第4話『百戦危うからず』

 一週間後。

 

「最終確認だ。勝利条件は先にヒルデブラントを討伐すること。勝者は敗者に対し、一つだけなんでも言うことを聞かせることができる。間違いないな?」


「ええ。構いません」


「よし。じゃあ、始めるぞ!」


 ヒルデブラントが出没するとされる山間部の麓の村で、カフカはルフレオたちが山に入っていくのを見届けた。

 それから、仲間たちのほうを振り返る。

 

「……お前ら、抜かりはないよな?」


「ああ。バッチリだぜ」


「とっくに調査は終わってる。地形も生物相も完璧だ。生えてる木の本数だって分かるくらいだ」


「これが数の力ってもんよね、カフカ?」


「その通りだ、アマンダ。戦いってのは、いかに準備するかだ。始まったときには、もう終わってるようなもんだ」


 カフカは仲間たちを事前に現地入りさせ、ヒルデブラントの痕跡を集めさせていたのだ。

 当然、一から痕跡集めを開始するルフレオたちとは、雲泥の差がつく。

 言うまでもなく約束破りだったが、ここに至るまでバレなければ、あとは白を切るだけだ。


「さ、案内頼むぜ。エーリヒ」


「了解了解っと」


 エーリヒと呼ばれた探索職レンジャーの男は、パーティの戦闘に立ち、ルフレオたちとは別の小道から山に入る。

 鬱蒼と植生の生い茂った山道を、エーリヒはすいすいと慣れた足取りで進みながら、後続のために山刀で道を作っていく。


「しかし、いい機会じゃねえか、カフカ。前からセリカのこと、気に食わなかったんだろ? ここで白黒つけてやろうぜ」


「……ああ。あのガキ見てるとイライラするんだよ。二度と生意気な口叩けねえようにしてやる」


 第一に自分と仲間の安全。第二に金。それ以外は全て無価値。

 それが、カフカの冒険者としてのモットーで、むしろ冒険者とはそうあるべきだとさえ思っていた。

 生きるために金を稼ぐ。生きるために、危険は冒さない。それの何が悪いのか。

 だというのに、一年前、セリカはギルドにやって来るなりこう宣言した。


『あたしはセリカ! あたしと一緒に魔王を倒したいってヤツはいる!?』


 魔王。

 二千年前から、この大陸に君臨する魔族の王。

 極北の神殿に居を構え、数多の軍勢を指揮して人間を滅ぼそうとする、地上最強の代名詞。

 

 どんな英雄でさえ、どんな大国でさえ、魔王を打ち倒したという記録はない。

 もはや、倒すとか倒さないとか、そういう次元にある生命なのかさえ定かではない。

 

 ただひとつ、言えることがあるとすれば、魔王に勝つというのは『ありえない夢を語る』と同義の言葉ということだ。

 そんなことは、いい大人なら誰だって知っていることだった。

 だというのに、セリカは違った。

 どんなに笑われようとも、胸を張って夢を語り続けた。

 それが神経に障った。


「あの子、昔のどっかの誰かさんにそっくりだもんね、カフカ?」


「うるせえよ、アマンダ」


「おーこわ」


 魔法使いのアマンダの軽口に、カフカは舌打ちする。

 そうだ。分かっている。セリカは自分だ。

 若くて、世間知らずで、そのくせ全能感に満ちていた、あの頃の大馬鹿野郎と同じ。

 それが、何よりカフカを苛立たせていた。

 

「なあ。勝ったらどうするよ?」


「……セリカには、別に何もしないさ。あんなガキにマジになることない」

 

「おいおい! なんでだよ。せっかくなんでも言うこと聞かせるなんて、美味しい権利が手に入るのによ」

 

「僕はあいつに現実を教えてやりたいだけだ。あとはどうでもいい。お前らで煮るなり焼くなり好きにしろよ」


「つってもなあ……ガキだろあいつ。もっといい女ならいろいろ思いつくけどな」


「なら、あの子あたしがもらう! 髪とか爪のお手入れぜーんぶやらせるの!」


「いいんじゃねえの、それで。おっさんのほうはどうする? 荷物持ちでもさせっか?」


「ヤツには、僕と勝負させる」


「はあ? なんでまたそんなこと」


 カフカは期待に震える手を、もう片方の手で握りしめた。

 

