第30話 推しに言われて■■■することになりました
土曜日の昼下がり。
ハジメは冷蔵庫の中身を、死んだ目で見つめていた。
(買い出ししないとなのに、出掛けたくない……)
冷蔵庫の中身は、ほとんど空っぽだった。
唯一残っているのは、半分だけ使ったきり放置して、芽が生えてしまった人参だけだ。
(階に行くにしても、ヒゲを剃って、着替えないといけないのか)
おそらく外出してしまえば、すぐに食材を買って来られるだろう。
だけど、外に出るまでにやることが多すぎて、考えるだけでやる気が削がれてしまう。
「まあいっか。とりあえず、メタマちゃんの配信でも見直そう」
ピロン、と。
スマホを取り出すと、偶然にも通知音が鳴った。
メタマチャン(レイ)からだ。
《ねえ、じめにい。縦型配信ってヤツを試してみたいから、ちょっと手伝って》
縦型配信とは、最近配信サイトに追加された新機能だ。
今までは、テレビみたいに横に長い画面でした配信できなかった。
それに対して、新しい縦型配信は読んで字のごとく、縦に長い画面で配信することができる。
その一番の利点は、スマホでの視聴がしやすい、ということだろう。
縦持ちのまま、全画面表示で配信を視聴できるのだ。
(だけど、VTuberの場合は
VTuberの場合は、画面いっぱいにVTuberとしての姿を映し出せる、という利点がある。
そのため、まるで目の前で話しているような、近い距離を演出することも可能だ。
この要素はかなり魅力的で、実際に縦型配信をしているVTuberも少なくない。
だからこそ、レイはVTuber『一星雨魂』として、試してみたいのだろう。
(頑張ってるなー)
ハジメは妹に感心しながらも、短い返信を打つ。
《いいよ》
送信してから息をつく暇もなく――
『まあ、もうじめにいのスマホに入りこんでるんだけどね』
「うわっ!?」
突然、スマホの画面いっぱいに、メタマちゃんの姿が映し出された。
ハジメは素っ頓狂な声を上げて、壁に頭をぶつけてしまう。
『あはは、相変わらず、じめにいの驚く顔は面白いなぁ』
「やめてくれ。下手すると腰を痛めるんだぞ」
『オッサンだー』
レイにからかわれて、ハジメの頬がムッと膨れる。
「そんなことを言ってると協力しないぞ」
『ごめんごめん。さっさと始めちゃおうか。実際に配信するわけじゃなくて、再現するだけだけど』
一瞬だけ画面が暗くなる。
次の瞬間には、メタマちゃんの姿が、画面いっぱいに表示された。
まるで小さなメタマちゃんが、手の中にいるみたいだ。
「おー。これはすごいな」
『でしょ? ちょっと色々配置を変えたりするから、意見を欲しいな』
「りょーかい」
それからしばらく画面内の配置など、色々と話し合った。
ロゴや告知の配置や、適切な目線の位置など、予想以上に調整することは多い。
『まあ、事前準備はこんなものかな。あとは配信してみてだね』
「お疲れ。絶対に成功するよ」
『任せといて。登録者が増えやすいみたいだから、バンバンやっていく』
それからレイは動くことなく、ジッとハジメの目を見ていた。
双子の兄としてすぐに察して、不思議そうに口を開く。
「ん? 何か話があるのか?」
レイが話し始めるまで、少しだけ間があった。
それだけで、大事な話なのだとわかる。
『ねえ、じめにい』
「なんだ?」
『いっそのこと、今の仕事やめてみない?』
「はあ!?」
ハジメは驚きのあまり、スマホを落としてしてまった。
慌てて拾い上げると、画面いっぱいにメタマちゃんの不機嫌顔が映し出されていた。
(かわいすぎる……)
縦型配信の魔力だろうか。
ハジメの目には、メタマちゃんのかわいさが普段の3割増しに映っていた。
表情筋は緩んできて、だらしない表情になっていく。
だけど『キモッ』と素の声で
『じめにいには、もっとクリエイティブな仕事の方が合ってると思うんだよね』
「いやいや、話を進めないでくれ。急すぎる。順を追って説明してくれ」
『そんなにきっちり話す内容じゃないよ。
今の仕事はじめにいに合っていない。そう思っただけ』
「確かに合ってないと思うことはあるけど……」
ハジメの言葉は歯切れが悪かった。
それを見逃すレイではないだろう。
