番外編② 美少女後輩は飢えている
「あー。今月も金がない……」
財布の中身を見て、リツはため息をついた。
(大学生って、辛いです)
現実逃避するように、タバコに火を点ける。
ふとタバコの値段を考える。
1本60円。
1箱(10本入り)を1日で吸い切ってしまうから、一日で600円。
一か月で1万8千円
かなり痛い出費だ。
(なんでこんな時代に――こんなところに生まれてきたんでしょうね)
つい15年前まではタバコの税金がかなり安くて、1箱200円以下なんて当たり前だったらしい。
しかもどの飲食店でも喫煙出来て、道を歩けば灰皿が設置されていた。
まさにヘビースモーカーの天国だ。
(羨ましいですよ)
しかも、その頃は『タバコを吸うことがかっこいい』という価値観が世間に浸透していた。
『ハードボイルドで大人な人間』がタバコを吸う。
映画やドラマに出るキャラに憧れて、喫煙を始めた人も多くいた。
ファッションとしてタバコを吸う人だっていただろう。
でも、今は違う。
喫煙者は過去の栄光を失い『不健康で自堕落な人』というイメージが纏わりつくようになった。
リツもしっかり、その
(世知辛すぎますよ)
全く生まれてもない時代を憂いて、ついるい黄昏れてしまう。
その事実に気づいて、リツは愕然とした。
タバコのせいで、頭の中までオッサンになり切っていた自分に、だ。
(ヤバイヤバイ。ボクは華の女子大学生! ボクは華の女子大学生!)
何度も自分に言い聞かせる。
すると、
そして、安心してタバコをふかしてしまう。
もう手遅れである。
挙動不審なリツの横で、男がムクリと起きた。
「またタバコ吸ってる」
恨めしそうな声音だった。
眠っていた彼氏が起きたのだ。
リツは露骨に嫌な顔をしながら――
「いいじゃないですか。これぐらい」と反論した。
すると、彼氏は怪訝そうに眉根を寄せてから口を開く。
「もうやめる、って約束しただろ?」
「約束って言うか、一方的に押し付けてきただけじゃないですか」
「オレはお前の体が心配なんだよ」
彼氏はリツの頭を抱きしめた。
とても優しそうな表情を向けながら。
だけど、それが
自然とリツの顔が険しくなる。
(こういうの、嫌いなんですよね)
彼氏の胸を押して、距離をとる。
すると、彼氏の乳首が目に入る。
昨夜散々弄っていた乳首だけど、今は興奮もなにもない。
どうせ顔を見ても意味がないから、と鎖骨を見つめながらリツは無感情に言う。
「健康を理由に、言うことを聞かせたいだけですよね」
「何をいってるんだよ」
声音から困惑が伝わってくる。
「ボクはタバコをやめたりしませんよ」
「なんでなんだよ」
「どうしてもですよ」
面倒くさそうに答えると、彼氏は顔を真っ赤にした。
「なあ! オレとタバコ、どっちが大事なんだよ!?」
彼氏に面倒な問いかけをされても、リツは悩まなかった。
「もちろん、タバコの方が大事ですけど。というか、タバコの方が好きです」
「はあ!?」
心の中で天秤をかける。
〝恋人〟と〝タバコ〟。
恋人と一緒にいると楽しいし、気持ちがいい。だけど時々面倒な時があって、嫌気が差すことがある。
でもタバコは
お手軽で、いつも変わらない快楽をくれる。
だからどうしても、後者に心を惹かれてしまう。
「そんなこと言う人のことなんて、もう知らないですよ」
「お前のような自堕落な女、こっちから願い下げだっ!」
彼氏は服を着て、ドスドスと音を立てながら出ていった。
独りになると、部屋は静けさに包まれた。
リツはホコリの被ったペンダントライトをボンヤリと眺めながら、新しいタバコに火を点けた。
(あー。もう終わりですか。結構うまかったんですが)
無感情にスマホを取り出して、さっき出ていった元カレの連絡先を消した。
今から追いかけるほどの愛着はない。
自分に好意を向けてきたから、それに応じていた。
たったそれだけの関係性だった。
(大学には男子ばっかりですから、恋人には困りませんが……)
