第4話 上司は メ■■■■■■し
額に青筋をたてている上司に連行されて、青くなったハジメとリツは会議室に向かっている。
「なんでボクもなんですか?」
恐る恐る手を挙げながら、リツが抗議すると
「監督責任だ」と上司は起伏の無い声で返した。
「ボクの方が後輩なんですけど……」
それ以上の問答は必要ないと判断したのか、上司は押し黙ってしまう。
黙々と歩いていると、会議室の前で立ち止まった。
ガチャリ、と普段よりも重々しい音の鳴るドアノブを回して入室する。
(うわ、ここか)
そこは3人で使うにしては、あまりにも広すぎる場所だった。
普段は課長や部長が集まる会議で使用されるような会議室で、20人規模の会議で使用されることが多い。
「二枝君は私の向かいに座ってくれ」
ハジメは珍しいことに空気を読んで、素直に従った。
リツもその横に座って、固唾を呑む。
「二枝くん、私はね、そろそろ我慢の限界なんだよ」
低い声が広い会議室に響くと、空気がさらに重苦しくなった。
ハジメは息を呑んで地獄の沙汰を待とうとしたが、バン、と机を叩く音が響き渡った。
驚きのあまり振り向くと、リツが必死な顔をして叫び始めた。
「確かに先輩は不真面目ですよ。適当な理由をつけてはサボろうとしますし、ノラリクラリ逃げるばかりのひょうきんものです」
「ああ、そうだな」
上司が重々しく頷くと、リツはさらに畳みかけていく。
「周囲から嫌われる偏屈な人間とばかり仲良くなりますし、現場での無駄話も多いです」
「まったくだ」
上司は心の底から同意した。
「他にもいろいろ問題はありますけど、それでも最低限の仕事はしてたじゃないですか! 大きなミスもなかったはずです……タブン!」
(フォローになってる?)
当の本人であるハジメは納得いかない表情を浮かべていたのだが、結局は黙っておくことにした。
まさにダメ人間である。
リツの熱意のこもった弁明を聞いても、上司の眉はピクリとも動かなかった。
「そういう話じゃないんだ。私はもう限界なんだよ。我慢できなくて、今すぐにでも発狂しそうなんだ」
そう言いながら、上司はおもむろに立ち上がった。
そして、ゆっくりと、大回りでハジメの背後まで移動していく。
そして、ねっとりと動く手が
上司が部下の肩を叩く。その行為が意味することは一つだ。
(まあ、それでもいっか。少し悔しいけど、いい機会なのかもしれない)
ハジメは全く粘りもせずに、さっさと諦めてしまった。
その時――
コト、と。
何か固いものが置かれる音が響いた。
府粗利が同時に長机の上に目をやると、小さな化粧箱が置かれていた。
その化粧箱は碧色と金色を基調にした、高級感あふれるものだった。
星や水玉模様があしらわれており、何かのキャラクターのグッズのように見える。
「え、なんですか、これ」
リツは意味が分からないと言った顔をしたが、ハジメは全く違う反応をする。
「こ、これは、まさか……!」
驚愕で目を見開き、テーブルの上の小箱を
「メタマちゃんのハーフアニバーサリー記念グッズ『シリアスに知り合ったばかりでもシリアル刻印付シルバーリング』じゃないですかっ!」
一息で言い切ったハジメは鼻息を荒くしているが、リツは混乱していた。
「え、メタマちゃん……? それになんですか、その壊滅的なネーミング」
「それがメタマちゃんのアジだろうが!」
ハジメが威圧するように目を見開いて、叫んだ。なんとそれに加えて――
「その通りだ!」と突然、上司が同調しはじめた。
リツは「なんなんだオッサン達は」と呆れた視線を送りながらも、話を前に進めようとする。
「ちょっと話を整理させてください。なんで上野さんがメタマちゃんのグッズを――」と言いかけて
「『シリアスに知り合ったばかりでもシリアルナンバー付シルバーリング』な」とハジメが割り込んだ。
リツは眉をひそめながらも、話を戻そうとする。
「えっと、その尻なんとかリング」
「『シリアスに知り合ったばかりでもシリアルナンバー付シルバーリング』な」
ハジメは壊れたラジオのように繰り返す。
「シリ……シリアル……シルバニア……?」とリツは困惑していたのだけど、早々に爆発して「ええい! そんな早口言葉みたいな名前覚えられないですよ!」と叫んだ
「『シリアスに知り合ったばかりでもシリアルナンバー付シルバーリング』だから……」
それでも言い続けるハジメに対して、リツの堪忍袋がプツン、と切れた。
「そこは重要じゃないんですよ! 話の腰を折らないでください!」
「『シリアスに知り合ったばかりでもシリアルナンバー付シルバーリング』なのに……」
ハジメは不服に思いながらも、お口にチャックをした。
その様子を流し見しながら、リツは改めて上司に問いかける。
「この『シリシルリング』を持っているということは、上野課長はメタマちゃんのファンなんですか?」
上野とは上司の苗字である。
フルネームは『
まるで人の上に立つのを宿命づけられているかのような名前である。
「ふん、そうだ」
上司は偉そうに
その横で、ハジメは興奮のあまり鼻息を荒くしながら声を張り上げる。
「ただのファンじゃない! 『シリシルリング』は活動半年記念グッズ。つまり古参ファンだ! しかもこの刻印ナンバーは……!」
