12・ハビ=リョウ包囲戦(2)~断絶と邂逅

 七日目、八日目もたいした動きがなくすぎた。

 このあたりになると各国がそれぞれに突入の準備を始めだしていたが、あえてマーシスは止めなかった。こちらの動きは城壁からあるていど見られていることをみこして、軽い威圧になると考えたからだ。

 二人の学生を殺した者たちについての報せもなければ、〈盟王〉からの返答もなき九日目に、医師ギルドと商会から不可侵を要求する書面が届いた。ハビ=リョウの病院と薬局、二つの市場とを攻撃しないでほしいというものだ。以前より民への被害は減らすと言っている以上、こちらとしても異論はない。

 受諾の旨を記した文に署名し、マーシスは返書を送る。

 文面も要求も予想通りだが、九日目というぎりぎりになってこのような書状がきたということは、様子見をしつつも少なくともこの二つの集団はこのままハビ=リョウに軍が入るとみているのだ。つまり〈盟王〉は降伏しないと。

 翌十日目の昼。宰相からの使者が訪れた。

 カナレイアの正使、ということでマーシスは主だった王と将を集めて、本陣にあつらえた席で正使を迎えることにした。先にセイレーネとライスンを呼んだのは、今のカナレイアに詳しい者に正使を見極めてもらいたかったからだ。

「この期に及んで、まだ舐めてるな、〈盟王〉は」

 幕を垂らし控えの間としただけの空間である。マーシスの肩の上でどこか嬉しそうにサーフィルがつぶやく。

「……間違いなく、宰相ドウエル・ピノの末息子、ソレイルですね」

 横のセイレーネが小声で言う。

 正使は宰相の身内ということだったが、左右の座に居並ぶ王と将から注視され、場の中央、その先頭で膝をついているのはせいぜい十二か十というところ。その後ろに従者らしき者が二人。こちらは成人だ。

 一行は緋色を基調にしたカナレイアの正装だった。多すぎる布に包まれたような青灰色の髪の少年が、周囲を見渡すこともできずに下をむいたまま震えているのが見える。

 明らかに降伏勧告への返書をもたせるような年齢でも〝格〟でもない。これでもう相手の意はわかるというものだったが、ただ突き返すというのは無能のやること。外交とは儀礼と芝居と腹芸との煮込みだ。わかっていてもやらねばならぬことというものはある。

「宰相の年からするとずいぶん若い子ですが」

「おっしゃる通り正妻の子ではありません。母は……いろいろ言われていますね」

 セイレーネの言葉からして、あの少年の出自の〝脆さ〟はうかがえる。

 人質か捨て駒か。どちらにしても自分には損はない、とみたのか、宰相は。

 ――そしておそらく、あの少年は父の意図を理解している。自分が持たされたものの重さとともに。

「あんな子供を震わせておくものでもないな」

 サーフィルを肩にのせたま、マーシスは謁見の場へと出た。クレイグ製の椅子に座り、あらためてひざまずく少年を見る。

 こうして前から見てみれば、居並ぶ面々と比べずとも体躯も小さく幼さが際立って見えた。

「顔を上げよ。ナクル国王、マーシス十一世だ」

「カナレイア王国宰相ドウエル・ピノが一子、ソレイル・ピノでございます。ナクル国王陛下に返書をお持ちいたしました」

 ようやく少年は顔を上げる。それがはっと驚きに染まったのは、相手が思っていたより若かったせいか、それとも肩の上にのる青い竜のせいか。

「……若き使者殿に一つ問いたい」

 ――自分もかつてはこんなだったのだろう。

 ハビ=リョウに来たばかりの、必死に背伸びをしていたころの自分は。

 少し前のめりになるようにして指を組み、マーシスは少し意地の悪い顔をしてみせる。

「わたしは市長と〈盟王〉に書簡を送った。にもかかわらず返書は宰相から来るという。――これはどちらからの返答か」

 右側最前に座すジャライルが、〝やれやれ〟とでも言いたげに口角を上げた。こちらが遊んでいるのを大人たちはわかっている。

 「恐れながら」と声をあげたのは少年の後ろで膝をついた四十代の従者だった。その声にふりかえることなく、少年が手で制する。

「直答をお許しくださいますか、国王陛下」

「許す」

 こちらを見上げてくる目は、覚悟ができているまっすぐなものだった。自分の未熟さを理解し、それでも堂々とあろうとする若い気概に満ちている。なにより年長の従者を制する反応の速さがよかった。

