第5話 VTuberの配信は魔境

「「こんめたまー」」



 会議室にて、中年二人のかわいらしい挨拶が重なった。


 登録者20万人のVTuber『一星雨魂』の配信画面が、プロジェクターでデカデカと映し出されている。


 唯一の女性であるリツは、少年のように無邪気な顔をしたおっさんに挟まれて、苦笑いを浮かべている。



「職権乱用じゃないですか、これ」

「人聞きが悪いな。役得というやつだよ」



 上司が憮然ぶぜんとした態度で言い切ると、リツは遠い目をしながら項垂うなだれる。



「はぁ。世の中って、結構適当に回ってますよね」

「わかってきたじゃないか。真面目にやる人間が損をするのだ」

「その皺寄せが誰かに行ってるんですよ!」



 リツは大きなため息をついてから「メチャクチャ一服したい」とボヤいた。

 その姿からは苦労人オーラがにじみ出ていて、入社時の初々しさは欠片も残っていない。


 リツの丸まった背中を見て、ハジメは



「なんか最近、一気に垢抜けたな」と控えめに声を掛けた。

「こんな風に垢抜けたくはなかった……。眉間の皺も取れなくなってきたし、サイアクすぎる……」



 リツはズーンと落ち込んで、自分のこめかみをほぐし始めた。


 キレイな顔が台無しなのだが、本人は気にするそぶりもない。

 最早オッサン二人相手に取りつくろうのも面倒なのだろう。



「それで、今日はわざわざ、こんな大々的に視聴してるんですか。家で見ればいいのに」

「今日はメタマちゃんの誕生日配信だからな!」



 嬉々として叫ぶハジメを目の前に、リツは目を丸くした。



「あれ、今日は先輩の誕生日でもありますよね」

「ああ……。そうだったな」



 ハジメは今思い出したように、ポツリと呟いた。



「そうだったな、って……。もっと自分の誕生日を大切にしましょうよ」

「もうこの年になると、年が一つ増えるぐらい気にならなくてな」



 カラリと乾いた笑いを漏らすと、上司の眉がピクリと反応した。



「確かもう30だよな。オッサンに片足浸かっているじゃないか。ようこそオッサンの世界へ」

「オッサンになると、世界が何か変わるんですか?」



 ハジメが訊くと、上司はフッとはかなげな笑みを浮かべた。

 そして、黄昏たそがれるように無機質な天井を仰ぐ。



「世間から温もりが消える」

「あぁ……たしかに」



 ハジメは同意して遠い目をした。



「それって、上野課長の性格や人徳のせいじゃないですか?」



 リツの冷静な意見は、オッサン二人の耳に届いていなかった。 

 いや、あえて無視しているのかもしれない。


 しかしすぐにメタマちゃんの『それじゃあ、。今日は誕生日だから凸待ち配信をしていくよ!』という声が響いて



「「うおおおおおおおお」」と野太い歓声を上がった。



 そしてハジメはスマホを、上司はプロジェクターに繋いだパソコンを、それぞれ操作し始めた。

 コメントを打っている間は、なぜか真顔である。


 取引先へのメール返信を書く時よりも俊敏な動き打ち込んでいき、すぐにコメントが流れる。



おっぱジメ:たのしみ!

ウェー↑ノ:メタマちゃんの中に凸りたいナ!?



 『おっぱジメ』とはハジメのハンドルネームである。

 これまた本名を少し捻っただけの危ない名前だ。



「これ、上司のコメントはセクハラじゃないですか……?」

「メタマちゃんは喜んでくれるぞ」



 リツが「本当かよ」と疑心暗鬼なジト目を向けていると、メタマちゃんがコメントに反応する。



『わー。メタマの中でヌクヌクする?』



 普通に下ネタで返している。

 嫌悪感や羞恥心しゅうちしんの欠片もなくて、それどころか楽しんでいるような声色だ。


 男達は歓喜しているけど、リツの眉間には皺が出来ていた。



「……どっちもどっち。この空間、コワイ」



 そうつぶやくリツの顔色は、そこはかとなく悪くなっていた。

 