『じゃあ、すぐに辞めちゃおう』
「簡単に言うけど、簡単じゃないんだぞ」
『簡単じゃない、は行動しない理由にならないよ。じめにい』
レイから厳しい言葉を浴びせられて「あー、耳が痛い痛い」と、少しだけ茶化した。
真面目に考えているようにも見えなくて、レイは深々にため息をついた。
『ちゃんとしてよ。じめにいには幸せになってもらわないといけないんだから』
「幸せと何の関係があるんだよ」
『だって、いつも楽しくなさそうなんだもん』
「いや、仕事って楽しいものじゃないだろ」
『アタシは楽しんで、じめにい以上に稼いでるよ?』
「……やめてくれ。今までの労働が虚しくなってくる」
ハジメが露骨に落ち込むと、レイは優しく微笑んだ。
『まあ、電脳幽霊のアタシができるんだから、じめにいにも出来るよ。楽しく仕事していこう』
「大体、会社なんて簡単に辞められないんだぞ。
上司は置いておくとして、村木に相当負担をかけることになってしまう」
ハジメの言葉を聞いて、レイは少しだけ視線を背けた。
何かやましいことがあるみたいに。
『実はね、言い出したのは、リツちゃんなの』
「村木が……?」
『うん。リツちゃんは、じめにいは今の会社を辞めた方が、』
ふと、ある言葉を思い出す。
リツが喫煙で言っていた言葉。
――ねえ、先輩。もしボクが
(だから、あんなことを言っていたのか)
『リツちゃんも結構悩んでたよ。今の生活をなんだかんだ楽しんでいるからね。昨夜は悪酔いして、酷かったんだから』
「そうなのか」
ハジメはそれ以上の感想を口にできなかった。
『安心して。今は元気にタバコを吸ってるよ。下着姿で』
「……アイツも人のこと言えないだろ」
『そうだね。でもやっぱり、リツちゃんは、じめにい以上にじめにいのことを考えてると思うよ』
「それは感じてるよ」
この話は、ハジメにとっては衝撃的過ぎた。
会社を辞めた方がいい、という言葉以上に、後輩の気遣いに心を動かされてしまう。
(8つも年下の後輩に背中を押されすぎだろ。本当に情けないぞ、オレ!)
パンパン、と。
ハジメは自分の頬を叩いた。
すると顔が引き締まってきて、目に生気が宿っていく。
「なら、ちゃんと応えないとといけないよな。先輩として。男として」
『そうだね。アタシに手伝えることは少ないけど、頑張ってみて。応援するよ』
「レイの応援があれば百人力だよ」
ハジメが力強く微笑むと、レイは不満そうに頬を膨らませた。
『えー。百人じゃたりないでしょ。メタマちゃんの登録者数はもう15万人近くいるんだよ。15万人力だよ』
「うわ、数が多すぎて現実味が無くなった」
『じめにいにはまだ早い世界だったかな?』
「あー。腹立ってきた。そんなことを言えなくなるくらい、ビッグになってやるからな!」
ハジメは立ち上がって、拳を突き上げた。
『お、いいねいいね。その調子だよ。
目指せ
レイの言葉に、ハジメは意外そうに目を丸めた。
「え、〝脱サラ〟なの……? 〝転職〟じゃダメなの……?」
〝脱サラ〟と〝転職〟は、似たような使われ方をするけど、全く違う。
脱サラは会社を辞めて新しく事業(例えばカフェとか、フリーランスになるとか)を始めることで、転職は他の会社に移ることだ。
脱サラした場合、雇われではなくなって、働くという意味がまるで変わってしまう。
『言ったでしょ。もっとクリエイティブな仕事が合ってる、って』
「マジですか」
『大マジ♪』
スマホの中のメタマちゃんは、とびっきりの笑顔を見せていた。
しかも縦型配信で、デカデカと表示されている。
そんなのを見せられたら、ファンであるハジメが断られるはずがない。
(卑怯臭いなぁ)
こうしてハジメは、推しに言われて
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読んで頂き、ありがとうございます!
実は前話から新章に突入しています
(前話公開時に、新章を追加するのを忘れてました)
これからのハジメの頑張りが気になる人は、☆や♡、フォローをよろしく願いします!
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