第3話 VTuberにハマった男
ある安アパートの一室。
空のコンビニ弁当やペットボトルに囲まれながら、ハジメはムクリと起き上がった。
「歯車を作って、売って、お金を得て……おらぁ、汚ねえ歯車だぁ」
ほとんど無意識に、変な言葉を口走っていた。まだまだ寝ぼけている。
意識がはっきりしてくると、自分が寝起きであることに気付いて、悔しそうに頭を抱えはじめた。
(夢の中で仕事してたぞ、オレ)
徹夜明けみたいに頭が重くて、視界がボンヤリとしている。
(夢の中でもタイムカードは押していいですか?)
そんなくだらないことを考えている内に、意識が覚醒し始める。
ふと自分が何かを握っていることに気付く。手を開くと、マーカーをつけられた歯車だった。不良品を間違って持ち帰ってしまったのだろう。
(なんか捨てにくい。お前も不良品として生まれたくなかっただろうに)
ふと、世の中の歯車に対するイメージを憂いてしまう。
歯車という言葉がよい意味で使われることは少ない。『社会の歯車』はその代表的な例だろう。実際は工業を支える屋台骨と言っても過言でもないのに、だ。
(もっとさあ、歯車をねぎらってくれないかな。耐久性を確保するのも、正確な寸法や規格で作るのも、どれだけ大変だと思ってるんだ。
社会の歯車になれるって、ちゃんと規格通りに作られた優等生ってことだからな?)
つらつらと心の中で愚痴を呟いた後、大きくため息をついた。
(無駄なこと考え過ぎだ。そんなこと考えている暇あったら、ラーメンでも食いに行けよ)
気分を切り替えるために、テレビをつける。
特に見たいテレビがあるわけではなく、ただ流し見するつもりだった。
しかし流れたのは恋愛ドラマだった。
美男美女のキスシーンが壮大な音楽とともに、華やかに演出されている。
思わず「ちっ!」と舌打ちして、テレビの電源を落とす。
(あー、なんで)
(脱毛でもすれば変わるか……?)
すぐに自分のバカバカしい考えに、
ふいに昨日見たカップルの姿を思い出した。
仲睦まじそうにしていて、お互いに想い合っているのが見て取れた。
(ああ、いいなぁ。オレもあんな風になりたかった)
今から婚活を頑張れば、幸せになれるかもしれない。
一瞬、そんな考えが過るけど、すぐに現実的な話が押しつぶしていく。
一人でも生活が大変なのに、誰かと一緒に暮らしたり、あまつさえ子供を育てる余裕なんてない。
最初は華やかに思えていた『過程を持った自分の妄想』が一気に色褪せていく。
(何も将来を考えなくていい時期に、恋愛をしたかったよ)
いや、そもそも――
「こんなオレ、誰にも好かれないよな」
そう考えた瞬間、耳の中に懐かしい声が響いた。
【ねえ、わたしのこと好きでしょ?】
少し遅れて、瞼の裏に、ぼやけた情景が映り出す。
少女だ。愛くるしくて、かわいらしくて、懐かしい顔。15年間も一緒にいた――人生の片割れだ。
「そんなわけないじゃん」
ついて出た言葉に自分自身で衝撃を受けてしまって、真顔になる。
「あは、あははは、あの時から何も成長してないじゃん、オレ!」
心は全然楽しくないのに、今度はついつい笑ってしまう。
笑っていないと、やってられないと思ったからかもしれない。
笑い声が止むと、次に閉じ込めていた不平不満が押し寄せてくる。
「あーあ、仕事やめてええええええええ」
そう嘆いた後、天井を仰いだ。大学時代から住んでいる部屋だから、
(今仕事をやめてどうするんだよ)
今の世の中は不安定だ。遠い国では戦争が起き、その影響で物価が高騰している。税金は上がり続けても、給料はスズメの涙ほども上がらない。
そんな状況で、転職に踏み切る勇気はない。
いつも『楽しくもない今の状況を維持するのが最善だ』と結論づける。
(はぁ。とりあえず飯でも食うか)
重い体を無理矢理動かして、立ち上がる。
すると、自然と自分の部屋を見渡してしまう。
(これが、生きている人間の部屋かぁ……)
ついつい他人事のような感想をこぼしてしまう。
部屋にはコンビニ弁当やペットボトルなどのゴミが散乱している。
さらには服がそこら中に放置されていて、床が全く見えない。
ゴミ袋は定期的に出しているだけマシだが、キレイな部屋とは到底言えない。
(ああ、片づけないといけないか)
そう思った瞬間、すべてが面倒くさくなった。
空腹感もどうでもよくなってきて、
ベッドに倒れ込むと、男臭さとかカビ臭さが鼻について、思わず不快感に顔をしかめる。
「ああ、いつから干してないんだっけ。めちゃくちゃ