 そんな様子を見て、ハジメは訝し気に目を細めながら、声を掛ける。



「村木はいまいちテンションが低いな」

「オタクなオッサンに囲まれて、テンションが上がるわけないですよ。ボクは枯れ専じゃないんですよ」



 枯れ専とは、加齢臭漂うような年齢の男性が好きな女性のことである。



「いや、そうじゃなくて。せっかくのメタマちゃんの記念配信なんだし……。メタマちゃんを勧めてくれたのは村木だろ?」



 ハジメが何ともなしに訊くと、リツはバツが悪そうに顔を背けた。



「あー。確かにそうですけど……。ボクはそんなに入れ込んでいるわけじゃないんですよ」

「え、そうなの? じゃあなんでオレに勧めたんだ?」



 リツは薄い桃色の唇を尖らせながら、感情的に言い連ねていく。



「ボクはただ『見るように誘導してほしい』って頼まれただけなんですよ。

 まさか、先輩がここまでハマるとは思いませんでしたよ。

 こうなると分かっていたら、勧めてなんていなかったかも。

 全く、あの子・・・のお願いにはいつも手を焼かされます」



 リツの姿はまるで、家族について愚痴をこぼす母親のようだった。


 その中で気になる言葉があって、ハジメは目を丸くした。



「え、頼まれた・・・・って、なにそれ。それにあの子・・・って」

「あっ!」とリツは自分の口を塞いだ。



 しかし時すでに遅しだ。


 本人もそれを自覚しているからか、明らかに目が泳いでいる。

 かわいらしい顔には「ボクは墓穴を掘りました」とくっきり書かれてしまっている。

 


「い、いえ! 何でもないです。ほら、配信に集中すべきじゃないですかっ!?」

「…………」



 ハジメはしばらくリツの顔に、訝し気な視線を送り続けていた。

 しかしすぐに――



「それもそうだな!」と配信に集中し始めた。



 ハジメにとっては目の前の違和感よりも、メタマちゃんの配信の方がよっぽど大事だったのだ。



『えー。誰もこないね……』



 配信画面では、メタマちゃんが悲しそうな顔をしている。



「そういえば、凸待ちなのに、まだ誰も来ていませんね」



 『凸待ち』とは、他の配信者などが通話してくる企画のことだ。

 ちなみに『突撃待ち』が変化してできた言葉である。



「まあ個人勢だからなぁ。しかもメタマちゃんは、他のVTuberとの交流が極端に少ない」



 VTuberと一口で言っても〝企業勢〟と〝個人勢〟に二分化される。

 企業勢は、そのまま企業や事務所のバックアップを受けて活動しているVTuberのことだ。

 個人勢は、企業などには一切所属しておらず、完全に独立して活動しているVTuberのことだ。


 企業勢は同じ企業の所属メンバー同士で絡むことができるけど、個人勢はそうはいかない。

 自分自身で交流の輪を広げる必要があるのだ。


 先ほどの上司の言葉に、ハジメが補足を入れていく。



「確かにそうですね。ぼっちキャラが定着しているので、友達がいるだけで解釈違いを起こすメタマじゃくしがいるぐらいですから」

「それ、本当にファンなんですか……?」



 リツが目を丸くしながら訊くと、ハジメは険しい顔で答える。



「ファンにも色々いるんだよ。ずっと貧乏でいて欲しいファンもいるし、異性と関わるだけで発狂するファンもいる。プロデューサー気取りのファンもいるな。

 素直に応援してくれる分、セクハラするファンはまだマシという考えもある」

「闇が深い……!」



 リツがリスナーの闇に戦慄せんりつしていると、甲高い声が響き渡る。



『ねえ!? メタマじゃくしのみんなは見捨てないよね!? 誕生日を祝ったら解散とは言わないよね? どうせみんなは恋人も友達もいないんでしょ!?』



 息つく暇もなく続ける。



『ずっとメタマのファンでいてよね。メタマにはみんなしかいないんだよ。こんなに好きなのになんで浮気するの!?』



 演技とは思えないほど、感情の



「あ、ヘラった」

「おう。今日のは激しいな」



 二人は感想を言いながら、コメントを打っていく。

 


おっぱジメ:草

ウェー↑ノ:www



「え、慰めないんですか?」とリツが意外そうに言うと

「まあ、よくあることだし」とハジメは冷静に返した。



 尚、他のコメントの反応も大体似たようなものである。



:草

:いいぞ、もっとやれ

:ちゃんと見てるよ!

