第7話『勝者の権利』


「なぜだ。このおれが。このような、小娘に……!」


 だらりと伸びた両腕を地面に垂らし、ヒルデブラントがほぞを噛む。

 胴体の大部分を失ってもなお、魔族の規格外の生命力が彼を生かし続けていた。

 

「マジかよ……あのセリカが……」


「ヒルデブラントに勝っちまった……」


「カフカでも勝てなかったのに……」


 驚愕するカフカたち。

 セリカもまた、自分の成し遂げたことの大きさを正しく認識できないでいた。


(勝った? あたしが? 本当に、こいつに?)


 末席とはいえ、魔王軍七十二神将ゾディアック・オーダーの一人。

 Aランク剣士のカフカでさえ、手も足も出なかった相手を、Bランクの自分が打ち倒してしまうだなんて。

 

「驕りですよ。あなたには十分な瞬発力があった。なのに、『関節変幻』などという奇策に走り、速度の研鑽を怠った。正面からの競い合いではなく、相手の裏をかく快感に酔い痴れてしまった。さながら『策士、策に溺れる』といったところですかね」


「『関節変幻』……? なんだ、その名前は。これはおれが独自に編み出した戦技せんぎだぞ!」


「過去に二人、私はその技の使い手を見ましたが、あなたの『関節変幻』は未完成だ。剣の軌道を変化させることに集中する余り、肝心の剣速が落ちている。セリカさんに負けたのは必然です」


「く、そおおおお――!」


 咆哮するヒルデブラント。

 だが、もはやルフレオは敗軍の将になど興味を示さない。

 

「セリカさん。構え」


「っ!」


 言われ、慌ててセリカは剣を構え直す。

 そうだった。忘れていた。まだ相手は生きている。

 確実に、頭を破壊しなければ。


「おっと、とどめは不要でした。一騎打ちで勝てば、配下もろとも自害する――そういう約束だったはずですね、ヒルデブラントさん?」


 ルフレオからの確認に、ヒルデブラントは、

 

「――りえぬ」 


「なんと?」


「ありえぬ。ありえぬ。ありえぬ――! このおれがあ! 人間なんぞに敗れることなど、あってたまるかあああ――!」


 激昂。

 死に体とは思えぬ怒声を張り上げ、ヒルデブラントは部下たちに指令を下す。


「やれえ! おれが再生するいとまを稼げえ!」


 途端、四方八方から雲霞うんかのごとくゴブリンたちが殺到してくる。

 その数は優に百を超えるだろう。

 たとえヒルデブラントを即座に仕留めたとしても、彼らが止まる保証などない。

 恐慌に陥りかけたセリカだったが、ルフレオは小さく鼻を鳴らしただけだった。


一端いっぱしの武人を気取ったところで、所詮は魔族。誇りを持たない、人語を解するだけの下劣なけだものか」


 その声音の冷たさに、思わずセリカはぞっとする。

 先の問答こそが、ヒルデブラントを対等な敵とみなすか、単なる畜生と見下げるかの分水嶺だったのだ。

 そして、ヒルデブラントは後者に分類された。


「皆さん。動かないで」


 ルフレオがすっと片手を掲げると、セリカとカフカたちの周囲をドーム状の結界が覆う。


「ゲギャアア!」


「ゲギャッ!」


 ゴブリンたちは無秩序に結界に攻撃を加えるが、その守りは小揺るぎもしない。

 続いて、ルフレオの口から呪文が紡がれる。

 

「【蒸気爆発魔法スチーム・ロアー】」


 ごく短く、単純な二小節の短縮詠唱。

 上空10メートルの位置に、一辺2メートルほどの結界で構成された立方体が出現する。

 その内部は、水のような透明な液体で満たされていた。

 直後。

 立方体の中の水が急激に膨張したかと思うと、大爆発を起こした。

 音速超過の衝撃波が、周囲数百メートルを席巻する。


 巨人の手で折り曲げられたかのようにへし折れる木々。

 爆心地付近にいたゴブリンは、砂粒のように吹き飛び、木の幹や岩に叩きつけられて水風船のごとく爆ぜる。

 たとえ離れた位置にいたとしても、爆裂の暴威から逃れることはできない。

 