「わたくしは宰相より書状を預かりました。その折、この書状が誰からのものかまではうかがっておりません」

 知らないものは答えようがない。実に真っ当な答えだ。

 嘘も飾りもなく、己の知ることを堂々と言う。奇をてらうわけでもなく、こちらの〝遊び〟に気づかないまま真面目に答えたのだ。自分のできることとして。からかった大人のほうが恥ずかしくなるようなまっすぐさだった。

「わかった。その書状を渡してもらえるか」

 オーシャがソレイルの前に行く。ソレイルは頭を垂れながらオーシャに布包みを渡した。緋色の――カナレイアの色の包みを忠実な家臣が持ってくる。

 金糸で刺繍された豪華な布をめくると、蝋封された書簡が出てきた。

 耳のすぐそばで舌なめずりする音が聞こえる。封印が国王の印であるのを見たサーフィルの舌なめずりの音だ。

 腰の短刀で封を切り、マーシスは書簡を広げる。

「『予、カナレイア国王よりナクルの王に返答する』」

 返書を読み上げるマーシスの肩の上で、中を見たサーフィルが待ちきれぬとばかりに翼を動かしている。


「『書簡を受領した。その上で予と予が家臣はその意に従う理由なく、またナクルの王よりの糾弾についても、事実無根であると答えるものである』」


 マーシスが返書を読み上げていくほどに諸王諸将の顔つきが変わり、使者たちの顔から血の気が引いていていく。

 敬称もなにもない率直な文面に腹立たしさは感じなかった。それくらいは言ってもらわなくてはとさえ思った。今更へりくだられたところでつがえ放った矢は戻せない。


「『再度告げる。予が国にナクル国王の言を容れる理なし』」


 一瞬の間をおいてから、一気に左右の皆が沸いた。多くの者にとってはこれこそ待ちわびていたものだった。

「〈盟主〉!」

 喜色満面で立ちあがったのはツォグタイだ。

「もはや待たずともよい、そうですな!」

 広げた書状を手元で戻し、マーシスはうなずく。

「ああ。予定通りに」

 歓声があがる。並んでいた者たちが嬉々として席を立ち、それぞれの陣へと帰っていく。

 空になった席に挟まれた空間で、それでも動かぬ――動けぬ者たちがいた。

 マーシスは書状を手に立ちあがり、まだ青ざめている者のもとへと歩く。

「――ソレイル・ピノ」

 ひざまずく少年の前にしゃがみこみ、少年に目を合わせてから名を呼んでみる。

「使者を咎めるつもりはないが――どうする」

「どうする、とは」

 いくらか大きさを増した目と眼差しから、その混乱が見てとれる。近づいて見た瞳は髪の色に似た青灰色。顔は――たぶん母親似だ。十年前に会ったあの宰相は褐色の髪だったし、もっと険のある顔をしていた。

「書簡を渡したこと、またこの結果を伝えるために戻るというなら護衛をつけて送り届けよう。――これはただのわたしの勘なのだが、父親、あるいは父の家とはうまくいっていないのではないか?」

 ソレイルは答えない。

 先ほどはあれだけ堂々とマーシスの問いに返した少年が黙っている。これでもう答えは見えているようなものだ。

「戻りたくないのならばここでしばらく見聞を広めるのも悪くはない。わたしの名において安全は保障する。頼れる者がいるりならそこに身を寄せてもかまわないし、そのあいだまでというのでも」