シルバーリングに刻まれた『4』という数字を差しながら、恐縮しながら口を開く。
「まさか、ウェー↑ノさんですか?」
「ああ、その通りだ」
「え、なんでパリピ風なんですか。しかもほぼ本名そのままじゃないですか……」
リツが呆れていると、上司が自信満々顔をして補足する。
「上野なんて苗字の人間はごまんといるから問題ないだろ。私の家族なんて上野率100パーセントだぞ」
「家族だから当たり前なんですよ! ネットリテラシーはどこに行ったんですか!」
「リテラシー……?」
上司は初めて聞いた言葉のような反応をして、リツは驚愕のあまり固まってしまった。
しかしすぐに意識を取り戻して、頭を額に手を当てた。
「はぁ、なんていうか、すごく頭が痛くなってきました……」
「大丈夫か? メタマちゃんの配信でも見るか?」
スマホの画面を向けてくるハジメに対して、後輩は鬼気迫る表情でにらみつけた。
でもハジメの心底心配そうな顔を見て、表情を柔らかくした。
まるで具合が悪い母親と、それを心配する子供のような構図だ。
「心遣いはうれしいですけど」と静かに前置きした後、もの凄く低いトーンで「本当に黙っててください」と言い捨てた。
「……はい」
ハジメはシュンとしおらしくなって、見るからに落ち込んだ。
すでに上下関係が逆転してしまっている。
そんな情けないおっさんを横目に、リツはホワイトボードの前に移動した。
「じゃあ、今度こそ話をまとめますよ」
さっさと終わらせたいのか、早口でまくし立てていく。
「上野課長はメタマちゃんのファン――」
「〝メタマじゃくし〟な」
「あー、そんなファンネームでしたね。カエルなんて一切関係ないのに」
リツはもうこれ以上話の腰を折られたくないのか、素直に『上野課長 古参メタマじゃくし』と書いた。
「それで、上野課長は一体全体どうして、会議室に呼び出して、そんなカミングアウトをしたんですか?」
リツの問いに、上司はフンと鼻を鳴らしながら答える。
「お前たちがメタマちゃんについて語っていたからな。その輪に混ざってやろうと思ってな」
「ウェー↑ノさんにご教示頂けるなんて、恐悦至極です」
「あー、なるほど。そういうことですか。はい……」
「はあああああああぁぁぁぁぁぁぁ」と入道雲のように大きなため息が、会議室全体を包み込んだ。
そして、リツは
「なんか、ボクはただの道化じゃないですか。あんなに必死に先輩をフォローして損した気分ですよ」
「オレは嬉しかったぞ」
「少しでも嬉しかったのなら、同じ過ちはしないでくださいよ」
「前向きに
「そこは誓ってほしいんですが……」
リツはまた深いため息をついた。
頭を抱える姿があまりにも堂に入っていて、苦労人のオーラを漂わせてしまっている
リツはノソノソと疲労感たっぷりな顔を上げながら、気だるそうな声で
「じゃあ、もういいですか。ボクは仕事に戻りますよ。そんなにメタマちゃんにハマっているわけじゃないですし」と言った。
「あ、ああ。すまなかったな」
上司は年下の迫力に
その姿を歯牙にもかけることなく、リツはドアへと向かっていく。
「お二人でごゆっくり――と言いたいところですけど、まだ就業時間ですからね。満足したら戻ってきてください」
それだけ言い残して、リツは仕事へと戻っていったのだが――また、ひと騒動が起きることになる。
就業間近。ようやくハジメが職場に戻ってきた。
しかしその姿を見た瞬間、職場にいた社員たちは一様にギョッとした。
「ひっぐ、えっぐ……」
号泣していたのだ。
その姿は30歳手前の大人には全く見えず、部活の顧問に絞られた中学生のような泣き樣だ。
「上野課長、やりすぎだって……」
誰かがボヤいた。
上司は一度怒ると手を付けられないことで有名だ。
詳しい事情を知らない社員達は、上司がコッテリ絞ったのだと思い込んだのだろう。
同僚たちから「あまり気に病むなよ」「失敗ぐらい誰にでもあるさ」などと慰められながらハジメは自分の席に戻ってきた。
リツはその暖かい光景を前に、すごく冷めた目をしていた。
「先輩、なんで泣いてるんですか?」
「悔しくて……」
「はぁ。一応訊きますけど、何が悔しいんですか?」
ハジメは鼻水をズゾッ、とすすってから答える。
「メタマちゃんへの愛で負けた」
予想通りだったのか、リツは深いため息をついた。
「まあ、そりゃあ……。相手は古参ですもんね。仕方ないじゃないですか」
「愛に時間は関係ないんだよ!!!」
激しく熱弁するハジメを前に、リツは能面のように冷め切った表情を貼り付けたまま、全く動じなかった。
「ああ、はい。わかりましたから……。とりあえず顔を洗ってきてください。鼻水が飛んでくるんですよ」
「……うん」
リツが抑揚の全くない声で指摘すると、ハジメは幼い返事をしてトイレへと向かっていった。
まるで叱られた後の幼児みたいだ。
無駄に広いその背中を、猫のようにジーッと凝視してから
「もう先輩って呼ぶのやめようかな」とリツは真顔でつぶやいたのだった。
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