半笑いでいいながら、布団に顔をうずめる。
鼻いっぱいに不健康そうな匂いが入り込み、喉がすこしイガイガし始める。
「でも、これで病気になったら休めるかな」
しばらく静止していたけど、突然ガバッ、と起き上がる。
「ああ、ダメだダメだ、このままじゃ!」
自分の自堕落ぶりに危機感を覚えて、少しでも改善しようとスマホに手を伸ばす。
「動画を見よう。なんか成功者がやってて、頭がよくなりそうなヤツ」
頭が悪そうなことを言いながら画面をスライドしていると、あるキャラクターに目が留まった。
『一星雨魂』
後輩に勧められたVTuberだ。
話を聞いている間は興味津々だったのに、その後の残業のショックですっかり忘れていた。
「まあ、試しに見てみるか。後輩のチョイスなら大ハズレはないだろ」
タップ操作して、配信のアーカイブを再生する。
『みんなー、こんめたまー』
とてもかわいらしい声が、むさくるしい男の部屋中に染みわたった。
ほんの一声を聞いただけだった。
ほんの一瞬、動くアバターを見ただけだった。
それなのに、脳内に激震が走り、ハジメの顔がみるみる驚愕するものへと変化していく。
その瞬間、ハジメの頭の中で、大事で大きなネジが弾け飛んだ。
月曜日。ハジメは珍しく早めに職場に来ていた。
「あれ、先輩。今日は早いですね。トラブルですか?」
声を掛けられて振り向くと、リツは「うわっ」と驚いた声を上げた。
「先輩。すごいクマですけど大丈夫ですか?」
「ん? あ、あぁ。平気平気。調子がいいぐらいだよ」
まるでパンダのように濃いクマがついていて、到底調子が良いようには見えない。
「無理はしないでくださいよ?」
「自分の体のことなんだ。オレが一番分かっているさ」
ハジメはそう言いながら胸を張ったのだが、体のことはわかっていても、心のことは全く理解していなかった。
すぐに異変は起きる。
仕事を始めて一時間が経った頃だった。
「もうダメだ!!!!」
突然、ハジメが半狂乱に叫んだのだ。
職場中の視線が一気に突き刺さるが、周囲を気にするそぶりは一切ない。
まるで中毒者の禁断症状のように手足が震えていて、異常な状態なのは明らかだった。
「先輩、どうしたんですか!?」
リツの心配気な声にも反応せず、おもむろにスマホを取りだした。そして――
『みんなー、こんめたまー』
大音量で、かわいらしい声が響き渡った。
騒然としていた職場の空気が、一瞬で凍り付く。
そこにいる誰もが、何が起きているのか理解できなかった。
「あ、先週紹介したVTuber……見てくれたんですね」
リツが意外そうに呟くと、ハジメは更なる奇行に走る。
「うへ、うへへへへへへへへ」
まるで|妓女の脚を舐め回す変態じじいのような顔をしながら、画面に映る一星雨魂を見つめ始めたのだ。
それだけでは飽き足らず、頬ずりまでしはじめる。
「めたまちゅわあぁん!!!」
「うわ、キモ!」
後輩からの純粋な罵倒もなんのその、ハジメはスマホにしがみつき続ける。
「せ、先輩。他の人たちが見てますから……」
リツが血相を変えて止めようとしても、ハジメは配信視聴をやめようとしない。
それどころか、後輩の健気な努力をあざ笑うかのように
『みんなー、見えてるー』とメタマちゃんの声が響いた。
「見てるよおおおおおおおおおお!!!」
「見てる場合じゃないんですよっ!」
リツがありったけの力を振り絞ってスマホを奪い取ると、ハジメは「あぁっ!」と情けない声を上げた。
「先輩。少しは落ち着きましたか?」
「あ、そうか……。オレ、仕事中だったか」
「え、何ですかその言動。怖いんですけど」
リツが恐怖のあまり退くと、ハジメはにへらと笑った。
「ごめん、ごめん。土日ずっとメタマちゃんの配信を見てたから、禁断症状が出ちゃって」
「ずっと、って……。どのくらいですか?」
「起きている間、ずっと」
唖然として、リツの口はポカンと開きっぱなしになった。
「だからそんな濃いクマを……」
「じゃあ、そういうことだから。オレはしばらく配信を見ておく」
「え、今仕事中なんですけど…・…」
一連のやり取りを通して、リツは理解してしまった。
「先輩が壊れた……」
呆然としている暇もなく「二人とも」と地響きのように低い声が響いた。
同時に振り向くと、 そこには眉をピクピクと
「とりあえず、会議室に来てくれるかな?」
二人の顔は仲良く青ざめていった。
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