 ソレイルの大きくなっていた目がやや元に戻る。

「どうして」

「理由か。一つはこの使者殿が覚悟を決めすぎていたことだ」

 確かに重責ではある。けれどもその必死な目は誰かのための重みではなく、自らのための重みゆえに見えた。なんとしても生き延びる。その気迫が、意志が隠しきれていない。 

 そんな目とセイレーネから聞いた出自を重ねれば、この少年がどんな命を受けていたかはおのずと察せられるというもの。

「もう一つは、わたしが〈盟王〉に会ったのは今の使者殿と似たような年だった。身に余るものを負っての任の重さはわたしもよくわかる。それに耐えた褒賞だ」

 褒賞、と小さくくり返す声がした。

 すべてを従者にまかせていたら、声などかけず突き返していただろう。けれどもこの少年は自分の言葉で答えた。幼いながらも全力で。敵地といえるこの場でのふるまいには、相応のむくいがあってしかるべきだろう。

 ずっと硬直していたソレイルが、突如自分の靴のあたりを探りだした。

 取り出したものを二人のあいだに置き、深々と頭を垂れる。

 ソレイルの手のひらにすっぽりおさまりそうな短剣を見てから、マーシスは問う。

「これは?」

「……宰相より、『王に会い、機会があれば使え』と渡されたものです」

「雑なたくらみだ」

 長を討てばこの〈新盟〉は崩れる。そう考えたのか。

 刺客は戻らないものだが、宰相にとっては〝そのていど〟の駒にしかすぎなかったのだろう、実の子であっても。

「ハビ=リョウはお前に助けられたな。これを使われていたら今ごろあの都は跡形もなくなっていた」

 刃の変色した短剣を手に取れば、ふっと苦笑がもれた。

 自分になにかあれば、宰相の狙い通りこの〈新盟〉もしばらく混乱するだろう。

 だがそれより早く青い竜が報復するはずだ。一切の容赦も慈悲もなく、完膚なきまでに。

「いくらか使う機会はあったと思うが」

「使う理由がありませんでした」

「そうか」

 なんとしても生き延びる。そう考えるのなら、刺客という仕事はあまりに割に合わない。宰相と少年の望みは最初から食い違っていたわけだ。

「――先ほど、陛下は褒賞とおっしゃいました」

「ああ」

「ならば、どうか陛下のおそばにお仕えすることをお許しください!」

 再びソレイルは頭を垂れ、地面に手をついた。その手が震えている。

「わたしはいずれ、お前の父の仇になる」

 この明敏な少年が、それをわかっていないはずがない。むしろそれを期待してのことかもしれなかった。

「かまいません。あの男は母の仇です」

 どうか、とかすれた声で言いながらさらにソレイルは頭を下げる。

「いろいろと事情があるようだが、なにができる?」

「公用語以外ならトゥグ語とソンケ語が。計算と『リーイン』を諳んじることもできます。他もお望みなら身につけます」

「……わたしが十のときより多才だな」

 肩の竜が尾で背中をはたいてくる。

「成り上がるなら他の国を勧めるが」

 頭を下げたまま、ソレイルは首を短く横に振った。

 マーシスは立ちあがり、最も古い家臣を呼ぶ。

「オーシャ」

「――は」

 そばに来たにやにや顔のオーシャに返書と短剣を押しつけるように渡しつつ、声をかける。

「ソレイルに喉によいものを出してやってくれ。落ち着いたら主だった者たちに紹介を」 

 こちらを見上げるソレイルの目が輝いていた。

「……では」

「声をかけたのはこちらだからな。よそに行きたくなったらいつでも言うように」

 オーシャがソレイルをうながし立たせる。二人は連れ立ち、幕のむこうへと歩いていった。

 残ったマーシスはソレイルがいた横を通り、まだひざまずいたままの従者を見下ろす。

「正使はこちらに留まることになったが、貴殿らはどうする」

「……復命の任がございます」

 いい答えだと思った。返答の短さに強い意志が表れている。

「ならば南正門まで送らせよう。宰相によろしく伝えてくれ」

 膝をついたまま、彼は一礼する。

 竜人兵たち五名を呼び護衛を命じてから、マーシスはきびすを返す。幕の裏側へと。

「……いいのか、宰相の子だぞ」

 からかうようにサーフィルが言う。