リツは工業系の国立大学に通っている。
一番就職しやすくて、学費免除される場所を選んだ結果、そうなっただけだ。
別に
(ああ、
ふとやりたくなって、煙を輪っかにして吐き出す。
そのまま何もない輪っかの中心を、ぼんやりと眺め続ける。
(あの時に戻ってくれませんかね)
リツは大学で一人暮らしをする前のことを思い出していく。
孤児院での生活。
正確には児童養護施設(日本に孤児院はもうない)なのだけど、みんな孤児院と呼んでいた。
貧しくても、満足できる生活だった。
その主な理由は、院長(正確には施設長)の存在だった。
40歳ぐらいの中年で、いつもにこやかに笑っている人だった。
偉ぶることもなくて、愛嬌があって、子供に好かれる存在だった。
孤児院の院長としては理想的とも思えた。
ただ一つ、欠点があるとしたら、性にだらしないこと。
リツのバージンを奪ったのは彼だった。
だけど、強制されたわけじゃない。
恋心があったかはわからない。
愛に飢えて、体の関係を求めたら、自然と繋がった。
それだけに過ぎなかった。
(それでも、今も後悔はしてないし、大事な思い出)
いつもベッドの隅に座りながらタバコを吸う姿を見て、憧れていた。
こっそりタバコを盗もうとして、こっぴどく怒られたこともあった。
だから、成人したときはすごく喜んだ。
堂々とタバコを吸えるようになった、と。
20歳の誕生日。
孤児院でバースデイパーティをひらいてもらった。
そのまま院長を『お茶』に誘って、初めてのタバコを吸った。
(院長はとっても困った顔してましたねぇ)
生まれたままの姿で、はじめてのタバコを吸った。
その姿を見て、院長は苦笑いをしながらも頭を撫でてくれた。
その感触は、今でも大切な思い出だ。
(まさか、それが最後になるなんて、思いもしませんでした)
バースデイパーティから1か月ほど経った頃。
院長は
死因は交通事故。
死体になった後、焼かれて骨になって、今はみすぼらしい墓で眠っている。
その後孤児院は解体されて、連絡先もわからない子供も少なくない。
すでに成人していて、一人暮らしを出来ているリツは幸運な方だろう。
だけど、ふと考えてしまう。
(ああ、なんで大学に通ってるんだろう)
院長に勧められたから、喜んでくれるから、入学した。
でも、もうその院長はいない。
大学に通う理由の大部分は失ってしまった。
(でも、今辞めるのは勿体ないんですよねぇ)
いくら授業費を免除されているからと言っても、今まで掛けてきた努力やお金が無駄になってしまう。
貧乏性のリツには、それが許せなかった。
(それに、あと一年だけですし。卒論を書くだけですし)
あともう少しだけ頑張ろう。
そう心に決めて、吸殻を灰皿に押し付けた。
どれからしばらくぼんやりとしていたけど、お腹が冷えてしまって、服を着ることにした。
着替え終わるとちょうど――
プルルルルルルル、と。
スマホが鳴った。
(元カレからだったらイヤですねぇ)
少し眉を歪ませながら画面を確認する。
だかど、見た瞬間に顔が固まってしまう。
(……え?)
画面が文字化けしていたのだ。
(もしかして、院長だったり……?)
期待半分、恐怖半分を胸に電話に出る。
すると――
『あなたが村木律ちゃん?』
かわいい声が聞こえて、リツは戸惑った息を漏らした。
すぐに冷静になって、問いかける。
「あなたは誰なんですか?」
『アタシは電脳幽霊。村木律ちゃんにお願いごとがあって、連絡したの』
リツの眉間に深いしわが出来た。
「なにを言ってるんですか? バカにしてるんですか?」
『えー。せっかくかわいい顔してるのに、ブサイクな表情をしないでよ』
茶化すような物言いに、リツは不快感をあらわにする。
「本当になんなんですか?」
『だから、電脳幽霊だよ』
「やっぱりバカにしてますよね?」
リツが声にドスを聞かせても、電脳幽霊は全く動じない。
『うーん、どうすれば信じてくれる? いっそのことそのスマホを壊してあげようか?』
「やめてください!