:どしたん? 話聞こか?



『お前は他のVTuberのコメント欄にいたでしょ!? メタマ単推しとか言ってたくせに! 推しマークも増えてたよね!?』



 メタマちゃんの半狂乱な様子を見て、上司が嬉しそうにエクボを作りながら



「あ、リスナーにダル絡みし始めたな」と言った。



 すると、ハジメがしんみりした声で続く。



「これも様式美ですね。リスナーのSNSまで監視してるのは執念を感じます」

「配信初期は視聴者が少ないせいか、もっと強火だったからな」

「アーカイブで見ましたけど、あの圧はクセになりますね」

「おお、わかってるじゃないか」



 二人の会話を聞いてリツは「えぇ……」とドン引きしていた。



:こわww

:これぞメタマちゃんwww

:重い重いw



 純粋に心配しているコメントも散見されるが、ほとんどはエンタメとして楽しんでいる。



『どうせ皆、他に最推しがいるんでしょ!? もっとかわいくてメンド臭くない人なんていっぱいいるもんね。

 もういいよ。メタマなんて生きてる価値が無いんだ。どうせ誰の一番にもなれないんだ。

 あー病んできた。もう全部どうでもよくなってきたかも』



 声のトーンが落ちてきて心配になったのか、コメントの雰囲気が一変する。



ウェー↑ノ:メタマちゃんがいないとイヤだ!

おっぱジメ:生きて


:そんなことないよ

:元気出して

:オレはメタマちゃんだけだよ!

:世界で一番かわいいよ

:ずっとメタマちゃんのこと考えてるよ



 さっきまでは茶化していたのに、今は全力で慰めている。



『ありがとうね。誰も凸待ちにやっぱりメタマじゃくしの皆のこと大好きだよ。ねえ、みんなも大好きって言って』



ウェー↑ノ:大好きだよ

おっぱジメ:絶対推す!



:いつも頑張っててえらい!

:好き好き好き好き

:生きててありがとう!

:メタマちゃんのおかげで毎日が楽しいよ



 色のついたコメント――スーパーチャットも大量に流れている。


 それらを見たメタマちゃんは、徐々に落ち着きを取り戻していく。



『みんな、ありがとね。メタマも大好きだよ』



 高速で流れる温かいコメントと、にこやかに笑うメタマちゃんを見て、リツは複雑な表情を浮かべた。



「なんでいい雰囲気になってるんですか……?」



 リツの問いに、二人は「よくわからない」と言いたげな顔で返した。

 コメントに参加していたのに、だ。


 VTuberの配信には謎の魔力があるのかもしれない。



『じゃあ、みんなー。おつメタマー』



ウェー↑ノ:今日も楽しかった。おつめたま!

おっぱジメ:おつメタマ


:おつメタマー

:おつめたま!

:おつー

:おつかれ

:おつめたまっ!



 終わりの挨拶で、メタマちゃん配信は締めくくられた。

 ちなみに、はじまりの挨拶が『こんメタマ』で、終わりの挨拶が『おつメタマ』である。

 VTuber界隈では挨拶に自分の愛称を入れることが多い。



 プツン、と。


 配信が終わると、しばらくは無言が続いた。


 上司とハジメが早速、アーカイブにコメントを書いているのだ。

 動画サイトのおすすめに表示されやすくなるため、大事な推し活である。


 コメントを書き終わったタイミングを見計らって、リツが口を開く。



「いやー。はじめてちゃんと見ましたけど、すごいですね。エンターテインメントとしては楽しめましたよ。もう一回見ようとは思いませんけど」

「それは残念だ」



 リツはふと、ある考えに至ってしまって、思わず声に出す。



「VTuberが全員、こんな感じな訳ないですよね? そうだったら恐ろしいんですけど」



 不安顔のリツを前に、ハジメはあけすけに言う。



「VTuberなんて、大体こんなものだろ」

「それはかなり危ない発言ですよ!」



 リツの切羽詰まった声で、その日の配信視聴は幕を閉じた。


 なのだが――


 会議室でのメタマちゃん配信視聴が常態化してしまって、リツはさらに頭を抱えることになるのだった。

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