ……おええええっ!」


 酸鼻極まる光景と、漂う強烈な死臭に、若手の騎士がその場で嘔吐する。


「なんや、新手け? ええぞ、かかってきい。儂、今なら何百人でも斬れそうやわ」


 屍山血河のただ中に立ち尽くすは、一揃いの当世具足。

 血の滴る刀を手に、ゆっくりとルフレオたちのほうを向き直った。

 途端、ぞわりと全身を殺気が襲う。

 この場だけで、恐らく数十人は彼に斬られているだろう。

 ブリギッテが眉をひそめる。

 

「あれは……なんだ? 鎧か? 魔族が鎧を纏うなど、聞いたこともない」


「いえ、内部に魔力を感じません。中身は空洞です」


「では、いったいどうやって動いているというのだ」

 

生命武装リビング・アーマー。強い怨念を持った人間の魂が、武具などに転生することで生まれる、極めて珍しい魔族です。私も、見るのは二度目です」


「人間の魂……ということは、ヤツは元人間なのか?」


「ええ。ですから、交渉の余地があるかもしれません」


「しかし、これほどの凶行に及んでいるのだぞ。会話など成立するとは思えん」


「まあ、やってみましょう」


 そう言うと、ルフレオは一歩前に進み出た。


「そこの方! 魔王軍七十二神将ゾディアック・オーダーを自称していたそうですが、本当ですか?」


「あ? そやけど……あんちゃん、何もんや? 儂、ルフレオはん以外の人間に用はないんやけど」


「私がルフレオです。あなたの名は?」


 すると、鎧は面頬を喜色に歪めた。


「ほうか。あんたがルフレオはんか! 儂はドウセツや! あんたに会いたくて、はるばるここまで足運んだんや!」


「私になにか用向きでも?」


「ヒルデブラントはん、覚えてるやろ? あいつやったん、あんたやんな。せやから儂、あんたと一回やりおうてみたかってん。ほな、やろや」


 厳密には、ヒルデブラントを倒したのはセリカなのだが、無駄な問答をしたくないので、ルフレオはスルーした。

 

「その前に、一つ聞きたいことがあります」


「なんや? あんたの質問になら答えたってもええで」


「あなた、元は人間ですよね? なのに、なぜ魔王軍に加担するような真似を?」


 ドウセツと名乗った鎧は、言葉を探すように首をかしげた。

 

「んーとな、これ儂も上手く言えへんねんけどなー……確かにな? ルフレオはんの言うこともわかんねん。なんで人間のくせに魔族ばけもんの肩持つんやっちゅうことやろ?」


「ええ。今、人類は魔王軍によって存亡の危機に瀕しています。その力、我々に貸していただければ、実に心強いのですが」


 ルフレオの説得に、ドウセツはあっけらかんと言った。

 

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