「持つ血は選べるものじゃないだろう?」

 あの少年は父をよく思っていないどころか恨んでいる。身につけている技術も宰相家の子弟らしからぬものだ。そのあたりはおいおい聞くことになるだろう。

「うちは人が少ないんだ。見込みのある頭のよさそうなのを引き入れてなにが悪い」

 彼にはまずナクル語を覚えてもらうことになるだろうが、すでに身につけている二か国語とナクル語はごく近い。それほど時間は要さないだろう。

「それにお前もなにも言ってこなかったくせに」

「武器仕込んどいて敵意も殺意もなかったからな」

 勘のいいサーフィルが止めようとしなかった。それもあの少年をこちらに留めようと考えた――家に帰さずともよいと考えた理由だったが。

「知ってるか、サーフィル。『リーイン』はすごく長い」

「さっき言ってたやつだな。そんなに長いのか」

 まずサーフィルが興味をもたなさそうな書物である。公用語での宗教詩で、祭礼の基礎として神官が必ず覚えなければならないものだ。自分も一部分しか覚えていない。

「九十八巻ある。読むだけで半日仕事だ」

「……本当にそれ全部覚えているのか、あいつ」

 マーシスはあんぐり口を開ける竜の頭を撫でる。

「三分の一でもたいしたものだ。案外今回一番の成果になるかもしれないぞ」

 控えの間に戻ると出口のそばに侍女を連れたセイレーネが立っていた。ライスンがいないのは陣に戻ったためだろう。

「殿下。明日はライスン卿をお借りします」

 彼ほど今のハビ=リョウの内部について詳しい者は〈新盟〉にはいない。〈盟主〉として王都を攻めるにも、個人としての目的を果たすにしても、彼の助力は必須だった。

「異論はありません。存分に使ってくださいませ」

「ここに残られたということは、なにか」

「お戻りのあいだに、あのソレイルについて少しお話しておこうかと」

 二人で並び、ゆっくりとナクルの幕舎にむかう。その後ろにセイレーネの侍女が数歩離れてついてくる。

 陛下が声をおかけにならなければ、妾が引き取ろうと思っておりましたとセイレーネは続けた。

 彼女が話すには、ソレイルはミィンという〈国なき民〉の血を引いているだろうという。様々な国を移りながら生きる民とハビ=リョウの貴族のあいだに一人の娘が生まれた。その娘を妻妾としたのがドウエル・ピノだったが、彼の正妻はミィンを嫌うミィン排斥派だった。

 子が産まれた直後、その妻妾の姿を見た者はおらず、彼女はミィンの仲間のもとへ去ったのだとも副都へ逃げたのだとも言われているが。

「それも表むきのこと……ですか」

「はい」

 うなずくセイレーネの顔からして、まずよからぬ系統の話しとなりそうだった。

「妾は彼女と面識がありました。あの少年のものより艶のある見事な長い銀髪は、そう忘れられるものではありません」

「それでは、殿下が彼女と会われたのは」

「陛下のお母様と同じところです」

 冷水を正面からかけられるよりも心に堪えた。

 ソレイルは宰相のことを「母の仇」と呼んでいたが、どこまて詳細を知っているのか。

「夫婦どちらの意図だったのかまでは妾にはわかりません。どちらかかもしれないし、両方だったかもしれません」

「……こんなところで〝同胞〟に会えるとは思わなかった」

 敵方の中枢に自分と同じ目にあった者がいるとは。それも宰相の子だ。

「――殿下」

「はい」

「〈白の城〉の地下の行き方を知っている者はどれくらいいるのでしょうか」

 ハビ=リョウのカナレイア王宮の中でも〈白の城〉は比較的新しく、外交の場として使われている場所だ。しかし地下があるということは他から聞いたことがない。

「多くはないと思います。妾も着くまで目隠しをされておりました。〈白の城〉の地下だというのも近くにいた男が口をすべらせたからわかったもの。鍵を開ける音がしましたから、誰かが鍵を持っているはずですが、場所を考えると」

「王か宰相くらい、と」

 うなずくセイレーネを見ながら、マーシスはソレイルの目を思い出していた。

 自分が生きられる場所を逃してたまるかというような、必死な目を。

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