第15話『意識の変革』

 ギシギシギシギシギシギシギシ…………。


「……セリカさん。歯ぎしりは歯によくないのでやめなさいと何度も」


「だって……だってだってだって! ムカつくんだもん! あの女!」


 その夜。

 騎士団が手配した高級宿で、豪勢な夕飯を前にフォークも握らず黙り込んでいたセリカが、机をバンと叩いた。

 

「なんであんなスケベ女騎士に、このあたしが手も足も出なかったわけ!? 一生の恥だわ!」


「とりあえず落ち着いて、大声を出さないでください。ほかのお客さんが見ていますよ」


「ねえ、なんで? なんであたし、あいつに勝てなかったの? 教えて。あいつをぶちのめす方法を今すぐ教えて」


「何度も言ったでしょう。あなたの修行不足です。強くなりたいのなら、地道に雷剣流の型を反復して身体に叩き込むしかありません。ブリギッテさんは強い。恐らく、剛剣流の極伝Sランクでしょう」


「あたしだってSランクよ!」


「剣術の極伝Sランクと冒険者ランクは違いますよ。とにかく、これに懲りたら、真面目に修行に取り組んでください。

 才能に任せ、できること、やりたいことばかりやっているだけでは、いずれ壁にぶつかることがよくわかったでしょう。もう二度と、あんな思いはしたくありませんよね?」


 こんこんと諭すと、セリカはむすっとした顔で尋ねた。

 

「……修行って、どれくらい?」


極伝Sランクに至るには、そうですね。あなたが今すぐ心を入れ替え、毎日修練を重ねるようになったとして……ざっと十年はかかるでしょう」


「十年!? それって凡人の場合でしょ? あたしなら?」


「あなたでも十年かかるという意味です。普通は五十年かけても到達できるかできないかという伝位ランクなんですよ。あまり剣術を軽く見ないように」


「ええー……でも、その一個下の皆伝Aランクのヤツら、皆弱っちいじゃない。カフカとか、今日戦った……バルスとか」


「バルスさんです。皆伝Aランクはその流派の技を全て修めたという証。極伝Sランクはその流派の師範を名乗ることを許された証。

 極伝Sランクに至るには、技の術理を完璧に理解し、実戦で発揮できること、そして誰かにそれを的確に伝授できることが求められます。

 自分ではできて当然と思っていることでも、他人に教えるのは非常に難しい。ましてや、剣術は才能によるところも大きいですから、自分と相手の実力差を加味して技を授けるには、とても五年や十年では足りません。一生を剣の道に捧げても、極伝Sランクには至らない者も多い」

 

「でも、あの女、あたしと十歳くらいしか違わないのに極伝Sランクだってアンタ言ったじゃない。あいつがあたしと同じくらい才能があるってこと?」


「いえ、才能ならあなたの方が上でしょう。

 ですが、繰り返しになりますが鍛錬の量が違いすぎます。幼い頃から修練を積んできたであろう彼女と、今まで何もしないできたあなたが、すぐ対等になれるはずがない」


 それだけではなく、推定にはなるが、ブリギッテには魔族の血が流れている。

 その分、筋力、動体視力、反射神経、魔力操作など、あらゆる点で純粋な人間よりも有利だ。

 彼女があの若さであれほどの剣技を身に着けた裏には、そんないきさつがあるのではないかとルフレオは想像していた。

 無論、デリケートな話題なので、ブリギッテ本人に問いただすような真似はできないが。

 

「……要するに、才能だけのあたしじゃ、才能プラス修行のあいつには勝てないってことね」


「乱暴な言い方をするとそうなります」

 

「ふーん……」


 セリカは歯ぎしりをやめ、口を尖らせながら考え込む仕草を見せる。

 ようやく、こちらの言いたいことが分かってくれたか、とルフレオが安堵していると、


「じゃ、あたしが修行すればあいつに勝てるってことね」


「そういうことです。まあ、一朝一夕にはいきませんから、気長に――」


「今から雷剣流の型、全部見せて。あたし、覚えるから」


 ルフレオは思わず椅子からずり落ちそうになった。


「……あのですね。剣術を修めるとはそう簡単にいくものではなく」


「いいから。見せて。見せるだけでいいから。一回だけ。お願い」


「一回見ただけでどうするというのです」


「覚えるって言ったでしょ。あたし、本気だから」

 

 ルフレオは思案した。

 今のセリカは、駄々をこねるばかりだったさっきまでとは違い、至って真剣だ。

 つまり、彼女なりに考え、最善の解決策を見出したということである。

 本来なら『一度見たくらいで型を習得できれば誰も苦労しない』とありきたりな説教をするのが正しいのだろう。

 

 しかし、正しい道へ誘導するだけが師匠の役割ではない。

 ときには弟子の意図を汲み、好きなようにやらせることも必要だろう。

 その上で、結果を見てから判断すればいい。

 それに、せっかくセリカが自分からやる気を出しているのだから、水を差すのも野暮な話だ。

 そう思い、ルフレオはセリカの申し出を了承した。


「本当に、一回きりですよ」


 ◆


「――それっきり、『修行してくる』と部屋に置き手紙を残して、夜のうちにどこかに行ってしまったんですよ」


 一週間後。

 騎士団の鍛錬場で、騎士たちが打ち合うところを眺めながら、ルフレオはブリギッテにセリカ不在のわけを説明していた。

 

