第1章 Vtuberにハマった男

第1話 錆びた歯車みたいな生活 前編

 ふと前を向くと、仲睦まじいカップルが歩いていた。

 まだ日が高いというのに、体を密着させて、腕を絡めて、和気あいあいとしている。


 その姿を見ていたくなくて、男は露骨に顔をしかめた。



(横に並ぶなよ)



 ひそかに悪態をつこうとする。

 でも口に出す勇気は無くて、チッと軽く舌打ちをしながら横を通り抜けていく。


 カップルの前に出ると、靴紐が解けていることに気付いた。

 だけど、追い越してすぐに立ち止まるのは恥ずかしくて、そのまま放置することにした。



「ねえ、あの人……」

「ああ、そうだな……」



 運が悪いことに風下で、カップルのヒソヒソ話が聞こえてしまった。



(ああ、もう、嫌だ)



 時間に追われているように見せるために、腕時計を確認するフリをしてから、小走りで逃げ出す。

 ある程度距離を取ったところで、歩く速度を緩めた。



(ああ、嫌だ。こんなことばかりする自分は死ねばいいのに)



 ふと横を向くと、ビルのショーウインドウが目に入る。

 自分の姿がぼんやりと映っていて、意味もなく見つめてしまう。


 よれたスーツを身にまとい、立ち姿には生気がなくて幽霊のようだ。

 目の下には濃いクマが出来ていて、黒茶色の瞳はドンヨリと濁っている。

 顔立ちはパッとしなくて、髪もボサボサだ。眉毛だってまともに整えていない。


 顔は童顔気味で、比較的若く見られることもある。

 だけど、哀愁漂う背中のせいで台無しだ。


 あまりにも地味すぎて、オフィス街の情景に馴染んでしまっている。

 まるでカーペットに染みついた、古びたシミみたいだ。



(高校生の時のオレが見たら、どう思うかな)



 学生の時は、自分の将来について何の疑問も抱かなかった。


 大人になれば何でもできる。

 好きなものを買って、好きなように遊んで、当然のように恋人ができて、結婚する。子供が産まれて育てて、家族に囲まれて死んでいく。

 そんな当たり前の人生が、何もしなくても送れると信じていた。


 でも現実はそこまで甘くなかった。



(年を取るだけなんだよなぁ)



 好きなものを買うだけでも一苦労で、遊ぶ時間なんて全くない。学生時代に当たり前に出来ていたことも出来なくなって、好物も脂っぽくて食べられなくなった。

 仕事に言って、家に帰ると体を休めるのに精いっぱいで、他に何もする余裕がない。

 目を覚めると、すぐに出社の準備をする。

 そんな日々を送り続けている


 生きているために仕事をしているはずなのに、仕事のために生きているような生活だ。



(これが大人になることだ、と割り切りたくない)



 そんなことを考えてしまう自分が下らなくて、ついわらってしまう。



(こんなんじゃダメだよなぁ。もう少しで30歳だぞ)



 きっと30歳を超えることで周囲からの目は変わる。『おっさんに近いお兄さん』から『完全なおっさん』へと。もう『若気の至り』は通用しなくなる。何をするにしても、しっかりとした大人の対応をして当たり前・・・・だと思われるようになる。



(うわぁ、そんなの嫌だ。その当たり前・・・・をずっと続けるのが難しいのに)



 将来のことを考えれば考える程、生きづらくなる状況しか想像できなくて、気持ちがドンヨリと沈んでいく。


 今から歩く道は全部茨の道で、オアシスの一つもない。

 そんな道を進んだ先にあるのは、孤独死というゴールだけだ。



(最悪な罰ゲームだ。鬱ゲーすぎる)



 ふと、カチリ、と音が聞こえた。

 『罰ゲーム』という言葉が、心の中でキレイにハマったのだ。


 周囲の人のが世話しなく歩く中、一人立ち止まって、空を仰ぐ。


 今すぐに雨が降りそうなほど黒い曇天だ。


 その空にデジャブを感じて、目尻が裂けそうなほどに目を見開く。



「ああ、そうか。これはアレ・・の罰ゲームなのか」



 アレ・・の記憶がフラッシュバックする。真っ黒な曇天。豪雨と雷と電線。そして、目の前で横たわる少女と、肉が焼ける臭い。


 鼻の粘膜にこびりついた臭いは15年経った今でも取れていなくて、心の奥底までしみこんでしまっている。


 きっとそれも罰ゲームだ。



「それならしょうがないか」



 そう思った瞬間、今の現状をスルリと受け入れることが出来た。まるで皮膚から毒が入り込んで、


 さっさと会社に戻ろうと歩き出すと、さっきのカップルの後姿が目に入る。



(いつの間にか追い越されていたのか)



 もう一度追い抜き返す気分にはなれず、重い足をゆっくりと動かす。


 周囲の人がせわしなく駆け抜けていく中、男だけが亀のようにのっそのっそと歩いていて、老人や子供にすら追い抜かされていく。

 それでも歩くスペースを早めることはなくて、マイペースを貫く。


 駅に着いて、電車に揺れている間、ぼんやりと外を眺めていると看板にデカデカと描かれたアニメ絵が目に入った。



(えっと、VTuberだっけ。あんなかわいいアニメ絵が動くのか。世の中も変わったものだなぁ)



 少し前までは動画だけで生計を立てる、なんてことは考えられなかった。それどころか、今やリアルタイムで人の動きをキャラクターに反映させて、配信に載せることが出来る。


 そんなことは、少し前までは考えられなかった。


 技術の進歩を実感できて、少し胸が熱くなるのを感じた。



(うわ、オレ年寄り臭いな)



 スンスンと鼻を鳴らして加齢臭を気にしながら、目的の駅で下車した。

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