 衝撃波は生体の内側を直接打撃し、その臓腑をねじり潰した。

 轟音のあと、そこに動くものなど何一つ残ってはいなかった。

 ヒルデブラントも例外ではない。

 

 自身の知る、魔法という常識を完全に覆す現象を前に、セリカはただ驚きの声を漏らすことしかできなかった。

 

「な、なに、今の……」


「水蒸気爆発。水を瞬時に超高温に熱すると、その体積は一気に数千倍にも膨張し、猛烈な爆発を起こすのです。

 適度な強度に設定した結界の内部を水で満たし、火炎魔法で急激に加熱することで、この魔法は従来の攻撃系火炎魔法よりも圧倒的に魔力効率のよい戦闘手段となる。

 覚えておきなさい、セリカさん。これが人間の積み重ねてきた技術の結晶『科学』というものです」


「科学……」


 初めて聞く言葉を反芻するセリカ。

 ルフレオの持つ、異端じみた強さの秘訣こそが『科学』なのだと、彼女はおぼろげながらに理解した。

 衝撃から立ち直ったカフカの仲間のアマンダが、半狂乱で問い詰めてくる。

 

「な……なんなのよ、今の魔法……水流系と火炎系の超高度な二種複合って、レベル20、ううん、30はある対軍級の大魔法じゃない! しかもたった二小節の短縮詠唱……! おまけに無詠唱の結界術なんて、あんた一体何者なの!?」


「セリカさん。レベルとは……?」


「……レベル1が、Aランク魔法使いが一人で発動できる魔法ってことよ」


「なるほど。つまり、先ほどの【最上級火炎魔法ファイア・エクスプロージョン】はレベル1の魔法ということですね。便利な尺度ができたものです」


 ふむふむと感心したようにうなずくルフレオに、アマンダは愕然としたように首を振った。

 

「な、なんでそんなことも知らないくせに、あんな魔法が使えるわけ!? 測定じゃBランクだったのに……」


「ああ。あれは測定者の体内魔力量を検出する形式の器具ですよね? 閾値しきいちを超えた魔力を検出すると壊れてしまいますから、抑えめにしたんですよ。いやあ、でも難しい。Aランクを狙ったつもりだったんですが、私も至らない」


 もう、絶句するしかなかった。

 剣技、魔法、知識。

 どれをとっても、Bランクどころか、Aランクの域すらも軽く超越している。

 いったい、この男は何者なのか。

 アマンダと同様の疑問がセリカの中で膨らむ。


「それより、カフカさん。今回の勝負、我々の勝ちということでよろしいですね?」


「……ああ。異論はない。煮るなり焼くなり、好きにしてくれ」


 殊勝にうなだれるカフカを、セリカはかさにかかって攻め立てる。

 

「どう!? これがあたしの実力よ! その気になれば、あたしはアンタなんかいつでも超えられたってわけ! 分かる!?」


「……その通りだったみたいだな。僕の見込み違いだ。お前には才能がある。僕なんかよりもずっと」


「だったらまず、土下座で謝りなさい! そして『僕が悪かったです』って泣きべそかきながら惨めったらしく――」


「セリカさん。そのへんで」


「むぐっ!」

 

 調子に乗り始めたセリカの口を、ルフレオがそっと塞ぐ。


「勝者は敗者に一つだけ・・・・命令を聞かせる権利がある。つまらないことで消費してしまってはもったいないでしょう」


「む……確かに」


「ひ、ひいっ……!」


「た、頼む! あんまりひでえことは……!」

 

 カフカ以外の恐れおののく仲間たちに、ルフレオは笑顔で告げた。


「あなたがたには――」

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