どうせなら、幽霊になった経緯を教えてください。面白かったら信じますよ」
今度は電脳幽霊が困惑する番だった。
『面白かったら、ってナニソレ。信じる理由になるの?』
「面白かったら、騙されてもいいと思えるので」
『変わってるなー。おもしろーい』
それから電脳幽霊――レイは語り始めた。
彼女の半生を。
双子の妹として生まれて、落雷で死んでしまって、電脳幽霊として彷徨っていたこと。
そして、VTuberになろうとしたのだけど、VTuberの体は2Dも3Dもうまく動かせなかったこと。
だから、リツに『人間の体と同じように動くロボット』を作ってほしいこと。
その対価として、配信で得た収入を渡すこと。
そのすべてを聞いて、リツは頷いた。
「うん、信じてみることにしました」
『これでいいんだ』
「いいんですよ。騙されてもいいと思えましたし。それに――」
リツが言い淀むと、レイの無邪気な声が催促する。
『それに、なに?』
「幽霊がいてくれた方が、都合がいいですから。好きだった人にまた会えるかもしれませんし」
電脳幽霊は息を呑んだ後、明るい声音で返す。
『結構変わった子だね』
「あなたには言われたくないですよ。電脳幽霊さん」
『言ったでしょ。アタシの名前はレイ。レイちゃんって呼んで』
「わかりまましたよ、レイちゃん。上の名前は何ですか?」
『それは秘密』
こうしてリツとレイの共同生活が始まった。
と言っても、レイはほとんどゲームばかりしていた。
たまにVTuberのアバターを作るのに打ち合わせをするぐらいで、。
その間、リツは卒業研究とロボット制作を
といっても、内容がかなり被っていたため、そこまで
やがて、ロボットが完成し『一星雨魂』としての活動が始まった頃。
レイがある大きな提案をしてきた。
『ねえ、この会社に就職してみない?』
「なんですか、藪から棒に」
怪訝な顔をしながら、表示された画面を見る。
そこに表示されていたのは、歯車製造会社だった。
「この会社に何があるんですか?」
『なんでもないんだけど、入ってくれるととっても嬉しいな、って』
リツはスマホを操作して、求人情報を確認していく。
「うーん。初任給も福利厚生もイマイチですね。
ありきたりな中小企業。平均値ちょうどなら文句はないだろう、という経営者の本音が透けて見えます」
『辛辣だなぁ』
「ボクならもっと上の会社目指せますよ』
『意識高いのはいいことだけど、就活苦戦しているよね」
何も言い返せなくて、リツは歯ぎしりをした。
「……現実を見せるのはやめてください」
『アタシはオカルトな存在だから、現実を見ろとは言わないけどさ。試しに面接を受けてみてよ」
「うーん、考えておきますよ」
この時、リツは乗り気ではなかった。
だけど、再三のレイからのプッシュもあり、根負けして面接を受けた。
そしたら、あっさりと内々定をもらえた。
ほかの会社では中々取れなかったのに。
結局、リツはレイの推薦があった歯車製造会社の内定を受けることにした。
だけどあまりにも順調すぎて、リツは疑問に感じた。
「なんでこの会社なんですか?」
『うーん。なんとなくだよ』
明らかにとぼけた声で、リツの目が細くなる。
(嘘をついてますねぇ)
でも、これ以上追及する気分にはなれず、
「まあ、ボクとしては就職先が見つかって結果オーライですけど」
『リツちゃんのそういういい加減なところ好きだよ』
「褒めてますか?」
『アタシは褒めてるつもり』
レイの自信満々な声を聞いて、リツは大きなため息をついた。
「じゃあ、いいです」
『そういうサバサバしてるところが好きだよ』
そして、レイは一星雨魂として活動を順調に進めていき、リツは歯車製造会社に初出勤した。
最初のうちには新人研修で、ビジネスマナーや会社について叩き込まれた。
かといっても、スパルタだったわけではない。
自動車教習所の座学みたいに、淡々と話を聞くだけだった。
(これやっても意味あるんですかね?)