「申し訳ない。せっかくお呼びしていただいたのに、勝手に姿をくらますような真似を許してしまって」


「いや、構わん。私はもとより、貴殿らの実力を知りたかっただけだ。

 普通、冒険者はもっと何年も段階を踏んでランクを上げていくもの。

 だというのに、とつぜん超新星のごとく現れた二人が、いきなりSランクへ昇格したのだ。

 立場は違えど、民を守るという志を同じくする者として、注目せんわけにはいかん。

 結果、ルフレオ殿という素晴らしい人材を発掘できたわけだしな」


「恐縮です」


 と、そこまで話したところで、ブリギッテは慌てて釈明した。


「いや、セリカ殿に用はないと言いたいわけではない。彼女もまた、目を見張るべき才覚の持ち主だ。

 ただ……まだ若く、修行が足りていない。それだけだ。ものの数年もすれば、私などとっくに追い越されているだろう」


「その修行の重要性というものを、理解してもらうのに苦慮している有り様でして。いやはや、己の至らなさを痛感するばかりです。

 昨日のブリギッテさんのご指導が、いい薬になってくれればよいのですが」


「いや、その、あれは……見苦しいところを見せてしまった。団長という立場でありながら、感情任せに試合を申し込むなど、あってはならないことだ。慚愧ざんきの念に耐えん」


「どうかお気になさらず。私も了解の上で審判に臨んだわけですから。手加減もしていただいたようですし、文句を言うつもりなど毛頭ありませんよ」


「そう言ってもらえると助かる。剛剣流の極伝Sランクとして、少しでも務めを果たせていれば幸いだ。我々には、もう時間がない」


 そこで、ブリギッテは眉を険しくする。

「魔王軍の戦力は、古来より質・量ともに我々人類を圧倒しているが、おまけにここ百年で急激に強化されたと聞く」


「ええ。どんな意識改革があったのかは知りませんが、彼らは『学ぶ』ということを覚えた。人間の、魔族に対抗する最大の武器を身につけ、逆に自分たちの力へと変えている」


 そこで、ルフレオはヒルデブラントの言葉を回想する。

 彼の年齢は、自己申告では百十二歳。

 魔族の成熟は早く、誕生した時点ですでに人間の大人と同等の思考、運動能力を持っている。

 彼もまた、グランドゴブリンにふさわしいポテンシャルを秘めた存在ではあった。


 そんな彼が、弱者の武器である『学習』という概念を受け入れるに至った重大事。

 およそ二千年間、不変を貫いていた魔王軍を激震させるほどの出来事が、この百年の間に起こったということだ。


「ルフレオ殿。率直に聞くが――いったい何が魔王軍を変えたのだと思う?」


「私もの情勢には疎いので、あくまで憶測に過ぎませんが……

 魔王軍が信奉する絶対の序列は、魔王自らが定める魔王軍七十二神将ゾディアック・オーダーただ一つ。

 彼らを変えたものがあるとすれば、そこに大きな異変があったと考えられます。

 たとえば、人間の技を身につけた者が、短期間で急激にのし上がったとか」


「なるほど。そうなれば、今まで生まれつきの素質にあぐらをかいていた者たちは焦りだし、逆に下位に甘んじていた者たちは、序列向上の可能性を見出して奮起する。それが魔王軍全体の戦力増強に繋がったというわけか」


「恐らくそうでしょう。これは由々しき事態です」


「ああ。二千年間、我らが滅亡の憂き目を見ずに済んでいるのは、ひとえに我々人類が学習してきたからだ。

 先人たちによる文字通り命がけの献身、技術の真摯な継承と研鑽。これらから、我々は戦士としての誇り、戦う術を学んできた。

 その利点が失われたとなれば……もはや人里に現れた魔族を討伐するなどという、対症療法的な手段では対抗できん。

 早急に、総大将である魔王を叩くための、一大作戦を決行すべきだ。

 冒険者だからどうの、騎士だからどうのと、くだらんしがらみに囚われている場合ではない。

 組織の垣根を超え、我々は一致団結せねばならん。それ以外に、個としての力では圧倒的に勝る魔族に勝つ方法はない」


「ええ。ぜひ、そうすべきでしょう」


 騎士団長の名に恥じぬ、大局を見据えた発言に、ルフレオは感心する。

 この信念があってこそ、彼女は周囲の反対を押し切って自分たちを剣術指南役として招聘したのだろう。

 根深い対立関係にある、冒険者と騎士の橋渡し役となることを期待して。

 ルフレオは自らの役割をまっとうすべく、先ほどから観察していた騎士の一人に声をかけた。


「フルントさん。打ち込みに少し力みがある。脱力をもっと意識してください」


「は、はい! ご指導ありがとうございます!」


 更迭処分となったバルナバスが消えた今、騎士団のナンバー2はフルントだ。

 彼の態度が、騎士団と冒険者じぶんたちの関係修復に大きく影響を与える。

 そのことを理解しているのか、彼の返事は快活なものだった。


 これなら、他の騎士たちも自分の言葉を素直に受け入れるだろう。

 万事この調子でいけば、先行きは明るい

 楽観的な気分になっていた、そのときだった。


 一人の若い騎士が、息せき切って運動場に駆け込んでくると、ブリギッテの前で敬礼した。

 

「だ、団長! ご報告です! 王都正面門にて、魔族襲来! すでに衛兵を中心に被害多数! 敵は――魔王軍七十二神将ゾディアック・オーダーを名乗っております!」


 

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