「あいつ、僕の抜き打ちを止めやがった……こんなの久しぶりだ。試してみたくてしょうがないんだ。僕とあいつ、どっちが強いのか!」


 男としての本能。

 闘争心の強さこそが、戦士を戦士たらしめる。

 カフカは、自分の中にそんな感情が眠っていたこと自体に驚きを隠せないでいた。

 夢とかロマンとか、そういう甘ったるいものとは、とっくに決別したつもりでいたのに。

 アマンダがニヤニヤしながらカフカの顔を覗き込む。


「……なんかあんた、昔みたいな顔してる」


「あ? バカにしてんのか、お前」


「べっつにー。男の子だなーって思っただけなのです」

 

「……カフカ。やばいかもしれねえ、この山」


 雑談に興じていたカフカがふと見ると、先頭を行くエーリヒは真っ青になっていた。


「何がだ?」


「ゴブリンの気配がうじゃうじゃしてるんだよ……十や二十じゃ効かねえ。おそらく百匹以上いる」


「はあ? 当たり前だろ。グランドゴブリンなんだから、そりゃ手下くらい……」


 そこまで言いかけて、カフカはエーリヒの言わんとすることを理解した。


「……嘘だろ。ヒルデブラントは、手下を持たない変わりモンって話じゃなかったのか?」


「ああそうだよ! 俺たちがこの間来たときは、噂通り、一匹もゴブリンなんていなかった! 足跡一つなかったんだよ! あったのはグランドゴブリンのでけえくそだけだった! なのに、今は……」


 カフカは背筋を冷たい汗が流れるのを感じた。

 エーリヒが半狂乱で喚き散らす。


「誘い込まれたんだよ俺たちは! 『孤剣』なんていかにもな二つ名がつくように、近隣の村を襲うのは親玉のヒルデブラントだけにして! 冒険者を返り討ちにするときだけ、手下を呼び寄せるんだ! それで、ランクが高くなったら、また別の地域に移って低ランクの冒険者パーティを狩るってのを繰り返してるんだよ、こいつは!」


「ね、ねえ! 一旦、撤退しようよ! こんな賢いグランドゴブリンいないって普通! 魔王軍七十二神将ゾディアック・オーダーレベルのヤバいヤツだよきっと!」

 

 魔王軍七十二神将ゾディアック・オーダー

 数多の配下を擁する魔王軍の中でも、特に秀でた者たちに与えられるとされる称号。

 彼らに共通する特徴は、本来は本能に従って暴れるしか能がないはずの魔族でありながら、人間と同等、あるいはそれ以上の戦術性をもって行動すること。


 たとえ下位の将であっても、一パーティで対処するのは極めて危険とされている。

 カフカの決断は早かった。

 

「退くぞ。一秒でも早く、この山から出るんだ」


「で、でもよ、あいつらとの勝負は……」


「どうだっていいだろそんなこと! お前ほんとバカだな! いいか? 僕たちの手に負えない魔族を、あいつらにどうこうできると思うか?」


「あ、そうか」


「ったく……しっかりしろよ。お前は昔っからテンパると頭が回らな」


 そう言って、踵を返そうとしたカフカたちだったが、時すでに遅しだった。 

 彼らの周囲は、音もなく展開していたゴブリンたちに囲まれていたのだ。


「ひっ……!」


「――人間には『大軍に兵法なし』という言葉があるそうだな。いい言葉だが、おれに言わせれば改善の余地がある」


 悠々と語りながら、カフカたちの正面から、一匹のグランドゴブリンが姿を現す。

 身長2.5メートルほど。ゴブリンたちよりも一層濃い緑褐色の体躯。

 冒険者たちから奪ったものと思しき、長大な片手剣や防具を身に着けている。

 特徴的なのは、異様に長い両腕だった。

 立っている状態でも、拳が膝に届くほどもある。


「『大軍に兵法なし。されど用いれば百戦危うからず』といったところか」


「おっ、お前がヒルデブラントか!」


「いかにも。我が名はヒルデブラント。『皆紅炎狼サラマンヴォルフ』ドレイク様が一の配下にして、魔王軍七十二神将ゾディアック・オーダーの末席を汚せし者」


 威厳に満ちた声でヒルデブラントはそう名乗った。

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