そう思いながらも3日間の新人研修を終えて、部署に配属されることになった。
「君が村木さん? よろしく」
そう声を掛けてきたのは、職場の先輩だった。
30歳ぐらいのパッとしないオッサン。少し童顔気味だろうか。
彼は
(まあ、こんなもんですよねぇ)
それから職場の説明を受けたり、軽い雑談をしたり、パソコンの設定をしたりした。
終業後。
「あ、村木さん」
喫煙所に入ると、先輩がいた。
最初は驚かれたけど、特に何も言われなかった。
離れるのも失礼だから、と先輩の隣でタバコの火を点けた。
ふと、先輩の顔を見る。
特に惹かれるはずもない顔。
それなのに、何故か目を離せなくなった。
リツの視線に気づいたのか、先輩は話題を振ってくる。
「村木さんはなんでタバコを吸ってるんだ? 最近の若者にしては珍しいけど」
その質問に、なぜだかドキリとした。
でも、すぐに答えるために舌を回す。
「彼氏の影響で吸い始めたんですよ。今はもう別れましたけど」
とっさに嘘をついてしまった。
すんなり信じたハジメを見て、少しの罪悪感が湧く。
同時に、ある疑問が湧いてくる。
(あれ、なんでボクは嘘をついたんでしょう)
答えが出るのに、時間はかからなかった。
(ああ、そっか。ボクは先輩に嫌われたくないんですね)
つまり
ふとタバコを吸っている先輩の姿をちらりと見る。
煙の吐き方や、余韻に浸る顔が、孤児院の院長に重なって見えた。
顔も体格も似ていないのに、仕草だけがそっくりだ。
(ああ、ボクは案外単純な人間だったんですね)
急に、タバコの煙を甘くなった気がした。
(そっかー。これが恋ってヤツですか)
自覚してしまうと、先輩の隣にいるのが気恥ずかしく感じてきてしまう。
「すみません、ボクもう帰ります。大事な用を思い出したので」
リツが突然言うと、ハジメは薄く微笑んだ。
「そうか。また明日な」
「先輩。明日も一緒にタバコを吸ってくれますか?」
「ああ、もちろんだ。折角できた後輩だからな」
そして、リツは早足で家に帰った。
レイがロボットの体を使ってゲームをしていた。
だけど、リツの顔を見た瞬間、大きく目を見開いた。
その姿を見た瞬間、安心してしまって、膝から崩れ落ちてしまう。
(あー。ボク、こんなにも院長のことが好きだったんですね)
自覚した瞬間、途轍もない量の切なさが襲ってくる。
『どうしたのリツちゃん!?』
レイが半狂乱に訊ねてくるけど、近づいてこない。
いや、近寄れないのだ。
下半身は作っていないから、移動することが出来ないからだ。
「その体で抱きしめてくれませんか?」
リツはよろよろと歩きながらも、ロボットの近くまで寄った。
そっと抱きしめられると、冷たい感触が伝わってくる。
しかも固くて、すこし金属臭い。
だけど、痩せていた院長に抱きしめられた時の感触に少し似ていて、目頭が熱くなっていく。
(まるで、院長の死体に抱きしめられているみたい)
その感触が、愛おしく感じてしまう。
「ああ、ボクは本当にバカですよ」
『アタシは、そんなバカなリツちゃんが好きだよ』
「……ありがとうございます」
リツが盛大に泣くと、レイがロボットの体でずっと抱きしめていた。
この時、リツは強く実感した。
この人は家族だ、と。
今ある幸せを逃がしたくない、と。
その願いは――
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